百五 聞き飽きた言葉

 気づかれた。どうしよう、どう言えばいい?

 津村実花は、必死に言い訳を考える。何を言えば納得してくれるんだろう。どうすれば咎められないんだろう。だけど何も思いつかない。

「そ、その、これは……」

 無理やり出した言葉は続かない。意味ある台詞に成長しない。

 カナルヤ・レイは、そんな実花のことをじっと見つめたと思うと、ゆっくりとした動作で近寄ってくる。

 反射的に逃げようとした。けれどソファに座ったままでは自由に動けない。

 両腕を伸ばしてきたが、逃げられない。どうしようと混乱していると、両腕が実花の背中に回る。それからふんわりと、労わるように、実花は抱きしめられた。そうと気づくのに数瞬かかった。

「良かったわ」とカナルヤは心底安堵したかのように言う。「生きていてくれて、本当に良かった」

 戸惑う。どうして、と思う。死を偽装したこと、魔人と一緒にいること、魔人が兄であること。どれもこれも怒られても仕方ないこと。裏切り者だと言われても仕方ないこと。

 たくさんの魔人を殺し、英雄と呼ばれ、聖女と認定された。なのにそれらを全部台無しにした。普通の帝国の人間から見れば、殺したくなるほど憎くなってもおかしくない。それが実花が今まで見た帝国の魔人への怒りと憎しみと恐れ。

「大丈夫よ。安心して。私は、魔人を悪だと思っていないから。それにもう聞いているんでしょう? 私は戦争を無くしたいって思っていることや、魔人を普通の人間のように感じていることも」

 子供をあやすようなカナルヤの優しい声は、実花の胸に染み渡っていく。

「……本当に」

「本当よ」

「でも……レゾッテさんは魔人に」

「そうね。悲しいことよ。だけどね、それはあの子が望んで戦場に立ち続けた結果。戦場に自分から立つ以上、そういう覚悟もあったはずよ。……でもね、あなたは違っていた。あなたは魔人を殺したいわけじゃなかったし、戦争をしたかったわけじゃない。違う?」

 どうして気づかれたんだろう。実花は息を呑んだ。ネルカ以外に言ったことはなかったはずなのに。

「あなたに戦えと強要したのは、メメルカね。あなたの力に目を付けたんでしょう。あの子がやりそうなことだわ」

「なんで……分かったんですか?」

「あなたの戦い方を見ていれば分かるわ。心の中で、ずっと泣いていたから」

「嫌だった。戦うのが、ずっと怖かった」

「うん」

「でも、頑張れたんです。戦った先に、きっと、お兄ちゃんがいると思っていたから」

「そう」

 と、カナルヤは稔のことを流し目で見た。彼は正真正銘の魔人だ。人間から魔人が生まれることがあると、すでにモルガノ・メイトスから聞いていた。だから実花が人間であってもおかしくはい。ないのだが、

「ねえ、もしかして、ツムラミカちゃんも魔人じゃないかしら?」

 その発言に衝撃を受けたのは、シニャとグリアノスとカースの三人。もしも人間の英雄が本当は魔人であったのなら、それは帝国にとって大問題となる。思い当たる節は、少なくともグリアノスとカースにはあった。実花は魔力の壁を作ることしかできないから。

 稔とネルカは、固唾を飲んで見守っている。

「……どうして、そう思ったんですか?」

「あなたは、たった一つだけしか魔法を使えなかったから。しかも、誰よりも強力な魔法を」

「不器用だから、です。それに、ゴーガさんも一つの魔法しか使っていません」

「ゴーガはね、一つの魔法しか使えないんじゃない。体を強化する魔法にしか興味がないのよ。だから使おうと思えば、いつでも使える。それに、不器用な人間もたくさん見てきたけれど、魔法が一つだけしか使えない人なんて見たことはなかった。使い方が下手なだけで、単純な魔法なら使えるのよ。あなたは使えるの?」

