第33話 正しい者の味方
彼の背中を見つめる形となったライゼとルシェラは、彼のしようとしていることが理解できなかった。
言葉で解決しようとしているのか……そんなことが出来たら、ルシェラがこんなに苦しむことにはならなかったはずだ。
「無知」とは、相手の言葉を聞き入れようとしないがために生まれる重たい罪だ。
そんな奴らに言葉で屈服させる気か……そんなの、意味がないに決まっている!
本来の姿を取り戻したことで思考が好戦的になっているライゼは、理性的なジェイの行動に苛立ちのようなものを感じていた。
しかも相手は人間。かつて、対立していた相手――ライゼはその時代を生きていたわけではなかったが、己の細胞の中に巣食っている人間への敵対心は確実に頭を擡げつつあった。
――だが、次にジェイの口から出てきた台詞は、直情的になっているライゼの頭に冷水のように、じんわりと奥深くまで染み込んでいった。
「そして……彼は、妖人族という家の中に棲んだ、情に厚く、愉快で物知りで、とても頼りになる青年です」
(ジェイ……)
「一方であなたたちは、人間という家に棲み付いた悪の化身です。あなたたちの姿は、庭先を可愛らしく彩るための仮初めの花壇です。色とりどりの可愛らしい花々が咲き誇る花壇を通り過ぎて、玄関先で扉をノックしましょう。
ジェイはすう、と深く息を吸い込んだ。
「それが、僕から見たあなたたちの姿です。いくら見た目は人間でも、心が悪にあるなら仕方ありませんよね。こんな幼い少女に今までのような態度しか取れないのは、仕方ないです。だって、あなた方は悪なのですから。……では、そんなあなた方に問います。ルシェラの家に火を放ち、三人もの尊い命を屠ろうとした悪の首領はどなたですか」
ルシェラは無意識のうちに人垣の中にギルウィルの姿を探した。彼を疑っていたからではない。親しくしていた情ゆえ、彼の無実を確信したかったのだ。
その時、ジェイの長広舌にヒステリカルな女の声が返ってきた。
「あんたたちが……あんたたちが来たせいだ!」
叫んだ彼女は、腕の中に四歳くらいの男の子を抱いていた。
男の子は顔を俯かせていたのでよく見えなかったが、眠っているのだろうか、異様に大人しい。
お前たち――そのうちの一人であるジェイは、
すぐ傍では、欠片ほどの理性を残したまま、しかし、いつ村人たちの中へ突っ込んで行くかもしれぬライゼが低い唸り声を上げている。
『お前たちの言い分は聞こう。だが、その内容によっては、俺はこの村を壊滅に追い込むことをも厭わない』
普段よりも尚、荒々しい声。思わず息を呑んでしまうほどに過激な言葉の羅列に、ジェイはライゼを振り返った。
燃え盛る惑星の如き双眸が、人垣の一人ひとりを射抜く光線のように光っている。
ああ、よかった。ジェイは安堵した。
彼のこの、睨みつけただけで命の終焉を余儀なくされるかのような容赦のない瞳が自分へと向けられていないことに、心の底から安心したのだ。
ジェイは彼らに向き直り、冷静に問う。
「……僕たちが、何をしたと言うのですか」
今度は別の女性が、震えた声で言う。
「この村に……症例のない病が出たわ」
その言葉にはっと顔を上げたのはルシェラだ。
「病……?」と弱々しく呟く。
「どういう意味ですか」
ジェイが探るように慎重に問うと、村人たちは急にカッとなって、口々に荒い言葉を投げ始めた。
「被害者面してんじゃねえ!」
「お前たち以外に犯人はいない!」
「外からやってきたお前たちが、外の病気を持ち込んだんだろう!」
「は……ぁ、なにを……」
謂れの無い罪状を前にしてジェイが見るからにたじろぐと、その隙を逃すまいと目を付けた村人たちが次々にジェイとライゼを糾弾し始めた。
耳を塞ぎたくなるような暴言が飛び交い、切り裂くような金切り声や、怒号が一気に耳を貫いた。
『うるせえ……』
ライゼが地を這うような声で言う。
「そんな……僕たちは……」
すっかり圧倒されてしまったジェイは、再び人々を押さえつけるだけの懸河の弁を挟み込む余裕を与えられなかった。
大勢の村人対一人の真っ向勝負は、たちまちジェイに劣勢を強いた。
その時、今まで黙っていたルシェラがゆらっと立ち上がった。
濡れそぼつ大地を踏みしめる音にジェイが振り返ると、重く濡れた金髪をかき上げたルシェラが一歩、また一歩と歩き出し、二人の横を通り過ぎて村人の前で立ち止まった。そして、息を呑むほどに美しく透き通った瞳を、母親に抱かれた少年に向けた。
彼女はギルウィルの妻エマーヌ。抱かれているのは息子のリサ少年だ。
ルシェラが見つめているのは、エマーヌの腕の中で顔を真っ赤に火照らせ、全力で走った直後のように速い呼吸を繰り返し、ぐったりしているリサ少年だ。激しく飛び交う大人たちの声に目を覚ましたのか、周囲の異変にとろんとした目を向けている。さっきは俯いていて気がつかなかったが、やけに苦しそうにしている。
明らかに様子がおかしいことに気がついたルシェラは、遠慮がちにエマーヌに近寄るも、
「来ないで!」
と、撓った鞭のように拒まれた。
あまりの剣幕に、ルシェラはぴたりと立ち止まる。五メートル程の距離を敷いて対面した両者は、睨み合うだけで声を発することが無いまま、暫しの沈黙を味わっていた。
その間、ルシェラはただぼんやりと立ち尽くしていたわけではない。
大きな翠色の瞳は、リサ少年をじっと見つめていた。
見るからに様子のおかしい少年と、「症例のない病」という言葉から、ルシェラはその病に罹ったのがリサ少年であることを悟った。
(一体、リサくんを苦しめる病の正体は――?)
ルシェラが深い思案の中に沈みかけた、その時である。
「……」
母親の胸の中で、リサ少年が何かを呟いた。
それは誰にも聞こえないようなか細い声であったが、
『目……?』
「目……」
目。
…………。
ルシェラの頭の中を、物凄い速さで文字の羅列が駆け抜けて行く。
ざああああ、と文字が通過して行く音に混ざって、本の頁を捲る音が重なる。
脳内にしまわれた数々の医学書がルシェラの思考に様々な答えを提示しては消え、提示しては消えてゆく。
そしてついに――。
「……あ」
閃きと同時に、ルシェラがはっと顔を上げた。
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