七十七 コンマ一秒

 港町ギガルの教会。その中の一室では、ベッドが整然と並んでいる。寝かせられているのは、グラウノスト帝国との戦争で負傷した魔人たちであった。

 治療しているのは、人間のケルーナ。彼女は一人一人に回復魔法を施している最中だ。

「……ちくしょう。この大事な時に……戦いにいけないなんて……」

 頭部に沢山の目がある魔人は、悔しそうに泣きながら治療を受けていた。

 彼は、マ王に治療に専念しろと言われ、こうしてベッドの上で寝かせられるのを余儀なくされた一人だった。実際彼は、両腕をなくし、内臓にも穴が開いてしまった。両腕の出血はすでに止まっているし、内臓の穴は塞がりかかっていて命には別状がない。けれど明らかに戦える状態ではなかった。

 それでも彼は、俺も連れて行ってくれと、巡回してくれたマ王に直訴したのである。

 戦いたい、そう訴える魔人は彼だけではなかった。喋れることができ、多少でも動ける者は皆、戦いたい、まだ戦える、などと頼み込んでいた。

 マ王は、一人一人に丁寧に言葉をかけて、戦いのことなど気にせずに治療に専念しろと語りかけたのだ。

 すごい光景だった、とケルーナは当時を振り返る。

 そもそも国の王が、わざわざ重要人物でもない怪我人たちを一人一人見舞うとは、彼女の常識ではありえないことだった。少なくとも帝王オルメルならば、歯牙にも掛けないに違いない。

 不思議な魔人。それがケルーナのマ王に対する評である。敵国である帝国の人間であったケルーナに対しても、優しい言葉をかけてくれたのは今でも覚えている。仮面で顔を隠しているせいで、胡散臭い事この上ないが、たったそれだけの遣り取りで、人の良さというものがよく伝わってきた。

「ケルーナさん」

 いつの間にか病室に入ってきたのか、人間の男が横に立っていた。彼もまたケルーナと同じように、帝国を裏切ってマ国についた人物だ。

「は、はい!」

「交代ですよ」

「あっ、もうそんな時間ですか」

「ええ」と、男は笑んだ。「随分と集中していたようですね。何度か声をかけたんですよ」

「す、すいません」

「いえいえ、いいんですよ。むしろ僕も見習わなければ、と気合が入ったぐらいでして。なにせ、ついつい集中が途切れてしまって、患者さんに怒られてしまうほどですから」

「は、ははは」

 ケルーナは、乾いた笑い声を発した。考え事をしていました、などとはとても言えなかった。

 ともあれ、ケルーナは、一言断ってから退室した。

 教会から出ると、上を見上げて体を伸ばす。

 澄んだ空だ。青くて、爽やかで、どこまでも広がっている。こんなに綺麗な青空の下で、殺伐とした争いが起きているとは、なんだか妙に現実離れした気分だった。けれどそれは事実だ。

 ウルガ様は無事だろうか、とケルーナは不意に心配になる。

 彼女は彼の治療を担当したおかげで、仲間想いの人柄を知ることができた。外見が人間離れしていても、魔人の内面は人間とそう変わらないのだと知れた。

 気づけばウルガのことを考えている。多分、この気持ちは恋なのだろうとケルーナは思う。

 帝国であれば、人間と魔人が恋仲になれば、間違いなく殺される。もしくは死よりも酷い目にあうだろう。けれどドグラガ大陸なら、夫婦になって子供を作る事もよくあることなのだと聞いた。その場合、子供は魔人になると言う。だがケルーナは、それでも構わなかった。だって好きな人と自分の血を受け継いだ子ができるのだ。それはきっと何よりも素敵なことだ。

 この戦争が終わったら、自分の気持ちを伝えよう。ケルーナはそう決意した。

 だからどうか、どうか、ウルガ様を生きて返して欲しい。渦巻く不安を押し込めて、ケルーナは願った。

 その瞳から流れた一筋の涙に、彼女は気付いていない。




 左から二本の剣が襲いかかってきた。右腕の剣が頭部に、次に左の剣が胴を狙っている。

 シーカ・エトレセは、両手で持った一本の剣を巧みに動かして相手の剣を逸らしてかわす。

 凄まじいのはこれで相手の攻撃は終わらないということだった。流れるような動作で、今度は右側から斬りつけてくる。シーカは剣を真っ向からぶつけて防いだ。

 そうして、相手はシーカの剣の威力を利用して回転しながらかがみ込む。シーカの足を狙って二本同時に薙いできた。

 剣では間に合わない。シーカは飛び上がってやり過ごす。重力に任せて落下しながら剣を振り下ろすもそこにはすでに敵はいない。

 空気が切れる音ですぐに位置を確認する。半歩右横にいた。左腕の剣が首目掛けて迫っている所だった。

 シーカは頭を下げて避け、間髪入れずに下から上に剣を斬りあげる。だが相手の右腕の剣が難なく防いだ。

 そうしてさらに敵は攻撃を繰り出してきた。

 もうどれほどこうして剣を交えているか分からないが、相手、すなわち魔人ゾルバの剣技は精妙さも速度も力も衰えることを知らない。

 シーカはまるで全力疾走でマラソンを行っているような気分だ。アドレナリンが過剰に分泌され続けて、気持ちの良い興奮状態に陥っている。反面、頭の中は妙に冷静で、この速度を維持しなければ瞬時に五体が切り刻まれることを理解していた。

