七十九 閃光

 上空の中、ルンカナは美しく白い羽を羽ばたかせて、レゾッテとカナルヤ・レイの魔法攻撃を避けながら機をうかがっていた。手に持っているのは槍だ。彼女はこれで空から地べたの敵に強襲するのが得意であった。

 けれど飛行する人間と戦うのは初めてだ。そもそも、空を飛べる人間がいると思わなかった。だから空中戦は一切想定しておらず、訓練もしたことがない。

 だがそれでもこちらの方が多勢だ。なのに攻めあぐねているのは、あの二人が相当な手練れだからだろう。実際、二人の魔法攻撃には全く隙がない。

 気がかりはまだある。地上で行われているケープとツムラミカの戦いだ。

 予想に反してすぐに勝負が決していない。その証拠に激しい羽音と衝撃音が聞こえてくる。ツムラミカは英雄と呼ばれるだけの実力があるということだろう。

 やはりケープが相手をするのが一番正しい。ルンカナ自身では英雄相手ではすぐに敗れていた。

 いけない。ルンカナは集中が途切れたことをに気がついた。今は目の前の相手に集中しなければ。そう気合いを入れ直した矢先だった。

 またも激しい音が響いた。

 そうして、ぴちゃ、とルンカナの頬に液体が付着した。

 手で拭う。指先が血で塗れていた。この血は、おそらくツムラミカのものだろう。ようやく勝負が決まったのだ。そう思い、ルンカナは眼下を見下ろした。

 人体がばらばらになっている。けれどその近くには、見覚えのある蝿の羽が落ちていた。

 すぐそばには、少女が立っている。ツムラミカだ。彼女は五体満足だった。

「……え」

 ばらばらになっているのはケープだ。そう気付いた。信じられなかった。ケープが人間に負けるだなんて、考えたこともなかった。

「……ケープ? そんな……嘘」

 思わず呆然として、動きが止まった。それがルンカナの命運を決した。

 ぼっ、とルンカナの胸を水の塊が貫く。

「……あれ」

 そして、ルンカナは墜落した。彼女の後を追うように、水滴も落ちていった。




  前陣の前の方まで進んだオルメル・ノスト・アスセラス三世は、長剣を大上段に構えて魔力を溜めている。すでに魔力は限界値に近い。おかげでオルメルが作り上げている魔力の剣は、遠方からでも見えるほど長大だった。

 帝王の周囲を守るのは、グルンガル・ドルガ率いる騎士隊の魔法防御部隊だ。その隊長であるベーガ・アージスは、常に周囲に目を配り、魔人が襲いかかってこないか注意を払っていた。

 グルンガルは、シーカ・エトレセの突撃隊を直接指揮しながら最前線で自ら戦っている。シーカと言えば、医療班がいる後方へ運び込まれたと部下からの報告で聞いていた。命に別状はないらしいが、文字通り全身全霊を賭した戦いぶりで、屈強な魔人を一人倒したそうである。

 ついさっきも、例の音よりも早く飛行する魔人を津村実花が殺したと言う報告を受けた。

 これらのおかげで、両翼から挟み込み、魔人を真ん中へ集中させることに成功している。

 グルンガルは出過ぎないように慎重に戦っていると、合図の太鼓が掻き鳴らされた。

 帝国兵たちは魔人たちに気づかれぬように真ん中を開けていく。それはあたかも魔人たちの攻撃に苦しみ、逃げていくように見えた。

 もちろんそれは演技だ。しかし魔人たちはそのことに気づかない。自分たちの魔法で相手の戦意が失ってきたのだと勝手に勘違いを起こしている。

 そうして彼らは開いた道の先に帝王がいることに気づいた。調子づいた魔人たちは、帝王を目指して一直線に突き進む。

 そうやって魔人を引きつけたオルメルは、魔力の剣を振り下ろした。

 けたたましい轟音と衝撃で地面が震える。

 そのあまりに強烈な一撃で戦いは中断された。誰もが手を止め、地面に横たわる魔力の剣を驚きと恐怖で見つめている。戦場の音は、たった一撃で大人しくなり、今や静寂が支配していた。

 そうした中、地獄の亡者が発するような呻き声が耳をつく。死にぞこなった者の声だと気づくのに、その場にいた多くの兵士たちは数秒の時間を要した。

 やがて帝王の魔力でできた剣が消失した。

 そこに現出した光景は、凄まじいの一言。直線上に抉られた地面の窪みには、原型を止めていない死体が累々と連なっている。ある者は断ち切られ、ある者は潰され、またある者は体の一部のみを切り離されて、中途半端に生き残っている。多量の赤黒い血液が地面を流れ、グロテスクな河が出来あがろうとしていた。

 さすが帝国一の破壊力を誇る魔力の剣。帝王の本気の一撃をグルンガルは久々に見たが、その威力は少しも衰えていない。凄まじく強力な魔力器官を持っていなければ、ここまでの魔力量を生成することは不可能だろう。思えば今は亡き先王、つまりオルメルの父も莫大な量の魔力を操ることができたと言う。

 だが今は呆けている場合ではなかった。むしろ今こそが攻める時。

「今だ! 者どもかかれ!」

 グルンガルは声を張り上げた。部下たちは雄叫びをあげながら魔人たちに斬りかかる。


「つ、ツァルケェル様……」

 セールナは不安そうに声を上げた。ちょうどオルメルが、魔力でできた長大な剣を振り下ろした所であった。

 その時に生じた衝撃波が、ツァルケェルたちの元へと届き、肌がびりびりと震えている。

 ペルとメルは互いの手を取り合って、恐ろしそうに前を見つめた。

「帝王が魔法を発動!」斥候役のカラスの魔人が慌てた様子で空から知らせる。「死者多数! 繰り返す! 死者多数!」

 ガーガベルトはカラスの魔人を一目見ると、再び視線を前方へと戻した。その表情は、畏怖を隠せない。

「いやはや、実際に見るのはこれが初めてでしたが、噂以上の凄まじさですな」

「……間に合わなかったか」

「仕方ありません」ガーガベルトは軽く首を振って答える。「マ王様の魔法は威力は絶大ですが、その分時間がかかる。ですが一度発動させれば、この圧倒的に不利な状況でもひっくり返すことが可能です。今は、我慢の時です。マ王様」

「分かっている。皆にも伝えてくれ。今少しの辛抱だと」

「はっ」


 オルメルは再び剣を掲げ、魔力を溜め始めた。

 己の力で魔人を一掃した瞬間を思い返しただけで、帝王の身体は歓喜で震えた。それはあらゆるしがらみから解き放たれて、ただ復讐のために剣を振るう快楽だった。

 最愛の妻と、自分の跡継ぎとして大切に育ててきた息子を魔人に殺された時、今こうしていることが決定づけられたようにオルメルは思う。

 自分の帝王としての人生は、全てこの瞬間のためとも言えた。だが、この戦いで終わりなわけではない。ドグラガ大陸に攻め込み、魔人を滅ぼすという大仕事が待っている。そうして後は、生まれてくる魔人たちを殺し尽くす制度を作れば完璧だ。

 問題なのは反対派である。しかしそれも解決されるだろう。なにしろ魔人から攻めてきてくれたのだ。これで魔人を滅ぼさなければこちらが滅びると言う大義名分が立つ。魔人が邪悪だという教会の教えも実に都合がいい。

 オルメルは展望を想像するだけで、自然と笑みが浮かんだ。妻と息子が殺されて心が折れなかったのは、熱い復讐心で体に火をつけ続けたからである。そうでなければ、とっくに再起できなかったろう。

 オルメルは剣に魔力を溜めつつ、魔人の死体を踏み越えながら歩いていく。


 ああ、なんと素晴らしい。さすがは帝王様だ。

 そう感嘆するのはベーガであった。死が本当の救いだと信じてやまない彼は、たったの一撃で多量の救いをもたらせた帝王が、二人の神様が地上にもたらせた使徒であるように思えてならなかった。

 オルメルこそが歴代で最も帝王にふさわしい男だと、ベーガは信じて疑わない。その信望はもはや、神の次に位置するほどだった。

 帝王の足並みに揃えて歩いていくと、足元に転がっている魔人がまだ生きていることに気がついた。呻き声を上げ、助けを求めるその声は辛苦に塗れているが、処置をすれば助かるだろう。

「おお、大丈夫でしょうか。すぐに助けてあげましょう」

 と、ベーガはとても優しそうに言った。

 助かる、そう思った魔人は喜色を浮かべる。グラウノスト帝国にも自分たちに優しい人間はいる。彼は港町ギガルでの日々でその事を知った。

 だが次の瞬間、ベーガは笑顔で斧を振り上げる。魔人の顔は恐怖で染まり、口から絶叫が上がった。

「可哀想に。本当の救いがなんなのか知らないのですね。魔人ですから仕方ありませんが、今すぐ教えて差し上げましょう」

 ベーガは斧で魔人の首を跳ねた。

 そうして彼は、帝王の周囲を警戒しながら、かろうじて生き残っている魔人に止めを刺していく。

 その表情は、喜びに溢れていた。


 津村実花たち遊撃部隊は、ケープを殺した後もその場に止まって魔人たちと戦っていた。

 実花は魔人たちの憎しみを一身に受け止めながら、剣を振るっている。ズンガもそうであったように、あの蝿の魔人もまたみんなに慕われていたのだ。特に空を飛ぶ魔人たちからの憎悪は凄まじい。レゾッテやカナルヤ・レイが抑えていなければ、全ての魔人たちに襲われていた事だろう。

 それでも飛行している魔人たちは隙あらば空から攻撃してくる。地上にいる魔人たちと戦いながら、彼らの攻撃を捌かなければならなかった。

 けれど実花は魔法の壁を張ったままでいなかった。蹴りを放ち、剣を繰り出し、要所要所で魔法を発動させる。

 常時魔法を使い続ければ、実花は決して倒されない。それは分かっているのに、実花は積極的に殺し続ける。

 戦いは嫌いで、殺すのが嫌なのは変わらない。好きになれるはずがない。

 でも、実花は戦う。殺す。

 ずっと守っているのはフェアじゃない、と実花は思ったのだ。

 魔人たちは実花を殺したいと思っている。岩の魔人と蝿の魔人の仇を討ちたいと思っている。なら実花はその想いを受け止めなければいけなかった。そうしなければ罪悪感に押し潰される。本当に壊れてしまう。

 最低だな、と実花は心の中で呟いた。悪いと思っているのなら、大人しく殺されるべきだ。ここで終わらせるべきだ。

 なのにしない。

 お兄ちゃんと再会するという願いのために生きようとしている。

 なのに魔法でずっと身を守ろうともしない。

 罪悪感を和らげようとするために。

 最低だ。全て、自分のためだ。自分のために守ろうとしない。自分のために殺している。罪悪感だとか、憎悪を受け止めるためだとか、お兄ちゃんに会いたいとか、全部全部自分のため。

 私はきっと地獄に行く。そう実花は強く確信する。

 それで構わない。こんな自分のことばかりの最低な人間は、地獄にこそふさわしい。

 だけど、この想いだけは。この願いだけは。

 叶えさせて欲しい。


 ツァルケェルの魔力は充填しつつあった。

「……そろそろだな」

 と、ガーガベルトに言う。

「はっ。では、手筈通りに」

「ああ」

 ガーガベルトは、早速部下を手配する。それは大きな翼を持った筋骨隆々の魔人であった。彼は魔人にしては珍しく、体を鍛えるのが趣味である。

 彼はツァルケェルの脇に手をかけて軽々しく持ち上げると、翼を魔力で羽ばたかせて空へ浮き上がった。

 飛行魔人の手で一緒に空を飛んだツァルケェルは、眼下に広がる戦場を見渡した。

「……あそこに、ケープ様を殺したツムラミカが」

 飛行魔人が憎々しく言い放った。彼の声につられたのか、マ王も空を飛ぶ魔人がいる方角へ視線を送った。彼らはカラスの魔人からすでにケープが殺された事を聞いていたのである。

