八十五 戦いを告げる太鼓の音

 津村実花たち一行は、パレードを行っていた。出陣式である。

 手を振りながら実花が思うのは、こうも何度も何度もパレードを行なってよく飽きないなあ、というものだった。実際実花はうんざりしていた。けれど集まった民衆たちは、飽きもせずに大きく手を振って歓声をあげている。誰も彼もが実花の勝利を信じていたし、期待もしているのだった。

 さすがの実花も、罪悪感で胸がちくりと痛む。言うまでもなく出陣するのは、実の兄かもしれないマ王ツァルケェルに会いに行くという彼女の個人的な目的のためなのだから。そうして実際にマ王が兄であった場合は、それこそ帝国を裏切ることになるだろうと考えていた。

 もっとも裏切ることに関して言えば、実花はなんとも思っていない。むしろ当然のことだと考えている。それでも、「頑張って!」と必死に手を振る子供、しかも実花よりも年少の子と目が合ってしまうと、さすがに申し訳なく思ってしまう。

 差し当たっての問題は、裏切る場合、首輪をどうやって外すべきか、である。この実花の首を容赦無く締め付ける首輪がある限り、実花は苦痛から逃げることができない。剣で破壊することができればいいのだが、あのゴゾルが作り出した首輪だ。そう易々と壊すことはできないだろう。最悪、我慢するしかないが、兄に心配をかけたくない。足手まといにもなりたくない。自殺という選択肢が一瞬頭によぎるがすぐに否定する。この首輪があるかぎり、悲しませるのは目に見えているけれど、自殺してしまえば、兄はより一層自分を責めることになるからだ。

 そうやって考え事をしていながら表層で笑顔を浮かべていると、いつの間にか門の前に着いた。

 馬車から降りると、メメルカ・ノスト・アスセラスが待っている。

 彼女は拡声魔法を発動して激励の言葉を投げかけた。やけに鼓舞させる内容だ。民衆を煽っているのである。五分ほどのスピーチが終わると、聞き入っていた人々が歓声を上げた。

 そうして、実花たちは出発した。




 昼下り。

 帝都内はすでに出発した実花たちの話で盛り上がっている。ツムラミカ英雄譚が売れに売れて、すでに帝都のどこを探しても売れ切れ状態だ。すでに読んだものは第二作品目を心待ちにしながら、英雄譚の中身について大いに話し込んでいる。

 誰もがツムラミカの勝利を信じていた。彼女が無事に帰ってきた時には盛大な祭を行おうと、帝都の有力な貴族たちが早速会議を開いている。

 そのどさくさに紛れて、メメルカとフェルリナーラ・トルキン率いる数名の親衛隊は、密やかに帝都の裏門から外に出た。

 そこには、グルンガル・ドルガを筆頭に、シーカ・エトレセと突撃部隊、ベーガ・アージスと魔法防御部隊、カナルヤ・レイと魔法砲撃部隊がすでに集まっている。それに加えて、マ国軍との戦いで生き残った他の兵士たちも加わっていた。ガーガベルトたちも例外ではなく、その中に入っている。

「今、我々は一つにまとまらなければならない。だが残念ながらそれを邪魔をする者たちがいる。彼らが行なっていることは、帝国への反逆である。我々は、これを討つ。討たねばならぬ。皆のもの、私に着いてこい!」

 メメルカは剣を掲げて吠え、獣に騎乗して前を走った。女帝が前を走る姿を見た兵士たちは、半信半疑である。メメルカが戦場に立った話などこれまで聞いたことなどなかったし、戦えるほど強いとも思わなかった。偉大な父の真似をしているだけ。ただの酔狂にしか思えない。調子に乗った者の守りもしなければならないのか、そう思うとうんざりする。

 だが、なぜグルンガルは反対しなかったのだろうか。それは疑問ではあった。彼ならば止めることができたはずなのに。

 やがて一行は、北方の森林地帯目前で停止した。今日はここにキャンプを張るのである。


 手際良い働きぶりによって、メメルカの予想よりも早くキャンプは設営された。そのことにおくびにも出さずに、メメルカはフェルリナーラを伴って一際大きなテントの中に入る。簡素な机が置かれており、グルンガル、シーカ、ベーガ、カナルヤ、魔法砲撃部隊隊長のモルガノ・メイトス、ケイザル・トラガがすでに着座していた。

 メメルカが奥にある上座の席に着くと、フェルリナーラは、彼女の一歩後ろで直立する。

「反逆軍の動向はどうですか?」

 と、みなを見渡した女帝は聞いた。口元に笑みを浮かべているが、その実その視線は鋭い。

「はっ」受けたのはケイザル。「今のペースで移動をすれば、おそらく一日半ほどでまみえるかと思われます」

「半日……とすると、森を抜けた先にある岩石地帯辺り、と言うことですね」

「はっ。相手が夜中も移動しなければ、の話ですが」

「敵の総大将は私の叔父。ギョールガ・アスセラス」と、メメルカは言う。「彼は真正面からの戦いを好みます。で、あるならば、夜に無理をしてまで移動をし、奇襲をかけるような真似はしないでしょう」

