五十二 英雄

 パレードの終点は、美しい白亜の城、グラウ城だった。

 馬車に乗りながら城門をくぐった津村実花は、同乗していたメメルカ・ノスト・アスセラスに連れられて城の中に入った。

 そのままメメルカの先導で歩いていくと、大きな扉の前に来た。促されるまま中に入る。そこは長方形の広い部屋で、床には上品な赤色の絨毯が奥まで広げてあり、両脇をいかにも高価そうな服を着込んだ人たちで固めてあった。さらに奥には、立派な椅子に座る一人の男がいる。男は気怠そうに頬杖を着いて、やけに鋭利な視線で実花の事を観察している。

「あの方が私の父」と、メメルカは実花にだけ聞こえるように呟いた。「帝王、オルメル・ノスト・アスセラス三世。とりあえず、私の真似をして下さい」

 帝王の玉座の前まで近づくと、メメルカは片膝を突いて頭を垂れた。実花も同じようにする。

「貴様がツムラミカか。面を上げよ」

 威圧的な声でオルメルは言った。

「……はい」

 返事をした実花は、緊張した面持ちで顔を上げる。

「岩の魔人を殺したと言うのは本当か」

「……本当です」

「詳しく聞かせてみろ」

 実花は思い出しながら話すと、おおっ、という驚きに満ちた声が周囲から聞こえて来た。

「なるほどな。どれ、貴様が使ったと言う魔法を見せてみろ」

 オルメルの指示を聞いた実花は、メメルカを見た。王女はこくりと頷くと、立ち上がって数歩離れる。

 続いて実花も立ち上がった。そうして唱える。

「ホルト」

 魔法の壁が周囲に張り巡らされた。

「ふむ。見ただけでは大した魔法には見えぬな。試してやろう」

 そう言って立ち上がったオルメルは、玉座の裏から剣を引き抜いた。両刃の刃は真っ直ぐで、刃渡りは腕の長さと同じぐらいである。帝王は実花に近づく事なく剣を大上段に構え、刃に魔力を纏わせ始めた。

 集まっていた大臣や貴族達は、ごくりと生唾を飲み込んだ。帝国最強の剣士は騎士団長のグルンガル・ドルガで間違いない。それは彼が一度も負けた事がないという事実に由来している。しかし最も強大な一撃を放てるのは、帝王オルメルなのだとみながこぞって言う。グルンガルですら、あの雷を纏わせた一撃を持ってしても帝王の一撃には敵わないと評しているのである。また帝王が帝都よりほど近い所にある岩山を一刀両断にした話は有名だ。もっともその岩山は、数年前に現れた二人組の魔人を倒すために一部を倒壊させたので、現在は立ち入り禁止となっている。

「お父様」

 と、メメルカが口を挟んだ。見物している者たちは、みなほっと安堵した。いかに王女殿下に見初められた将来有望な少女であるといっても、あの帝王の一撃を防ぎ切る事などできようはずがない。むざむざ死なすだけである。それに何と言っても、目の前で少女が殺される所を見たいと思うはずがない。王女殿下ならきっとお止めになられる、そう臣下たちは思った。

 しかし、

「お父様が本気の一撃を繰り出してしまえば、この城が壊れてしまいます。本気を出されるのであれば、帝都より外に出る必要がありましょう」

 あろうことか、外に出てやれと言うとは思わなかった貴族や大臣達は面食らった。まさか本当に死なない自信があるのだろうか。あるいは死んでも構わないとでも思っているのだろうか。

「案ずるな、娘よ。城が壊れぬよう加減する。外に出る必要はない。だが、防げなければ死ぬだろうがな」

「安心しました、お父様。存分に剣をお振るいください」

 メメルカは恐ろしくも美しい微笑を讃えて一歩下がった。

 オルメルはにやりと笑い、剣に込めた魔力を増大させていく。剣は魔力の光で輝いた。

 ちりちりとした圧力が場を支配している。声を発する者はもういない。周囲を取り囲んでいる人たちは、ただただ顛末を見届ける他にない。この場を止められる者はいないのだ。逆らえば自らの命が危うくなる。そうして誰も、少女のために命を賭けようとする者はいなかった。

