五十六 たった二人の足止め
「見つけた。けど……もうここまで来ているなんて」
レメは木の影に隠れながら帝国軍の集団を見た。彼らの進行は彼女の予想よりもずっと速い。これではマ軍が合流地点に辿り着くまでに追いつかれてしまうだろう。
彼女は、昨日ウルガに報告して、荷車の上で休憩させて貰った。移動を始めた際も、そのまま休憩させて貰えたのは感謝するばかりである。
そうして一日が経った後、レメは来た道を戻って帝国軍の動向を監視したいと自ら志願した。初めこそ難色を示したウルガだったが、この役目が出来るのは自分しかいないと説き伏せたのだ。
かくしてレメは帝国軍と平行して歩きながら考える。
帝国軍の足を遅らせれば、仲間達が合流地点に間に合う可能性が高くなる。しかしレメ自身の戦闘能力はたかが知れていた。精々、並の帝国兵と同程度か、それ以下だ。レメに自信があるのは、見つかりにくくなるという特質だけだった。それも勘の良い者や、観察力に優れた者には見つかってしまう恐れがあったし、集団の中に入れば、ふとしたきっかけでばれてしまうだろう。
大体、ウルガはそこまでレメに求めていない。情報さえ手に入れれば良いという程度であるし、そもそもが、帝国軍の近くに単独で近づく事でさえ許可したくなかったのだ。
ここまで理解しながらも、レメはやはり何かをしたかった。それは帝国軍に仲間を全滅させられた姿を見せつけられたせいでもあった。このまま何もせずにいるのは、死んだ仲間達に対して申し訳が立たない、少なくとも、レメはそう思っていたのだ。
不意に、こつりと何かが後頭部に当たった。レメははっと振り返った。足下には小石が落ちている。誰かがこれを投げたに違いない。
目を凝らして良く見ると、レメがいる位置よりも離れた場所にある大きな岩陰に、見知った顔が隠れている。彼はレメに向かって帝国軍に見つからないように手招きをしていた。
レメはなるべく音を立てないように務めながら、彼の元へと近寄った。
彼の名前はラル。全身から短い筒のような物が幾つも生えている奇妙な魔人だ。
「……どうしてここにいるのよ……?」
小声でそう抗議すると、ラルはむすっとした顔を見せた。
「ウルガに言われたんだよ」
「……そう」
確かに、あのウルガならあり得る話だ。ラルを寄越したのも、彼の魔法ならば逃げる事にも役に立つ。
それに、足止めにも有効なのでは、とレメは考える。
「それでどうする? 足止め、するんだろう?」
ラルは思案しているレメにそう聞いて来た。どうやら同じ事を考えていたようだ。レメは、にっと笑みを浮かべた。
「もちろん」
グルンガル・ドルガたちは、進軍し続けている。
彼ら全員が肉体強化の魔法を使えるため、足腰と持久力を強化していた。そうしてこの方法は、当然の事ながら一つの魔法しか使えない魔人には不可能だった。故に、レメ達には予測しづらい事でもあったのだ。
グルンガルとシーカ・エトレセの二人は、隊の中央で獣に騎乗して全体を見渡していた。
「あとどれぐらいで追いつけるのでしょうか?」
と、シーカは何気なく尋ねた。
「ふむ」グルンガルは僅かに思案して、答える。「魔人は一つの魔法しか使えない。故に肉体強化で全体の速度を底上げするのは不可能だ。それに非戦闘員を数多く連れている。どうしても遅くなるだろう。つまりこの追いかけっこは、圧倒的に我らが有利だ。じきに追いつけるはずだ。だがこういう時にこそ油断をしてはならん」
「……伏兵、ですか?」
「そうだ」
「しかし、この先の道はまとまった兵を隠しておける場所はないはずです。それに奴らに伏兵という発想ができるとも思えません」
シーカの発言に、グルンガルは顔だけを動かして彼女を見た。彼は咎めるような視線を向けている。シーカはぎょっとした。
「忘れるな。奴らは少数であの町で防衛していた。あれは明らかに時間稼ぎの意図があった。同じように待ち伏せをさせて襲わせる事を思いついてもおかしくはない。それに、奴らは一つの魔法だけだが、その一つの魔法こそが最も警戒しなければならない。中には、我々の常識から外れた魔法も存在しているのだ。今のような状況にこそ力を発揮する魔法がある可能性を考慮しろ」
