百二 どいつもこいつも復讐か
「何か困っていることがあるのではないですか?」
シニャは津村稔に尋ねた。彼は考える仕草を見せた。
「……いいえ、大丈夫ですよ」
シニャが訝しげな視線で稔の目を見ると、頬を掻いて視線を逸らす。
「嘘が下手ですね、ミノル様は」と、シニャは口元を緩める。「先程私には嘘を吐きたくないとおっしゃったではないですか」
「お兄ちゃん……」
「ミノル様……」
呆れたような声が、実花とネルカの口から出た。
稔はため息を吐いた。
「全く、シニャさんには敵いませんね。……実は、帝都の中に入りたいんです」
シニャは稔の頭の角を見る。いくらフードで隠しても、門のところで取り払うように命じられるに決まっている。
「……私に任せて貰えませんか」
少し考えてから、シニャは言った。
「その気持ちはとても嬉しいです。しかし……これ以上シニャさんを巻き込みたくはありません」
「帝都の中に入りたいのは、ゴゾル様に関係しているからでしょう?」
シニャの問いに稔は何も答えない。沈黙を肯定だと彼女は受け取った。
「嘘を吐いてでも私を巻き込ませたくないんですね。ミノル様の復讐に加担してしまうことになるから。それでも、どれだけ憎しみを持っていも、あなたの優しい人柄は変わっていない。私にとってそれは、とても好ましいです」
「……良いのですか? シニャさんは聖職者です。俺がこれからやろうとしていることは、教会としても良しとしていないのでは?」
「確かに、教えは争い事を推奨しているわけではありません。ですが私は、実のところ、教会の教えがもはや信じられないのです」
「信じられない?」
「はい。先程も言った通り、原典と教典には相違がありました。……何が真実で、何が嘘なのか。私にはもう分からないんです。それに、ゴゾル様に関する話を聞いて、私も許せないと思いました。もちろん、あなた様やツムラミカ様が、もう誰も殺して欲しくないのが本音です。ですが、彼が生きている限り、同じような犠牲者が今後増えるかも知れません。誰かが止めなければなりません。……それができるのもまた、ミノル様しかいないのだと思います」
「……俺が、もしも魔人だとバレてしまえば、シニャさんに危険が及ぶかも知れませんよ」
「それこそ、今更なんです。そもそも原典を私たちが入手したことが判明してしまえば、処刑は免れません。
それに私と私の仲間たちで、大司教様に原典には魔人が邪悪であると書かれていない点について追求することになっているんです」
シニャは微笑みを浮かべた。なんでもないことだと伝えるために。
そこに強い覚悟を感じ取った稔は、思わず息を呑んだ。
「……ミノル様」割って入ってきたのはネルカ。「協力をしてもらうべきです」
「ネルカさん……」
「ミノル様の誰かを巻き込みたくない気持ちは痛いほど分ります。しかし、帝都に入ることすらできない現状はどうすることもできません。ミノル様は絶対に成し遂げなければならないのでしょう」
稔は大きくため息を吐いた。
「分りました。協力をお願いします」
手伝って欲しいことがあるとシニャに頼まれたネルカは、彼女と共に再び帝都の中へ。
シニャが向かった先には様々な店が並んでいる。すでに目星がついていたのか、迷うことなくその中の一つに入った。そこは服飾店であった。主に女物を取り扱っていて、様々な服がかけられている。
「ここで彼女の服を買います。メイド服ではさすがに目立ちますから」
とシニャは言った。
「申し訳ないのですが、私は今はお金を持っていません」
ネルカが持っていたお金は、サガラック砦の馬車の中に置き去りにしてきてしまっていた。もちろんそれが全財産なわけではないが、残りのお金はメメルカ・ノスト・アスセラスの別邸にある。今ではもうないだろうし、仮に残っていたとしても、死んだことになっている自分が取りに戻れるわけがない。