「……できません」

「やはり、そうなのね。ぱっと見は普通の人間と変わらないけど、きっと体のどこかが人間と違っているのね。そしてメメルカは、魔人だと知っていて使っていた」

 実花はカナルヤの体を押した。カナルヤは不審に思いながら実花から体を離す。真剣な面持ちになっている実花は、鋭い言葉を発する。

「……私を、交渉の材料にするんですか?」

 カナルヤは、はっとした。確かにその考えはあった。メメルカが魔人を英雄として使っていた。それは大きなスキャンダルになる。それを脅しとしてちらつかせればいい。そうすればきっと首を縦に振るだろう。君主制のこの国において、それは大きな意味を持つ。

「そう、ね。そう考えてしまったのは、事実よ。気を悪くさせていたらごめんなさい」

「カナルヤさんのことは好きです。だから、本当のことを言います」

「うん」

 実花は兄のことをちらりと見た。稔は頷いてくれた。

「私は本当に人間なんです。だから、交渉には使えません」

「それが本当のこと? あなたのことは信じたい。でも……」

「私だけじゃありません。お兄ちゃんも、人間なんです」

「……それはさすがに信じられないわ」

 実花は兄の手を掴んだ。勇気を貰うために。

「私たちはもともとは魔法を全く使えない人間だったんです」

「え……? そんな人間は、流石に聞いたことが。でも……確かに可能性は、ある」

 例えば、腕がない状態で生まれてくる人間がいるように、取り込んだ魔素を魔力に精製する器官、魔力器官がない状態で人が生まれてきてもおかしくはない。しかしそれなら、

「けど、あなたたちは魔法を使えるんだよね?」

「はい。それは、ゴゾルという魔法研究者に改造されて使えるようになってしまったんです」

「ゴゾル……? ゴゾルと言ったの? 今?」

「……はい」

 首を傾げて、実花は言った。

 意図せず見知った名前を知らされて、カナルヤは動揺する。

 研究所に入ってきた当初、自身をも超えそうなほどの才能を感じさせたゴゾル。だがその思考は計り知れないところがあった。何しろ彼が当時研究してきたテーマは、死者の蘇生。そうして数々の実験をこなし、それが無理だと判明すると、彼はあっさりと研究所を辞めた。

 今は何をやっているのか分からない。だがだからこそ、ゴゾルが関係をしていたことは、逆に真実味を帯びてくる。魔法を使えない者を使えるようにする。ゴゾルならば確かにやり遂げてもおかしくない。それだけの能力をカナルヤはゴゾルに感じていた。

「……ゴゾルを、知っているんですか?」

 唐突に、稔が発言した。低く、冷たい声だった。さっきまでの実花の優しそうな兄とは思えない。暗い感情が乗っている。

 カナルヤは背中に冷たいものを感じた。

 そっと稔の目を見返す。彼のその目は、覚えがある。

 オルメル・ノスト・アスセラスと同じだ。

 同じ憎しみの、目だ。

「知っているのなら、教えてください。奴は今、どこに?」

「……ごめんなさい。知らないわ」

「そう、ですか」

「あなたはもしかして、復讐をしたいの? もしもそうなら、止めなさい。復讐をしても何にもならないわ」

「似たような台詞は、聞き飽きてます」

 主に、元の世界の物語の中で。

「それでも、あえて言うわ。復讐をしても、誰も喜ばない。誰もね」

「そんなことは、分かっているんですよ。由梨江が望んでいないってことぐらいは。でも俺は、許せない。俺たちをこんな目に合わせた奴のことを。あいつが今でも似たようなことを繰り返しているかもしれない。そう考えるだけで、腹わたが煮えくりかえるんですよ」

