五十 ズンガとの戦い

 尋常ではない光景であった。

 拳と剣が真正面から激突している。並の人間相手なら、どの一撃も必殺となる程の威力。しかし両者とも一歩も引かずに、幾十、幾百と打ち合い続けていた。

「ふははははっ!」岩の魔人、ズンガは、数多の拳を繰り出しながら笑う。「楽しいな! ゴーガよ! 今まで我が一撃と真っ当に打ち合ってくれた人間は貴様が初めてだ!」

「俺もだ!」縦横無尽に剣を振るいながら、ゴーガは同意する。「ここまでやりあえる奴は、今までいなかったぞ!」

 ズンガが真っ直ぐ放った拳を、ゴーガが横から払いのけ、返す刃で相手の頭部に叩き込む。だが鈍い音が鳴るだけで、傷すらついていない。

「ふはっ! また当てたな! 力だけでなく技術も優れているとは! 全く素晴らしい奴よ!」

「ちぃっ! 普通なら今ので終わっていたぞ!」

「すまんな! 腹の中にいた頃からこの姿でな!」

 叫んで会話をしながらも、二人にはまるで手を緩める様子がない。むしろ、より一層激しくなるばかりである。

 ズンガは防御を行わない。もちろんその必要がないからだ。故にただひたすら拳を振るう。そこに技巧はなく、相手の急所を狙ってパンチを力任せに打つ。それだけで相手を破壊してしまうのである。圧倒的な力と防御力を兼ね備えた彼は、人間相手ならば負けた事がないばかりか、岩の身体に傷をつけられた事すらなかった。つまらないとズンガは思ってすらいた。

 しかし今、ズンガは人間相手に楽しいと思えている。まさか、拳に直接剣をぶつけて、力が拮抗する相手がこの世にいるとは思ってもみなかった。これほど強い男は、魔人でもなかなかいない。

 だが悲しき事に、ゴーガですら彼の身体に損傷を与える事が出来ないでいた。

 先程からゴーガは、ズンガの強力無比な拳をいなし、身体を斬りつけている。けれどダメージは一切負っていなかったのだ。

 それでもズンガは楽しかった。全力の攻撃を打ち合える者は、魔人でも久しくいなかったからだ。このままこの時間が続けば良いと、ズンガは真剣に思いながら拳を突き出す。相手も真っ向から剣を振るって、再び衝突し合った。赤い火花が散る。

「すまないな」

 と、ゴーガは目を細めて謝罪した。

「何?」

「これは戦争だ。そして俺たちの任務はお前を殺す事にある。一介の兵士である俺に勝手は許されていない」

「そうだな……残念だが仕方がない」

 ズンガとてこの隊を任されている大将ではあるが、マ王ツァルケェルの命令であればどのようなものであれ従う覚悟があった。立場が違えども、目の前の男も同じなのだと理解する。

 ゴーガは巧みな剣捌きで拳を払う。そしてそのままズンガの懐へと接近し、刃を岩の身体の胴体に当てがった。

「今だ! ツムラミカ!」

 ゴーガは叫んだ。

「はい!」

 威勢の良い返事と共に実花は駆けた。無論、魔法の壁は維持している。ズンガの背後へと回り込んだ実花は、魔法の壁で大きな背中を押した。

「ぬ!」

 ズンガは驚きの声を上げた。あんな小さくて軽そうな身体の娘に、大きく重い己の身体が容易く押されるとは思わなかった。

 押された岩の身体を受け止めるのはゴーガの剣だ。だが当然の如くそれで斬れない。実花に押されてゴーガも一緒になって後ろへと下がっていく。やはり彼女の力は凄まじい。だがここで体勢を崩すわけにはいかない。ズンガは足腰に力を込めて踏ん張った。

 ズンガの驚愕は続く。抗いが無意味にしか思えないほどの圧倒的な魔法の壁の圧力に加えて、ゴーガの馬鹿力に挟まれて身動きが取れない。それでもズンガは唯一自由な腕を頭上に掲げた。狙いはゴーガの頭。


 激しい拳と剣の打ち合いが始まった頃から、レゾッテは森から出て、両腕を前に突き出し、魔力を集中させていた。

 恐るべきはズンガの防御力。あのゴーガの攻撃を受けて少しも傷ついていないのはさすがに異常だろう。あの硬度はやはり岩のそれではない。キルベルの予想通りであった。

 程なくして実花が動く。彼女の唯一の取り柄である魔法の壁と、ゴーガの剣でズンガを挟んだ。

 ゴーガはちらりとレゾッテを見た。撃て、という合図に違いない。

 右手で水を発生させ、左手で高圧をかけて圧縮する。

 地球にはウォーターカッターという代物がある。これは鉄も切断する事ができる程の切断力を持っているが、レゾッテが放とうとしている魔法は、恐らくそれ以上の力があるだろう。何せ、ウォーターカッター並の水流を幾重にも束ねて撃とうとしているのだから。

