六十五 グルンガル・ドルガとの模擬戦

「あの子、頑張っていますわ」

 グラウ城にある自室の椅子に、足を組んで座っているメメルカ・ノスト・アスセラスは、そう言った。

「あの子? ……ツムラミカ様ですか?」

 答えたのはグルンガル・ドルガだ。玉座の前で話した事よりも詳しく聞きたいと王女殿下に請われて、部屋に招かれたのである。今はちょうど説明を終えたばかりだった。

「ええ、そうです」と、メメルカは艶然と笑う。「練習は自由と言いましたのに、殆ど毎朝剣を振っているんです。今では親衛隊のゴーガとキルベルが相手をしていますわ」

「ほう」

 グルンガルは感心した。騎士隊と一緒に訓練していた時も感じてはいたが、どうやら彼女の執念は本物のようだ。

「恐らく、今はまだ練習をしているはずです」

「それでは私は、彼女の様子を見ていこうかと思います。失礼致しました」

「いいえ、こちらこそ。お話を聞けて嬉しかったですわ」

 良く言う、と思いながら、グルンガルは一礼して部屋から出た。

 早速練兵場に向かう。メメルカが言っていた通り、津村実花が訓練に勤しんでいる。

 いつも一緒にいるメイドのネルカと、ゴーガと、キルベルもいた。

 実花は太い丸太を立てて、一心不乱に打ち込んでいる。手には剣を持っているが、それは使っていない。彼女は蹴りを丸太に向けて打ち込んでいたのだ。

 一体、どういう事なのだろうか。グルンガルはゴーガへと近づいた。

「これは、グルンガル様。どうかなさいましたか?」

 ゴーガは野太い声で尋ねた。

「なぜ、ツムラミカ様は蹴っているのかな?」

「私が答えましょう」と応じたのはキルベルだ。「私と手合わせをしていた時、隙を突いて蹴りを放って来たのです」

「ほう。それは、君が教えたのか?」

「いえ。私も、ゴーガも教えていません。剣を打ち合っている時、自ら蹴って来たのです。なかなか鋭い蹴りでありまして、これは使いそうだと思い、訓練に取り込んだのです」

「なるほど」

 そう言ってグルンガルは、暫し実花の様子を見た。

 なかなかいい音が鳴っている。キルベルが鋭い蹴りと評したが、それは確かなようだった。

 あの蹴りならば、相手の態勢を崩して隙を作るツムラミカの戦術の中で上手く機能するだろう。

 グルンガルは実花に近寄った。

「ツムラミカ様」

 実花は足を止めて振り返った。彼の顔を見た途端、ぱっと笑顔を見せた。

「グルンガルさん。お久しぶりです。怪我はなかったですか?」

「私は大した事はありませんでした」グルンガルは実花の笑顔につられて頬が緩みそうになるのを堪える。「だが多くの部下を死なせてしまいました。未だ怪我に苦しむ者もいます。今更ながら自分の力の無さを痛感している所です」

「あ……」と、実花はバツが悪そうに顔を伏せた。「ごめんなさい。私……」

 こんなに人が良い子を戦場に立たせる。その事にグルンガルは些かの罪悪感を抱いたが、顔色には出さなかった。

「いえ、いいんですよ。それよりも面白い事をやっていますね。蹴りの練習ですか?」

「はい。私、今更ですが、思い出したんです。蹴りがちょっと得意だった事に」

 蹴りが得意、と笑って言う実花に、グルンガルは空恐ろしいものを感じた。

「何か、格闘技でもやっていらしたのですか?」

「いいえ。そういう事は、一切やってこなかったんです。ただ、小さい頃から、良く蹴っていたなって……」

 一体どういう事なのだろうか、とグルンガルは訝しんだ。けれど実花は、何かを思い出しているのか、その表情が陰っている。

 実花には何か抱えているものがある事に、グルンガルは気付いていた。恐らくこれはその一端なのだろう。だが、彼はこれ以上踏み込む事を止めた。メメルカが関わっている以上、関わってしまえば、下手を撃つと帝国を敵に回してしまう事になるからだ。

