四十九 初陣

 その日は気持ちの良い朝だった。雲は一つもなくて、頭上の青色が何処までも広がっている。グラウノスト山脈にある大穴もくっきりと見える程、空気が澄んでいた。涼やかなそよ風が原っぱを撫でて、とても良い一日が始まるんだろうな、そんな予感が出来そうだった。

 でも、それは有り得ないんだ、と津村実花は脳内で否定する。

 何しろ、これから目の前の町に攻撃を仕掛けるのだから。

「ツムラミカ様」

 と、ネルカが呼んだ。

 実花は振り返る。実花専属のメイドは、とても心配そうな顔をしていた。

「……お気をつけて」

 きっと他に沢山の言葉を伝えたいのだろう。だけどネルカは、たったそれだけを伝えた。

「うん」と、実花は頷いて答える。「行ってくるよ」

 森の中から実花は身を乗り出した。ゆっくりとした歩調で、真っ直ぐに進む。腰にすえた剣を携えた彼女は、セーラー服姿。と言っても、元の世界から持ち込んだ制服ではなかった。これはネルカが、わざわざこの世界の特別丈夫な生地を用いて作ってくれた服だった。

 実花は前を見据えた。

 大きな門と壁が広がっている。その上にいる見張りは全部で六人。彼らは一斉に実花の存在に気が付いた。

 門まで僅か数メートルの距離で、実花は足を止めて、上を見上げた。見張りの一人と目が合う。彼はどう反応すれば良いのか分からないらしく、戸惑っている様子だった。

 実花はにっかりと笑う。

 敵意はない。恐らくそう判断したのであろう見張りは、手を挙げて微笑んだ。だが次に彼女が行った動きに、見張りはぎょっとした。

 実花は緩やかな動作で、美しい剣を鞘から引き抜いたのである。見張りがはっと目を見張る中、少女は思い切り空気を吸い込んだ。

 心臓がどきどきしていた。緊張している。みんなが注目していて恥ずかしい。それに、これから起きる事を想像すると、身体が震えてきそうなほど怖かった。

 でも、やらなければいけないんだ。お兄ちゃんに近づくために。

 実花は剣の切っ先を、強固な町に向けた。

「私は津村実花! マ軍を倒す者だ!」

 あらん限りの声で叫んだ。これは宣戦布告だ。そして同時に、私はここにいる、この世界にいるだと、どこかにいる兄に教えるための全力の宣言だった。

 だがたった一人でマ軍を倒すと言い切った少女に、見張りたちはげらげらと笑う。何を言っているんだこの小娘は。頭がおかしいんじゃないか。

「わ。悪い事は言わねえ。今すぐここから離れた方がいいぞ、お嬢さん」

 見張りの一人が、笑い声を堪えながら言った。冗談としか聞こえなかった。

 しかし、実花は言う。

「今すぐ離れた方が良いのは、あなたです」

 何、と問い返そうとした見張りの額に、青白く鋭い何かが突き刺さった。何が起きたのか理解する間もなく、どう、と力なく床に倒れ臥せる。

「え」

 と、間近にいた仲間が呟く。彼も何が起きたのか一瞬分からなかった。そうしてそれが、彼の最期の一言だった。こめかみに青白く鋭い何かが突き刺さり、絶命した。

 周囲の緩んでいた空気が、一転して恐ろしく緊迫したそれに変貌する。

 慌てた一人が、死亡した二人に駆け寄って死因を見た。

 額に穴がある。そこから一筋の血液が流れていた。だが、そこには何もない。何も刺さっていない。

 一体何が起きたのか。

 騒然となる。半鐘が半狂乱に叩かれる。

「敵襲! 敵襲!」

 喚くように叫び出した一人が、またすぐに膝から崩れ落ちた。今度は目に穴が空いていた。

 恐怖の目で、見張りの魔人達が眼下の少女を見やる。しかしそこにあるのは、悲しそうな瞳をした少女の顔だった。誰かを殺した顔には見えない。

「うわあああああ!」

 頭がトカゲの魔人が唐突に雄叫びを上げて、その大きな口を開けて炎を吐き出した。

「ホルト」

 実花の声を聞いた者はいない。そうして次の瞬間には、彼女は炎に包まれた。


 森の中。  

「目論見通りね」

 薮に隠れていたレゾッテは、口の端を上げて言った。

「ええ」と頷いたのは、弓を手にしたキルベルだ。「彼女は囮としてとても便利ですね」

