五十三 大聖堂ミカルト

 帝都グラウにある大聖堂ミカルト。ニーゼ教の総本山である。

 遥か大昔に、悪しき魔人にそそのかされながらも、その身命を賭けて神の信仰を守り切ったと言う大賢者ミカルトが名前の由来だ。

 この大聖堂で働ける事は、全ての聖職者にとって、神の寵愛を受けるが如く光栄な事である。

 街道沿いにある旅人のための教会で働いていたシニャもまた例外でなかった。彼女は、かつて流行した奇怪な病を患った人々に対する骨身を削るような献身を評価されて、ミカルトに移って働いていた。

 身に余る栄誉だと、忙しく働きながらシニャは思う。神に仕える者として、ただただ当たり前の事を当たり前にこなしてきただけだったのだから。もちろんそれが評価されるのはとても嬉しい事なのだけれど、本当に評価されるべき人物は他にいる。それは、奇病をあっという間に魔法で治してしまった一人の少女、ユリエだ。

 だけれども、シニャは教会から口止めをされていた。ユリエと、それから一緒に教会に訪れた少年、ミノルの事は他言無用なのだと言う。どうしてなのでしょう、と尋ねると、あの二人は魔人だったのだと言われて驚愕した。

 魔人。邪悪そのものの存在。聖典にも神に背く悪しき者だと書かれている。けれどシニャがあの二人から受けた印象は、それとは真逆であった。とても邪悪な存在とは思えない。その事をシニャは恐る恐る伝えた。すると、それが奴らの狡猾な手なのです、と言う答えが返って来た。

 ならばあの二人は魔人なのだろう。つまりシニャの事を騙していた事になる。由々しき事だ。怒りを沸き立たせる事がシスターとしての正しい姿に違いない。

 しかしシニャは不思議と怒りを覚えなかった。もちろん魔人は悪であるし、滅びるべきだとも思う。今回の戦争も到底許せるものではない。だけどあの二人は、魔人だと聞かされた後でもそんなに悪い存在には思えなかった。もしかしたら、例外的に善良な魔人なのかもしれない。

 背信的な考えだとシニャ自身思っている。なにしろ聖典には、魔人はすべからず悪であるという記述がある。だから、例外はいない。善の魔人はいない。あの二人はやはり邪悪なのだと言う帰結に至る。そうして、やはり怒りは湧いて来なくて、堂々巡りの思考に陥った。

 またも自らの信仰に対する試練なのかもしれないと、シニャは考える。聖職者としてさらなる躍進に繋がるか、あるいはシスター失格となって天罰が下るか。その分水嶺に立っているのではないか。

 とは言えそうした悩み事は、大聖堂ミカルトで目が回るほどの忙しい仕事をこなしていたら、自然とどこかに行ってしまった。前の教会では一人で殆ど全てをしていたけれど、ここではもちろん他にも何人もいる。それでも人手が足りないと感じるほど、傷病者の数が多いのだ。さすがは帝都と言った所だろうか。人口の数が尋常ではない。

 そうして、忙殺される日々を送る中、屈強な魔人を倒した英雄がここにやってくることとなった。何でも小さな女の子らしく、大聖堂は彼女を聖女候補にしているらしい。邪悪な魔人を駆除した功績が評価されたのだろう。

 みんなが浮き足立っているのが分かる。帝王が認めた英雄であり、聖女候補でもある少女を間近に見られる機会はそうそうないからだ。英雄凱旋のパレードの当日、あいにくシニャは仕事で見れなかったけれど、たまたま休日と被った先輩などは既にその顔を拝見したようで、なんでも、とても神秘的な出で立ちで、聖女としてふさわしいとの事だった。だから余計にみんなが浮かれているに違いない。もちろんシニャ自身も、そうした気持ちを否定する事が出来ないのであった。

 いつものように複数のベッドが並んだ部屋で、シニャが傷病者の看護をしていると、扉を二、三度叩く音が聞こえて来た。

「はい」

 と言いながらシニャが扉を開けると、四人の女性が立っていた。一番前に立っているのは、修道女を統括する役目を負うルアメ。その後ろにいるのは、この帝都にいるならば知らぬ者はいない人物、メメルカ・ノスト・アスセラス。続いて見た事のない服を来た黒髪黒目の少女と、メイド姿で青い髪をツインテールにした少女が立っている。

