第5話 妖人族

 水星国メルク金星国ヴェヌス火星国マルス木星国ユピター、島国・土星国サタナ、四つの国を頂く大陸とその傍にある島には、妖人族ようじんぞくと呼ばれるニンゲンが住んでいる。

 凶暴で闘争心が強く、肉食。強靭な肉体を持ち、人間を遥かに凌駕する治癒能力と過酷な環境での適応力の高さを有する。

 姿形は人間と変わらないが、鋭い牙を持ち、虹彩の中の瞳孔は獣のように縦に伸び、生命力を漲らせ妖しく煌く。大きく尖った耳も妖人族の特徴で、それを隠すためか、彼らは髪を伸ばしていることが多いという。

 現代を生きる彼らは、好戦的な資性を胸の底に沈め、巧みに正体を隠し、人々に紛れて暮らしていることもある。


 歴史の中では時として人間と対立することもあった彼らは、百年程前に領地を奪い合う争いを二年続けたが、決着はつかなかった。数で勝った人間と肉体の強靭さで勝った妖人族は互いに深刻な損害を被り、和解という形を余儀なくされた。

 結果として妖人族は金星国ヴェヌスの首都の郊外にある南の地を“妖人の里”として与えられた。それ以降は大きな争いもなく、表向きは共存の道を歩んでいる。というのも、他国に散らばった妖人族たちは、人々から疎まれ、恐怖され、時には駆除の対象として、容赦なく命を奪われてきた。その結果、世の中から妖人族は激減の一途を辿ることとなる。人間はそんな冷酷な行為を続けながら、自分たちは共存できていると思っているらしいが、妖人族側はそうは思っていない。彼らの中には人間たちの寝首を掻く瞬間を虎視眈々と狙っている過激な集団も居るという噂だった。


 ライゼが住んでいたという村も、人々との種族が異なる故の争いで、迫害されてしまったのだろう。

 ライゼは被っていたソフトハットを脱ぐと、所々跳ね回った赤い髪を耳に引っ掛けて、


「ほらな。わかるだろ?」


 軽い口調と共に晒されたそれは、妖人族の尖った耳。軟骨部分は大きく、下に下がるにつれて小ぶりになる耳朶には小さな羽の飾りが揺れていて、しゃらん、と上品な音を立てた。

 ジェイは「本当だ……」と呟くと、


「……でも、妖人族なら、人間の賊ごとき簡単に返り討ちにできちゃうんじゃないですか?」


 ライゼは、自分の正体を知った少年が、想像していたよりも冷静な反応を示したので、少々拍子抜けだ、といった顔をした。

 最後の一口になった焼き菓子を口の中に詰め込むと、もごもごいわせながら、


「ああ、できるぜ。しないけどな。人間相手に本気出したら、妖人族おれの方が悪者になっちまう」


 ごくん、と咀嚼した焼き菓子を飲み下し、牛乳を一気に飲み干すと、今度はセーダ豆のパンに手を伸ばした。


「おれ、セーダ豆のパン好きなんだ。――おれはもう、妖人族が悪者になるのは嫌だぜ。いくら人間が悪くても、力の強いおれたちが手を挙げてしまえば、奴らは妖人族に恐怖する。かつて、おれの住んでいた村では、それが原因で妖人族は悪者扱いされた。一方的に向こうが悪いのに、だ。そして悪者退治だ、と命まで奪いにくる。その時、おれは好きだった人間の女に斧を向けられたことがあったぜ。おれが思う一番怖いものは、恐怖っつう悪神に屈した人間たちだ。怖い、と思う感情は、人間をひどく残酷にする。おれたち妖人族は、おれたちに恐怖する人間以上に人間に恐怖している」


 ザア、とぬるい夜風が吹いて、二人の髪を舞い上げた。額が晒され、ライゼの高い鼻梁、薄い唇、細い顎……大人っぽい彫りの深い造形が月明かりの下で美しく際立った。自分より大人で頼りになる印象のその横顔に、ジェイは強く憧れを抱く。

 彼はジェイに横顔を見せたまま、ふ、と微笑した。


「ガキっぽいって思うかもしれんがな、ジェイ。おれはヒーローになりたいんだ」


 ライゼは傍らに置いた細身の剣を手に取り、


「これは、おれが人間と同じ技を身につけたくて始めたんだ。剣術さ」


 飾り気のない白い鞘に収められた剣。反が無く、華奢で真っ直ぐなデザインは、荒くれ者風のライゼが振るうにしては、やや大人しすぎるような気がした。


「おれが生まれ育った村から一緒に旅をしてきた相棒だよ。いや、剣術を学び始めてからずっと一緒だ」

「何のために旅をしてるんですか?」

「生きるため。ずっと同じところに居ると、いつかぼろが出て殺されるかもしれないからな」

「家族は」

「いないよ。おれに家族なんか」


 己を憐れむような苦笑を浮かべながら、全てを否定する硬質な声で言うライゼの顔に一瞬、別の人格が重なったような錯覚に陥った。

 どうしてですか、と少々立ち入ったことを訊ねようとしたジェイの言葉より先に、ケロッとした調子でライゼが口を開く。


「さ、今度はおれの番だな」


 セーダ豆のパンを食べ終え、手についたパンくずをはたくと、口元を服の袖でぐい、と拭った。

 ついさっきまでの暗い印象を孕んだ苦笑は、きれいさっぱり拭い去られ、代わりにそこにあったのは、期待の篭った真剣な眼差しだった。


「お前、魔法使いか? おれのこと連れてく時、空飛んだろ。耳元で風を切る音がした。独特の浮遊感もあった。な、そうなんだろ?」

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