第26話 肩を並べて
寝床提供の代わりに言い渡された遣いの内容は、隣村の茶屋で茶葉を五百グラムと、書店で取り寄せしてもらった本を取りに行くというものだった。
「隣村に書店も茶屋も一つしかありませんから、そこへ寄ってください。これ、お金です」
ルシェラから代金と隣村までの地図を預かり、村人たちのとげとげしい視線に晒されながら、ジェイとライゼはラシン村を出た。
「ああ。まったく、息苦しいったらありませんよ。みんなして僕らのことをじろじろ見て!」
二人きりになるなり、不機嫌なジェイが盛大な溜息と共に吐き出した。
ルシェラの話を聞いてよほど腹が立ったらしく、その口調もいつにも増して強気である。
「ああ……参るな」
ライゼはハットのつばをつい、と上に傾けながら、疲れたような声で同意した。
「それはそうと、ライゼ――」
「デイスって呼べよ。油断してると、ルシェラの前でぼろが出ちまうぞ」
ジェイは不服そうに目を細めながら、恨みがましい態度で言った。
「デイス、酷いじゃないですか」
「……何がだい」
視線を遠くへ向けながら、ライゼ。
「ルシェラに出会ったとき、僕には“警戒しろ、警戒しろ”って態度で彼女に冷たくしておきながら、まるで手のひらを返したように彼女に優しくして。……いや、それはいいんです。優しくするのは構わないのです。ただ僕は、いくら人を信用できないからって、女の子に対してあのような態度を取るのは……。それに、妖人族であることを打ち明けてしまってよかったのですか」
ジェイは不機嫌さを隠そうともせず、ブーブー言う。
周囲に誰もいないのを確認してから、ライゼはバツが悪そうに弁明をした。
「正体をばらしたのだって、必要なことだ。ああいう子どもの心を開かせるには、こちらも相応の態度で挑まねばな。――悪かったよ。本当にいるんだよ、女使って旅人を騙す賊共が。どこに伏兵がいるとも知れんし、警戒せずにはいられないんだよ」
「かっこつけずにはいられないんだよ」
「俺のまねをするな」
一向に機嫌の回復の見込めないジェイからの湿っぽい目線に、居心地の悪さを拭い去れないままライゼは、自棄になってハットの下の赤い髪を掻き毟った。
「仕方ねぇだろ。辛い思いをしている子どもに対して、いつまでも冷たくしてやれるほど、俺は冷血漢じゃない」
するとようやく、ジェイの顔に、困った時にするような微笑が浮かんだ。
「意地悪なこと言ってすみませんでした。わかってます、あなたが非常に情の深いヒトだということは。だから僕はあなたを旅の相棒に選んだのです」
「ジェイ……」
喜ばしいことこの上ない言葉のプレゼントに、花開くような破顔をして感動したのも束の間、たちまちジェイの顔に、今度は意地の悪い笑みが張り付く。
「僕はアルルです。気を緩めましたね、今」
「……アルル」
(こいつ、いつの間に生意気になったんだろう)
ライゼは胸のうちで呟かずにはいられなかった。
「ただいま帰りました」
数日間の居候が家を出て半刻程経った頃、荷物を抱えて帰ってくると、ルシェラは書物の海となった部屋を片付ける手を止め、
「お疲れ様です、おかえりなさい」
と、ノイズの混じった声で二人を労った。
「大丈夫でしたか。
ルシェラが心配そうに眉尻を下げながら訊ねた。
「絡まれる? 俺らが? ないない、ないぜ。この俺の一睨みであいつらはさっさと目を逸らしちまうくらいだからな」
ライゼは大量の本が入った麻袋をテーブルの上に置くと、得意気に胸を反らして笑った。
彼の言う通り、村人たちは遠巻きに二人を眺めるだけで、特に何をしてくるわけでもないのだ。ひそひそと交わされる秘密の会話が少々目に余るが、「今すぐ出てゆけ、よそ者め!」と石やゴミを投げられないだけマシだった。
面白がったライゼがわざわざ色眼鏡をずらして睨み返すと、彼らは「まあ、恐ろしい」と目を逸らしてしまう。その様子を、ジェイはひやひやしながら見ていた。
「何を自慢げに話しているのですか。そんな挑発的な態度を取って、もし突っかかってこられたらどうします」
「突っかかってなんか来るもんか。十やそこらの女の子相手にびびってるような奴らだぞ」
「それはそうですけど……」
「あたしは十四です」
ルシェラが食い気味に訂正するが、ライゼはそれを「大してかわらん、十も十四も」と、軽くあしらう。
「これ、頼まれたお茶です」
「ありがとうございます」