 シニャはすぐに理解した。黒髪黒目の少女こそが、聖女候補の英雄なのだと。そうして同時に、あの奇病を治療したユリエもまた、黒髪に黒目をしていた事を思い出す。

「今は大丈夫ですか、シニャ? この方々に少し見学をさせて欲しいのです」

 ルアメは小首を傾げて尋ねた。

「あ、は、はい。大丈夫です」

 黒髪の少女に見入っていたシニャは、慌てて返事をして道をあける。礼をしながら、ルアメ達を迎え入れた。

「忙しい所を、申し訳ありません」

 メメルカは済まなさそうに頭を下げた。後ろにいる二人も、続いて頭を下げる。

「い、いえ! そんなことは!」メメルカの殊勝な態度に思わずシニャは面食らった。「こちらこそメメルカ様とお会いできて光景でございますっ!」

 その後メメルカ達は、ベッドの上に横たわっている患者達に一人一人声を掛けながら回っていく。みんな感激した様子だった。

 シニャは聖女候補の少女を目で追いながら、話しかけたいと思った。もしかしたら、ユリエの事を何か知っているのかもしれない。だけど、その事を聞く事は教会から禁じられているから、できるはずがないのだ。

 結局シニャは、声をかける事ができないまま、メメルカ達の事を見送る事しかできなかった。


 津村実花は、メメルカとルアメの案内で、大聖堂ミカルトの中を回っていく。

 所々に飾ってある彫刻や絵画は、グラウノスト帝国の国教であるニーゼ教の神話や伝説などをテーマにしているのだとルアメが説明してくれた。

 この世界が誕生した時のお話も聞かせてもらえたけれど、地球にある神話やお伽話が合体したような内容なのが、何だか不思議だった。考える事はみんな同じなんだということなのだろうか。でもここはファンタジーな世界だ。だから神様がいてもおかしくないと実花は思う。

 教会は病院や教育機関も兼ねていて、病室や教室もあった。ここは民衆にとって、なくてはならない場所なのだ。

 そうして最終的に案内されたのは、巨大な円卓が大半を占める部屋だった。幾つもの立派な椅子が円卓を囲うように並べられて、大仰な修道服を纏った男女が座っている。ニーゼ教において重要な地位に就いた人たちなのは間違いがない。

「みなさま」と、メメルカは言う。「こちらが、英雄ツムラミカ様でございます」

 おお、と言う複数の沸き立つ声が、部屋の中で上がった。

 その中でも最も年老いた男が、杖で身体を支えながら立ち上がる。

「お初にお目にかかります、英雄様。恐れながら大司教を務めさせて頂いておりますジージと申します。以後、お見知り置きを」

「津村実花と言います。よろしくお願いします」

「貴女様の黒い目に、黒い髪。この辺りでは見た事のない色ですが、とても神秘的で美しいですね。失礼ですが、ご出身はどちらで?」

「……私がいた場所は、ヒカ大陸から遠く離れた名も無き小さな島でございます。この度、かの悪しき魔人達が私たち人間に牙を立てたと行商人から聞きつけて、居ても立ってもいられなくなり、グラウノスト帝国に馳せ参じました」

 事前に覚えさせられた通りに、実花は答えた。違う世界から来た、と言うのはもちろん秘密である。下手をすれば、魔人のように邪悪な存在と言う烙印を押される可能性があると、メメルカが言っていた。

「なんと」ジージは驚いてみせた。「それは大変素晴らしい事です。かの魔人達には、我々も困っていた所。今回の戦争は、後々神に対する反逆に繋がっていると我々は考えております。しかしながら、貴女様のような方がいらっしゃるのならば、我らが神も安心されている事でしょう」

「勿体なきお言葉です。私のような若輩者程度の力など、たかが知れていると言うもの。今回私が上げた戦果は、仲間達の支えが合ったからに他ありません。真の英雄は彼らにこそふさわしいと思います」

「謙遜をなさるな。貴女様はそれだけのことをしたまでのこと。我々としても、大いに期待しているのですよ」

「……ありがとうございます」

 それから幾つかの質問を実花は受けた。そうして、これらもまた、メメルカが事前に用意していた答えをただ話すだけだった。


 メメルカの別邸の部屋に、実花は帰って来ていた。

「これは凄い事ですよ、ミカ様!」メメルカが部屋から出て行くのを見送ったネルカは、とても興奮しながら嬉しそうに話す。「大聖堂ミカルトに呼ばれるだなんて! しかも、大司教様とお会いして、お話もできるだなんて!」

「そ、そうなのかな、ネルカさん」

「そうなんですよ! ミカ様! きっとミカ様を聖女様に認定するつもりなんです!」

「せ、聖女様?」

「聖女様と言うのは、女性にのみ認定されるとても名誉ある称号なんです。もしもミカ様が聖女様になることができれば、英雄と聖女の二つの称号が得る事が出来るんです。これはきっと初めてのことですよ!」一息に喋ったネルカは、それから神妙な顔付きになって続ける。「……それに、そうなればミカ様のお名前はより広がると思うんです。お兄様もきっと、どこかでミカ様の事を知る事ができるはずです」