 そして、ズンガが腕を振り上げた。

 同時に圧縮された水を放出する。その速度は音速を超え、さらにはドリルのように回転しながらズンガに強襲。

 ズドッ、と水をぶつけたとは思えない盛大な音が鳴り響いた。ズンガは水流に押されてそのまま横に押し出され、壁と激突する。

 これを喰らって無事であった者をレゾッテは見た事がなかった。

 しかし、ズンガは何事もなかったかのように平然と起き上がる。せいぜい付着した泥を払うぐらいである。

 レゾッテは愕然とズンガを見た。開いた口が塞がらない。

 この魔法が効かないのであれば、レゾッテが使える魔法のどれも通用しないだろう。

 だが実のところ、もしもこの魔法を発動し続ける事が出来れば、ズンガの岩を貫く事も可能だったはずだ。けれどそうするためには、莫大な魔力を供給し続ける必要がある。つまり強靭な魔力器官が備わっていなければならなかったが、レゾッテの魔力器官では、いや、他の人間の魔力器官でもそれは不可能だった。常時強力な魔法を維持し続ける実花は、正しく規格外の存在なのである。

 しかし、彼女には魔法の壁しか使えないと言う欠点がある。もしも実花と同じぐらいの魔力量を常に扱えていたなら、あのような岩で出来た力だけの魔人など恐るに足らないのに、そう彼女が羨むのも無理もない。

 それでも、レゾッテは再び腕を前に突き出した。

 これは王女殿下の命令。絶対に達成しなければならないのだ。


 壁面に叩き付けられたズンガが立ち上がると、ゴーガは猛然と襲いかかった。

 攻撃がことごとく通じない事に驚きはあった。それでもゴーガは我武者らに剣を振った。ズンガは幾つもの剣を受けながら、真っ向から拳で反撃をする。

 そこに一つの影が走り込み、ズンガへ短剣で攻撃を仕掛けた。ゴーガとの戦いに熱中しているズンガは影の存在に気付かない。

 影の正体はキルベルだった。手に持っている黒塗りの短剣の周囲には、うっすらと魔力で精製されたジグザクの刃がついていて、それがまるでチェーンソーのように猛烈な勢いで回転していた。キルベルは、その特殊な刃をズンガの脇腹に押し当てる。

 ぎゃりぎゃり嫌な音を立てながら火花が散る。少しずつ、少しずつ、ズンガの岩を削っているのだ。ここに来て、ようやく与える事が出来たダメージである。

「む」

 と、ズンガがようやく気が付いた。己の身体が削られていくのにもだ。早速払いのけようとするズンガであったが、すかさずゴーガが剣で防ぐ。

 ここに来てゴーガの戦い方が変貌していた。攻撃と防御を両立していたのが、防御とキルベルを守る事のみに集中し始めたのだ。

 力押ししかしてこなかったズンガにとって、ほぼ互角の力と優れた技術の持ち主であるゴーガの剣をかいくぐってキルベルに一撃を入れるのは至難の業だった。だからと言って先にゴーガを倒そうにも、防御に徹した彼にまで拳は届かない。

 さらには、絶妙なタイミングでレゾッテが魔力の砲弾を飛ばした。蚊ほどの痛みすら味合わせない魔法であるが、ズンガの集中力を確実に削いでいく。

 三人の凄まじい連携を、驚嘆した眼差しで見つめているのは実花だった。もはや彼女が入る隙がない程の密な攻撃と防御の数々は、芸術の域にまで達しているように思われた。

 しかし。

 ……これじゃあ駄目だ、と実花は思った。

 キルベルの攻撃は、これまで試した中では確かに最も有効である。だが時間がかかりすぎる。ほんの一ミリを削るだけで、数分もの時間がかかっているのだ。

 そもそもこの攻撃は、作戦の中では保険の意味合いが強かった。ゴゾルの剣による一撃か、先程のレゾッテの魔法で倒す事こそが最も理想的だったのだ。なぜならキルベルのこの攻撃は、強力だが時間がかかる事が予想されていたからである。だから、今まで行わなかった。

 そうしてここまで魔法を維持し続ける事が出来るのは、魔力量自体は少なくて済むからである。故にキルベルの魔力器官でも、魔力の供給が間に合っているのだ。しかしこの魔法は繊細な魔力操作が必要で、故に多大な集中力を必要としている。キルベルは尋常ではない集中力を発揮していたが、それでも着実に疲労は蓄積していた。

 彼は身体が持つか分からぬ不安から、焦燥した顔を見せている。一筋の汗が頬を伝った。

 またゴーガも疲れが見えていた。全力に近い剣撃をずっと続けていたのだから当然である。むしろ、ここまで剣を振れる事が並ではない。だがズンガは、一向に衰える気配が見当たらない。おかげで今や着いていくだけで精一杯だ。