 シーカが袈裟懸けに斬り下ろすのに合わせて、ゾルバが十字に振るってきた。が、と三本の刀身が衝突する。力は互角。鍔迫り合いの格好となった。

 ぎりぎりと拮抗する。これ以上見合っていても勝負はつきそうにない。

 示す合わせることなく、二人はほぼ同時に地面を蹴って距離を離した。

 シーカは魔力を流し続けながらゾルバと対峙する。今ここで身体強化の魔法を解除してしまえば、一気に反動が来るだろうとシーカは判断したのである。

 ゾルバの呼吸は荒くなっている。とっくの昔に呼吸を隠す余裕のないシーカではあったが、ここに来てようやく、ゾルバも呼吸を隠せなくなった。

 相手が無尽蔵の体力でないことに安堵しつつも、シーカは自身の体力がすでに限界に来ていることを自覚していた。もしも男であったなら、もっと長く戦えることができただろうか。どうしようもない事が頭によぎる。けれど軽く頭を振って、雑念を追い払った。

 不意に、ゾルバが構えた。両腕を胸の前で交差させて、腰を落とす。両腕をだらりと垂らした自然体が彼の戦闘における構えであったのに、これは一体どういう意図があるのだろうか。

 シーカはすぐに直感した。それは確信に近かった。奴は、一撃に全てを込めるつもりなのだと。来るであろう斬撃は、両腕の剣で挟み込むように斬る技に違いない。恐らくそれがゾルバ必殺の技。

 深呼吸をして呼吸を整えたシーカは、中段に構え直す。相手がその気なら望む所。もとよりこちらはあとどれだけ戦えるか分からない。ならばこそ全身全霊で受けて立つ。

 だが一抹の不安があった。シーカの必殺の一撃はすでに難なく防がれている。同じことをしても相手を上回れるとは思えない。

 方法は一つ。今までの自分の最高の一撃を超える事。

 果たして私にできるだろうか、とシーカは思う。暑い汗に混じって、ひやりとした汗が流れる。心臓の音が大きく聞こえてきた。生唾が湧いてきて、こくりと飲み込む。疲れのせいだけではない。緊張もしているのである。

 ゾルバが口角を上げる。お互いが、お互いに、次の一撃に全てを賭ける腹積りなのを理解したのだろう。返答のつもりで、シーカも笑みを浮かべた。

 不思議だ。意思を確認するのに言葉がいらない。同じ人間同士ならまだしも、相手は決して相容れぬ魔人。本来ならば言葉を交わしても到底理解できない相手のはずなのに。これが言葉よりも濃密に剣を交わした結果だろうか。

 ゾルバが動いた。じりじりと近寄ってくる。シーカも同様に少しずつ近づいていく。

 両者が間合いに入った瞬間に勝負は決まる。

 ゾルバが殺気を放った。シーカの首にだけ殺気が当たっている。ここを斬るつもりだろうか。ならば一旦しゃがみ込んで回避し、間髪入れずに逆袈裟に斬り上げればシーカの勝ちだ。しかし、事前に斬る場所を悟らせるような愚を目の前の魔人が犯すだろうか。

 間違いない。これはゾルバのフェイントだ、とシーカは気づいた。斬る場所が分かればシーカなら簡単に対処できる。そうして対処できると分かっていれば、ゾルバがそれを逆手にとるのも容易であろう。

 シーカは試しにゾルバの首へ殺気を放つ。すると魔人は、今度はシーカの胴へ当ててきた。そうしてさらに、次々と場所を変えていく。足、胸、頭部、首。

 その度にシーカは、剣士の性質か頭の中で対処を考えてしまう。だが殺気の通りに攻撃が来るとは限らない。裏を読み逆をつく。あるいは裏の裏を読んで予告通りに来るかもしれない。

 間を詰める。

 判断を誤ればシーカは死ぬ。

 そもそも、ゾルバが放つのは本当に一撃だけなのだろうか。あの構えを取られたせいで、勝手に勘違いを起こしたのではあるまいか。片方の剣でシーカの剣を受け止めて、残る剣で反撃する可能性があるのではないか。