「なるほど」と、グルンガルは言う。「ではツムラミカ様。私に蹴りを打ち込んでみて下さい」

「分かりました」

 大きく返事をした実花は、グルンガルと向き合った。

「いつでも」

「はい!」

 と、同時に、実花は大きく一歩踏み込んで、右のローキックを放つ。

 グルンガルは左腿を上げて受け止めた。じん、とした痛みが走る。所詮は体格の小さな女の子の蹴り。鍛えられたグルンガルでは、威力は小さい。

 実花はそのまま右で反動を付けてもう一度蹴った。場所は先程の同じ場所である。

 グルンガルが動かない事を確認すると、三度目も同じ場所を狙った。

「ふむ」

 しかしグルンガルは、さすがに何度も同じ場所を蹴られるのは嫌だったのか、今度は避けようと一歩下がった。

 空振りに終わるはずのローキック。しかし実花は強引に軌道を代えて、そのまま下へ踏むこんだ。

 そして前に進み、今度は左足で相手の右足に向けて蹴った。

 次もグルンガルは避ける。

 だが実花はローキックを執拗に打ち続けた。まるで、これしか知らないかのように。


「うらやましいなあ。俺もあれが終わったらお願いしよう」

 離れた場所から見学していたゴーガは思わず呟く。帝国の剣士ならば誰もが憧れているグルンガルと手合わせる機会などそうあるものではないからだ。

「はあ」キルベルは呆れてため息を吐く。「あなたは本当に戦うのが好きなんですね」

「ああ、好きだな」

「全く……」

「昨日負けた者として、どうだった?」

「蒸し返しますか、それ」

「で、感想は?」

「魔法のタイミングが抜群に上手いですね。それに最後のあの方法。あれは使えますね。私達が協力すれば、もっと良いでしょう」

「俺も同意見だ。今度レゾッテも呼んで、連携を取ってみよう」

「賛成です」

「それにしても、ツムラミカはずっとローを繰り返してるな。どうしてだと思う?」

「そうですね。あの動きに目を慣らさせるためじゃないですか? その内、全く違う動きを見せると思います。大方、意表を突けば一本取れると思っているのでしょう」

「お前もそう思うか。末恐ろしいな」

「ええ、全く」

 キルベルは心底そう思った。


 実花は左足でローキックを放ち、その勢いに乗って反転し、背中を見せた。

「む」

 今までと違う動きに驚きの声を上げたグルンガルは、思わず眉根を寄せる。

 実花はそのままさらに半回転。同時に右足を繰り出した。

 いわゆる回し蹴り。ただし我流のだ。

 遠心力で威力を高められた右足は、そのまま相手のみぞおち目がけて襲いかかった。

 がつ。堅い手応えだ。

 見るとグルンガルは、両腕を胸の前で交差させて防いでいた。

「あ!」

 驚愕しながら、実花は慌てて一歩下がる。

 グルンガルはにやりと笑い、

「今の攻撃はなかなか良かったですよ」

 と、不敵に言った。

「さ、さすがグルンガルさん。今のはいけたと思ったんですが」

「あなたが執拗に足ばかりを狙っていたのには、何か意図があると思っていました」

「で、でも、ローキックしか知らないかもしれなかったんじゃないですか?」

「もちろんその可能性はありましたが……他ならぬあなたの事です。意味も無く同じ事を繰り返すはずがないと確信していました。私が常々言っていることでもありましたしね」

「うう、そっか。残念です」

「急所を迷わず狙ったのにも評価します。軽量なあなたがまともなダメージを与えるにはそれしかない。しかし先程の技は隙が大きい。防がれた時、簡単に反撃され……いや、そうか。あなたの場合、それでも構わないんですね」

