八十七 一騎討ち

 間違いなく優勢だった。

 じりじりとだが、確実に押していた。

 なのに形勢が逆転してしまっている。

 ギョールガ・アスセラスは、青筋を立てながら戦場を見つめていた。ぴくぴくとこめかみが震え、手に力が入っている。ぎしりと歯軋りする音が、周囲に聞こえるほどだ。

「どういうことだ」

 低く、唸るような声でギョールガは問うた。

「はっ」怯えながら兵士は答える。「か、各隊の将が、倒されたのが原因かと思われます。それにより、統制がうまく行かなくなり、兵の動きが悪くなっています」

「そんなことは分かっている! 俺は確かに警戒しろと命じたはずだ! なのになぜまた殺されているのかと聞いているんだ!」

 ギョールガはその巨躯に似合う大きな手で、兵士の頭を鷲掴む。魔法で強化された恐るべき握力で、兵士の体はそのままあっけなく持ち上がり、足が地面から離れた。兵士の顔が激痛で歪む。

「あぐうっ。……そ、それは……しょ、将の周囲を護衛で固めたところ……よ、陽動に動かされ、その隙に矢で……」

「やられた、と言うのか」

「は、はいっ」

 ギョールガは力任せに兵を放り投げた。ぎゃっ、と悲鳴を立て、他の兵士とぶつかった。

 投げ飛ばされた兵士も巻き込まれた兵士も含めて未だ立ち上がれないが、ギョールガは全く頓着していない。ただ激しい戦闘が行われているであろう方向へ憎々しい視線を送っている。

「俺も出るぞ」

 と、ギョールガは言った。


「そろそろ行きましょうか」

 と、メメルカ・ノスト・アスセラスは言った。緊張感を全く漂わせない美しい微笑を浮かべている。まるで近所にお出かけでもするかのような軽い足取りで、彼女は前へと歩いていく。

「はっ」

 返事をし、足並みを揃えて進むのは、グルンガル・ドルガ、カナルヤ・レイ、フェルリナーラ・トルキンの三人である。

 彼女たちは、迷うことなく敵の真正面へと向かった。

 反乱軍からすれば、驚愕する他にない。何しろ彼らにとっての究極の目的と言える女帝メメルカが、何の気負いもなくやってくるのだから。

 しかも、彼女が着ているのは目が覚めるような赤いドレス。およそ戦場には不釣り合いなその格好は、狙われているとは思えないほど目立っている。

 メメルカを捕らえれば、桁外れの褒賞を貰えられるに違いない。問題は、あのグルンガルとカナルヤが女帝を守っていることである。

 反乱軍の兵士は目配せを送り合う。誰だって褒賞は欲しい。だが帝国最強のグルンガルと、帝国最高の魔法研究者であるカナルヤを相手にするのは自殺行為。こちらの利点は数だけだ。そこで彼らは一斉に襲いかかることにする。されば帝国の英雄をやり過ごせる者がいよう。あとは傍に立っている女兵士一人のみ。女帝を討ち取れるかどうかは運次第だ。けれど偶然頼りになるぐらいには勝率がある。と、彼らは考えた。

 兵士たちは雄叫びを上げながら一斉に襲いかかった。

 まず最初に前へ出たのはグルンガル。手に持っている剣にはすでに紫電が纏わりついている。十分に引きつけると、グルンガルは大きく剣を振った。

 剣から迸った雷が、敵兵の集団へと叩き込まれる。光が視界を埋め尽くし、雷鳴が轟いた。強烈無比な電流が兵士たちの体を蹂躙する。

 音が消え、光が消失した後に残ったのは、絶命して地に伏せている兵士たちだった。その数は百に近い。グルンガルを帝国最強と言わしめたこの超絶の魔法剣は、一対多という状況下において真価を発揮するのである。

 たったの一撃で多くの仲間たちを殺された反乱軍たちは、最強の名に恥じぬ力量に思わず恐れ慄いた。だがすぐにもう一方の英雄であるカナルヤの存在に気づく。彼女は魔法研究者。何故このような前線に来ているのか分からないが、往々にして魔法研究者は接近されると弱いことで知られている。

 ならば、と兵士たちはカナルヤの元へと殺到した。

 だがカナルヤも規格外の存在だ。兵士たちもそこは分かっていたはずだった。けれどその認識は、甘かったとしか言いようがない。

 カナルヤはさも面倒臭そうに手を挙げた。するとほぼ間を置かずに、魔力の小さな塊が周辺に多量に浮かぶ。事前に準備をしていたとしか思えない圧倒的速度と量であった。だがそうだとしても、これは尋常ではなかった。

 反乱軍たちは思わすタタラを踏んだ。なんだこれは。こんなのは聞いていない。そんな声が聞こえてきそうなざわつきが起きた。

 カナルヤは構わずに、無造作に手を振り下ろした。瞬間、中空に浮かんでいた魔力の塊たちが、一斉に飛び出した。

 凄まじい速度を叩き出したそれらは、兵士たちの分厚い装甲を簡単に貫通する。そうして彼らはもはや、これ以上行動することができなくなっていた。

 グルンガルとカナルヤ。たった二人に反乱軍はなす術もない。

 とはいえども、いかに帝国における最高峰の武力であっても、大勢の兵士たちを相手にしては必然的に取りこぼしが生じてしまう。もっともその多くは、やる気がまるで見当たらないカナルヤ側から発生しているようであったが。

 ともかく、グルンガルとカナルヤの攻撃に運良く当たらなかった彼らは、目の色を変えてメメルカに襲いかかった。

 だが、メメルカを守るのはフェルリナーラである。優雅で、柔らかい、まるでそよ風のような剣捌きで、彼女はメメルカの敵を一刀の元で切り捨てた。

「あら、カナルヤ様はあまり乗り気ではありませんのね」

 メメルカは呑気な口調で呟いた。とうのカナルヤには聞こえていない。

「問題ありません」

 涼しげな表情で、フェルリナーラは答えた。

「そうね。何もかも予定通りですわ」

 に、と女帝は笑った。


 メメルカたちの進軍を誰も止めることができない。

 散歩をしているような足取りで、反乱軍の内部へと浸透していく。

 シーカとベーガ・アージスは、女帝の両側から攻め立てていた。おかげで中央に戦力を集めすぎるわけにもいかない。

 そうした中、ギョールガはメメルカたちの前に立ち塞がった。

「メメルカ・アスセラス! 俺と一騎討ちをしろ!」

 ギョールガは、あえて王であることを示すノストの名を抜いて、メメルカを呼んだ。それは、彼女には、帝国を治める資格がないことを暗に主張している。

 フェルリナーラが前に躍り出ようとしたところを、メメルカは手で制した。いけません、とフェルリナーラは目で訴える。けれどメメルカは微笑を浮かべて首を振り、自ら前に出た。

 ギョールガはにやついた笑みを浮かべる。

 目論見通りだ、そう思った。ギョールガ率いる反乱軍が勝つ手は、もはや大将同士の一騎討ちで勝利する他にない。だがただ勝つだけならばメメルカは一騎討ちに乗る必要はないだろう。けれど今の彼女には一騎討ちに応じなければならない事情がある。それは帝国の王という立場のせいだ。この肩書のおかげで、メメルカは弱気を見せることができない。一騎討ちから逃げれば、たちまち信用を失うからだ。それは女性である彼女にとって生命線に違いない。だからこそ、例え勝つ見込みがなくとも応じなければならないのだ。

 と、ギョールガは考えていた。

 だが実のところ、ギョールガは一騎討ちを選ばされたのである。敵将を暗殺し、徹底的に反乱軍を追い込み、グルンガルたちを率いて自ら戦場のど真ん中を進んだのは、全てそのためだったのだ。

 果たして、メメルカは優雅に微笑みながら言う。

「いいでしょう。一騎討ち、受けて立ちますわ」

「ほう?」と、ギョールガは笑う。「しかしその美しいドレスを着ていては戦えまい。今すぐにでも鎧に着替えればいかがか? さすれば勝負に負けても命は助かるやも知れんぞ」

「お気遣い痛み要りますわ。ですが、構いません。これは私の勝負服。それに私はあなたの剣に当たるつもりは毛頭ありませんから」

「……さすがは我が兄、オルメルの娘よ。天晴な心構え。しかし本当に良いのか? 俺は力加減が苦手でな。手を抜いてやることはできんぞ。着替えの時間ぐらいはくれてやろう」

「ふふ、お戯れを。どのみちギョールガ様が全力で剣を振るえば、鎧など紙屑同然でしょうに」

「……よく、分かっているな。その通りだ」

「なのになぜ頑なに鎧を着せようとなさるのです? よもやドレス姿の小娘を手に掛けるのに躊躇なさっているのでは? 呆れますわね。仮にも帝王の座を狙おうとというお方がこの程度のことで弱気になっているのでは」

「……相変わらず口だけはよく回る。もういいだろう、さっさと始めようではないか」

「そうですわね。お互い十分言葉を尽くしたようでございます」

「……武器は?」

「いりません。素手で十分です」

「……ふん。始めるか」

「はい」

 と、メメルカは艶然と笑う。対してギョールガは、一見して分かるほど苛ついている。舌戦の勝者は明らかだった。

 ギョールガは大剣を中段に構え、剣に魔力を込める。魔力の量は多い。オルメルの剣が長くなっていったのに対し、ギョールガの場合はより太く、大きくなっていく。リーチを犠牲にし、より強力な威力を重視しているのだ。しかし、それでもオルメルほど強力にはなっていない。

