五十一 パレード

 大将であるズンガを討ち取られた魔人達は、追っ手を出す気力が無くなっていた。おかげで津村実花達は楽に逃げ出す事が出来た。

 獣に引かれている馬車は、行きよりはのんびりとした速度で走っている。随伴するゴーガの獣も、特に急いでいる様子はない。

 馬車の中は相変わらず静かだ。

 実花は手の震えを抑える事が出来ないでいる。瞼には、実花の魔法で魔人達が死ぬ瞬間の映像が焼き付いていた。けれど表面上は平気な顔をして、窓の外を眺めている。

 ネルカはそっと手を伸ばして、実花の手と重ねてみた。彼女の震えが伝わってくる。

「彼女、本当に凄かったのよ」

 ずっと黙っていたレゾッテが、笑みを浮かべて言った。

「ツムラミカ様が、ですか?」

「そうよ」

 そうしてレゾッテは、実花の活躍を語り始めた。

 ネルカは興味深く聞いていた。けれど実花は無言を貫いていて、それが何だか、ネルカは心配だった。


 ベネトの町に着いた。今日はここで泊まるのだと、レゾッテは言う。

 キルベルの先導で町を歩く。帝都には劣るが、町は活気に溢れて騒がしい。実花にとっては目新しい物ばかりのはずだけれど、彼女は終始何も喋らない。それどころか行方不明の兄の姿すら探さないのはどういう事なのだろうと、ネルカは不安になる。

 キルベルが選んだ宿は、小さいが、隅から隅まで丁寧に掃除されていてとても綺麗だった。安い宿は部屋の隅に多足の虫の巣が作られていたり、埃っぽかったりするのだから、この宿はどうやらそこそこの質があるらしい。

 男部屋と女部屋の二部屋を取って荷物を置くと、宿の外に集合した。

「料理のおいしい店を知っている」

 晩飯はそこで食べようと、ゴーガは提案した。

 特に反対意見は出て来ない。ゴーガの案内に従って向かった。

 看板には手書きでメーガスト食堂と書かれている。ここが目当ての店なのだとゴーガは紹介した。

 客は多いようで、中から酔客が騒ぐ声が聞こえてくる。

「入るぞ」

 そう言ってゴーガは、迷う事なく扉を開けた。からん、ころん。扉に取り付けられていた鈴が鳴り響いた。

「いらっしゃいませっ!」

 威勢の良い女性の声が、二人分重なって聞こえた。

 中程まで歩いた五人は、ちょうど空いている木製テーブルの席に着く。それからすぐに、子供のような体型の女性、シシリアがメニューを持って現れた。

「文字は読めますか?」

 と彼女は聞いて来た。現代日本では有り得ない対応だが、識字率があまり高くないこの国では当然の配慮とも言える。

「大丈夫よ」

 レッゾテが答えた。

「お決まりになられたらお呼びください」

 そう言いながら、シシリアは間近にいた実花にメニューを渡す。

「はい」

 返事をして実花はメニューを手に取ると、目の前の店員の視線を感じた。彼女はじーと実花の事を見つめている。怪訝そうに実花が見返すと、シシリアは、

「あなたと同じ黒い髪と瞳の子が、昔このお店で働いていたわよ」

 と言った。

 もしかして、お兄ちゃん? 実花は期待に逸って、シシリアに尋ねる。

「あの、その子のお名前は何て言うんですか?」

「名前? その子はユリエって言うの。もしかしてお知り合い?」

 ユリエ。実花は思わず考える。漢字で表記すれば、由梨江だろうか。それとも百合枝? どちらにしろ日本人みたいな名前だ。でも、お兄ちゃんではない。

「すみません……知らない方です」気落ちした顔を実花は見せて、それから続けて尋ねる。「……あの、他に同じ色の人を見かけませんでしたか?」

「うーん……ごめんね。他には知らないのよ。誰かを探しているの? 良かったら名前を教えて。他のお客さんに聞いてみるから」

「稔っていう名前です」

「ミノルね。分かったわ。ここの料理はおいしいからゆっくり楽しんでいってね。それじゃあそれとなく聞いてくるから、決まったら呼んでね」

「はい。ありがとうございます」

 シシリアは離れていくと、早速客に聞いてくれているようだ。

 良い人だなあ、と思いながら、実花はメニューを広げた。メルセルウスト特有の流れるような文字で書かれている。当然ながら写真はないが、ゴゾルの魔法によって覚えさせられた言語の知識が、料理の内容を端的に伝えてくれていた。

