六十六 戦う理由

 勝負は一瞬だった。

 大上段に構えるゴーガと、脇構えで対峙するグルンガル・ドルガ。

「はじめ!」

 キルベルの合図。

 ほぼ同時にゴーガが飛び出た。

 間合いに入った途端、上から下へ打ち下ろすゴーガの全身全霊を込めた一撃。

 グルンガルも動く。右から左への横薙ぎ。

 グルンガルの木剣は、ゴーガの大きな木剣の横面を叩く。反動を利用して、木剣はゴーガに向かって跳ねた。

 二つの打撃音が重なった。

 ゴーガの木剣は地面に叩き付けられている。グルンガルの一撃によって軌道を逸らされたのだ。

「ぐぅ」

 ゴーガの呻き声。

 見れば、グルンガルの木剣は、ゴーガの腹にめり込んでいたのである。もしも真剣であったなら、ゴーガの腹は二つに切り裂かれていた事であろう。

「そこまで!」

 勝負は決した。


 ネルカの隣で一部始終を見ていた津村実花は、その戦いのあまりの呆気なさに衝撃を受けた。

 もっと激しく木剣を打ち合うと思っていた。なのに、勝負は瞬く間に終わった。

 ゴーガの実力は、実花の想像であるが、帝国の中でも上位に食い込む腕前のはずである。何しろあの岩の魔人ズンガと互角に打ち合えるほどの力を持っているのだ。弱くないはずが無い。

 しかしグルンガルは、そのゴーガの渾身の一撃をいとも簡単にいなしてしまった。なんと凄まじい技量であろうか。

「凄いね」

 と、実花は呟いた。隣にいたネルカは、実花に顔を向ける。

「……その、私には、一体何が起きたのかよく分からなかったのですが……。でもグルンガル様が凄いことはよく分かります」

 凄まじい、と言えば、一瞬間の攻防の速度もまた一筆に値する。おおよそ普通の動体視力を持つネルカは、二人がどのような剣のやり取りを行なったのか、余りの速さによく見えなかったのだ。

 それほどの速度の剣を、しかし実花には見えていた。恐るべきは、ある意味では彼女であるかもしれない。日本にいた頃の実花は何か特別なスポーツをやってきたわけではなかったし、武道を嗜んだ事も無かったし、反射神経と動体視力が必要なゲームを好んでやって来たわけでもなかった。精々が、この世界に来てから剣を学んだ程度である。もちろんそれだけで、動体視力が一気に良くなるはずが無い。通常は、長い時間をかけてじっくりと養成させて行くものであるはずだ。

 彼女の動体視力は、紛れもなく天性のものであった。






 所変わって、港町ギガルである。

 元は貴族の邸宅であったらしき家で、なにやら女性達が集まっていた。その中で唯一の男の子であるベルは、怯えた子鹿のような目をしている。

「これよ! これを着て!!」

 女の子が着るようなひらひらした白いワンピースを手に取ったケープは、鼻息を荒くしてベルに迫った。背中から生えている蠅の羽が、興奮しているせいなのか、時折凄まじい速度で羽ばたいて、ケープの身体が宙に浮く。

 助けを求めるように、ペルは周囲を見回した。けれど周囲にいるのは、女の魔人と、女の人間だけだった。彼女達は皆一様に、ギラギラと輝く瞳をペルに向けている。

 本能的な恐怖を感じたペルは後退った。しかしすぐに背中が部屋の壁に当たった。ここは港町ギガルにある民家の一室。扉はペルの向かい側にある。

 逃げられない事をペルは悟った。身体がぷるぷると小刻みに震える。

 だが女性陣は、ペルの恐怖に気付いていなかった。自分たちの欲望に支配されている。

「いいからいいから」ケープは口から涎を垂らしながら言う。「お姉さんに任せなさい。悪いようにはしないわ。とっても、とっても可愛くしてあげるだけ。可愛いは、正義なのよ」

 ペルの華奢で小さな身体に沢山の腕が伸びて来た。些細な抵抗は簡単に抑えられて、瞬く間に着ていた衣服を脱がされて、ケープが持っていたワンピースに着替えさせられた。

 出来上がった姿は、女性達にとって感涙ものだった。

 穢れを知らぬきめ細やかな白い肌は、子供特有のもち肌で、つやつやしている。透き通るような緑の髪には赤いリボンが括られていて、それがまた良く映えていた。女の子みたいな細い身体と少女的な顔立ちも相まって、純白のワンピースが驚くほど似合っている。