「ならば我々は奇襲をかけますか?」

 ケイザルが問うと、メメルカがきっと睨みつけた。

「女帝が率いる軍が奇襲をかけては、帝国の威信に関わります。そもそもこの戦は反逆軍の鎮圧が主目的ではありますが、同時に私自身の力を民に証明する機会でもあります。ですので、初めからその選択肢はないものと考えてください」

「これは、失言でした」

「構いません。このような状況でなければ、確実な勝利をもたらせるために私も迷わず奇襲を選ぶでしょう。ケイザル、あなたは間違っていません」

「はっ」

「では、岩石地帯を決戦の地といたしますか」

 グルンガルが提言した。

「ええ、それで構いません」

 軍議は、夜遅くまで続いた。





 一方、実花たちは、街道沿いの平原で夜営をしていた。

 マ王は期限を決めなかった。なので急ぐ必要はない。

「ここはなるべくゆっくりと行くべきです」

 焚き火をみんなで囲んで、ネルカ特製のスープをすすりながら、キルベルは提案する

「私たちに敗北は許されておりません。絶対に勝利しなければいけないのです。そのため、マ王が期限を決めなかったことは僥倖だと考えるべきです。魔人たちにはなるべく焦れてもらいましょう。幸い、彼らは怒っています。怒りは冷静な判断を妨げます。私たちがなるべく焦らしてあげることで、彼らの怒りは増幅します」

「……私は反対です。一刻でも早く行くべきです」

 実花はおずおずと手を挙げて言った。

「どうしてですか?」

 キルベルが聞いた。

 実花は三人の顔を見回す。特にレゾッテは、実花のことを値踏みするかのような視線で見てきている。けれどここで逃げたくなかった。

「期限を決めなかったということは、いつマ軍が攻めてくるのか分からない、ということでもあると思うんです。私はすでに相手は十分に焦れていると思います。これ以上安易に焦らせると、相手は痺れを切らして帝都に攻めて来るのではないでしょうか」

「……一理あります。ですが砦にはどれだけ魔人がいるか分かりません。ここは少しでも勝率を上げるべきでしょう」

「ですが、その見極めはどうするんですか? それで帝国に侵攻されては本末転倒になるんじゃないですか?」

「……ここは決を取りましょうか。……ツムラミカ様に賛成の方」

 実花とゴーガが挙手をした。

「私の案に賛成の方」

 キルベルとレゾッテが賛成する。

 見事までに二つに分かれた意見。キルベルはじとりとした目線でゴーガを見た。

「……一応聞いておきますが、ツムラミカ様の意見に賛成した理由は?」

「俺は早く戦いたいくてうずうずしているんだ。それに姑息なやり方は嫌いだ」

 あまりに予想通りな理由に、キルベルはため息を吐きつつ、今度はレゾッテに同じことを尋ねる。

「……ツムラミカ様と反対の意見ならなんでも良いわ」

 酷い理由だった。しかしそれに対して誰も何も言わないのは、彼女がメメルカから何かを命じられていることを勘づいているからである。

 とは言え、このままでは埒が明かない。

「なら、こうしましょう。急いだ場合、体力を消耗してしまうでしょう。かと言って、ゆっくりと行けば、ツムラミカ様の言うような危険があります。ですので、ここは通常の速度で行くことにしましょう。それでよろしいですか?」

「……はい、それで構いません」

 実花は、渋々といった様子であったが、それでも同意した。

「仕方がないな」

 と、ゴーガはやれやれと肯く。

「……分かったわ」

 レゾッテも承諾した。

 食事を終えると、交代で見張りを立てながら就寝することとなる。

 最初は実花とネルカだ。ネルカは非戦闘員という立場で、見張りに向いていないものの、本人が頑なに実花と一緒にいることを希望した。

 焚き火に当たりながら、二人は番をする。

 街道沿いならば魔物避けが効いているため、魔物が襲ってくることはまずない。しかし、今は魔人に襲われる危険性が高いのだった。それ故の見張りなのである。

 とは言え、実花は特に心配していない。マ王は兄だと信じているからだ。稔が率いる軍ならば、このような真似を許すはずがない。

「星が、綺麗だね。ネルカさん」

 夜天を見上げて実花は言った。日本の街中では決して見れない星空が目一杯に広がっている。

「はい。本当に」とネルカはうなずく。「これで、最後の戦いになるんですね」

「うん。これで、きっと最後。本当に長かった」

 ゆらゆらと揺れる火を眺める。暖かい温度が肌に伝わる。静けさが心地よかった。

「勝ったら、さ」

 実花は呟いた。でもこれは、言葉通りの意味ではなかった。誰かが、聞き耳を立てているかもしれないから、それらしい言葉で言い換えるしかなかった。

 勝ったら。それは、マ王がお兄ちゃんだったら、という意味だった。

「……はい」

 少し考えて、ネルカは答えた。言いたいことが伝わっている、と実花は気配で分かった。

「ゆっくりと、ネルカさんと一緒にこの世界を見回りたいなあ」

 私と、お兄ちゃんと、一緒に来ない?