「もちろん私が出します。知っての通り私は、あの大聖堂で働いています。ですので、お給金はそれなりに多いのです。それに実家に仕送りする以外にはあまり使っていません。意外かも知れませんが、結構貯金が溜まっているんですよ」
「いえ、意外だとは思っていませんが……。ただ、私たちのためにここまでして頂かなくても……」
「いいんですよ」とシニャは笑う。「どうせ使う当てのないお金ですから。こういう時にこそ使わなければもったいないんです」
「で、では、いずれお金が手に入った時に、お返しさせて頂きます」
「ふふ。分りました。ですが、無理して返してもらう必要はありません。さて、彼女に似合う服を二人で選んでプレゼントいたしましょうか」
「はい。ありがとうございます」
そうして二人は物色し始めた。と言っても、目立ちすぎるのは良くないため、なるべく市井に溶け込めるような地味目なものを探す。もちろん可愛く似合うことは大前提である。サイズの方はネルカが以前セーラー服を作るために測っていたので、そうした問題がないのは幸いだった。
目ぼしいものを見つけて購入した二人が、次に向かった先はカツラの専門店。男性物や女性物の様々な長さや髪型のカツラがずらずらと並んでいるのは異様でもあった。店主の話によればオーダーメイドも受け付けるそうだが、いったいどういう人々が買おうと思うのか二人には分からない。
ともかくも、燃えるような赤髪で、なるべく長い髪のカツラを買った。
実花の変装には十分なぐらいだ。しかし一番の問題は稔の容姿だろう。何しろ角が生えている。稔が着ている全身を覆うゆったりとしたローブは、なるほど魔人の体を誤魔化すのに理に叶っている。だがそのフードを取れば一眼で魔人だと気づかれるのは間違いない。
「あとは私にお任せください」とシニャは言う。「ネルカ様は早速これを彼女に着させてあげてください」
「しかし……一体どうするのですか?」
「この問題を解決できる方に一人だけ心当たりがあります。ですが、もしもという可能性は否定できません。その時は、申し訳ありませんが、あなた方の裁量にお任せします」
「分りました。ありがとうございます」
稔と実花の前に、ネルカだけが戻ってきた。彼女の両手には大きな袋が下げられている。
「シニャさんは?」
と、稔は聞いた。ネルカはシニャに言われたことを二人に伝える。
「これがミカ様の変装用の衣服です」
「ありがとう、ネルカさん」
「いいえ。お礼なら、シニャ様にお願いします」
「うん」
実花はネルカから袋を受け取ると、早速木の影に入っていく。それからややあってから、実花は顔だけ出してじとりと見た。
「……覗かないでよ、お兄ちゃん」
「覗かねーよ」
ネルカは実花の後を追った。どうやら着替えの手伝いをしてれるらしい。
稔は帝都へと顔を向ける。束の間の一人。だがどうにも一人になると、隠している暗い感情が表に出て来ててしまう。眉間にシワを寄せ、帝都を睨み付ける。
いざとなれば、シニャや実花達を避難させてこの帝都ごと吹き飛ばしてやろう。ゴゾルのことだ。今でも稔のことをモルモットだと思っているに違いない。そうして薄気味悪く笑いながら、実験対象を観察するために出てくるだろう。
それなら、窮鼠猫を噛むという日本のことわざの意味を身をもって教えてやる。
稔は暗い決意を燃やした。
シニャは扉を軽く叩いた。
「お忙しい所申し訳ありません。シニャです。エルムント様、今お時間はよろしいでしょうか?」
「構いませんよ。中に入ってください」
「失礼いたします」
シニャは扉を静かに開けて中に入る。エルムントは今日も書類仕事に勤しんでいた。
「どうぞおかけになってください」
言われるまま来客用の椅子に腰掛ける。
「それで今日はどうなさいましたか?」
「はい。実は頼みがあるのです」