 おまけにペルの顔は羞恥心で赤く染まっていて、自分の姿を隠すようにもじもじしているのだからもうたまらない。少女よりも少女らしい男の子がここに完成してしまった。

「良い! すっごく良い!!」

 ケープは感極まった声を上げて、手で口元を抑えた。よく見れば、彼女は興奮のあまり鼻血を出している。

「何て尊いの!」

「芸術だわ!」

「ああ、今すぐ持ち帰って抱き枕にしたい……!」

 他の女性達も、口々に勝手なことを言う。

「次はこれよ! これを着て!」

 ケープは次なる衣装を取り出した。黒を基調としたふりふりで装飾過多な服である。地球で言えばゴシックロリータに近い。

「さすが『ペル様を愛でる会』の会長です!」

「そんなの着せたら昇天しちゃいますぅ!」

「完璧すぎます! 一生着いて行きます会長!」

 称賛の声を背中に受けながら、『ペル様を愛でる会』会長こと、ケープは一歩ずつペルに近寄った。

「……あう……」

 もはやペルには抵抗する気力すら喪われて、なすがままに着替えさせられる。

 そうして出来上がった姿には、あまりの可愛らしさに失神する者も出る始末であった。

「ああ、私生きていて良かった」

「もう死んでも良い」

「最、高……」

 ペルは死んだ魚のような目で、恐ろしい女達の痴態を眺めていた。もはやこのまま着せ替え人形として遊ばれるしか無い。助けは来ない。そう諦めた。

 ばぁん! けたたましい音と共に、扉が勢いよく開いた。

 この場にいた全ての者が、恐る恐る侵入者に目を向ける。そこにいたのは、白い翼を生やした魔人、ルンカナであった。

 眉間に皺を寄せた彼女は、室内の魔人や人間達をじろりと見回し、最後に視線をケルプの所で止める。ケープはまるでいけない所を見られた子供みたいに後退りした。

「ケープ様」と、言葉を発したルンカナの声は冷たい。「私は、マ王様よりケープ様がペルに何かしでかさないか気を配ってくれと厳命されております」

 ぞお、とケープの顔色が悪くなった。

 ルンカナはペルと目を合わせると、柔和な笑みを浮かべる。

「遅くなってすみません。ですがもう大丈夫ですよ、ペル。早くここから逃げ出しましょう」

 一歩、二歩、と近づくと、ペルはだーと駆けて、ひしとルンカナにしがみついた。声に出さないし、表情もあまり変わらないけれど、ペルは確かに泣いて震えている。

「よしよし、お姉さんがいるから、もう大丈夫よ」

 ルンカナはしゃがみこんで、ペルの小さな身体を優しく抱きしめる。後頭部を撫で、背中をさすり、慰めた。

 ああ、役得だわ。ペルの可愛い姿が見れて、ペルの柔らかい身体を触れられて、その上好感度が爆上げ。もう最高。……と、ルンカナは心の中で盛大に興奮していたが、表情には出さなかったのであった。




「……ラルの死体の近くに、魔人らしき女性の死体もありました。恐らくレメかと。剣も落ちていまして、血で錆びていました」

「……そうか……」

 ベッドの上で横たわったまま、ウルガは報告を聞いていた。

 幾日か過ぎても二人は戻って来なかったから、予想していた事である。だから報告を聞いた時、やはりそうか、と納得した。

 人から姿が見えないレメと、元々泥棒を働いていて隠れるのが得意なラル。そうした二人が見つかることはまずないはずだ。けれど、二人で帝国軍を足止めしようとしていた場合は、もちろんその限りではない。