「兄には負けるが、俺も魔力の量には自信があってな」

 勝ち誇るようにギョールガは笑んだ。そう言うだけあって、彼の魔力量を上回る存在は、オルメル、それから津村実花という例外以外にはなかなか見当たらないだろう。

 しかし、その圧倒的ともいえる魔力量を目の当たりにしていながら、メメルカは余裕ある笑みを絶やさない。

「……忘れていらっしゃるようですので、一つ教えて差し上げますが」

「なに?」

「私は、オルメルの娘です。さらに言えば、アスセラス家の血を受け継いでいるのですよ」

「それがどうした」

「つまり、私も魔力量には自信がある、ということでございます」

 はっと、ようやくギョールガは気付いた。

 足元に何やらひんやりとした空気が漂っていることに。

 先ほどまで、冷気はなかった。これはどう考えても、魔法によるものである。

「それから私は、そこにいますカナルヤ様より魔法を教えていただいた時期がありますのよ」

「……ま、まさか」

「もう、遅いですわ」

 瞬間、ギョールガの足が凍りついた。いや、彼だけではなかった。反乱軍の兵士たちの足もまた氷に覆われている。

 なるほどメメルカの言う通りだった。彼女の魔力量もまた、絶大な量を誇っていた。

「……忘れていたわ。そういえば小さな頃のメメルカ様に魔法を教えたんだった……」

 後ろで控えていたカナルヤがぼそりと呟いた。聞いていたのはグルンガルだけである。

「……おい」

 と、呆れながらグルンガルは呟いた。

「さすがですメメルカ様」

 素直に称賛の声をあげたのは、フェルリナーラだけだ。

「……ぐ」

 やけにのんびりしている様子のグルンガルたちと違い、ギョールガは焦りを募らせていた。

 何しろどれだけ力を込めても、動くことが敵わないのだ。無論、脚力も強化した上である。それでもぴくりとも動かない。ギョールガでもそうなのだから、反乱軍の兵士たちも同様に全く身動きがとれなかった。

 メメルカは、一歩一歩、緩やかに近寄ってくる。

「言った通り、剣に当たらなかったでしょう?」

 いいぞ、とギョールガは睨みつけた。もっと近づいてこれば、この剣の間合いになる。たとえ足が効かなくとも、この強靭な腕力さえあれば、小娘一人程度真っ二つにできる。

「……メメルカ、貴様の目はオルメルに似ている。最後に亡き兄の面影をまぶたに焼き付けておきたい。近くに来てはくれないか」

「構いませんわ」

 微笑を浮かべ、メメルカはさらに近づく。

「ああ、そうだ。もっとだ。もっと近くだ」

 そうして、メメルカはギョールガの間合いの中に入った。

 ギョールガは勝利を確信した。やはり所詮は女だ。他愛ない。

 力を込める。上に振りかぶった。

「かかったな!!」

 振り下ろす。

 剣は真っ直ぐにメメルカの顔面に向かった。それは言葉通りメメルカを両断するほどの威力が込められている。

 だが剣は、メメルカの目前で停止した。

「ぐうっ」

 腕が、動かない。ギョールガは苦悶の表情を浮かべている。

 メメルカは笑う。嬉しそうに。

「どうなさいましたか? ああ、苦しそうなお顔が実に素敵でございます」

 メメルカがさらに接近すると、手を差し伸ばし、ギョールガの頬を撫でた。

 ギョールガはメメルカの冷たい手の感触を感じながら、横目で己の腕を見た。するとどうであろうか。自身の腕もまた、凍り付いていたのである。

「き、貴様……」

「……叔父様。さあ、貴方のお望みの通り、父の面影が残る顔でございます。存分に眺めながら逝ってくださいまし」

「くぅ」

 ぱきり、と音がして、メメルカが触れている頬が凍った。

 ギョールガは見た。メメルカの愉悦に歪んだ顔を。

 ギョールガの巨躯が徐々に凍りついていく。

「よ、よせ……」

「あは」

 と、メメルカは小さく声を出して笑った。

 ギョールガの顔は、怒りと、苦しみと、絶望で歪んでいた。

「そ、それが」

 貴様の本性か。そう言おうとした矢先、彼の口元が凍った。

 メメルカは、名残惜しそうに離れると、ギョールガの全身が氷で覆われた。

 誰も声をあげなかった。いや、誰も声をあげることができないのだ。

 なぜなら、反乱軍の兵士たちもまた、全身が凍ついていたからである。

 メメルカは親指と人差し指を合わせ、ぱちりと弾く。

 彼らの凍りついた全身が、酷くあっけなくばらばらに砕け散った。

 

「……だから行くのがいやだったのよ……」

 カナルヤは、誰にも聞こえないように呟いた。

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