五十四 シーカ無双

 シーカ・エトレセの鎧は、必要最低限しかない。丈夫で軽い長袖のシャツとズボン、それから手袋。その上から、頭、胸、肩、肘、手、膝、足のみに装甲を付けているだけだ。それは戦場における速度を追求した結果だった。

 彼女が率いる突撃部隊の兵士達も同じように軽装である。そうしてこの突撃部隊こそが、グルンガル・ドルガの騎士隊が帝国最強と言われる所以でもある。また津村実花が訓練に参加したのも、この部隊であった。

「お前ら行くぞ!」シーカは己を叱責するが如く吠える。「帝国に我らあり! その事を魔人どもに知らせてやれ!」

 雄叫びが上がった。臆する者はこの部隊には誰一人いない。

 身体強化の魔法で速力を上げたシーカは、先陣を切って疾走する。兵士達もその後を続く。

 速い。

 壁の上にいる魔人達は、彼らが動いた事に気が付いた。しかし魔法砲撃部隊の攻撃への対応や、魔法防御部隊が壁を崩しているのを邪魔しなければならないため、なかなかそこまで手を回せない。それでも散発的にだが、攻撃を行う。

 だが彼らはてんでバラバラに動き、しかも速い。魔人達の少ない魔法攻撃を次々と回避していく。

 止まらない。

 そうこうしている内に、防御部隊は壁を開通させて中に侵入した。あらかじめ待ち構えていた魔人達は、一斉に魔法攻撃を敢行。

 帝国兵はその動きを読んでいた。間一髪の所で魔法の壁を展開し、相殺させる。防御隊形を取りながら、壁の穴の周囲を取り囲んで通路を確保する。

 帝国兵を倒そうと、接近戦に秀でた魔人達がじりじりと接近した。しかし盾と盾の隙間から、一メートル強の槍が飛び出して魔人達を突き刺した。先程まで帝国兵らに盾以外に武器を持っていたようには見えなかったが、その実、盾の裏側に槍を隠し持っていたのである。

 大きな盾で守りながら、隙間から槍を突き出して牽制する帝国兵を、魔人達はおいそれと手が出せない。離れた距離から魔法を放とうにも、消えてはすかさず張り直す魔法の壁と、ミスティル製の盾と鎧の前では効果が薄い。

 そこに一つの影が、守りを固める帝国兵の真上を一陣の風の如く飛び越えた。

 シーカだ。

 彼女は目についた魔人に目がけて落下。あらかじめ引き抜いていた細身の剣を、魔人の鎖骨と僧帽筋の間に刺し入れる。刃は寸分違わずに心臓を貫く。音もなく着地したシーカは、何事もなかったかのようにするりと剣を引き抜いた。

 ばっ、と赤い血が噴出。魔人は何が起きたのか分からぬ顔で、そのまま後ろへと倒れ込んだ。

 周囲に居た魔人達は、一瞬呆然としながらも、すぐさまシーカへと襲いかかった。丸太のように太い拳が彼女の顔面へ向かって放たれる。

 平然とした顔のままシーカは横へ半歩動いて拳を避け、そのまま一足動で相手の脇の下を深く切り裂いた。

「ぎゃあ!」

 脇の下を抑えながら悶える魔人。しかし出血は止まらない。

 魔人達が激昂するのが分かる。突如現れたこの女を、決して生かしてやるものか。

 だがここで壁の穴からさらなる帝国兵たちが雪崩れ込んだ。シーカ率いる突撃隊の面々である。彼らはようやく辿り着いたのだ。

 道をあける守護部隊。

 軽装の帝国兵達は、魔人達と交戦を始める。烈火の如き勢いで、次から次へと切り捨てる。

 その中でもやはりシーカは別格だった。

 彼女は細かく動き回りながら、魔人達の急所を的確に切り裂いていく。

 副団長が女性。ただそれだけの事で彼女は様々な事を周囲から言われ続けて来た。お飾りなのだろう。その身体で籠絡したのだろう。偉大な団長も所詮は男。女の色香には敵わない。

 シーカ自身の事は構わない。魔法専門として軍に入る女性は多いが、接近戦専門として軍に入るのはごく少数だ。その事を良く思わない男共は数多い。だがそんなことはこの道で生きると決めた時から言われ続けた事で、今更どうも思わない。しかし団長の事を悪く言うのは許せない。

