つかさどるもの

始爛(siran)

『ずっと愛してる』 《1》



何年も通いつめた薔薇の花園の、小さな小屋の薄影で、僕らは抱きしめ合った。陽の当たる場所からの喧騒も、笑い声も、無数の足音も、全部全部聞こえないフリをして。ぐっと力を込めた掌には君の体温だけがじわじわと伝わる。どくんどくんと脈打つこの胸には君の柔らかい頬が擦り寄る。意識が飛びそうになるくらいの、君の髪の香が鼻を擽る。このままだと、手放してしまえなくなってしまいそうだ。僕は靡く君の長い金髪を、そっと撫ぜた。

「本当に行ってしまうの?」

震えるソプラノが、胸の中で反響する。

「すぐ戻ってくるよ」

そんなの叶いっこない言葉で、嘘になるだと分かっていたけれど、告げずには居られなかった。きっと君もそれを理解している。だからこそ、震えが止まらないのだろう。僕は狡くても良いから、この一瞬の愛おしさを、永遠にしたかった。君の唇を、温かさを忘れない様に、抱き寄せる腕の力を強める。

「…約束、しよう」

そう持ちかけたのは僕だった。小指を立てて、片腕を君の腰から手放して、そっとその指を眼前へ。君の青の瞳がぱっと見開いて、そこから宝石の雨が溢れる。

「うん、うん」

涙声になりながら何度も頷いて、君も小指を差し出した。怖いくらいに白く、細く、冷たい君の指が必死に絡み付く。その様がすぐにでも消えてしまいそうに見えて、僕まで瞼が腫れそうだ。

「シャーロット」

「シュウジ」

僕らは見つめ合い、小指を結んだまま呼び慣れた名前を口にした。これも今日でしばらくは、お預けだ。僕は君を置いて、この英国の地を離れなければならない。とても中学生である自分達だけでは手の届かない、遥か海の彼方へ向かう事になってしまった。親の離婚なんて正直興味は微塵も無いし、僕は母と此処へ残りたかった。だが、父はそれを許してくれず、僕の意志は全く反映されないまま渡日が決まってしまったのだ。この時以上に自分の無力さを憎む事なんて、きっと無いと思えた。

「僕は君を、ずっと愛してる」

「私も貴方を、ずっと愛しているわ」

きゅう、と小指を互いに握り合わせて、求めるように。子供じみた、そんな小さな「約束」。でも僕らは、形にしなければ壊れてしまいそうだと誓い合った。色褪せない永遠の愛となる様にと。

「…そう言えば日本では、嘘ついたら針千本を飲ます、そんな言い伝えがあるのでしょう?」

シャーロットはぽつりと呟く。彼女は僕の父の実家である日本の文化や伝統などに興味を持っていて、この事を知っていても何らおかしくない。僕は「うん。折角だから、嘘をついた時の罰も決めようか」と、彼女の笑顔が見たいがために答えた。期待通りに、「初めてだわ」と、涙で濡れた口元に弧を描いてくれる。

もっと、その僕の大好きな笑顔が見たくて、好奇心で「もし嘘をついたら、全てを捨てるなんてどうだろう?」と口にする。シャーロットは「面白そうね」と微笑んだ。僕達の腫れぼったい目元も嬉しそうに緩む。そしてもう1度、彼女は口を開く。

「絶対の約束よ?」

「分かってるよ」

「もし貴方が嘘をついたら、本当に全てを奪うわ」

「僕も、きっとそうするよ」

「…ふふ、危ない事を言っているはずなのに。何だか不思議と怖くないわ。絶対に私は貴方を愛していられるって、自信で満ち満ちているみたい」

「僕だってそうさ」

空気がくるりと変わって、普段通りの少し強気な彼女と僕の受身な姿勢で交わし合う言葉。これが最後になってしまうのなら、もう1度愛していると言えば良かったと、とてつもなく後悔した。

そろそろ時間だと口に出そうとした途端、僕は無理矢理シャーロットと引き離された。肩を思い切り掴まれ、そのまま鈍い痛みと、脳が揺れる感覚に襲われた。全ては父が僕の後頭部を杖で殴り、その反動で気を失ってしまったせいだった。彼はシャーロットの様な、いや……母の様な金髪の女性を憎んでいて、僕らが付き合っている事を良く思っていなかったからだろう。それでも理不尽極まりない。でも僕は声も出せず、足も動かせやしなかった。

抗う事も出来ないまま、気が付けば既に空港に到着していて、僕は連絡機器さえ扱う事が許されなかった。ただ一つできたのは、シャーロットを想う事だけ。またいつか、絶対に君の元へ戻るよと僕は小指に口付ける。寂しさよりも強い思いが、彼女の触れていた箇所から溢れ出して、思い返す度に頬を幾度となく濡らした。





ーーー



『純粋で、強い約束だ。美しく輝いていると言うのに、どうしてこんなにも汚れてしまったのだろうね?』

モニターに映し出された数十年前の色褪せた長い物語を見終わった私は、腰掛けていた椅子から立ち上がる。少し離れた机の上に散乱した資料の中から一部だけを取り上げた。


『【氷室秀司。25歳製造業社勤務…掟破りに付き、《刑》を執行するに値する】…ね。残念だなぁ、本当に』


文章を読み上げ終えれば、全くの執着も無く放り投げる。ばさりと音が響いたが、気にも留めずに掛けていたコートを掴み、羽織った。最後にトレードマークのシルクハットを被り、黒で身を包む。

仕事着であるこの姿も久し振りで、多少コートが合わない気がしたが目を瞑った。肩を回せばコキ、と良い音が鳴るし、必要最低限には動く。問題は無さそうだ。


『_約束を司る者、プロミス。只今より任務を遂行する。罪人は氷室秀司。罪状:掟破りにより、刑を執行する。』


久し振りに"針千本飲ます"以外の刑。言葉にせずとも、興奮は抑えられずに鼓動の高まりを感じた。これだから執行官、いや___司る者は、辞められない。


『…君の全てを、ゆっくりと奪わせて貰おうじゃないか、シュウジくん。』







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