 周囲に魔人が群がっている中、話に聞く魔法の壁で守りながら斬りつける小さな女の子が目に入る。あれが間違いなくツムラミカであろう。ズンガとケープを殺した英雄だ。

「マ王様。どうか、仇を」

 憎しみと悲しみが同居した今にも泣き出しそうな声で、飛行魔人は懇願した。今すぐにでも仇を取りに飛んでいきたいと言う意志が、手に込められた力から伝わってくる。

 ツァルケェルは考える素振りを見せた。

「……お前の気持ちは分かる。だがさっきも言っただろう。まずは我らの悲願を達成することが大事だ。仇はそのあとで取ればいい」

「ですが」

「今は我慢の時だ。それに、一刻でも速く帝王を倒さなければ、こちらの被害が増して行くばかりだ」

「……く。わかりました。すみません」

「気にするな。誰だって大切な者を殺されれば感情的にもなる。だが大切な者の事を考えれば、彼らが最も望んでいた事を叶えてやることこそが責務。必ず果たしてやろう」

「はっ」

「しかしそれにしても、帝王の魔法のおかげで、奴がいる場所がすぐに分かるな」

 見れば、一本の光り輝く柱が、ご立派な鎧を着込んだ男の剣から伸びている。

「さて、そろそろ魔力が溜まってきた。カウントダウンを始める。しっかりと支えていてくれよ」

「お任せください」


 空を飛んでいる魔人にオルメルは気がついた。よく目を凝らせば、翼のある大柄の魔人が別の魔人を抱き抱えて一緒に飛んでいるようである。

 その魔人の姿は奇妙であった。仮面を被り、全身を覆う灰色のローブを纏っている。醸し出す雰囲気は異質で、他の魔人とは決定的に何かが違っていた。

 オルメルはすぐに勘づいた。あれがマ王なのだと。

 これはいい。探す手間が省けた。このまま我が剣で葬り去ってやろう。帝王は嬉しそうに笑った。  

 亡き妻と息子の顔が浮かぶ。目の前で魔法の泡が二人の体に吸い込まれて、そして破裂した光景が脳裏に蘇る。多量の血が飛び散って、オルメルの全身を濡らした時の感触は、今でも肌に残っている。あれほど殺意を抱いた瞬間は、あれほど憎悪を爆発させた瞬間は、それまでの人生の中で初めての経験だった。そうしてあの時抱いた灼熱の如き怒りは、今も身を燃やし続けている。

 思い出すと同時、あの時の怒りが再度湧き上がった。妻と息子を殺された魔人。魔人は絶対に殺さなくてはならない。強い殺意で満たされて、頭の中が赤くなる。体が熱くなる。

 魔力が一挙に増大する。

 これは、あの時の感覚だ。

 泡の魔人を岩山ごと一刀両断にした時の力と同じだ。

 魔力の剣が伸び上がる。これならマ王に届く。ここから半身に分断できる。

 一歩を踏み出す。両腕に力を込める。

 オルメルは剣を振った。

 魔力で輝く剣は、大きな軌跡を描きながらツァルケェルに肉薄する。

 マ王は動じない。緩やかに手を伸ばしオルメルに向けた。

 そして、戦場は光に包まれた。

 視界が真っ白に染まる中、オルメルはメメルカの姿を幻視する。

 思えばあの娘には、何一つとして親らしいことをしなかった。帝王の仕事に忙殺されてきたというのもある。だがそれ以上に、娘とまともに向き合うのが怖かった。

 年を経るごとに最愛の妻の姿に似てきた娘を見るたび、あの輝かしい日々を思い出し、そうして同時にもう妻がいないのだと突きつけられているように感じて仕方がなかった。

 しかしそろそろ向き合うべきだろう。この戦いが終わり城に帰ったら、久しぶりに娘と食事を摂ってみよう。それで何かが変わるとは思わない。メメルカも疑惑の目で見てくることだろう。だがこれはきっと必要なことだ。


 オルメルの思考は、光の中で消えてなくなった。







 その時、中空から眩い閃光が戦場の中へ落とされた。激しい轟音とともに、巻き上がった土砂が実花がいる場所まで飛んできた。

 魔人も人間も関係なく、戦いは不思議なことに止まった。

 皆が呆然と光が落ちた場所へと視線を向ける中、実花は空にいる二人の魔人を見た。

 心臓が、どくん、と高鳴った。

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