 だからシーカは努力した。剣の腕を磨きに磨いた。鎧ごと身体を壊せる力はないから、鎧と鎧の隙間にある急所を、乱戦の中でも狙いを外さないように切り裂く正確な剣捌きを身につけた。そのためには重たい鎧は足枷でしかない。だから最低限にまで軽くして俊敏になった。けれど今度は一撃一撃が致命傷になり得るから、当たらないように足捌きを徹底して鍛え上げた。

 その結果、騎士団の中ではグルンガルの次の実力を持つ事に至ったのである。

 シーカが実花の事を気に食わないのは、血反吐を吐くような努力して身につけた力を、たった一つの才能だけで軽々と超えてしまったからだ。

 馬鹿馬鹿しいと思う。これはただの嫉妬だ。でもあの力がないからこそ、シーカは今この場所にいられることができる。

 四方八方から魔人達が襲いかかってくる。長い爪で引き裂こうとする者。鋭い牙で噛み付こうとする者。どれもこれも一撃で人を殺せる威力がある。

 それらをシーカはまるで踊りを踊るように回避しながら、芸術的なまでに美しい軌道で魔人達の急所を斬った。

 こいつらは簡単だ。己の才能に胡座をかいて鎧を着ていない。ヒカ大陸での戦争時、つねに肘や膝や首などの、鎧の隙間から僅かに露出した急所を斬って来たシーカにとって、無防備な相手は狙い放題なのだ。

 シーカを止められる者は今この場に誰もいない。


 突撃部隊が侵入して、一時間ほどの時間が経過した。

 全身を返り血で赤く染めたシーカは、荒く呼吸を繰り返しながら周囲を見回す。

 動いている魔人兵はもはや確認できない。建物を一軒一軒確認するまで安心は出来ないが、戦闘は終了したと考えていいだろう。

 シーカは手近に居た帝国兵を呼ぶと、グルンガルを呼ぶように指示を出した。

 それにしても、とシーカは考える。思ったよりも手応えがなかった。当初の推測ではもっと沢山の魔人がいたはずだ。

 どうやら一部をここに置いて、大半はすでに逃げ出していたのだろう。

 とは言え、その事は今はどうでも良かった。とにかく今は、べたつくような忌まわしい魔人の血を洗い流してしまいたかったのだった。




 街道を歩いていく寡黙な集団があった。

 彼らの多くは魔人兵である。シーカの推察通り、すでに逃げ出していたのだ。

 ズンガの跡を継いで臨時の将となったのは、中央にて歩を進めているウルガ。全身にびっしりとした灰色の体毛が生え、頭部は狼に似ている。両手足の爪は鋭く、口からは大きな牙が生えていた。さしずめ狼男と言えばいいのだろうか。だが地球の伝説と違い、ウルガの場合は満月でなくともこの姿であり、同時にこれが彼の魔法でもあった。

 ウルガの側を歩いているのはベルである。相変わらず表情は乏しく、一見して何を考えているのか分からない。

 魔人以外に逃げている者達もいる。解放された元奴隷達だ。男も女も少年も少女もいる。また貴族や、普通の民衆も混じっていた。マ国側が勝つと考えている者や、帝国を良く思っていない者達であろう。あるいは他の様々な理由によってマ国側に付いているのだ。

 ウルガは町に残して来た魔人達の事を想う。

 彼らは自ら志願してあの町に残った。帝国が攻めて来ても、追っ手がこちらに来ないようにするためなのだという。ウルガと魔王は当然反対したが、熱烈な意志を持った彼らを考え直させることはできなかった。もしも帝国が攻めてくるとしたら、相手は恐らくグルンガルの騎士団。帝国最強だと胡麻を擦って来た貴族が自分から教えてくれたのだ。それが本当ならば、いくら魔人が強いといっても圧倒的な人数差の前では為す術もないに違いない。そうしてその事は、当然ながら彼らも分かっているはずだった。

 もちろん逃げ出さずに全員で帝国兵と戦う道もあった。しかし多くの仲間は未だ失意の中にある。ウルガ自身もまたその一人だと言う自覚がある。このような状態の中で帝国と戦うのは無謀だろう。それがツァルケェルの判断だった。