「……一体、あの子が何をしたの?」

「俺たちを、壊したんですよ。何もかもね。この角は、ゴゾルの手で植え込まれたんです」

 稔は指先で自分の角をつつく。

 黒い感情が、ホテルの一室を埋め尽くす。

 事情を知っている三人の少女たちは、悲しそうな瞳を稔に向けている。

 グリアノスとカースは、稔の豹変ぶりや、知らなかった事情を唐突に聞かされて目を白黒させている。

「壊した? どういうことなの」

「どうせ、言っても信じないでしょうが、俺たちは、ゴゾルの魔法でこことは違う世界から連れてこられたんですよ。俺たちの世界には魔法がありません。ゴゾルにとって俺たちは、実験動物でしかなくて、実験をするために俺たちを改造して魔法を使えるようにしたんです」

「……信じるわ」

「嘘はよしてください」

「信じるわ」

 真摯な瞳で、カナルヤはまっすぐ稔を見つめている。

「なんで」

「理由が必要? それなら、説明するわね。

 ゴゾルは空間魔法を開発していたの。結局、私にもその理論は分からなくて、使えることが今でもできないけど。ただ彼の論文の一つには、違う世界がある可能性を示唆しているものがあるの。その世界の一つには、死んだ人間の魂が集まるところがあって、空間魔法によってその世界と繋げ、この世界に呼び出せるんじゃないか、とね。結局、私が知っている限りでは、実験は上手くいかなかったみたいだけど。まあ、だから、信じるわ」

 稔は一瞬愕然とした。そうして問うた。

「どうして……どうしてあなたたちは、そう簡単に、俺の言うことを信じてくれるんですか? そうでなかったら、俺は、この世界のことを大嫌いでいられたのに……」

 もしも稔が全開で魔法を撃てば、街一つを簡単に崩壊させることができる。それを繰り返していけば、きっといつかゴゾルに辿り着ける。けれどそうしなかったのは、この世界にも良い人はいると知ってしまったから。

「正、直」グリアノスが言う。「俺は、頭が、悪い、から。お前の、言っている、意味、が、分から、ない。け、ど、お前が、本音で、話して、くれている、のは、分かる」

「そうだぜ、ミノル」カースが続く。「俺だってお前が言っている意味を分かるわけじゃないが、俺もお前が本気なのは分かる。それにお前は、根っこのところで優しい人だってことぐらい、俺たちは知っているんだ。なんせ俺たちの村を命を賭けて救ってくれたんだ。人を信じる理由なんて、それで十分だろ?」

「ミノル様」今度はシニャだ。「私ももちろん、信じています。ですが、本当はもう分かっているんじゃないんですか?」

「ねえ、お兄ちゃん」

 実花が稔を見上げている。嬉しそうな、表情だった。

「分かってるよ、実花。……みなさんありがとうございます」

 みんながみんな、微笑んでいる。

 けれどカナルヤだけは、厳しい顔を向けている。まだ納得できないことがあるからだ。

「良い雰囲気の中、悪いけど。……どんな理由があるにせよ、私はやっぱり復讐を認めるわけにはいかない。帝王オルメルは、マ王に殺された。それは自分の復讐にこだわり過ぎた結果だったと思う。彼だけじゃない。他にもそんな人が大勢いることを私は知っているの。私があなたに復讐をして欲しくないのは、そうした人の一人になって欲しくないから」

「……それでも俺は……」

 カナルヤは再び稔の目を見た。彼の目の色はずいぶんと違うけれど、オルメルと似ているのは変わらない。絶対に諦めない。そういう意思を感じる悲しい目だ。

 その時だった。実花が稔の腕に自分の腕を絡めて、きり、とカナルヤを見上げた。

「カナルヤさん。お兄ちゃんは大丈夫です。私がいますから」

 意表を突かれて、カナルヤはすぐに反応できなかった。傍らの稔は、妹の予想外な行動に驚きの声をあげている。

 実花は自分の行動が恥ずかしかったのか、少し頬を赤らめていた。

 カナルヤは口元を緩ませる。

「そっか……そうね」と、頷いて、ネルカやシニャも見回した。「オルメルは、たった一人の娘や沢山の臣下を従えていたけれど、孤独だった。いいえ、むしろ、自分から孤独を選んでいた。私の言葉を拒絶するほど。それが、あなたとオルメルの違いね」