「……申し訳ありません。浅薄でした」
「良い。それが普通の考えなのは理解している。しかし……そうだな」グルンガルは周囲を見た。「全体的に緊張感が薄れている。油断せずに引き続き伏兵の警戒を続けるように、ここらで釘を刺しておかなければならないな」
「分かりました」
敬礼をしたシーカは、早速部下に命じようとした。だが、その行為は遅かったと言わざる得ない。
不意に、前方の方から騒ぎ声が聞こえて来たのである。兵の進行も止まった。
「何でしょうか……。少し様子を見てきます」
シーカは乗っていた獣から降りた。彼女の足は獣よりも早いのだ。
兵と兵の隙間を風のように走り抜ける。足音も極力立たず、人が通った事に気付かない者もいるほどだ。
あっという間に先頭に出た。
眼前に広がった光景に、シーカは自らの目を疑う。
魔人が立っている。全身から短い筒が出ている異様な風体の魔人。だがそのことは別に構わない。魔人は奇妙奇天烈な姿をしているのが普通だからだ。しかしその魔人と全く同一の姿形の魔人が、およそ十人ほどいるのである。一体これはどういうことなのだろうか。
何らかの魔法か。あるいは十つ子という可能性もある。人間なら不可能だろうが、常識はずれの魔人ならそういうこともあるのかもしれない。
眼前の魔人たち全員は、何も言わずに腰にすえている剣を引き抜いた。全ての動きがまるで鏡に映しているみたいに全く同じだ。
持っている剣は、帝国軍の剣。恐らく殺した兵士から奪った物なのだろう。どちらにしろ、離れている今なら脅威ではないはずだ。
しかしたったこれだけの人数で帝国軍に挑もうというのだ。余程の自信があるに違いない。
シーカは油断せずに、剣の鞘に手をかけた。
魔人たちは、離れているにも関わらずに、剣を頭上に掲げて振り下ろした。やはり全員が、寸分の狂いもなく同じ動きである。
「ぎゃああ!!」
唐突に叫び声が聞こえた。シーカは顔の向きを声がした方向へ向ける。一人の兵士が背中から大量に出血させて、崩れ落ちていた。だがそこに魔人はいない。
シーカは他の兵士が駆け寄るのを見てから、目線を目の前の魔人に戻す。全ての魔人はにやりと不敵に笑い、剣を横薙ぎに振るった。
「うがぁっ!」
今度は別の方向から悲鳴が上がった。今度は違う兵士が首から血を出している。
これが目の前にいる魔人の魔法なのか。
「おのれぇえええ!」
シーカは剣を抜き払うと同時に魔人に向かって駆け出した。
しかし接触する直前で、魔人の姿がいきなり消失する。
「な!」
驚きの声とともにシーカは立ち止まる。その数瞬後、今度は別の場所に同じ魔人たちが出現した。魔人はそのまま剣を無造作に振るう。またも兵士が一人激しく出血した。
「馬鹿な!」
信じられない。この魔法の正体は一体なんなのか、シーカには分からない。一人の魔人が使えるのは一つの魔法だけ。一人の魔人が複数の魔法を使うなど聞いた事がない。ならばこの魔人は、人数通りの数がいることになる。分かっているのは瞬間移動の魔法、離れた場所にいるものを斬る魔法。残りは八つか。シーカは唇を噛んだ。
ともかく今は一人でも多く魔人を殺す事が先決。シーカは一番近くにいた魔人に襲いかかった。だが結果は先程と同じ。魔人は姿を消し、それからすぐに別の場所に現れる。魔人が剣を振るたびに、仲間が一人ずつ斬られていく。
「みなでかかれっ!」
シーカは叫ぶように命じた。その場にいた兵たちは、魔人達に切り掛かる。しかしそれでも、前と同じ繰り返しになった。
どれだけ攻撃を仕掛けようとも、魔人達には触れる事すら敵わない。魔人が攻撃とする対象は、誰になるのかも分からない。次は自分かもしれない。そう思い始めるのに時間はかからなかった。
屈強な兵士達は、恐怖し始めた。明らかに戦意が低下している。
それはシーカも同様であった。もはや自分には打つ手がない。どうしようもできない自分に腹が立つのと同時に、このまま為す術もなく殺されるやもしれぬ恐怖が徐々に心を犯していく。
しかし、シーカは雄叫びを上げた。己の恐怖に打ち克つために。
魔力を脚に集中させる。
もっと、もっとだ。シーカは心の中で呟く。
魔力器官が全力で魔力を精製する。魔力が集まった脚が熱くなっていく。
今っ!