 ふと気付けば、ペルがウルガを見上げている。まるでウルガの不安を察しているかのようだった。

 ウルガは誤摩化すようにペルの頭を乱暴に撫で付けた。ペルは頭を押さえつけながら一歩逃げて、今の行動について抗議するような視線を上目遣いで送る。

 今重要なのは、足止めのために残った仲間達の覚悟を決して無駄にしない事だ。

 ウルガは前を見据えて足を動かす。援軍と、マ王様が来るまでの我慢だ。だがその時が来れば、全ての鬱憤を晴らしてしまえばいい。今はその時まで待て。ウルガはそう自分に言い聞かせた。




 町の中は静かだった。

 帝国兵達は複数のグループに分かれて、建物の調査を行っている。

 門のすぐそばでシーカの所見を聞いたグルンガルは、ゆっくりと頷いた。

「……ふむ。恐らくそれで間違いないだろう」とグルンガルは言う。「とすれば、魔人達が向かう場所は港に間違いない。そこで援軍を待つはずだ」

「ならばどうなされますか?」

 シーカに問われたグルンガルは、顎に手を当てて思案した。

 海の向こう側から援軍がやってくるのは時間がかかる。すぐに来れるはずがない。だが前もって決まっており、すでに出発していた場合、すぐそこまで来ている可能性もある。とは言え、それならいくら士気が低下しているとしても、徹底して篭城し時間を稼ぎ、合流を待つだろう。いくら戦慣れしていない魔人達と言っても、それぐらいは考えるはずだ。グルンガルは決断した。

「……調査が終わり次第、追うぞ」

「は」

 返事をしたシーカは早速、調査に加わるために走っていく。

 見送ったグルンガルは、不意に、かさりと微かな音を背後に聞いた。振り返るも、そこには壁があるばかりで何もいない。

 気のせいか。そう判断したグルンガルは、町の中央へ向かって歩んでいくのだった。


 危ない所だった。

 女の魔人、レメは、ほうと息を吐いた。

 彼女は、先程グルンガルが視線を向けた壁に張り付いていたのである。

 気付かれなかったのは、彼女の全身と着ている衣服までもが、周囲の色と同じ色となっていたからだ。地球のカメレオンと同等、いやそれ以上の擬態である。もちろん、この擬態こそがレメの魔法であるのは疑いようもない。欠点は、魔法を解除できないから、常に周囲の色の中に埋没してしまう点だろう。おかげで近くにいても気付かれにくい。

 レメはそのまま壁伝いに歩き、壁の穴から抜け出た。

 見張りの兵に気付かれぬように、足音を立てずに町から離れると、一目散に走り始めた。

 もうすぐ帝国兵が先に逃げたウルガ達を追う。追っ手がかかっていることを、早く伝えなければならない。

 それでも幾ばくかの緊張感から解放されたのか、次から次へと殺されていく仲間たちの姿が脳裏に浮かんだ。

 本当は、レメも戦い、死ぬつもりであった。しかし同じように残った仲間達に、レメにはウルガにこの事を伝えなければならない役目がある、そう説得されたのだ。渋々納得したレメは、物陰に隠れて事の一部始終を見るはめになった。戦えるのに戦えない。何もせずに仲間達の死を見続ける状況は、ただただ辛く苦しかった。

 気付けば、大粒の涙が目からこぼれ落ちて、背後へと流れていく。

 手で涙を拭う。今は一刻を争う状況だ。泣いている場合じゃない。

 レメは力の限り走り続ける。もっと速く走れれば良かったのに。もっと強ければ良かったのに。今更悔やんでも仕方ない事だ。でもそう思わざる得ない。

 息が苦しくなって来た。足が思うように上がらない。疲労が確実に身体を蝕んでくる。

 だけど、マ王ツァルケェルは魔人達に夢を与えてくれた。その夢を叶えるために、みんなが集まって、死を恐れずに帝国と戦争している。凄い事だとレメは思う。

 少し前まではこんな所にいるだなんて少しも考えた事がなかった。ツァルケェルが現れる前までは、誰かのために命を投げ捨てる魔人なんて、レメが知っている限りは一人もいなかった。

 それが今や、仲間のためや、魔人の夢のためになるのなら、自らの命を犠牲にする。それは無論レメ自身にも言える事だった。

 あまりに劇的な変化。

 それをもたらせたのは、紛れもなくツァルケェルだ。

 彼ならできる。夢が叶う。レメはそう信じていたし、足止めをして死んだ仲間達もそうだろう。ズンガもまた夢のために戦って死んだ。

 だから、レメは足に力を込める。

 ごく普通の人間の男性と女性から産まれた魔人であるレメは、両親と同じ人間なのだと宣言できる未来のために、走り続けるのだった。

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