「それは、素敵です。でも、メメルカ様がお許しならないと思います」

 ミカ様と一緒に行きたいです。でも、私は行けません。

「家族に、会いたくないの?」

「会いたい、です」

「私からも頼んでみるよ。勝ったご褒美にさ、きっと許可してくれるよ」

 逃げようよ、ここから。家族に会いに行こうよ。

「……少し、考えさせてください」

「うん。分かった。でも、なるべく早く答えを聞かせて欲しいな」

 この旅が、終わるまでには。


 実花が危惧していた通り、レゾッテはテントの中で横になりながら聞き耳を立てていた。

 大した内容ではない。ただ、実際に結果を出した上で頼めば、メメルカ様ならば応えてくれるかもしれない、と思う。賞罰の釣り合いが非常に優れていることを、夜のベッドの上で散々に教えられたレゾッテには良く分かる。それに嵌まってしまえば、もう二度と抜け出せなくなるほど甘美であることも。

 不意に恋しくなってしまったレゾッテは、思い出したことを後悔しながら、もぞりと動いた。

 メメルカが女帝になったことで、夜に呼ばれる回数は今後減っていくだろう。ほとんど変わらないのは親衛隊隊長のフェルリナーラぐらいに違いない。幼少からの付き合いだという彼女に太刀打ちできないのは当然だと納得もしている。

 フェルリナーラが一番だとして、果たして二番目は誰なのだろうか。レゾッテとしては、もちろん自分でありたい。けれど、そもそもメメルカにとっては、そういう感覚がないように感じる。彼女にとってみれば、フェルリナーラと、それ以外。そういう意識であるようにも思えるのだ。

 そもそもメメルカは、何も知らない子に、あらゆる夜の営みを教え込んでいくことにこそ悦びを感じている節がある。事実、新しい女の子に手を出せば、大抵はその子にかかりきりになっているようだった。メメルカの虜になってしまったレゾッテなどは、その合間合間に相手をしてもらえている程度に過ぎない。もっとも焦らされているからこそ、より格別に感じるのだけれど。

 ゆくゆくは、この関係も終わってしまうだろう。そういう予感がある。

 飽きて終わるのか。あるいは女帝という事情のせいか。もしくはその両方か。それは分からない。だが終わってしまうという予感だけは、肌身で感じていた。

 その時自分は、果たして我慢し切れるだろうか。

 その自信は、レゾッテにはなかった。





 森を抜け、坂を上がると、様々な岩石がごろごろと転がっている。地面も岩でできたここは、メメルカたちが決戦場と決めた岩石地帯であった。

 早速、事前に取り決めた通りに兵士たちを布陣させる。

 あとは、反乱軍が来るのを待つだけとなる。

 グリアノス、カース、ルグストもまた、言われた場所へと移動した。

「聞いたか? 相手は、魔人じゃないんだそうだ」

 ルグストは、弓の具合を点検しながらそう呟いた。

「らしいな」カースも、槍の点検に勤しんでいる。「反乱軍だろう」

「ああ。俺たちは魔人を殺しにきたはずなのにな」

「言う、な」点検を終えたグリアノスは、剣を鞘にしまった。「……俺、たちは、今は、帝国の、兵士。命令、に、従う、しか、ない」

「分かっては、いるんだがよ。けど、正直やりにくいぜ」

 と、カースは言った。釈然としない気持ちが顔に出ている。

「……そう、だ、な」

 グリアノスは、あっさりと同意しながら、周囲に気を配っていた。彼らがいる場所は、大きな岩と岩の間で、周りからは見えない位置にある。同じ場所に配置されたのは偶然ではなく、ケイザルがそう進言したからだった。

「……早くあいつを、村に帰してやらないとな」

 カースはぽつりと呟いた。

 あいつとは、死んだケルトのことだ。

「ああ」

 と、グリアノスとルグストは同時に答えた。

 それから暫し時間が経った。

 反乱軍が現れる。

 先頭にいるのは、ギョールガだ。

「ギョールガ・アスセラス! あなた方に勝ち目はありません! 今降伏すれば、命の保証だけはいたしましょう!」

 メメルカの声が聞こえてきた。拡声魔法を使用しているらしく、よく聞こえる。

「……女に俺を打ち破れるわけがない! 我が愛する帝国を守れるはずがない! 今すぐ降伏するのは貴様の方だ! メメルカ! さっさと俺に帝位を渡せ!」

「ならば、私があなたを打ち破ることで、私こそが帝国にふさわしいことを証明してみせましょう!」

「やれるものなら!」

 いよいよだ。

 グリアノスたちは、各自の顔を見る。

「生き残るぞ!」

 カースが吠えた。

 グリ村に絶対に帰る。その並々ならぬ決意を、三人は胸に強く抱いている。

「おお!」

 そして、開戦を告げる太鼓の音が聞こえた。

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