 ここから見れば炎に包まれながらも、魔法の壁によって実花が無事なのは一目瞭然だった。

 レゾッテはほくそ笑みながら、魔力を集中させて氷の粒を生み出す。粒は細い棒状に伸び、片方の先端が鋭く尖る。またもう一方の先端からは小さな羽が生えた。一秒にも満たぬ時間で作られたそれは、氷の矢である。ここまで手早く、質の高い矢を魔法で作れるのは、キルベルが知る限りレゾッテだけだ。

 矢を手渡されたキルベルは、弓に番えてきりりと構えて引き絞る。

 彼の右目は、魔力で作ったレンズで覆われている。それはスナイパーライフルのスコープのような役割を果たしていた。かつてグリアノスも大きなレンズを作っていたが、それよりも遥かに小さい。それは、魔法の技量が、グリアノスよりも優れている何よりの証拠であった。

 キルベルは狙いを定めると、氷の矢を解き放った。間髪入れずに、レゾッテが風の魔法を発動させて矢を加速させる。勢いを増した矢は、狙い通りトカゲ頭の隣にいる見張りの首に突き立った。すると今度は、氷の矢が刹那の間に溶けて消え失せた。衝撃を与えると溶けるように、レゾッテが魔力を操って設定していたのである。

 この設定は、功を奏していた。おかげで魔人達は、何で殺されているのか分かっていない。誰に殺されたのかも理解していない。彼らはきっとこう思っているだろう。目の前の少女が殺したのだと。

 だから、あの見張りの魔人達は全員実花に注目している。森の中から狙撃されているとは、露にも考えていないのだ。

「なあ、もう出て行っても良いか?」

 そわそわした様子で、ゴーガは言った。早く戦いたくてうずうずしているのだ。

「まだに決まってるじゃないですか」

 キルベルは呆れた調子で答えた。


 トカゲ頭の魔人は、炎を吐き出しながら、仲間の一人が死んだ事に気が付いた。少女はここで燃やしているのに、どうして攻撃が出来るのか。嫌な予感に苛まれて、彼は炎を停止した。

 そうして、ぎょっとする。

 実花は燃やす前と何ら変わらぬ姿だったからだ。

 それによくよく見てみれば、少女の周囲には薄い膜が張っているではないか。あの膜が、炎から身を守ったのだと気付くのに、さすがにそう時間はかからなかった。

 人間は魔法を複数扱う事が出来る。見張りの兵は頭が悪かったものの、ガーガベルトに散々教えられて来たから一応知っている。だがこれまで戦って来た人間達は、小器用に色々な魔法を使って来たが、どれもこれも大した威力ではなかったのだ。けれど眼下にいる少女は、これまでの人間よりも不可解で、強力な魔法を操っている。

 魔人達は戦慄した。一見か弱そうな少女は、今まで戦って来た人間のどの敵よりも恐ろしく強い。彼女が言っていたマ軍を倒すと言う言葉は、まんざら嘘でもないのだと、魔人達はようやく知った。

 ならば、尚更ここで放置しているわけにはいかない。

 魔人達は、一斉に魔法による攻撃を開始した。

 炎や、石や、氷塊や、水や、針や、それから他の様々な魔法が、実花に襲いかかる。しかし、実花の魔法はそれらをことごとく防ぐ。そうして防がれれば防がれるほど、魔人達の焦燥は否が応にも増していく。

 実花に集中し、視界が狭まり、もはや魔人達には冷静な判断力が喪失していた。その隙を、キルベルとレゾッテが見逃すはずがない。

 氷の矢が飛んだ。それは的確に魔人の急所を穿つ。一人、二人、三人と、魔人達は倒れていった。

 どれだけ攻撃しても倒せない敵。いつ殺されるか分からぬ恐怖。魔人達の混乱は拍車をかける。

 キルベルは、己の作戦があまりに上手く行き過ぎて、思わず笑い出しそうになるのを堪えた。

 まさかここまで簡単に相手が術中にはまるとは思わなかったのだ。

 考えてみれば、マ国は最近出来たばかりの幼子に等しい国だ。しかもドグラガ大陸にとっての初めての国でもある。国同士の戦争など、今回が初めてに違いない。対してグラウノスト帝国は、今まで沢山の戦争を行って来ていたのだ。その圧倒的なまでの経験値の差が、今この状況を作り出した一因だった。

