八十四 雪の嵐

 朝日が照りつける中、セーラー服姿の津村実花は、大聖堂ミカルトを訪れた。傍にはネルカと、女帝メメルカ・ノスト・アスセラスがいる。さらに護衛として、親衛隊隊長のフェルリナーラ・トルキンとキルベルが背後で周囲に気を配っていた。

「ようこそいらっしゃいました」

 門の前で待ち構えていたのは、修道女を統括しているルアメ。彼女は実花に笑いかけて、丁寧にお辞儀をした。前に来たときにも彼女が案内してくれたことを実花は覚えている。

 ルアメの案内に従って、四人は中に入った。向かった先は、メメルカが女帝になるための儀式を行った礼拝堂だ。実花は入った瞬間、その美しい空間に思わず目を奪われる。

 けれど、見入っているような余裕はなかった。これから行われる儀式を思うと、とてもそんな気分になれない。

 護衛の二人とネルカを待機させて、三人は礼拝堂の中を進んでいく。すでに多くの人が集まっている。やたらと派手で豪勢な格好なのは貴族だろう。それから修道服姿の男女も見受けられる。あの中のどこかに、ネルカと最近親しくなったというシニャがいるんだろうか。実花は歩きながら目を走らせるも、それらしき姿を見つけることはできなかった。どちらにしろ、このような場で話しかけることはできないし、そもそもメメルカがいる以上、下手なことはできない。

 祭壇の前にまで進んだ。大司祭ジージが、厳かな表情で実花を見つめている。メメルカと実花は片膝をつき首を垂れた。

「ツムラミカが聖女にふさわしいという証を立てよ。メルセル様とウスト様は全てを見ていらっしゃる。偽りを申しても意味などない。真実のみを述べよ」

 頭を挙げたメメルカは、返事をして話し始める。曰く、メルセル様とウスト様に敵対する邪悪な魔人を討ち取ったツムラミカこそ聖女にふさわしい、云々。

 話の大半を実花は聞き流す。どうせ、この女帝自身が、実花のことを聖女だと考えていないだろう。全ては政治のための聖女でしかない。

 メメルカの話が終わると、ジージが次を受け継いだ。やや芝居かかった口調で、主に女帝の言葉を肯定する内容だった。それが終わると、ジージは、「ツムラミカ、前へ」と言う。

 実花は言われた通り、前へ進んだ。

 すると実花の周辺が、キラキラと光り輝き始めた。

「おお、これこそ聖女の輝き。聖女たる証」

 わざとらしくジージが驚いて見せた。だがどうせ、こんなものは魔法でも使って演出しているのだろう、と実花は冷めた頭で考える。

「そなたを、聖女として認定する」

 ジージの白々しい宣言。

 馬鹿馬鹿しい、と実花は思った。


 儀式を終えた実花たちは、次にパレードを行う。聖女だと民衆に知らせるためである。

 新しい聖女を称える声を上げる群集を特製の馬車の上から見下ろしながら、実花は作り笑顔を浮かべて手を振っている。聖女になったからと言っても、特段に変わったことなどあるはずがない。単に、民衆の士気を上げさせるための称号としか実花には思えなかった。

 けれどそれだけ帝国は追い込まれているということでもあるのだろう。もちろん実花にとってはどうでもいいことだ。むしろこうやって担ぎ上げられることに不快感を感じてさえいる。それでも、魔人と殺し合うよりもよほど良い。

 今朝も夢を見た。魔人を殺す夢だ。

 全身が血塗れになっても、ひたすらに殺し続けていた。どれだけ気分が悪くても、どれだけ疲れていても、夢の中の実花は立ち止まることができなかった。

 そうして目が覚めたとき、実花は吐き気を催した。喉元あたりにまで内容物がせり上がって来たが、吐く寸前で飲み込むことができたのは良かった。ただ何でもない風を装って、ネルカと会うのはとても難儀だったけれど。もっとも、顔色はとても悪かったに違いないから、心配させてしまっただろうと実花は思う。

