第4話 彼は何者
「少し休んでください。動いても大丈夫そうなら……病院へ行きましょう」
と、ジェイが言ったのが今から六時間前。そして今、すっかり陽は西の空の彼方へと帰り、入れ違いで天に返り咲いた上弦の月が藍色の空に白い明かりを灯している。
昼間のうちは暖かかった風も、太陽が居なくなった途端、掌を返したように冷たい。
だらっと背中を大木に寄りかからせて、ぼんやりと町の灯りを見下ろしているライゼは、死の淵に追いやられるほどの重症を負い、目の前に死がちらついたほどに痛みに苦しんでいた。それが一時間か二時間前のこと。
町を見下ろしたまま、ライゼは自分の血で濡れたブリオーに手を置いた。乾いた血が布にこびりついて、その部分にある繊維が冷たく固まっている。
痛くない。少しも。そこに怪我をしていたことを忘れてしまうくらいに、いつも通り。
布を捲り上げてみると、傷はそこに存在などしていなかったというように塞がっていて、じぐざぐした白っぽい模様が蚯蚓腫れのように浮き上がっているだけだった。
銃弾が貫通したときに開いた服の穴だけがそこにはあり、「ああ、旅を始める記念に買った高い服が台無しになった」と不貞腐れる。
ライゼはとろとろと視線を傷跡へ落とすと、
「ありえねえ……」と呟く。
(気持ち悪いくらいに治りが早い。いくらおれでも、流石にこの早さは――)
「ライゼさん」
夜の下で沈思に耽っていた彼の元に、下の町まで食糧を調達しに行っていたジェイが紙袋を抱えて帰ってきた。
少年の声で思考の園から戻ってきたライゼは、きちんと座り直し、ジェイに向かって片手を挙げる。
「色々買ってきましたよ。どんなものなら食べられますか」
軽く息を乱しながらライゼの傍らに正座したジェイは、袋の中の物を紙袋の上に並べ始めた。
りんご、オレンジ、セーダ豆のパン、干し肉のサンド、焼き菓子、牛乳、瓶に入ったレモネード。
ライゼは並べられた食べ物たちを見て、急速に腹が空くのを覚えた。
「ありがとう」
「いえ、何を言うんですか。お金を出してくれたのはライゼさんでしょう」
ジェイが謙遜を込めて言うと、ライゼはきゅっと眉根に皺を寄せ、
「……普通に名前で呼べよ。ライゼさん、なんて呼ばれたことないから恥ずかしい」
「え、そうですか? では、ライゼ」
ライゼは改めてそう呼ばれても何も反応を示さなかったが、右手は焼き菓子へと伸び、ほんのりと甘い香りが漂うそれを大口を開けて齧った。中にはアーモンドの欠片がたくさん入っていて、生地はほのかに紅茶の味がした。
「美味いな」
「よかった。あ、牛乳も飲みますでしょう?」
「うん」
ライゼは差し出された牛乳瓶を受け取った。蓋はジェイが開けてくれていたので、彼はそのまま口をつけて呷る。
反らした喉を大きく波打たせながら瓶の半分ほどまで飲み干してしまうと、また夢中で焼き菓子を頬張った。
しばらく彼は食事に集中していたが、焼き菓子を全て腹の中にしまいこんでしまうと、
「……傷、すげえよ。見るかい?」
「えっ」
口元を服の袖で拭うなり、白い歯を見せて笑ったライゼが服の裾に手を掛ける。
「ほら」
無駄な肉のない細い腰周りには、眼が痛くなるほどに出ていた血は跡形もない。閉じきった弾痕が白い跡になって張り付いているだけだ。
「すごいですね。何者ですか、あなた」
やけに冷静な様子で苦笑したジェイの言葉に、ライゼは途端に真剣な表情に塗り替え、
「おれの正体知りたい?」
「……なんですか、それ」
ジェイの顔が思わず引き攣る。
青年の視線は己の腹の塞がった傷に向いていたが、胸の奥にある心の瞳はジェイの胸中を余すところなく見透かしているように感じて、心臓が冷える思いがした。
「知りたいか。いいぜ、教えてやるよ。ただし、おれも訊きたい事がある。それに答えてくれよ。な」
ジェイは返事をすることができなかった。
彼の心の瞳から放たれる、静かで冷え切った空気はまるで、表の彼の人格とは別の人間のそれに思えてならなかった。
ここに居るはずのない第三者の視線を彼の胸の内から感じ、ジェイは返事をするのを忘れていたのだ。
なんと答えていいのかわからない。どんな言葉を返せば正解なのかわからない……。
そんな彼の無言を肯定の意として受け取ったライゼは、一度小さく頷くと、自分の周囲の風をざわつかせながらおもむろに口を開いた。
「
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