 確かに、魔人の攻撃力は特筆に値する。今まで勝てて来たのは、その特異な魔法で圧倒して来たからだ。

 しかしそのせいで、攻める事しか知らない。策略を張り巡らせる事もしない。自分の魔法に絶対的な信頼を置いている。

 だからこそ、自分たちの魔法が一切通じない実花の魔法が、何よりも恐ろしかったのだ。恐怖は視野を狭くし、冷静さを失わせ、簡単に気付ける事すら分からなくさせる。まさか遠くから狙撃の的にされているなどとは思いつかない。

 しかし、その時。

「攻撃を止めい!!」

 大音声が鳴り響いたのだ。

 狂乱の渦に落ちていた魔人達は、驚いて攻撃の手を止めた。

 ちい、とキルベルは舌を打ち、レゾッテは予想される次の展開に対応すべく身構え、ゴーガはわくわくし、実花はきょとんとなった。

「その場から引けえ!」

 見張りの魔人達は慌てて身を翻して駆け出した。

 そのすぐ後で、巨大な扉が内側からゆっくりと開かれ始める。

 中から出て来たのは、岩の魔人、ズンガ。マ軍の大将と目されている魔人だ。

 彼は、たった一人で巨大な扉を開けた。普通ならば、身体強化した屈強な男が数人掛かりでやっとと言う代物である。

「俺はズンガ。マ軍の先鋒隊を任されている」

 ズンガは腹の底から響くような低音を口から放った。

「私は津村実花」

「悪いが小娘だからと言って手加減はせぬぞ」

「……構わないよ」

 ずしり、とズンガは近づいてくる。見るからに重たく堅そうな身体。ゆっくりとした動作で、ズンガは拳を振り上げる。

「逃げないのか?」

「うん、逃げない。あなたの攻撃を受け止めてあげる」

「面白い」

 口元を歪ませたズンガは、拳を撃ち出した。魔法の壁と真正面からぶつかって、激しい音が鳴り響いた。拳は壁を破る事が出来ていない。

「ほう、なるほど大したものだ。だが……」

 ズンガの台詞を割るように、キルベルが氷の矢を放つ。しかし矢は、頭部に当たったものの、砕け散ってしまう。岩の頭部は、毛ほどの傷すらついていない。

「ふん」ズンガは鼻で笑う。「小娘が囮となって引き付けている隙に、遠くの仲間が攻撃するか。技量は優れているが、姑息な」


 木の影に隠れながらキルベルは言う。

「やはり通じませんね。では当初の予定通り、ゴーガ、出番ですよ」

「やっとか」ゴーガは嬉しそうに笑いながら立ち上がる。「待ちくたびれたぞ」

 そうして、森の外へと一歩を踏み出した。

 視界の中で、ズンガは実花の魔法の壁を殴り続けている。殴打する度地響きが伝わってくる程、岩の魔人の一撃一撃は重い。

 沸き上がる戦闘欲求。早くあの場所に行きたい。

 逸る気持ちが足に伝わり、自然と速度が上がる。

 残り数歩。

 背中に背負っている大きな剣を引き抜く。ゴーガの上半身と同じぐらいの長さを持つ片刃の剣だ。刃の幅は広く、刀身は緩い曲線を描いている。

 ゴーガは身体に魔力を流し込む。筋肉が増強されて、パンクアップする。

 雄叫びを上げた。

 剣を振り上げる。

 ズンガが気付く。

 ゴーガは思い切り振り下ろした。

 岩石に衝突。ゴガッと、鈍く大きな音。堅い手応えと心地よい手の痺れ。

 ズンガは衝撃で滑るように後退した。

「俺の名はゴーガ! 俺と立ち会え! 魔人!」

 傷一つないズンガは笑みを浮かべた。たかが剣の一撃でここまで下がるなどかつてない出来事だ。

「面白い!」

 剣と拳がぶつかり合った。その威力は、互角。

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