 やがて馬車は、パレードの終着点である広間に着いた。

 設置されたひな壇の上に実花は上がる。

 一緒に壇上に上がったのはメメルカだった。彼女は拡声魔法を発動させて、ツムラミカが聖女になったことを伝える。そうして次は、実花の番だった。

 あらかじめ用意された演説を喋る。まるで見せ物になったような気分であった。


 パレードが終わり、メメルカの別邸で昼食を済ませた実花は、ネルカと一緒にグラウ城の練兵場に連れて行かれた。

 そこで待っていたのは、グルンガル・ドルガと、ゴーガ、キルベル、レゾッテに、カナルヤ・レイといういつもの面々に加えて、シーカ・エトレセもいる。

「……マ王討伐のメンバーが決まった」

 と、グルンガルは開口一番に言った。

 実花は思わず胸が躍る。ようやく、ようやくだ。お兄ちゃんに会いに行ける。喜びで綻びそうになる口元を無理やり抑え込んだ。

「まずは、向こうがわざわざ指定してきたツムラミカ様は当然として、キルベル、ゴーガ、レゾッテ。この四人が戦闘要員。そして旅のサポート役としてツムラミカ様付きのネルカ。以上非戦闘員含めた五名でサガラック砦に行ってもらう」

 実花はみんなの顔を見回した。ネルカは実花と一緒に行くことができて嬉しそうな顔を隠し切れていない。ゴーガは戦いができる喜びに口角を上げている。キルベルは面倒そうにしながらも、表情には緊張感がある。レゾッテは真剣な表情をしつつ実花のことを観察していた。シーカは普段通りの厳かな真面目な顔。そうしてカナルヤは、あからさまに納得いかない顔をしていた。

 グルンガルもカナルヤの表情に気付きながら、知らないふりをした。それをカナルヤが見逃すはずがない。

「納得いかないわ」

 不機嫌な声を隠そうともせずにカナルヤは不満を口にした。グルンガルはため息をつく。

「一応理由を聞く。なぜ納得がいかない?」

「私をメンバーから外したことよ。私もマ王討伐に行くべきだわ。少しでも勝率をあげるためにね」

「お前の考えは分からぬわけではない。だが、このメンバーでも十分に勝てる」

「十分じゃだめでしょう。絶対に勝たないといけない戦いなのよ、これは。なのにどうして最高の戦力を用意しないの? 帝国の存亡がかかっているんでしょう」

「帝国の危機は魔人だけではない、ということだ」

「……ふうん。そういうこと。でも、私には興味がないわ、いいからとにかく私をメンバーに加えなさい」

「これはメメルカ様の命令でもある。逆らうことは許されない」

「ちぇっ」と、カナルヤは舌打ちをして言う。「仕方ないわね」

 グルンガルは面倒そうな顔をした。どうせカナルヤは、これを機に魔人の魔法を研究したいだけだ、と見抜いていたのである。

「シーカ、それからカナルヤ。お前たちはこの場に残れ。他の者は解散」

 

 実花たちは言われた通り解散した。

 残っているのはグルンガルたちだけだ。他には一人もいない。

「あの、グルンガル様」

「シーカ、どうした?」

「その、どうして私たちも魔人討伐に行っては行けないのでしょうか?」

 シーカの質問を受けたグルンガルは、念入りに周囲を見回す。

「……グルンガル。遮音の魔法を使ったわ。これで私たち以外に声が聞こえることはない」

 カナルヤは真剣な面持ちで言った。彼女はどうやらグルンガルがこれからする話を予想しているようだ。さすがだ、とグルンガルは思う。

「これから話すことは、しばらく他言無用で頼む」

「はい」

 シーカはコクリと頷いた。

「この帝国は代々男が務めてきた。だがメメルカ様は女性だ。それが気に入らない者も当然いる」

「そ、それは」

「お前が想像している通りだ。無論、杞憂に終わればそれに越したことはない。しかし俺の予想なら、あの男は必ず」

 その先の言葉を、グルンガルは言わなかった。けれどここまで理解できたシーカは、その先の言葉を予想することができた。

 もしもそれが本当なら、帝国は本当に、未曾有の危機に陥ることになる。シーカは思わず生唾を飲み込んだ。

「はあ、やだやだ」カナルヤは実に嫌そうな顔をする。「だから私はツムラミカちゃんたちと一緒に行きたかったのよ。ほんと、帝国ってロクでもないわね」

 



 夜。しっとりとした雨が降っていた。星一つないほど真っ暗な空の中、グラウ城最上階の部屋の明かりが、ぽつりと灯っている。

 ネグリジェを身に纏ったメメルカは、椅子に腰掛け、ベッドの上でうつむけになっている親衛隊隊長のフェルリナーラ・トルキンをぼんやりと見つめている。彼女の銀髪は乱れていて、白い背中の上で幾筋もの輝きを放っていた。荒い吐息は熱く、何とも例えようのない色気を放っている。白い肌の上を滑っていく汗すらも、フェルリナーラの魅力を際立たせる装置に過ぎない。胸は小さいが、スタイルが良い彼女の美しい裸体は、精力旺盛な男が見ればたまらなく思うだろう。だがフェルリナーラが肌を見せる相手は、メメルカ以外にありえない。

 思えば彼女との付き合いは長い、と女帝は思い返す。彼女とは、言うなれば幼なじみであった。またフェルリナーラこそが、メメルカが初めて寝た女でもある。相手が彼女だったからこそ、メメルカは、ここまでのめり込むことができたのだろうと今では思う。

 フェルリナーラもまた、相手がメメルカであったからこそ、剣の修行に邁進し、親衛隊隊長としてふさわしい技量を身に付けた。その努力は並々ならぬものがあったのは間違いない。何しろ剣の腕だけならば、グルンガルを凌ぐと言われるほどの実力があるのだから。

 だが、女帝となった今、このような火遊びは今後抑えていかなければならないだろう。ゆくゆくはどこかの男性と契りを結び、子孫を作っていくことを求められるようになるに違いないのだ。

「……どう、なさいましたか。メメルカ様」

 メメルカの思考を読んだと思えるような頃合いに、フェルリナーラは横目を向けて尋ねてきた。

「昔を、思い出していたのですよ」

「昔、ですか」

「あの頃のあなたは、とても可愛らしかった。私が夢中になるほどにね」

「光栄です……。ですが、それでは今は」

「冗談ですよ」くすくすとメメルカは笑う。「今でももちろん私が夢中になる程あなたはとても可愛いわよ。ベッドの中のあなたがどれだけ愛らしいか、世の殿方が知れば、さぞかし意外に思うでしょうね、フェルリナーラ」

「私は、その、べつに」

 そういうところよ、とメメルカは微かに笑んだ。

 さめざめとした雨音の中、不意に、こつ、こつと音が鳴った。誰かが窓を叩いているのだ。

 メメルカは窓の方へと視線を向けると、

「配達屋さんかしら?」

 と尋ねた。

「はい。雪の嵐であります」

「お届け物は?」

「只今、発送を開始したところでございます。直行便で」

「わかったわ、ありがとう」

 窓の外にいる誰かは、一瞬でいなくなった。

「最近の配達屋さんは、どこにでもこれるのね」

「あれが、例の密偵ですか」

 フェルリナーラは、いつの間にかベットから出て、真剣な顔つきで立っていた。

「ええ、ユニークでしょう。この部屋に来て荷物の配達について話すんです。誰が聞いても怪しいと思いませんか?」

「それは……確かに」

「それにしても、この窓にまで一体どうやってくるのでしょうか。レゾッテみたいに空を飛べるのかしら。それとも、もっと他のやり方があるのかしら」

「私には想像を絶していて……よく分かりません」

「あら、そう? まあいいわ。それより、これから忙しくなります」

「と、言いいますと?」

「私の叔父が、反乱を起こしましたのよ」

 途端、フェルリナーラの表情が氷のように厳しくなった。

 いたずらに成功した子供みたいに、メメルカは口元を歪ませる。

「あなたにも働いてもらいますわ、フェルリナーラ」

「私も、ですか? しかしそれでは、メメルカ様をお守りすることができなくなってしまいます」

「大丈夫です。何しろ私も戦場に立つのですから」

「そ、それは危険すぎます。それにわざわざメメルカ様が出陣なさらなくても。グルンガル様に任せておけばいいではないですか」

「確かにグルンガルで十分でしょうね。でもね、フェルリナーラ。私は帝王オルメルの娘なのですよ。それに今回の反乱、おおよその理由は分かります」

「理由、ですか」

「私が女だからですよ。同じ理由で、私に反発を覚えるものは多いでしょう。だから私は、証明しなければならないのです。男であるからとか、女であるからとか、そういうのは関係なく、私は私だから強いのだと。そして、私にこそ、王にふさわしいのだと」

「理屈はわかります……。しかし、やはり心配です」

「私は心配していませんわ。あなたが守ってくださるのだから」

 かあ、とフェルリナーラの顔が赤くなった。女帝からの信頼が、素直に嬉しかった。

「それに先ほども言ったでしょう。私は、帝王オルメルの娘なのですよ」

 そう言ってメメルカは微笑した。美しい刃のようであった。




 太陽が海面から顔を出し、光が地上を照らした。

 サガラック砦の背後には切り立った断崖が壁のように立ち塞がっている。その崖の上は森で占めていて、酷く深いために人が立ち入らない。さらには強い魔物や獣が生息していた。この森と崖によって、砦は守られているのである。

 砦はすでに魔人の支配下にある。グラウノスト帝国の兵士たちは誰も降伏しなかったから、すでに魔人たちの手によって皆殺しにされていた。砦の内部は掃除がされたが、入り口付近は凄惨な血の跡と山積みになった死体で一種異様な雰囲気を醸し出している。

 砦の最上階にはマ王ツァルケェルが、簡素な玉座に腰掛けていた。この場にいるのはガーガベルトと、セールナ、ペル、メルである。

 彼らはマ王に呼び出されてこの場に集まった。しかし一向に彼が話始める気配がない。

「いつまで待つおつもりですか?」

 仕方なく、ガーガベルトは前から気になっていたことをマ王に尋ねた。

「待つ、とは?」

「マ王様の提案通り、帝国がここに来るとは限りません。何より部下たちが痺れを切らすのが早いでしょう」

「心配はいらない。奴らは来る。間違いない」

「確かに彼らには他に手はないでしょう。しかし、このままずるずると先延ばしにするのが奴らの手かもしれません。ここはやはり、早々に期限を決めてしまうべきではありませんか? 本当なら、あの時に決めるべきだったのですが……」

「そうだな。確かにあの時、期限を決めるべきだった。だがやはりいらない心配だ。奴らは来る」

「……なぜ、そこまで断言できるのですか?」

「……今回、お前たちをここに呼んだのは、そのことにも関係している」

「それは、一体」

「……俺の過去について、お前たちには話しておこうと思う。その上で、お前たちには今後の身の振り方を決めて欲しい。協力してくれるに越したことはないが、俺を裏切ってくれても構わない」

「ツァルケェル様! 私は絶対に裏切りません!」

 沈痛な面持ちでセールナが訴えた。

「僕たちも」

 ペルとメルも同時に首肯した。

「ありがとう。だが、それを判断するのは、俺の話を聞いてからにしてほしい」

「分かりました」と、ガーガベルトはため息をつく。「話してください」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る