第30話 希望の朝陽の下で

 ルシェラは、朝の訪れる気配に促されて目を覚ました。


 ベッドから正面に見えるところにある窓には、両側から引かれた黒いカーテンの真ん中から、差し込んだ朝日が糸ほどの細い線となって部屋の床を二つに割っていた。


 すっかり目が覚めてベッドにむくりと起き上がると、床に転がった二人の男がぐーぐーと鼾をかいて眠っているのを見つけて、誰だこいつらは! と、一瞬ぎょっとしたが、昨日のことを思い出して気を取り直す。


(そうだ。お手伝いしてもらう代わりに泊めてあげてるんだった)


 生憎、両親が使っていた寝具の殆どを処分してしまったため、二人には床で寝てもらうことになったのだ。


 始めはルシェラが、「お客さんに床で寝かすことなんて出来ません」と、自分のベッドを二人に提供しようとしていたのだが、

「女の子の寝台を貸してもらうのは気が引けます」と、ジェイ。

「俺とアルル、この寝台に二人で寝ろってのか。狭いだろ。あと、なんで男と同衾せねばならん」と、ライゼが首を縦に振らなかったので、考えてみれば自分の申し出は理にかなっていないなと思い直し、二人に毛布だけ渡して床に就いたのである。


 毛足の長い絨毯の上で毛布に包まる二人の寝顔をぼんやりと見下ろしていると、ライゼの目が急にぱっちりと開いた。

 びっくりして、はっと息を呑むと、


「何見てんだよ」


と、チンピラまがいの言葉を突きつけられる。


 鋭利な三白眼と相対する少女の翠瞳が、言葉を選んで数回瞬く間に数秒の沈黙が流れた。

 なんとも気まずい無言の時間が過ぎてゆくと、ライゼはふっと息をついて、ルシェラに背中を向ける形で寝返りを打つ。


「目、腫れてるぜ。冷やしておいたら?」

「え……」

「昨日沢山泣いたからだろ。顔でも洗って冷やしときゃ、そのうち腫れも引くよ」


 しばらくすると赤い髪の中から、くうくうと寝息が聞こえてきた。

 ルシェラは、腫れたせいで少し開き辛い瞼にそっと触れた。


「冷やそう」


 ベッドから抜け出した彼女は、キッチンで水を汲み上げると、棚の中から取り出した小さい桶になみなみ水を満たし、そこへ手拭を浸した。

 冷たい水の中に寝起きの手を浸して手拭を絞ると、少し多めに水分を含ませたそれを目元に軽く押し当てた。


「……冷たい」


 朝の水は、熱を持った瞼を心地よく冷やした。


 食卓に腰を下しながら、しばらく目元を冷やしていると、表の方が急にさわがしくなるのに気が付いた。


 人が駆け回る気配や足音、話し声に混じって、悲鳴やら怒号が聞こえてくる。なんだか、ただ事でない様子だ。


 ルシェラは表通りに程近い窓のカーテンをそっと捲って村の様子を覗いてみたが、奥まったところにあるこの家からは、外で何が起こっているのか確認することは叶わなかった。


 諦めて窓から離れようとしたその時、ルシェラの家の裏側から、一人の中年男が、たたっと足音を殺して村の表の方へと駆けて行くのが見えた。


(今のはギルウィルさんだ……)


 村の漁師のギルウィル・ガランデ。一年の殆どは海に出ているので、村に帰ってきているのは珍しかった。若い奥さんと二人の息子がいる父親で、一年前まではルシェラ家族とも良い近所付き合いが出来ていた。

 今となっては、ガランデ家族と一緒に食卓を囲んだことなど、遠い昔の記憶か夢の中の出来事のように思える。エーデ病が、彼女を幸せな夢から叩き起こしてからというもの、ルシェラの人生は色あせた写真の中のように味気ないものだ。

 彼女が過去の思い出に浸りながら手拭を目元に押し当てじっとしていた、その時だった。


「まずいぞ!」


 毛布を蹴飛ばして起き上がったライゼが、急にそう叫んだ。


「どうしたんですか」そう尋ねる隙も与えず、物凄い速さで裏木戸に飛びつくと、大きな音を立てて戸を押し開いた。外に首を出して、続いて「あっ」と切羽詰った声が上がる。


「逃げるぞ、ルシェラ、ジェイ!」


 慌てて家の中に引っ込んだライゼが、本名を隠すのも忘れてジェイを叩き起こし、枕代わりにしていた手荷物を抱えながら、こう叫んだ。


「この家に火がついた! 外壁が燃えている。木造の家はすぐ燃えるぞ!」

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