「……まあ、そうなんですけど。でも、さっきのは本気で当てるつもりでしたから……悔しいです」

「あなたは着実に強くなっています。並の相手では太刀打ちできないでしょう。ですが、あなたには弱点があります」

「弱点、ですか?」

「はい。では、今からそれを見せて上げましょう。剣を使っても、魔法を使っても構いません。いつでもかかってきなさい」

 グルンガルは平然と言った。しかし彼の手には剣が握られていない。服も普通の素材だ。さすがに実花の剣がまともに当たればただではすまない。

「え、でも、グルンガルさんは、何も……。それに私、真剣だから、当たると……」

「大丈夫です」

 そう言ってグルンガルは、魔力を集中させた。すると手の中から、魔力の輝きで満ちた剣が表れる。

 思わぬ事に驚きを隠せない実花に、グルンガルはふ、と微笑んだ。

「魔力剣。帝王様のと違い、威力も、切れ味もあまりありませんが、剣を防ぐぐらいはできます。さあ、来なさい」


 実花は中段に構えた。 

 グルンガルが強い事はもちろん知っている。それでも、真剣を向けるのには戸惑いがあった。

「どうしました? こないのですか?」

 と、グルガルは声を掛けた。構えはない。だらりと両腕を下げている。

 実花は意を決して踏み込んだ。まずは軽く上段に打ち込む。

 グルンガルは軽く受け止めた。

 続いて実花はもう一度上段。これも止められるが、もちろん織り込み済みだ。

「本気で来なさい」

 グルンガルは言った。本気の目だった。

 生唾を飲み込んだ実花は、剣を横に振るう。本気の一撃。当たればグルンガルは死ぬだろう。

 しかしグルンガルは軽々いなす。実花は連撃を放つも、どれも簡単に防がれた。

 ならば、と実花は前に踏み込みながら「ホルト」と呟く。魔法が発動。グルンガルは壁に弾かれたみたいに後ろへ飛んだ。

 だが彼は難なく着地する。些かの隙すら生まれていない。

 追い打ちをかけるべく、「ゲスト」と言って魔法を解除しながら、まっすぐにグルンガルに向かった。

 今度は刃を横にして突きを放つ。狙いは右肩だ。だがグルンガルは左に回避する。実花は突きを止めて、グルンガルを追ってそのまま左へ振った。

 グルンガルに教えてもらった技だ。だから彼も当然読んでいる。魔力剣で受け止めようと動いていた。

「ホルト」

 そして、実花はその瞬間を狙っていた。

 魔法の壁が瞬時に出現。防御に気を取られていたグルンガルは、この展開を読んでいなかったらしく、まともに壁に突き飛ばされて尻餅を着いた。

 やった! 実花は内心でガッツポーズを取って、勝利を我が者にすべく魔法を解除して襲いかかった。

 グルンガルは苦悶の表情を浮かべながら、まるでイタチの最後っぺみたいに、魔法で煙を発生させた。たちまち視界が遮られて、グルンガルの姿が見えなくなった。

 見えなくして、剣を外させる。あるいは戸惑わせて剣を遅らせる。それがグルンガルの狙いだと実花は思った。帝国最強なのにしょうもない悪あがきだ、とも思った。

 なぜなら場所は覚えているし、何よりも影が見えている。実花は剣を振った。

 頭部の直前で剣を止めると、煙が晴れて来た。さあ、勝ち誇ってやるぞ。そう意気込んだ。

 そして、視界が開けたと同時、実花は驚愕のあまり目を剥いてそれを見た。

 グルンガルだと思っていたそれは、魔力を人の形に形成させた人形だったのである。

 実花の全身に悪寒が走った。

「ホ……」

 慌てて魔法の壁を発生させようとするも、実花の後頭部を尖った何かが突ついた。

 冷や汗を流しながら、実花が恐る恐る振り返ると、グルンガルが魔力剣を突きつけている。

「ま、負けました……」

 と、実花は言った。


「なるほどな。上手く不意を突ければ、魔法を使われずに済むと言うわけか」

 ゴーガはふむふむと頷いた。

「……今更気付いたんですか?」

 呆れ顔でゴーガを見たキルベルは、ため息を吐くように言った。

「何。気付いていたのか。ならなぜ、昨日の模擬戦で不意を突かなかった?」

「ツムラミカ様の技量を知るためですよ。私が手段を選ばずに戦えば、すぐに終わってしまいますから」

「確かに昨日のお前は、剣でしか戦っていなかったな。俺とやるときは、いつもいやらしい手を使ってくるくせに。ああ、思い出しただけで腹が立って来た。おい、この後やろう」

「何を言っているんですか? グルンガル様と手合わせをするんじゃなかったんですか?」

「……そうだった。グルンガル様と打ち合える機会はそうあるもんじゃない。ぜひやらねば」

「全くこの男は……」


「分かりましたね?」

 グルンガルは言った。

「はい」

 実花は頷いた。

「大切なのは油断を決してせずに、常に周囲を気を配る事です。そうすれば、不測な事態に対しても対処する事が可能になります」

「はい。ありがとうございます」

「今後もこの調子で修練を続けて下さい。……ああ、それと、今後も蹴りを戦いの中で使って行くのであれば、相応の装備が必要になってきますね。私の方から王女殿下に進言しておきましょう。楽しみに待っていて下さい」

 話が終わるタイミングを見計らっていたのか、ゴーガが近寄って来た。手には大きな木剣と、通常サイズの木剣を持っている。

「グルンガル様、まだ時間はありますでしょうか?」

 と、ゴーガは尋ねた。心なしか、そわそわしているように実花には見えた。

「大丈夫だ」

「是非とも、私ともお手合わせ願いたい」

「いいだろう」

 グルンガルは、ゴーガが持っていた通常の木剣を受け取った。

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