 剣に乗せられた魔力の塊は、長大な剣の形に形成されていく。

「いくぞ」

 頃合いを見計らったオルメルは、実花に向けて剣を振り下ろす。魔力の剣は伸び上がり、実花の魔法の壁と激突した。

 魔力の光が周囲を埋め尽くし、剣圧で風が巻き起こる。衝撃がメメルカの肌に伝わって、びりびりとした空気の震えを感じ取った。

 正に恐るべき一撃。帝国一と評されるだけはある。しかもこれで手加減をしているのである。

 見守る人々の脳裏に浮かぶのは、二つに分断された実花の細い身体と、溢れる血の海。

 しかし真っ先に口を開けたのはオルメルだった。

「見事」

 にやりと不敵な笑みさえ浮かべている。

 人々は実花に注目した。そこにいたのは、五体満足の少女である。実花の魔法は、オルメルの一撃を難なく防いでみせたのだ。

 感嘆とした声が場内で沸き起こった。あまりに凄まじき魔法。これならメメルカが止めなかったのも頷ける。彼女の慧眼もまた素晴らしい。さすがは帝王の娘。

「貴様なら魔人どもにも引けを取らぬであろう。正に英雄の名にふさわしい」

 そう言ってオルメルは、剣を床に突き立てて拍手を始める。貴族も大臣もそれに追随する。メメルカも惜しみなく拍手している。

 こんなにも拍手されるのは実花の人生の中で初めてだったけれども、複雑な気分だった。それでもメメルカが、賞賛に答えろと、目配せで命令してくる。

 実花は帝王に礼をして、それから周囲の人たちにも頭を下げた。メルセルウストにはない作法。だが黒髪に黒い瞳と言う出で立ちはきっと異国の人間に違いない。だからその国の作法なのだと貴族達は勝手に理解していた。




 実花の謁見が終わり、キルベルはメメルカに呼び出された。王女殿下の部屋の扉をノックして自分の名前を告げると、すぐに入るように声がかかった。

 キルベルが中に入ると、メメルカが自分の椅子に腰掛けてこちらを見ている。傍らには初老の男が立っていた。痩せ気味の体型で、猫背のためかやや前のめりになっている。短い白髪の髪に反して、あご髭が小指ほどの長さまで伸びていた。一見穏やかそうな顔付きだが、その目は細く、鋭さがある男だ。

「メメルカ様、こちらの方は?」

 と、キルベルは尋ねた。

「紹介致しますわ。彼の名前はエフス・ドフトル様。あのガーガベルトの大冒険を執筆した者です」

 エフスはにんまりと笑って、軽く頭を下げる。

「彼が……? ではガーガベルトという人物は、創作だったのですか?」

「いえ、実在の人物です」と、エフスが答える。「ただ面白くなかったのですよ。物語としても、帝国としても。そこで儂が、脚色しました。九割か、八割ぐらい書き直しましたかね」

「……なるほど」キルベルは理解した。「そういう事でしたか」

「彼の脚色はとても胸に迫ったでしょう? 彼はそう言う事が得意なんです」

 メメルカは微笑した。悪魔的とも言える美しさだった。

「ええ、実に素晴らしい出来でした。それでメメルカ様、私を呼んだのはどういった用件なのでしょうか?」

「うふ、意地悪な方ですね。あなた様はすでに分かっているのでしょう?」

「では、やはり……、ツムラミカ様の英雄譚。その執筆について、ですか?」

「さすがでごさいます、キルベル様。あなた様には、彼に助言を与えて頂きたいのです」

「……かしこまりました。王女殿下。微力ながら、協力させていただきます」

「期待していますわ。あなた方ならきっと素晴らしい英雄譚が出来上がると信じております」




 実花とネルカは、メメルカの私邸にある部屋に戻っていた。

「ふう」

 ため息を吐きながら実花はベッドの上に腰掛ける。ふんわりとした弾力が、彼女の小さな身体を受け止めた。

「お疲れさまでした、ミカ様」

「うん。ネルカさんこそ、お疲れさま」

 そう言った実花の手は、小刻みに震えている。馬車の中でも同じように震えていたのを思い出したネルカは、

「大丈夫ですか?」

 と聞いた。

「私……魔人を殺した……三人も殺したの……。すごくあっけなく、死んじゃったよ」ぽつり、ぽつりと、実花は話す。「魔人は、人間みたいだった……。外見は違っていたけど、でも、すごく、似てた」

