百四 偶然の再会

 信じられなかった。

 帝都グラウの中を練り歩きながら、グリアノスとカースはルグストを探すために視線を彷徨わせていた。

 ルグストが、まさか帝国に告げ口をした本人とは考えられない。きっとなにか、わけがあるはずだ。そう考えていたからこそ、二人はルグストを探し、問おうと思ったのである。

 だがいくら帝都を歩いても、ルグストらしき姿は見当たらない。宿もできる限り当たっているが、ルグストが泊まっているようではなかった。

 残りの心当たりはグラウ城。おそらくルグストはそこにいるだろう。しかし二人は、その予想から目を逸らす。城にいるということは、帝国への情報提供者はルグストだと認めるようなものだからだ。

 だから二人は、未練がましく帝都の街中を歩く。きっとどこかの道を、ルグストが歩いていると信じていたから。

 そんな時であった。

「グリアノスさん」

 と、声がかかった。振り返ると、灰色のローブで全身を覆った男がいた。彼の背後には、長く伸ばした赤髪の少女と、短い青い髪の少女と、金髪の少女がいる。

「……き、みは?」

 とグリアノスは聞いた。

「俺です」彼は抑えた声で言う。「稔です」

「……ミ、ノ、ル? ミノ、ル、か!」

 グリアノスは驚きの声を上げた。その後ろから、カースも同じように声を上げている。

「そうです。あの時はお世話になりました」

 ぺこりと、津村稔は頭を下げた。

「驚いたよ」と、カースが言う。「まさかこんなところで再会するなんてな」

「俺もです。この先に俺が泊まっているホテルがあります。詳しい話はそこでしましょう」

「わか、った」

 稔が進もうとしたところ、赤髪の少女が彼のローブをちょいとつまんだ。

「ね、ねえ、お兄ちゃん。その人は?」

「ああ。この人は、ほら前に話しただろ。グリ村の……」

「あ、この人が」と、赤髪の少女はくるりとグリアノスたちと向き合った。「はじめまして。話は兄から来ています。兄を助けていただいてありがとうございます。私は妹のみ……いえ、ツミカといいます」

「私はネルカと申します」

「シニャと申します」

「グリ、ア、ノスだ」

「はじめまして。俺はカース。しかし驚いたな。ミノルに妹がいたなんて。しかもこんなに可愛らしい女の子をはべらして。やるねえ」

「まあ、色々ありまして。その辺りのことも含めて、詳しいことはホテルの方で」

「……そうだな」

 カースは赤髪の少女と稔を見比べて頷いた。





「こ、こんないい部屋に泊まっているのか……っ」

 稔たちが泊まっているホテルの部屋に入った途端、カースは衝撃を受けて茫然とした。グリアノスも平静を装っているが、驚きを隠せていなくて部屋の中を見回している。何せ彼らが泊まっている宿の部屋よりも、いやグリ村にある自宅はもちろん、村長の家すらも霞むほどの豪勢ぶりだから無理もないが。

「どうぞ座ってください」

「あ、ああ」

 グリアノスとカースは稔に言われるまま、テーブルを囲うように置かれたソファに並んで座る。あまりのふかふかぶりに、尻を上げたり下げたりしている。

 稔と実花は対面のソファへ。シニャは横側のソファにそれぞれ腰を落ち着かせた。

「お茶を入れてきますね」

 ネルカはそう言って、備え付けの台所へぱたぱたと向かった。

「それで、グリアノスさんはどうしてこの街に?」

「あ、ああ、そうか」とカースは気を取り直す。「俺たちはもともとは魔人……いや、君は……」

 言い淀んだ彼を見て、稔はそういえばと思い直す。

「大丈夫です。ここにいる人たちは俺の正体を知っていますから」

 稔はフードを取って、角ばかりの頭を晒した。

「そ、そうか。まあ、ともかく俺たちは、魔人との戦争のために来たんだ」

「ですがそれは終わったはずでは?」

「ああ、戦争はな。しかし臨時の兵士として契約をしたのはいいが、契約が切れるまでは帝都にいなければならなくてな。それで今はしかたなくここにいるんだ。全く融通が効いていなくていい迷惑だよ。それよりも……」カースはこの場にいる人たちを見回した。「ユリエはどうした? 出かけているのか?」

 質問が出るとすぐに、実花とシニャの顔色が変わった。

 カースとグリアノスは嫌な予感がした。その証拠に、重くて息苦しい空気に変わっている。

 稔の顔色は少しも変わっていない。それが嫌な予感に拍車をかけている。止めようか、とカースは一瞬迷ったが、その間も無くあっさりと稔は口を開いた。

「……彼女は、死にました」

「……死、ん、だ?」

 グリアノスが、驚愕の眼差しで聞き返す。

「はい」

 稔は頷いた。カースはバツの悪い顔をしている。嫌な予感が最悪の形で当たってしまった。

「そうだったのか……。嫌なことを聞いたな。すまない」

「いえ。もう何年も前のことですから。大丈夫です」

「……どうして、良い奴から死んじまうんだろうな……」

「本当に……そう思います」

 無言になった。それぞれが、冥福を祈っているのだろう。

「……お待たせしました」

 そこにネルカが小声で入ってきた。手にしているお盆の上には、人数分のお茶がある。足音も抑えて歩いているのは、彼らの会話の内容を聞いていたからだ。だからなるべく音を抑えて、お茶が入っている木製のコップを彼らの前に置いた。

 最後にネルカは自分の分のコップをシニャの対面に置いて、ソファに座る。みんなの顔色を伺いながら、両手でそっとコップを持って、お茶をすすった。


 ふう、と、カースは深く長いため息を吐いた。そうしてコップを強く掴み、一気に飲み干す。沈鬱な雰囲気を一撃で壊すような仰々しい音を立てて、コップをテーブルに置いた。

 全員の注目をカースは浴びた。だが全く気にしていないばかりか、むしろ注目を望んでいるようにも見える。それから口端から垂れた液体を袖で拭うと、

「……さて。この女の子たちはミノルの何かな?」

 と聞いた。






「……マ国との同盟……か」

 メメルカ・ノスト・アスセラスは、グラウ城の最上階にある自室で書類仕事をこなしながら独り言を呟いた。

 扉の側に立ち、メメルカの護衛をしているのは、親衛隊長のフェルリナーラ・トルキン。彼女はメメルカの独り言に対して何一つ反応していない。

 ケイザル・トラガを通して提供されたこの情報は、さすがのメメルカも動揺を隠しきれない。魔人は邪悪であり、神の敵。それがこのヒカ大陸における常識である。それなのにカナルヤ・レイは、同盟を結ぶべく働きかける計画を練っているらしい。

 情報元はグリ村からの志願兵の一人だ。名前は確かルグストと言ったか。カナルヤはグリ村出身の彼らを仲間にしようと接触したが、危険を感じたルグストは逃げ出してケイザルに相談したと言う。

 ルグストによれば、カナルヤの動機は戦争を無くしたいかららしい。彼女から魔法を学んだメメルカは、優しい性格のことをよく知っている。母や兄を魔人に殺され、父のオルメルが相手をしなくなった時、カナルヤが優しくしてくれた記憶がある。人間同士の戦争でも彼女は嫌がっていた節がある。特に今回の魔人との戦争では、愛弟子が戦死している。だから彼女の戦争を無くしたいという気持ちは良く分かるつもりだ。

 問題なのは、その手段だ。よりにもよってマ国との同盟を結ばせようとしているとは。

 とても現実的とは思えない。普通に考えれば、支持をする者がいるはずがない。

 何か考えがあるのだろうか。分からない。そもそも同盟を結んだとして、戦争がなくなるわけがない。人間は戦争をせずにはいられない愚かな生き物だ。少なくとも、メメルカはそう思っている。