ルシェラはジェイから茶葉の入った紙袋を受け取ると、がさがさと封を開けて、深みのある葉の香りを胸いっぱいに吸い込んだ。ほんのりと甘い香りがする。異国の地で生まれたこの茶葉は、天然の甘み成分が含まれていて、砂糖を入れなくても十分に甘くなるのだ。それでいてカロリーゼロ。人々はこぞって愛飲する。
早速、茶葉をティーポットに適量入れ、既に沸騰していた湯をその中に注いだ。
「さ、座ってください。お茶にしましょう」
二人分の椅子しかなかった食卓には、彼らが出かけている間に、もう一脚追加されていた。生前に母が使っていたものであるという。
今度は三人で小さな食卓を三方から囲んだ。
「母が亡くなってから倉庫にしまい込んでいたのですが、またこうして三脚、ここに並べられるなんて思いませんでした」
ルシェラは嬉しそうに言った。
休憩後は、ここぞとばかりにこき使われた。
まきわり、煙突掃除(これは故郷の実家でよくやらされていたというライゼが灰に塗れながらやった)。
西の空に赤い夕日が沈んでゆく頃には、旅の疲労と相まって二人ともくたくたになっていた。
「煙突掃除をしていたのは、身体が小さかった子どもの時のことだぞ。成人男性があんな狭いところに入ってする仕事じゃないぜ!」
全身煤塗れのライゼが玄関先で喚いた。
汗やら灰やらに塗れた男共が揃って玄関から入ってくると、散らかった本の山を部屋の隅に片し終えたルシェラが小走りで駆け寄ってきた。
「二人とも、助かりました。服が汚れてしまいましたね。洗濯するので、脱いでください。お風呂は、今、アルルさんに割っていただいた薪で沸かしています」
「え、家に風呂あるの?」と、ライゼは聞きかけて、慌てて口を噤んだ。
入浴は、街に必ずある一つはある銭湯に通うのが一般的である。作るのにお金も場所も使う風呂を自宅に作るのは金持ちや偉い人くらいだ。どちらにも属さないルシェラの家に風呂があるのは、村人たちとの交流を断つために作ったからであろう。
裏木戸から外へ出て案内された浴場は、家の裏手側に作られた、四方をレンガの壁で囲まれた小部屋の中にあった。
浴室内は、男二人がぎりぎり寛げるだけのスペースが確保されており、水捌けのよさそうな石造りの床には、浴槽の湯を汲み上げて泡を流すためのバケツが置いてあった。
大きな丸い岩をくり貫いて作った浴槽が壁際にドン、と置いてあり、浴槽の下部に空いた蒲鉾型の穴には、薪を燃やすオレンジ色の炎が爆ぜていた。
まだ新しかった。きっと両親の死後か、その少し前に作ったばかりなのだろう。
脱衣所を兼ねた洗い場に足を踏み入れると、「ごゆっくり」と言い残したルシェラが家の中に戻っていく。
ジェイたちは着替えを籐の籠に入れて、濡れてしまわないようにレンガ塀の外に置くと、さっと掛け湯をしてから、白い湯気を立ち上らせる湯舟に浸かった。
円形の浴槽は足を伸ばすにはだいぶ狭かったが、身体の中で固まった疲労はたちまち熱い湯の中で解れていった。
「丁度良い温度ですね」
「ああ。疲れが一気に溶けてゆくな」
ライゼが手拭で薄汚れた顔をごしごし拭うと、白かった布はたちまち真っ黒く変色する。
「三日振りのお風呂は格別ですね。僕はもう、お風呂と結婚してしまいたいです」
ライゼはハハハッと笑い飛ばした。
しばらくの間、二人は吹き抜けになった上空をぼんやりと眺めていたが、
「なぁ、アルルよ、そのまま聞いてくれ」
急に真面目くさってライゼが言う。
「何ですか?」
「これからの旅のことだ」
ジェイは微かに息を呑んで、隣にいるライゼを見た。
いずれは話し合わなければならないと思っていた。
「はい」
ジェイは重々しく頷き、濡らした手拭を首筋に滑らせた。
「とりあえず、カラルナ大陸を離れるくらいの旅と考えている。だが、それではアルルの実を狙われていることに対する根本的な解決にはならんだろう。木はいずれ実を成す。ま、その辺は春の丘の
ジェイは半ば上の空で首周りに手拭を滑らせたまま、目の前のレンガ塀を見つめていた。
「身近な目標が欲しいわけさ。それによって、これからの進路が決まるからな」
「ええ……」
「俺はただの付き添いだ。アルルの実をどうするか、その決定権はお前にあるんだぜ」
ライゼは湯で顔をばしゃばしゃ洗いながら言った。
「実はまだ、僕自身、アルルの実をどうしようか、考えあぐねているんです。遠い海に捨ててしまうというのも視野に入れています」
「うん、どちらにしろ、海が近くにある土地まで行かないといけないわけだな」
そう言ってライゼは湯船から上がった。
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