「そうです。ミノル様が大変な時は、私たちが助けます」

 ネルカは真摯な表情で言った。

「分かったわ。ただ、これだけは約束して。あなたを慕う人を悲しませてはだめ」

「もちろんです」

「愚問だったわね」

「いいえ。そんなことはありません。もう一度確認できて良かったです」

「そう、それなら良かったわ。……ところで、知りたいことがあるんだけど」

「なんでしょうか」

「ゴゾルがあなたたちに何をしたのか、よければ教えてくれないかしら。具体的にね」

「構いません」と言いながら、稔はちらと実花を盗み見た。「ただ、二人だけで話させてください」

「ああ、そうね。分かったわ」

「お兄ちゃん。私も……」

 と言いかけた実花を、ネルカが腕を掴んだ。

「ちょ、ネルカさん」

「すみません、ツムラミカ様」

「お、おにいちゃーん」

「すまん、実花」

 それから、残りの三人も部屋の外に出たのを確認すると、おもむろに稔は語り始めた。

 あの岩窟での長く苦しい地獄のような日々を。




「……以上です」

 話し終えた時、カナルヤは怒りを露わにした。

「あいつ。そんな非道なことを……」

「はい。ゴゾルにとって俺たちは、実験動物ぐらいにしか見えていなかったのだと思います」

「……ゴゾルはね、一時的とは言え、私の部下だった」

 カナルヤは立ち上がった。そうして姿勢を正し、深々と頭を下げる。

「あいつは入った時から、危険な臭いがしていた。……なのにそれを放置していたのは、私の明らかな落ち度。あなたたちには本当に申し訳ないことをした」

「よしてください」と稔も立ち上った。「カナルヤさんは悪くないんですから。悪いのは、ゴゾルです」

「ごめんなさい」

 と言って、カナルヤは頭を上げた。目には涙の跡がある。

「俺は、ゴゾルを殺します。よろしいですか?」

「どうして、私に聞くの?」

「あなたの部下だったからです」

「……本音を言えば、あいつには生きて罪を償ってほしいと思うわ。でも、話を聞く限りそれも無理なようね」

「はい」

「……できれば私の手でケリをつけたいところだけど」

「いいえ、俺がやります」

「譲る気はなし、か。分かったわ。でも、あいつはきっと想像以上に強いわ。何か策はあるのかしら?」

「あれから俺は、ドグラガ大陸に渡り、戦い方を学んできたつもりです。ですが、あいつの強さの上限がどこにあるのか、正直に言って分かりません。策の立てようがないんです」

「絶対に、死なないでよ」

「善処します」

「……確約はしないのね」

「はい。ただ、俺にもしものことがあったら、その時は妹のことをお願いします」

「私としてはそんな約束はしたくないんだけど……仕方がないか。分かったわ」

「ありがとうございます」

「うん。それじゃあ、ツムラミカちゃんを呼んできて。彼女からも、話が聞きたい」

「分かりました。ただ無理に聞かないようにお願いします」

「分かっているわ。無理強いはしない。聞ける範囲だけよ」




 実花の話も終わり、稔たちはホテルの外に出た。いつ間にか夕方になっていて、太陽が落ちていく最中だった。

「私たちはもう、会わない方がいいでしょうね。少なくとも、それぞれの計画が終わるその時までは」

 カナルヤはそう発案した。この中の誰かが帝国に捕まり、連鎖的にみんなの計画が終わる。それを危惧していた。

「そうですね」

 稔が同意すると、他の面々も頷いている。

「次に会う時は、全てが無事に終わった時ね」

 分かりました、と口々に言う。

 それから彼らは別れの言葉を言い合い、それぞれの帰路に着く。

 みんなの背を見送るのは、稔と実花とネルカ。

「腹、減ったなあ。晩飯にしようか」

 稔は自分のお腹を押さえながら言った。

「うん」

「はい。それでは何か作りますね」

 三人は、ホテルの中に戻っていく。

 足取りはゆっくりだ。

 まるでこの時間を僅かでも長引かせるためみたいに。

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