「そっか……そうなれば、いいな」

「はい、きっとそうなります!」




 数日が経過した。

 グルンガル・ドルガ率いる軍勢が、かつて実花が岩の魔人を討ち取った城塞都市を取り囲んでいる。

 敵の将を倒した事により、相手の士気を低下させ、軍としてのまとまりが喪失しているであろう今こそが、攻めるべき好機であるからだ。無論今は別の魔人が代わりの将を務めているだろうが、それでも以前の魔人よりも、能力や人望が劣っているのは間違いないだろう。

 町の壁の上にはずらりと魔人が並び、実花が開けた壁の穴には石が積み上げられている。

 グルンガルは騎乗していた獣から降り立って、じっと町を観察した。

 腐っても相手は魔人。油断は禁物である。それに立て篭った相手はじっくりと攻略していくのが基本だ。

 とは言え、マ国から援軍が送られてくる恐れがある。となれば長い時間をかけるわけにはいかない。

「団長様」副団長のシーカ・エトレセがグルンガルの横に立った。「準備は完了しました。いつでもいけます」

「そうか」

 グルンガルは前を見据えたままそう言うと、鞘から剣を引き抜いて天に向けて掲げた。次に全兵員に聞こえるように、拡声魔法を発動する。

「総員傾注! 我々は、今も魔人に虐げられる民を解放せねばならぬ。よって今回の戦は勝利のみが絶対条件! 我々の怒りを魔人どもに見せつけてくれようぞ!」

 兵達の雄叫びが上がる。士気は十分だ。グルンガルは続けて命令を下す。

「魔法防御部隊、進軍開始!」

 軍の最も前方に位置している魔法防御部隊。彼らは全身を強固な鎧で覆い、二メートルもの大盾を手に、がちゃがちゃと音を立てながら一糸乱れずに進み始める。

 帝国軍の動きに気付いた壁の上にいる魔人達は、一斉にそれぞれの魔法を撃ち放った。

 すかさず部隊長の指示で、防御部隊の兵士達は魔法の壁を張り巡らせる。その数瞬後には魔人の魔法とぶつかり合った。だがさすがに実花の魔法とは違い、魔法の壁はたった一度の衝突で消失。大半の魔法攻撃を防ぐ事ができたが、壁で相殺できなかった分が兵士達に襲いかかった。

 しかしすでに前列はあらかじめ大盾を前に突き出し、後列は前の兵士の頭の上に盾を掲げている。そこに魔人の魔法が降り注いだ。

 激しい音が鳴り響き、土埃が舞った。だがそれだけだった。兵士達に負傷者は誰一人いない。

 魔人達は驚きの声を上げる。当然だろう。彼らの魔法を完全に防ぐ事が出来たのは、今までではツムラミカという規格外のただ一人のみ。

 無論、普通の装備ではこうは行かなかったに違いない。彼らの鎧や盾は、対魔力に特化したミスティルを使用して作られていたのだ。非常に高価で、かつ加工に手間がかかるため、これまでの戦いには間に合わせる事が出来なかった。この装備を整える事が出来たのも、今回の出撃が決定した理由の一つである。

 防御部隊は防御隊形を維持しながら、ゆっくりとした進軍を再開させると、再び魔人達が魔法を放ち始める。だが結果は同じだ。

「魔法砲撃部隊、放て」

 グルンガルが命じると、あらかじめ準備していた兵士達が、拳大の魔力砲弾を一斉に放った。防御部隊に集中していた魔人達は、この攻撃をまともに喰らって悲鳴を上げる。死者も出ているようだ。

 この戦術は、実花達がズンガを倒すために行った方法の応用である。とは言え、さすがのグルンガルも、まさか彼らが同じ轍を踏むとは思わなかったが。それもこれも、実花の魔法が例外過ぎるが故に、同じような状況は彼女以外には作れないと魔人達が油断していたせいもあるだろう。

「団長様」目の前の光景を、眉一つ動かさずに眺めていたシーカは尋ねる。「今回の戦い、王女殿下の申し出を受けなくても良かったのですか?」

 帝都グラウを出立する間際、メメルカが、実花や親衛隊の三人を加えないかと提案したのだ。だがグルンガルは、わずかに考えた末に丁重に断ったのである。

「ああ。今回は英雄抜きで戦う必要があった。帝国は連敗続きで、士気が低下していた。そこでツムラミカ様が勝利し、僅かに回復したがそれではまだ足りない。英雄抜きでも、我らが軍隊は強い。魔人を倒せるのだという事を示さなければ、肝心の兵士達の士気が上向かない」

「なるほど、そういうお考えでしたか」

 魔人達は、帝国兵の魔法攻撃に対応し始めた。防御部隊への攻撃を減らし、帝国兵の魔力砲弾に魔法をぶつけ出したのだ。

 魔法攻撃が減少し、速度を少し上げた防御部隊は無事に実花が破った壁に到達し、積まれた石を取り除き始めた。

 その様子を見て取ったグルンガルは言う。

「シーカ。そろそろ出番だ。準備は良いか?」

「いつでも」

 シーカの口角が上がった。

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