「あなた様から頼み事とは珍しいですね。どうぞ遠慮なさらずにおっしゃってください」
「ありがとうございます。頼みと言うのは、この帝都に入れていただきたい方々がいるのです」
「帝都に?」
エルムントは疑問の声を発した。当然の反応だろう。
「はい。彼らが門を通ろうとすれば、まず間違いなく捕縛されるか、殺されるでしょう」
「……シニャ様の頼みとあらば、できる限り叶えてあげたいと思っています。しかしながら、さすがに犯罪者を中に入れるわけにはいきません」
「……彼らというのは、魔人なのです」
「それは……本当なのですか?」
「本当です」
シニャはまっすぐエルムントを見た。エルムントは驚きで目を見開き、シニャを見つめ返している。
沈黙の時間が流れた。
シニャはエルムントが口を開くのを待つ。もしかしたら駄目なのかもしれない。それでも構わないと思う。無理であるならその上で、できうる限り稔達に協力をするだけだ。
やがてエルムントは言う。
「どうやら本当のようですね。ですがあまりに危険です。魔人を帝都に入れて帝国に気づかれてしまえば、極刑も免れないでしょう」
「覚悟の上です。それに私たちは、他にも危険な案件があるではないですか」
「それはそうですが。しかし、これでは決定的です。下手をすれば徹底的に拷問を受けた上で、もっとも残忍な手段で死刑が処されるかもしれません」
「構いません、私は彼らのためなら、命を捧げても構わないと思っています」
「……彼らが魔人だというのは分りました。ですが分りません。あなたはなぜそこまでできるのですか」
「彼らは私にとって、いえ、この国にとっても大恩のある魔人であるからです。なのに私達は彼らに牙を剥いて来ました。私は彼らの助けになりたい。それができないようなら、教会を正す資格もないと考えています」
一拍の間が空いた。エルムントは長く息を吐いた。
「分りました。私も覚悟を決めましょう」
思わずシニャは喜色を浮かべる。飛び跳ねそうな勢いで立ち上がり、礼をする。
「ありがとうございます!」
「決行は今日の夜にしましょう。シニャ様はみなに伝えに行ってください」
「はい! 分りました!」
日が落ちた。ミータ亭に踏み込む一人の男の姿がある。彼の名はグルンガル・ドルガ。言わずと知れた帝国最強の剣士。
彼の姿を見た店主とその娘は思わず驚く。このような場所にグルンガルが入ってくること自体が信じられない。
「カナルヤは上にいるな」
店主に問うと、彼はこくこくと首を上下した。
満足そうに頷いたグルンガルは、店主にお金を渡した。口止め料兼迷惑料である。
そのまま上に上がる。部屋の場所はすでに知っていた。ノックもせずに迷わず開ける。
いた。情報通り男が二人とカナルヤ・レイ一人だ。
男二人、つまりグリアノスとカースは目を白黒させて驚愕している。だがカナルヤは超然とした態度のまま、
「あら、逢引の邪魔をしないでくださる?」
平然と言う。口元に笑みすら浮かべている。だがその目は鋭く、すでに臨戦態勢なのは明らかである。不用意に動けば、彼女の魔法が炸裂するだろう。
さすがだ。グルンガルは心の中で舌を巻いた。しかし表情には出さない。
「すまんな。お前にそういう趣味があるとは知らなくてな。つい居ても立っても居られなくなった」
「嫉妬かしら。あなたの口からそんなことが聞けて嬉しいわ。でも私、お二人の相手だけでさすがに手一杯なの。お帰り願えるかしら」
「そういうわけにもいかん。今すぐに中止しろ。でなければ反逆の罪に問われるぞ」
「反逆? 私たちはただ提案をしたいだけよ」
「マ国と同盟を結ぶつもりなのだろう? それだけで反逆を疑われるぞ」
「よく同盟を提案しようとしていると分かるわね」
「手に入れた情報から推察しただけだ。ともかく、俺とお前の仲だ。今すぐ止めれば不問にする」
「ふーん。ずいぶんとお優しくなったことね。昔のあなたなら問答無用で斬っているでしょう?」
「お前相手にまともにかかっても無駄になるだけだ。それにお前の力は惜しい」
「本音で話しなさいよ。あなたはただ、オルメルの復讐をしたいだけでしょう? だからマ国と同盟を結ばれたら困る。私の力は、魔人を攻めるのに有効だものね」
「違う」
「そうね。実際はアーリヤ元王紀の復讐ね。あなた、あの子のことが好きだったものね」
「お前がどう考えていようと関係ない。お前たちの計画は反逆の罪に問われる。俺はかつての盟友としてそれを知らせに来た。これが最後のチャンスだ」
「誰がなんと言おうとも、子供を犠牲にしてまで戦争するのは馬鹿げている。私は諦めるつもりはないわ」
「どうなっても知らんぞ」
「ご心配なく。私は私の意思を貫くわ」
グルンガルは部屋から出た。こつこつと階段を降っていく音が聞こえてくる。
「どいつもこいつも復讐か。反吐が出るわね」
カナルヤは扉に目線を向けて呟いた。
肩甲骨まであるふんわりした赤い髪がそよ風で揺れた。恥ずかしそうにほんのりと頬を赤らめた実花は、膝丈のスカートを所在なさそうにちょこんと摘み、カツラの赤い髪の毛先を弄ぶ。
「……どうかな、お兄ちゃん」
「うん、これなら誰も実花だとは思わないよ」
実務的な感想。やはりお兄ちゃんだと実花は思う。メイド服の時は褒めてくれたのに、とも思う。とは言えども、この格好はやはり落ち着かないから、褒められても微妙だったかもしれない。
「ミノル様?」
トゲのある声でネルカは言った。笑顔が怖い。
「そ、それにとても似合ってるよ、実花。こういうのも新鮮でいいな」
あからさまに気圧されていて、言わされたようにしか聞こえない。
「そ、そうかな」
前言撤回。えへへ、とはにかんで笑った実花は、それでもやはり嬉しいらしかった。
それから暫くしてからシニャが戻って来た。エルムントとのやり取りを明かした彼女は、再び帝都へと戻る。シニャとしてはこのまま夜になるまで彼らと一緒に過ごしたい誘惑に駆られたけれど、残念ながら仕事は待ってくれない。それに患者のお世話はシニャにとってとても大切なことだった。
そうしてネルカに二人で日本語を教えながらまったりと時間を過ごしていると、夜が来た。
ネルカは魔法で指先に火を灯して辺りを照らす。
程なくして土を踏み締める音が聞こえて来た。暗がりに紛れて現れたのは、シニャとエルムント。
「はじめまして。私は、エルムント・ボルタレルと申します」
「俺は稔です」
「ツミカです」
と、実花は偽名を名乗った。さすがに本名を言ってあの英雄だとバレるわけにはいかない。
「ネルカです」
「深くは詮索いたしません。それでは早速案内いたしましょう」
と言って、エルムントは先導しはじめた。
着いた場所には2メートル弱の高さはある大きな岩があった。エルムントはざらざらした岩肌を撫でながら何かを探しているようだった。やがて、
「ありました」
とエルムントが岩を押すと、ぎいい、と軋むような音を立てながら、岩が押し込まれたのである。いや、正確に言えばそれは、扉が開いたと表現した方が正しいだろう。そう、それは表面には確かに岩を嵌め込まれてはいたが、扉になっていたのだ。
「この中を進めば、帝都に入ることができます。ただし、中はいくつも道が分岐していて、間違えてしまうと出れなくなる恐れがあります。絶対にはぐれないでください」
扉の向こう側を覗き込むと、足元には木製の階段が下へと伸びているようだった。だが先が見通せないほど深い暗闇が見えるだけだ。その先に何が待っているのか全く分からない。
「それでは行きましょう。足元に注意して進んでください」
エルムントは指先に火を灯し、階段を降り始めた。
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