 もしかしたら、この二人が時間を稼いでくれたおかげで命を拾うことができたのかもしれないと、ウルガは思う。

「……報告ご苦労。下がれ」

「はい」

 報告をした魔人兵は、頭を下げて部屋から退出した。

 グルンガルとの激闘の末、重傷を負ったウルガは、ギガルの教会にあったベッドの上に治療のために寝かされているのである。

 彼の近くには人間の女性がいる。彼女は帝国からマ国に裏切った一人で、回復魔法を扱えるのだ。

 その女性は、獣の姿をした恐ろしい魔人に近寄って、

「治療の時間です」

 と言い、手を差し伸べて回復魔法を使った。ぼんやりした光が、ウルガの身体を包んだ。

「……ケルーナ、と言ったか」

「はい」

「なぜ、お前は俺たちについてきた。逃げ出そうと思えば、いつでも逃げ出せたはずだ」

 事実だった。ウルガは、ギガルへの道中人間が逃げ出しても、決して追うなと厳命していたのである。実際、何人かが逃げ出したようだが、誰も彼らに危害を加えていない。

 ケルーナは、考える素振りを見せた。

「……私も、他のみんなも、帝国に疑問を持っていました。奴隷制度は嫌いでしたし、多くの貴族は平気で不正を働いて、私達市民からお金を搾取していました。貴方方なら、そうした帝国のあり方を変えてくれると、思ったのです」

「魔人の事は怖くないのか? 帝国の人間は、そういう風に教えられて来たと聞くぞ」

「……正直に言えば、私も怖かったです。実際に、恐ろしい所もありました。ですがこうして接してみて、多少好戦的ではありましたけど、普通の人間と、少なくとも内面はあまり変わらないんだと分かりました。ですから、今では怖くありません」

「魔人は人間だと思うか?」

「私には、よく分かりません。でも、人間って、何なんでしょうか。私は、時として人間が酷く悪い事をするのを知っています。それこそ、子供の頃に教えられた魔人みたいに」

「魔人にも、当然悪い奴はいる。いや、マ王様が統一する前は、そういう奴で溢れていた。あながち間違ってはいないのだ」

「人間だって、同じです。表に出て来ないだけで、裏には沢山悪い人がいます。本当に、沢山」

「……そう、だな。だが、人間にも良い奴がいる。俺は、この戦争でそれを知る事ができた。その一人が、君だ」

「……ありがとうございます」

 ケルーナは、頬をほんのりと赤く染めた。

 会話が途切れて、外の声が中に響いてくる。主に聞こえてくるのは、魔人達が訓練と称して行なっている模擬戦の音と勇ましい雄叫び。

「あの」沈黙に堪え兼ねたケルーナは尋ねる。「私、レメ様とは話した事があるんです。彼女の親は人間で、なのにレメ様は魔人として産まれたって。それも……帝国で。ウルガ様は、知っておられましたか?」

「……知らなかった。そうか、あいつはそれで」

 人間に、こだわっていたのか。

「人間から魔人が産まれるだなんて、私知りませんでした。レメ様たちが帝国でどういう目にあってきたのか、詳しくは聞けませんでしたけれど。でも、私には想像できないぐらい酷い目にあってきたんだと思います。

 それから帝国から逃げ出して、ドグラガ大陸に辿り着いて。レメ様は、運が良かったって言っていました。帝国で魔人が産まれた場合、殺されてしまうのは明白でしたから……」

「あいつは、強い魔人だった。魔法が、ではない。心が、とても強かった」

「私も、そう思います。彼女はきっと、みんなのために戦えて、幸せだったと思います」

「……そうだな。俺もそう思う」

「でも私……やっぱり悲しいです……」

 ケルーナの瞳から、涙が零れて落ちた。それでも、回復魔法は維持している。

「俺たちは、帝国に勝つ。そうすれば、そんな悲劇がなくなるだろう」

 気付けば、ウルガはそんな事を言っていた。傷を癒し、マ王たちと合流を果たしたら、ドグラガ大陸に帰ろうと思っていたのにだ。

 けれど、ウルガは気付いてしまったのである。今生き残っている魔人達の両肩には、死んでしまった者たちの様々な想いを背負ってしまっていることに。もちろんレメもその一人であったし、小悪党のラルもその中に当然入っている。

 重い、と感じた。この重みを放り投げれば、どれだけ楽になれるだろう。だがウルガは、逃げ出さない事に今決めた。

 マ国のために戦うのではない。マ王のために戦うのではない。死んで行った仲間達のために、今生きている仲間達のために、ウルガはこれからも戦うと決めたのだ。

「はい! ウルガ様なら、帝国に勝てるって思います」

「任せろ」

 胸を張って言ったものの、脳裏に浮かぶのはグルンガルに負けてしまったこと。あいつは強すぎる。次は勝てるとは思えない。恐らく負けてしまうだろう。そうして死んでしまうに違いない。

 だが、それでも戦って、帝国に勝ってやる。

 ウルガは、死んだ仲間達に誓った。

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