「良かったですね、ツムラミカ様」

 横に座っていたネルカが、実花に声を掛けた。

「うん」

 実花は小さく返事をしたのだった。


 注文をして料理を待つ間、レゾッテやゴーガ、キルベルが雑談をしているのを聞き流しながら、実花は店内を眺めた。喧噪に包まれた中、小さな身体を忙しく動かしているシシリアと、髪を三つ編みに括った女性、ニーセの二人だけでホールを回しているようだ。活気に溢れた店の中は客が多く、一見して繁盛しているのが良く分かる。

 暫くすると、シシリアが注文した料理を運んで来た。料理をテーブルの上に並べると、実花と向き合う。彼女は申し訳なさそうな表情をしていた。

「ごめんなさい。誰も知らないって」

 期待をしていなかったと言えば嘘になる。でも知っている人はいない可能性が高いだろうと実花は思っていた。

「そう、でしたか」

 それでも、やはりどうしてもがっかりしてしまう。稔がいたという情報があれば、少しは安堵できるのに。

「ごめんなさい」シシリアは少しも悪くないのにもう一度謝っている。「大切な方なんですよね。力にならなくて残念です」

「ううん、いいんです。どうせ、駄目もとで聞いてみただけですから。それよりも、そのユリエさんと言う人は今何処にいるのか知っていませんか? もしかしたら私と同郷の人なのかもしれませんから、稔について何か知っていないか聞いてみたいんです」

「あ、そうか、なるほどね。ユリエちゃんは、確か帝都に行くんだって言ってたんだ。でも旅をしているとも言っていたから、もしかしたら今はもう違う所にいるかもしれないけど……」

「ありがとうございます。私たちはちょうど帝都に帰る途中だったんです。帰ったら探してみます」

 もちろん、出来たら、の話なのだが、実花はその事を説明しなかった。

「うん。がんばってね。きっと見つけられるよ」

「はい。絶対に見つけてみます」

「それじゃあ、ゆっくり……」

 とシシリアが言いかけた時、きゃあ! という女の子の悲鳴と、男達の沸き立つ声が聞こえて来た。

 目を向けると、ニーセがこけて、淡い青のパンツを惜しげもなく晒していた。それにしても不可解な事に、両手に持っている料理は少しもこぼしていない。

「あっちゃあー。またやっちゃったのね」

 シシリアは額に手を当てて言った。どうやらニーセは常習犯らしい。

「ごめんね、あの子どじっ子なの」

 どじっ子、と言う言葉を聞いた実花は軽く驚く。まさか異世界に来てそのような言葉を聞く事になるとは実花は思わなかった。

 シシリアは続ける。

「入ったときからよくこける子だったんだけど……まさかこけても料理をこぼさない方向に進化しちゃうなんて思わなかったなあ……。器用と言うか、何と言うか……」

 シシリアは足早に現場に向かった。

 彼女はニーセを起こすと、周囲にいる男達に何やら注意している。

 酔っぱらった男たちは、なにやら失礼な事を口走った。幼児体型だとか、少年とか、そう言う単語が実花の耳に入る。すると一部の客が、自分たちの料理と酒を持ってこそこそとその場を離れていくのが目に留まった。その内の一人が、あいつら終わったな、と呟いたのが聞こえた。