「……大丈夫です、ミカ様」ネルカは実花を抱きしめる。「魔人は人間ではありません。化け物です。それもとても邪悪な……化け物なんです。だから、殺しても大丈夫なんです」

「本当なのかな? 魔人って本当に邪悪な化け物なのかな? ……初めて魔人を見たけど……私にはそうは思えないよ……」

「それがあいつらの手です。ミカ様。そうやって人を騙し、油断させる。そういう卑怯な手を彼らは平気で使うんです。ほら、ガーガベルトの大冒険にもそう書いてあったじゃないですか」

 確かに書いてあった。でも、はたしてそれは本当の事なのだろうか。実花にはどうにも疑問だった。しかしその事を尋ねてもきっと無駄だろう。何しろ多くの人は、本に書かれている事を本当の事だと信じている節がある。

「ありがとうネルカさん。私はもう大丈夫だから」

 それに本に書かれていた事が嘘だったとして、それが何になるのだろう。どちらにしろお兄ちゃんを探すためにもっともっと有名にならなければならない。もっともっと魔人を殺さなければならない。

 私はきっと地獄に堕ちるだろうな、と実花は思った。


 


 土の地面の上に実花は立っている。右手に剣を持ち、服装はセーラー服。

 周囲を魔人達が取り囲んでいる。彼らは鬼気迫る表情で実花を睨んでいたかと思うと、一斉に襲いかかって来た。

 実花は合い言葉を唱えて魔法の壁を発動し、魔人達の攻撃を防ぐ。あまりに強固な壁に驚く魔人達。その隙を実花は突いた。

 魔法を解除して、手近にいた魔人の懐に入り込むと、剣で首筋を斬りつける。上手く動脈を断てたのか、血が噴水みたいに吹き出した。

 魔人達は怯みを見せたがすぐに取り直し、再び攻撃を繰り出してくる。実花は絶妙なタイミングで魔法を使って受け止めた。

 それから前へ小さく飛ぶと、壁に押された魔人が後ろに転倒。実花は壁を取り消して、剣を倒れた魔人の頭部に突き刺す。

 斬って、防いで、斬って。

 いつの間にか、魔人達の死骸で地面は埋め尽くされていた。セーラー服は真っ赤に染まっている。

 屍山血河。

 今目の前に広がっている風景の事を、きっとそのように言うのだろう。

 しかし実花は気にせずに、魔人の屍で出来た道を歩く。時折躍り掛かってくる魔人達を惨殺し、更なる道を生み出した。

 そうやって進んでいくと、いつの間にか魔人がいなくなり、視界の先に一人の少年らしき黒い影が立っていることに気が付いた。どこか見覚えのある影の形だった。

 あれが、マ王だ。魔人達の総大将。グラウノスト帝国の敵。

 少年はじっとこちらを見ている。

 しかしこの懐かしい眼差しは、果たして本当に恐るべきマ王なのだろうか。

 実花は考え直した。あれは、マ王じゃない。あれは、あの少年は……。

 私の……。


 そうして、実花は目を覚ました。

 酷い夢を見ていた気がするが、何も覚えていない。一体どんな夢だったのだろうか。気になるけれど、思い出せないのは仕方がない。

 実花は、んー、と背筋を伸ばした。

 今日は一日お休みだ。

 さてどうしようかな。そう考えながら、実花はネルカを呼んだ。

 とりあえずは着替えと腹ごなし。

 今日の過ごし方は、これから考えよう。

 扉が開いてネルカが入ってくる。昨日の落ち込んだ姿から立ち直って、元気になった姿を見ても貰わないと。

 もちろん空元気だけれど、大丈夫だ。そういうのは得意なのだから。

 実花は笑顔を浮かべて挨拶する。

「おはよう、ネルカさん」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る