 シーカは真正面に構えている剣を僅かに右にずらした。これで相手は、剣が右から来ると予想するはずだ、と目論んだ。魔人が防御に動くならば、左腕の剣で防ぎにくる。だがシーカが左から剣を振るえばゾルバを倒せるはずである。

 けれどゾルバの動きは少しも変化しなかった。視線も、構えも、じりじりとした歩行にも警戒が表れていなかった。ただ殺気だけが、出鱈目に場所を変えながら襲ってくる。ゾルバほどの実力者が、構えの変化に気づかないはずがない。

 気づいていながら、そうと分からないように振る舞っているのかもしれない。あるいはシーカの意図を見破っているのだろうか。

 あの構えと殺気だけでここまで相手を惑わせるとは。相手がゾルバだからこその芸当に違いない。

 とは言え、全てがシーカの勘違いである可能性もある。それとももっと別の意図があるやもしれない。

 思考が錯綜する中で、シーカは気づいた。

 もしかしたら、さまざまな可能性を示唆して迷わせる事が魔人の本当の目的なのかもしれない。そうしてコンマ一秒でもシーカを遅らせようとしているのだ。可能性はある、とシーカは思った。

 シーカの武器は、速度と的確な剣捌きにある。その速度が封じられてしまうと、シーカの勝機は薄くなるだろう。

 普通の相手ならばこの短い時間でここまで罠を張り巡らせられるとは考えにくい。だが相手はゾルバ。十分にあり得る。

 近寄る。もう一歩進めれば間合いだ。泣こうが笑おうがこれで終わる。

 途端、ゾルバに斬り裂かれて死ぬ映像が頭の中で流れた。

 選択を間違えれば死ぬ。剣が遅れれば死ぬ。技術が足りなければ死ぬ。

 逃げ出したい。死にたくない。そんな欲求が湧いて出てきた。

 帝国やグルンガルのためならば、戦って死んでもいいと思っていた。

 なのに死の恐怖が巨大な壁となって行く手を遮っている。

 こんなにも生きたいと思っていることに気付かされたシーカは、手や足が僅かに振るえていることに気づく。

 ダメだな、私は。そうシーカは自嘲する。騎士団の副団長なのに、今更死ぬのが怖いだなんて部下に笑われる。何よりも団長に失望されるかもしれない。

 それは嫌だなあ、とシーカは思った。

 それは多分、死ぬよりも怖い。

 だからここは進むしかない。

 ゾルバがシーカをコンマ一秒遅らせようとしているのならば、こちらはコンマ一秒速く剣を届けてやろう。


 そして、シーカの身体が僅かに沈む。全身がまるでバネになったみたいに前に跳ねた。

 一瞬遅れてゾルバが動く。両腕に力を入れて、左右の剣で同時に斬りかかる。

 甲高い金属音が鳴り響いた。

 シーカの顔面から滝のように汗が流れて落ちる。

 二人は荒く呼吸している。

 誰とも知らぬ呻き声が聞こえた。

 ゾルバが振るった二本の剣は、シーカの剣の鍔から程近いところで阻まれている。

 ぱきり、と音がした。シーカの剣が、ゾルバの剣によって二つに割れた。

 だが片割れは落ちてこない。代わりに赤い滴が落ちていく。

 剣はゾルバの顎と首の付け根に突き刺さっていた。よほど深く刺さっているのだろう。ゾルバが二歩、三歩と下がっても落下しない。

「……見事……」

 ゾルバはにっと笑うと、そのまま膝から崩れ落ちた。そうしてそれ以上動かなかった。

 シーカは物言わぬ魔人の死体を見、続いて折れた剣に視線を移す。

 これでは戦えない。

 そう思ってようやく一息つく。

 魔力を流すのを止めて身体強化の魔法を解除。

 すると両腕から力が抜け落ち、持っていた剣が地面に落下した。

 その事に気がつく前に、シーカの意識は喪失した。

 周囲にいた兵士たちが慌てて駆け寄る。幸いにも気絶しているだけだ。死んではいない。だがひどい熱を出している。このままでは危険だ。そもそも戦場の真ん中で放り出せるわけがない。

 一人の兵士が進んで彼女を背負った。仲間たちを次々と切り殺した魔人を止めたシーカは絶対に生かさなければならない。

 周りに念を押されながら、兵士は走った。

 



 狼の魔人を撃退したことは、すぐさまオルメル・ノスト・アスセラス三世に伝達された。

「……そろそろ無為に座っているのに飽きたな」

 帝王はそう呟くと、のっそりと立ち上がる。

 それから手を伸ばし、長剣を抜き払った。

「我が一撃でもって、魔人共を斬り捨ててやろう」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る