 途端、あんたがたー! というものすごい怒声が聞こえて来た。その後目にした光景の事を、実花は一生涯忘れることはないだろう。

 何せゴーガですら戦慄を覚えるほどだったのだから。




 メーガスト食堂で舌鼓を打ち、宿屋で一晩泊まった一行は、その後無事に帝都グラウに到着した。

 けれど馬車は門から少し離れた所で停止する。中に入らないのかな。そう訝しむ実花に、レゾッテは言う。

「ツムラミカ様は、降りて下さい」

「え?」

 と、実花はネルカの方へ顔を向けると、彼女も知らされていないのか、きょとんとした顔で首を振った。

 よく分からないまま実花は馬車を降りると、今度は馬車の御者を務めていたキルベルが声を掛けてきた。

「あちらにある馬車にお乗りください」

 キルベルが手で示した方向には、五頭もの獣が引く大きく立派な馬車があった。煌びやかな装飾を施されたその馬車の四角い屋根には、手すりが設置されている。

「あの……あれは一体……?」

「ツムラミカ様には、これから英雄としてパレードに出て頂きます」

「へ」

 思わず間抜けな声が出た。


 割れんばかりの大歓声に包まれる中、パレード用の大仰な馬車は、ゆっくりとした速度で帝都内の大通りを進んでいく。馬車の上に立って手すりを左手で掴んでいるのは、実花とメメルカ・ノスト・アスセラスであった。実花達が乗っている馬車の後ろに続くのは、キルベルが御者を務める馬車で、彼の隣にはレゾッテが座っている。その次にいるのは、獣に乗ったゴーガだ。

「このパレードの主役はツムラミカ様でございます」涼やかな笑顔を浮かべ、民衆に向けて手を振っているメメルカは、小さな声で囁く。「愛想良く歓声に応えてください」

 実花はその言葉を受けて、同じように笑顔となって手を振った。

 キャーキャーと、黄色い声が上がる。男性よりも女性の方が実花の事を注目しているらしい。

 しかしこれで、実花は英雄となる事が出来たと言える。あとは、より知名度を上げるために功績を上げていけば良い。そして実花の名前は、いつかきっと稔に届く。

 だが魔王ツァルケェルの名が、まるで魚の骨みたいに、心のどこかで引っ掛かっていた。




「ズンガが戦死した」

 と頭の触覚を立てているメルは告げた。

 聞いていたのは、ツァルケェルと、セールナ、それからガーガベルトであった。

「そんな……」思わず開いた口に手を当てて、衝撃を受けたのはセールナだ。「嘘、でしょう?」

「……残念ながら本当」

 メルはあっさりと否定した。淡々としているが、その実その目は揺れ動いてる。

「あやつほどの魔人が殺されるとは……」

 ガーガベルトもまた衝撃を受けたようで、驚愕の眼差しを隠そうともしない。

「ペルは無事か」

 と質問したツァルケェルは、仮面を被っているため表情が分からない。

「……うん、無事だって言ってる」

「そうか……良かった。それでズンガを殺したのはどんな奴だった?」

「ペルは隠れていたから見ていないって。だからちょっと見た人から聞いてくるから、待ってて」

「分かった。慌てないでいい」

 そうして待つ事数十分後、メルがようやく口を開く。

「……ズンガを殺したのは黒髪に黒い瞳の少女。ツムラミカって名乗ってた」

 少女が殺した。その事実は再び一同に衝撃を与えた。あの魔人が少女に殺されようとはにわかには信じられないが、メルもペルもこんなことで冗談は言わない。

「……その名前は……確かか?」

 ツァルケェルの声が震えているように、セールナには聞こえた。やはり、マ王様も動揺しているのだ。恐るべき少女が世の中にはいるものである。

「うん。間違いないって」

 ツァルケェルは沈黙した。何か考えているのだろうか。やがて彼は小さく呟く。

「……ツムラ、ミカ……」

 そうして彼はおもむろに立ち上がり、ふらふらとした足取りで自室へと向かっていく。

 その後ろ姿を見つめていたセールナは、ああ、やっぱりマ王様はとても優しいんだ、と心の中で呟いた。


 マ王ツァルケェルがグラウノスト帝国に乗り込む事を決めたのは、この翌日の事である。

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