「フェルリナーラ、あなたはどう思う? マ国との同盟が認められると思う?」

「……非現実的としか言いようがありません。反逆罪の罪にも問えるかと思います」

「普通に考えれば、そうでしょう」

「そもそもわが国は合議制ではありません。よしんば賛同する者がいたとしても、メメルカ様の一存で否決できます」

「その通りです。カナルヤ様がまずしなければならないのは、私を説得すること。でも私はすでに拒否するつもりでいる。しかし……」

「しかし?」

「相手はあのカナルヤ・レイ。どういう出方をしてくるのか分かりません」

「まさか……本当に反乱を目論んでいると?」

「それはさすがに飛躍しすぎでしょう」と、メメルカはくすくすと笑う。「そもそもカナルヤ様は、ああ見えて争い事が嫌いなのよ。反乱軍との一戦を思い出してご覧なさい。やる気は感じられなかったでしょう? それでも十分過ぎるぐらい強いから、重宝するのだけれど」

「確かに……」

 フェルリナーラは戦場でのカナルヤを思い浮かべながら呟いた。あのあからさまに手を抜きながら戦う様は、戦闘行為自体が嫌であったのだろう。しかしそのような状態でありながら、多くの敵に取り囲まれても彼女は傷一つ負うことはなかった。カナルヤが本気を出した場合、果たしてどれほど強いのか。彼女が敵になった場合、自分にメメルカを守ることができるのか。フェルリナーラは思わずぞっとした。

「そう心配することはありません。彼女が私を害するとは思えませんからね。ただどのような手を用意しているのか、それが気になってはいますが。ともあれ、今は泳がしておきましょう」

 メメルカは楽しそうに微笑んだ。それは新しい玩具を見つけた子供のようにも見える。

「メメルカ様がそう仰るのなら……」

 フェルリナーラは不安そうに言った。メメルカのことはもちろん信頼しているが、護衛として、もしもの場合を考えずにはいられない。

 もしもカナルヤが反乱を起こした場合、彼女の魔法をフェルリナーラは抑え切れる自信がない。それほどまでにカナルヤの魔法は一線を画している。

「ところで、ツムラミカ英雄譚の最終巻はもう読みましたか?」

 フェルリナーラの不安を察しているのか、カナルヤは再度声をかけてきた。

「いいえ、まだですが」

「それなら早めに読んだほうがよろしいですよ。エフス様の最高傑作とも言えるほどに、面白い読み物になっていますからね」

「……分かりました。今晩、早速目を通してみます」






 稔は全てを説明しなかった。自分がマ王であったことや、違う世界から来た人間だということも。二人のことを信用していないわけではない。彼らなら、請えば協力してくれるだろうとも思う。だがそれは、いらぬ危険に巻き込んでしまう恐れがあった。そうして稔は、彼らを巻き込みたくなかったのだ。

「なるほどな」とカースは頷く。「それで戦争に参加していたら妹と再会して、マ軍が出て行った後はこっそりと帝国に残り帝都に来たってわけか。けどよく中に入れたよな」

「はい。そこでネルカさんやシニャさんに助けていただいたんです」

「そういえば、この二人は人間だったな。一体どういう経緯で?」

「ネルカさんはツミカと一緒に俺を探してくれた方です。それでシニャさんは、由梨江と旅をした頃に出会いました。彼女はシスターなんです」

「シスター!」カースは驚いた。「教会の方が、魔人に協力を……?」

「はい。私はミノル様やユリエ様と接して思ったんです。魔人は、本当に悪なのか、と」

 シニャはしみじみと話す。

「しかしそれは……」

「私も散々に悩みました。ですがある日、同じ疑問を持つ司祭様と出会いました。彼は教典の原典には、魔人は悪と書かれていないのではないか、と疑っていました。そうして、私たちの手で原典を入手し、調べたところ、魔人は悪という記述はなかったのです。そんな時に、共通の知人だったネルカ様が来られ、ミノル様が助けを求めていることを知ったのです」

「カー、ス」

 と、グリアノスは驚きながが言った。

「ああ」カースはグリアノスと同じことを考えたようだ。「実は俺たちは、帝国とマ国の間に同盟を結ぼうと考えているんだ。そして、マ国との戦争をこれ以上起こさないようにしようと思っている」

「え!」

 一同は驚愕した。マ国と同盟など前代未聞だ。

「俺も最初に聞いた時は無理だと思ったよ」カースは苦笑した。「けど、魔人が悪ではない証拠を見つけ、それを教会に突き付けようとしている人たちがいることを、発案したある人が教えてくれたんだ。正直、今まで半信半疑だったんだが……」

「それは……」

「ああ。俺もまさかって思うよ。まさかその一人が目の前に現れるなんてな」

「……ですが、このことは口外してはいけない決まりになっていたはず……。一体だれが……」

「それは俺たちにも分からん。ただ発案者は役職にはついていないが、軍でも重要な位置にいる人でな。俺たちにとっても意外だったが、顔は広いようだな。……そうだ。今から呼んでくるから、ちょっと会ってくれないか?」

「今から、ですか?」

「ああ、そうか、すまん。今からはちょっと無理だったか?」

「いえ、構いませんが」

「ならよかった。その人はついこの間まで城に住んでいたんだが、今はちょうどこの近くに住んでいてな。勝手に決めてしまったけど、ミノルたちも良かったか?」

「はい。俺もその人に興味ありますから」

 続いて実花とネルカも頷いた。

「じゃあちょっと一走り行ってくる!」

 そうしてカースは部屋から出て行った。


 グリアノスの家族について雑談をしていると、扉がノックされた。ネルカが立ち上がり、扉を開けると、そこに立っていたのはカースとカナルヤであった。

 ネルカは彼女と目があってしまい、どきりとする。まさか彼女が件の発案者だとは思っても見なかったのだ。

 カナルヤは目を細めて、ネルカを見つめた。気づかれた、とネルカは思った。だがカナルヤは、口元に笑みを浮かべて入室した。

「はじめまして。私はカナルヤ・レイ。あなた方に会えて、私は嬉しいわ」

 それから彼女はざっと室内を見渡し、稔で目を止めた。稔はフードで頭を隠していない。角だらけの頭部を曝け出している。

「あなたが、そうなのね」

「はい。稔と言います」

「……それにしても驚いたわ。本当に魔人と一緒にいるだなんて」

「俺も驚きました。まさかあのカナルヤさんが来るとは思ってもみませんでしたから」

「へえ。私のことを知っているの?」

「はい。魔人の間でも有名ですよ」

 実際は、ガーガベルトに帝国でもトップクラスの実力者だと教えられていたからであったが。

「光栄ね」と言い、今度はシニャに視線を合わす。「あなたは?」

「シニャです。シスターをやっています」

「へえ、あなたがそうなのね」

「……やはり、ご存知なのですね。一体誰があなたに教えたのですか?」

「その用心深さは正解ね。でも、ごめんなさい。もしものために教えるつもりはないの。あなたは大丈夫でしょうけど、他から漏れると危険になるから。ただ、これだけは言わせて。私に教えてくれた人は信頼できる人よ。私の保証なんて、あまりあてにならないでしょうけど」

「……いいえ。その言葉を信じます」

「そう。それは良かったわ」

 次にカナルヤは実花を見た。

 実花はぴくりと体を震わせて、隣に座っている稔に体を寄せた。その両手は稔のローブをつかんでいる。

「あなたは?」

 微笑みながら尋ねてきた。

 実花は目を合わせようとしない。

「……ツミカ、です」

 おどおどと偽名で自己紹介。稔は補足する。

「俺の妹なんです」

「ふうん。なるほど、ね」

 と、カナルヤは腕を伸ばし、実花の頭頂部を掴んだ。

「あ!」

 実花は抵抗しようとしたが、カナルヤの方が早い。そのままずるりとカツラを取られる。

「ええ! 君は!?」

「まさ、か……」

 カースとグリアノスの驚きの声が部屋の中で響く。

「……お久しぶりね、ツムラミカちゃん」

 そうしてカナルヤは、にっこりと満面の笑顔を浮かべた。

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