 そうしてゴーガの剣とズンガの拳が衝突した正にその時。ガギン、とゴーガの剣が折れた。折れた剣先はくるくると回転しながら飛んでいき、草原に突き刺さる。

「なに!」

 と驚きの声をゴーガが上げた。しかし数えきれぬ程ズンガの堅い拳とぶつかり合って来たのだ。むしろこれまで折れなかった事の方が驚嘆である。

 これでかろうじて保っていた均衡が崩れてしまった。最早、敗北への道程が決したのも同然。ここから雪崩の如く一挙に彼らは崩れてしまうに違いない。三人の顔は蒼白となる。

「二人ともどいて!」

 実花が唐突に吠えた。キルベルとゴーガは反射的に横へ逃げる。そこへすかさず魔法の壁を維持したまま、実花がズンガへと駆け寄った。

 魔法の壁とズンガが衝突。ズンガは反射的に踏ん張るが意味をなさない。そのままずるずると後ろへ後退。ズンガは壁と挟まれた。

 破壊音が響く。ズンガではない。壁が壊れたのだ。

 実花は前進を続け、町の中へとズンガごと侵入した。

 内部にいた魔人たちは、全員例外なくズンガの帰還を待ち望んでいた。一体どのような激しい戦いが繰り広げられ、そして勝ったのか。そんな武勇伝をズンガの口から聞く時を楽しみに待っていた。

 しかし、これはなんだ。一体何が起きているんだ。

 小さな女が張り巡らせた魔法の壁に、あのズンガが為す術もなく押されている。訳が分からなくて全員呆然と見つめた。

 ズンガは殴打する。鈍い音が連続する。だが魔法の壁は壊れない。焦ったように横へ移動して逃れようとするが、察知した実花が行く手を阻み、たちまちに押されてしまう。鈍重な身体が仇となっていた。

 周囲にいる魔人達は異変に気付いた。今起きているこの事態は、大将のこれまでにない危機だった。全員が実花に対して攻撃を開始する。

 無論実花は意に介さない。民家を突き破りながら一心不乱に前へと進む。

 数人の魔人達がズンガを背中から押した。これ以上先には行かせない。決死の踏ん張りを敢行。だが一代で財を築いた商人の大きな家の壁に挟まれる。

「ウぎゃアっ」

 ぐちゃ、と嫌な音がした。数人分の肉体が潰れて大量の血が弾け飛んだ。ズンガの身体と実花の魔法の壁を赤く染め上げる。そのすぐ後で壁を破壊し、家の中を突き進む。

 実花の顔色が青ざめる。あんなに大量な血を見るのは初めてで、あんなに簡単に潰れる所を見るのももちろん初めてで。げえ、と胃の中のどろりとした物を吐き出した。ネルカ特製のセーラ服が汚れた。速度が緩む。だけど実花は止まらなかった。止まるわけにはいかなかった。

 そんな実花の瞳を、ズンガは見つめている。

 もはや彼は抵抗を止めていた。この先に待っている結末を完全に受け入れた顔だった。

「お前達! 手を出すな!」

 と、ズンガは、未だ抵抗を続けている魔人達にそう命じた。反論する声が方々から聞こえて来た。ズンガは再度抵抗を止めろと訴える。

 魔人達は抵抗をやめた。涙を流す者もいる。

 実花の心が痛んだ。罪悪感で押し潰れそうになる。今すぐこの戦いを止めたかった。だけど、そうするわけにはいかない。実花はお兄ちゃんに再会するために何でもすると決めたのだ。魔人と戦う事を決めたのだ。殺す事を決めたのだ。

 だけど実花の目が潤んだ。涙が零れた。こんなに慕われているこの人は、本当に悪い人なんだろうか。実花には分からない。

 もうすぐ町の端に到達する。

「……ツムラミカと言ったか?」

 実花にだけ聞こえるような小さな声で、ズンガは言った。

「はい」

 と、実花は小さく頷いた。

「お前は、似ているな」

 端にある壁と激突する。呆気なく壁が壊れた。実花は停止した。

 ズンガは瓦礫と共に落下する。その下にあるのは、荒々しい海だった。

「我が主……マ王、ツァルケェル様に……」

「……え?」

 どぱん、と海面にズンガは叩き付けられた。


 深い海の底へとズンガは沈んでいく。

 全身が岩で出来た彼の身体は浮き上がる事が出来ない。泳ぐ事すらままならない。

 呼吸が苦しい。もうすぐ自分は死ぬだろう。しかし不思議と満たされた気分だった。

 ああ、母様、今、逝きます。

 ズンガを産んだと同時に死んだ母の事を想った。


 残された魔人達は、ズンガが海から這い出れないことを知っていた。救出に向かっても、重さ故に助け出せない事を理解していた。だから、彼が死んだ事を悟っていた。

 膝から崩れ落ちている者、大声でわんわんと泣き喚く者、悲しいほど青い空を見上げている者。反応は様々であったが、誰もがズンガの死を悼んでいた。

 実花は、ズンガを飲み込んだ海を見つめていた。

 魔人を殺した事に対する慚愧の念。それは確かに合ったけれども、実花の胸中に宿るのは別の事だった。

「魔王……ツァルケェル……」

 呟いた声を、風がさらっていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る