極限まで強化された脚部で地面を全力で蹴った。爆発したような音が発生。蹴った地面は衝撃で抉れていた。
シーカは刹那の時間で魔人の間近に迫り、凄まじき反射神経でもって剣を振った。
だが、魔人に剣が届くかという絶妙な距離、一ミリにも満たぬ直前で、魔人の姿が消えた。
シーカは両足で着地。けたたましい音を立てて動きを停止させた。
あと、ほんの少しで剣が魔人に達する事が出来たのに。奥の手を使っても斬れなかった事に、シーカは悔しさを滲ませた。
しかし次こそは、と周囲を見回す。
けれど魔人の姿は、どこにも現れる事はなかった。
逃げられてしまったのである。
帝国軍から少し離れた場所に大きめの岩が転がっている。その影にラルは潜んでいた。
「……危ない所だった」
と、ラルは独り呟いた。
そこにレメがそっと近づいて、声を掛ける。
「……ラル」
はっと振り返ったラルは、すぐ近くにレメがいる事に気が付いた。いつもの事ながら、気を付けて見なければ分からない。
「なんだ、驚かすなよ」
「少し、危なかったね」
「……ああ。あと少しで実体がない事がばれる所だった」
ラルの魔法は、自分の姿を空間上に投影することができる。先程の戦闘では、この魔法を囮にしたのだ。攻撃役はレメ。彼女の魔法ならば気付かれる事なく相手を斬る事が出来る。しかし感覚に優れた者には気付かれる恐れがあった。だからラルが帝国兵を引き付ける事で、より気付かれにくくしたのである。
これが予想以上の効果を上げた。兵士達は正体不明の攻撃に恐怖し、軽いパニックに陥っているようだった。
とは言え、危ない場面もあった。あの女兵士の攻撃が、ラルの分身に当たる所だったのだ。ラルの魔法は空間上に投影しているだけだ。だから触れればあっけなく通過する。そうなってしまえば、分身に実体がない事が気付かれてしまうだろう。そうして、いずれレメの存在に気付く恐れがあったのである。
「敵の大将を殺すのはどうだ? 上手く行けば相手は退散するはずだ」
と、ラルは提案した。
「……あの町で、私はその大将に危うく見つかりそうになったわ。あの男は危険よ。それに分かっているでしょう? 私たちの魔法は、一度ばれたら終わりなのよ。それよりも足止めに徹しましょう」
「仕方がないな……」
魔人の襲い方が変わった。
二人か三人ほど攻撃すると、すぐに消えるようになったのである。
シーカの俊足をもってしても、駆けつけた後はすでにいなくなった後だった。
いつ襲われるか分からぬ恐怖に、兵士達はみな怯えている。
しかし攻撃された兵士は死んではいない。ただこれ以上の戦闘への参加ができなくなったぐらいの怪我だ。
そうしてそれは、魔人が意図してやっているのは明白だった。治療すれば治る仲間を放置する道理はない。だが連れて行くと足手まといになるためそれはできない。治療する者と負傷者を同時に置いていけば、余計に一人は戦力を減らす事になる。
どうやら魔人のくせに頭を使うようだ。シーカは腹立たしく思う。
とは言え、先の戦争の経験もあって、グルンガルは戦力の低下を最小限にする方策を取った。それは傷病者を回収させるための馬車を、隊の後から着いて来させるという手法だった。少々我慢してもらう事になるが、これによって過度の低下を防げるようになるはずだ。
だが散発的に行われる襲撃に対処するために、どうしても進軍速度は遅くなってしまうし、兵士の士気やストレスが酷くなるばかりであった。
そこでグルンガルは、策を考え出したのである。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます