五十七 本当の救い

 ラルは高揚していた。

 同じ魔人達の間では、彼の魔法は役に立たないものとされていた。ただ分身を生み出すだけの、何の攻撃力もない、相手を惑わすだけのつまらない魔法なのだと。

 どうして自分はこのような魔法なのだろう。思い悩まぬ日はなかった。ラルにとって自分の魔法はコンプレックスでしかなかった。

 転機が訪れたのは、マ王ツァルケェルが現れた時である。彼はラルの魔法の特性を知ると、素晴らしいと賞賛してくれた。魔法を褒められたのはこれが初めてだったから、嬉しく思うと同時に、何か裏があるんじゃないかと勘ぐってしまった。何しろどうして褒められているのか分からなかったのだから。

 そうして月日が経ち、マ国とグラウノスト帝国が戦争することになった。ラルは早速志願したが、周囲の魔人には笑われた。お前には無理だ。足を引っ張るだけだ。役立たずのくせに。けれどツァルケェルは、周囲の反対を突っぱねてラルを先遣隊に組み込んだ。

 どうしてツァルケェルはラルを先遣隊の一員にしたのだろうか。それはラル自身にも分からない事だった。

 しかし、今なら分かる気がする。使い方、あるいは相棒によっては、この魔法はとても有用なのだ。まさか本当に、たった二人で帝国軍の足止めができようとは。

 これで無理だと言った奴らを見返す事が出来る。評価して下さったマ王様に顔向けが出来る。

 ラルは高揚していた。もっと、もっとできる、やれる。そう思った。

「もう一度だ」とラルは目の前にいるはずのレメに言う。「もう一度やろう」

「……そろそろ、切り上げた方がいいんじゃないかしら?」

「まだ大丈夫だ。敵はまだ俺たちの魔法を理解していない。まだやれるはずだ」

「……そうね。足止めもまだ十分とは言えないだろうし……分かった。やろう」


 今回の襲撃は背後からだ。そう決めた二人は、薮の影に隠れて待った。

 やがて帝国軍が通りかかる。いつ見ても物々しい装備。あれが戦争をするための用意ならば、魔人達の装備のなんとお粗末な事か。

 レメは城塞都市での戦いの光景を思い出して、思わず身震いがした。装備だけではない。集団での戦いもあちらの方がよほど詳しい。魔人はただ力押しをするだけだった。だから破れたのだ。ツムラミカ達との戦いも、城塞都市で足止めをした時も。

 もしもほんの少しだけでも頭を使う事が出来たなら、あるいは勝てたかもしれない、とレメは考える。

 ラルと同じく、レメの魔法も攻撃力はない。そのためラルと同様に、仲間内では下に見られる傾向にあった。けれどレメが違っていた点は、率先して仲間と模擬戦を行った事だった。もちろん相手はレメの魔法の事を知っている。見つからないままでいられる保証はどこにもない。だから、レメは考えた。どうやったら目の前の魔人に勝てるのかと。

 何人かには負けた。けれど何人かには勝つことが出来た。そうやってレメは、自らの力を仲間達に認めさせて来たのである。

 だがラルは、そうした努力を怠った。だから今まで見下されていたのだ。

 レメにはその気持ちが分かるつもりだった。この魔法では相手を倒す事が出来ない。自分の身体一つで相手を打倒するしかない。それも強い力を持つ相手をだ。その現実を前にすれば、諦めるのも無理もないだろう。

 レメはラルを見た。彼の目は血走っている。獰猛な獣のような笑みをその顔に浮かべている。仲間内での自分の地位を上げる好機なのだと、ラルは血眼になっているのである。周りが見えていない危険な兆候だと思う。

 帝国軍は、レメ達の戦法に対して何らかの策を打つ頃合いだろう。自分たちの命が惜しいのなら、ここで退いておくのが最も確実に違いない。その事をレメは良く分かっていた。

 しかしラルの言う通り、二人の魔法の正体はまだ判明されていない。そのため的外れの対策である可能性は高いのだ。ならば、少しでも長く足止めをするべきではないだろうか。それが仲間やツァルケェルのためになるはずなのだ。

 もしもそれで失敗しても……構わない。レメは死ぬ覚悟だった。


 やがて、帝国軍の後尾が見えて来た。

「始めるぞ」

 ラルはそう言うのと同時に、十体の分身を帝国兵達の間に出現させた。兵士達の間でどよめきが巻き起こった。

 その内の数人は、驚きながらもすぐに反応する。懐の剣を抜き払って斬り掛かった。

 しかしその動きは想定済みだ。斬られる前に即座に分身を消し去り、帝国兵達とは少し離れた場所に分身を再度出現させた。

 後はラルが剣の素振りをし、分身が同じ動作をなぞる。レメはそれに合わせて適当な敵を斬るだけだ。

 楽勝だ、とラルは笑みを浮かべた。

 だが、その瞬間分身の頭上から無数の魔力弾が広範囲に渡って降り注ぐ。あらかじめ魔法砲撃隊を隊列の側面や前後に配置していたのである。彼らはラルが現れた時、魔法砲撃を広範囲に行うように指示されていたのだ。

 魔力弾は着弾した。轟音が轟き、砂煙が舞った。衝撃が風となり、ラルの位置にまで届く。

「な」

 と驚愕するラル。分身を消し去る暇がなかった。まるで、あらかじめそこに魔人が現れる事を見越していたような魔法攻撃。

 ざわ、と帝国兵が騒ぐ。彼らは確かに見た。目前の魔人達に直撃するはずの魔力弾が、何事もなく通り過ぎて地面に激突する所を。

 そうしてそれは、ラルの魔法の正体に気付かれた瞬間でもあった。

「あれは幻だ!」いつの間にか駆けつけていたシーカが叫んだ。「攻撃役は他にいる! 周辺を警戒!」

 その場にいた全兵士は周囲を見回す。シーカも同様に目を皿のようにして隈無く探した。

 不自然な影が落ちているのをめざとく見つける。シーカは魔力を脚部に集中させて地面を蹴った。奇妙な影に瞬時に迫ると、驚いたような気配があった。すかさず剣で薙ぎ払う。

「ぎゃっ!」

 レメの悲鳴が上がった。

 シーカには姿がよく見えない。しかし肉を断つ確かな感触があった。

 続いて呻き声が聞こえてくる。レメの身体から離れた赤い血が、ぽたぽたと地面に落ちていく。

 そこか。シーカは剣を振り上げて、袈裟懸けに斬った。

 噴き出した血がシーカの全身を染め上げる。

「……ツァ……ケル……さ……ま」

 女の苦しそうな声と、どう、と倒れる音が鳴った。

 ふと地面を見れば、女、レメの姿があった。腰まで届く長く白い髪、きらきらと輝く鱗が肌を覆っている。身体から赤い血をどくどくと流しているそれは、紛れもなく魔人である。

 死ぬことでようやく魔法が解除されたレメは、その身を産まれて初めて人の目にさらしている。

 しかしシーカは興味なさそうに視線を外して、周辺を注視した。

 すでに幻は消えている。けれどもう一人の魔人は何処かにいるはずだ。

 何処だ、何処にいる?

 そうしてシーカが見つけた時には、ラルは離れた場所へ走って逃げている所だった。

 速度は遅い。距離もまだそこまで離れていない。瞬時に判断したシーカはすぐさま走り出す。あれなら簡単に追いつける。

 必死に走るラルは足音が聞こえて後ろを振り向く。恐ろしい速さで疾走する女剣士の姿が目に入る。最初に襲った時、危うく分身を斬られそうになったが、あれはその時の女だ。

 まずい。追いつかれる。ラルは分身をでたらめに出現させた。だがシーカは戸惑う事なく一直線で走ってくる。やはり魔法がばれている。

 分身を消し、間髪入れずに自分の周囲に再度出現させる。それからジグザグに走った。ドグラガ大陸でしょうもない盗賊をしていた頃、ラルはこの手法で追っ手から逃げていた。強い魔人に襲われた時もそうだ。

 だがシーカは、ラルの居所をまっすぐに捉え続けている。

 その事に気付いたラルは、あからさまに焦り始めた。

「ひ、ひぃ!」

 ばたばたと大きな足音を立て、みっともない悲鳴を上げながら、ラルは走る。けれどもシーカは呆気なく追いついた。

「ひっ」

 ラルの顔が恐怖で引きつった。殺される。そう思った。

 シーカは剣をラルの太股に突き立てる。

「っうぎゃあ!」

 あまりの痛みにバランスを崩したラルは、二回、三回と転がった。それでも這いつくばってなおも逃走を図っている。顔からは涙やよだれや鼻水が溢れていた。

 悠々と追いついたシーカは、もう片方の太股を剣で刺す。

「あがっ」

 さらに強化されている足で、ラルの背中を踏んづけた。ラルはついに動くのを止める。

 シーカはラルを強引に引き起こすと、剣を突きつけながら歩かせた。


 人だかりが割れ、道が出来ている。その道を、シーカと、足から血をだらだらと流すラルがゆっくりと歩いていく。

 周囲の帝国兵達は、憎しみ、恨み、怒りを込めた視線を魔人に対して向けている。全員が、今すぐにでも斬り殺したい思いであった。それを堪えているのは、グラウノスト帝国きっての精鋭としての矜持だった。

 シーカとラルは、やがてグルンガル・ドルガの元へと辿り着いた。

「この者か」

 と、グルンガルは表情一つ変えずに言った。

「はっ」シーカは敬礼と共に返事をする。「この者は、多重の分身を生み出し、我々を惑わせました。その隙に、もう一人の魔人が我らを攻撃したのです。その魔人は、すでに殺しました」

「ふむ。魔人と言うのは、やはり油断ならぬな」

 そう言ってグルンガルは、右腕を突き出してラルの頬を掴んだ。

「ひっ」

 ラルは、グルンガルの恐ろしい形相を見て、思わず悲鳴を漏らす。

「魔人どもは何処に向かっている? 答えろ」

 騎士団長の問いに、ラルは答えない。

 ぎり、とグルンガルは力を込める。当然魔法で握力を強化済みだ。ラルは痛みで顔を歪め、苦しそうな声を発するが、それでも他に何も言わない。

「……言わないのか? ここで喋った方が身のためだぞ」

「……へ……へ……へ」

 ラルは頬を抑えられた状態で、無理矢理に笑みを浮かべた。

「ベーガ」

 と、グルンガルは名を呼んだ。

 後ろからずっしりとした足音を響かせて出て来たのは、ベーガ・アージス。魔法防御隊隊長であり、グルンガル付きの拷問官でもあった。身長百六十センチほどの小さな身長だが、その身体は丸太のように太い。年齢は中年も半ばに過ぎているものの、その怪力と魔力は未だ健在だ。

「……お任せ下さい」

 無骨な顔の彼は、にんまりと笑った。

 その顔を見てしまったシーカは、ぞっと全身が震えた。前の戦争時、ベーガの拷問に屈しなかった敵国の兵士はいなかった。その事をシーカは思い出していた。

 ベーガはその大きな手でラルの腕を無造作に掴んだ。

「いづっ」

 掴まれた腕に激痛が走り、ラルは思わず叫んだ。しかしベーガはまるで気にする様子がない。

「さあ、来て下さい」

 と言って、無理矢理に引っ張っていく。

 目指した場所にはすでにテントが張られていた。

 中に入ると、頑丈さだけが取り柄のような、優美さの欠片のない四角い椅子が設置されている。ベーガはその椅子にラルを座らせると、分厚い革のベルトで手足を拘束した。

「さて……今は遠征中ですからね。大した道具を用意することは出来ませんでしたが」ベーガは不気味な程丁寧な口調でゆっくりと語りかける。「何、心配はいりませんよ。専用の道具がなくとも存分に楽しむ事ができますから。とは言え、時間は余りありません。とても残念ですが、致し方がありませんよね。貴方もそう思うでしょう?」

 異様な雰囲気の中、ラルはがたがたと震えている。青ざめた顔は恐怖の余り引きつっていた。

「な、何を……何をする気だ?」

「もちろん拷問ですよ。……ああ、そうか。貴方方が思い描く拷問と、私達が行う拷問とでは大きく違っているでしょうね。貴方は知らないでしょうが、私達は長い間戦争をしてきたのですよ。拷問技術は、その長い時間を通して研鑽されてきました。今から貴方が味合うのはその片鱗。それでも貴方は知るでしょう。万物の死こそが、本当の救いなのだと言う事を」

「な、な、なに?」


 程なくしてラルは絶叫を上げた。

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