四十八 潜入

 月のない夜の闇に、キルベルは溶け込んでいる。

 壁の上にいる魔人の見張りの隙を突き、足音が出ない特殊な歩法を用いた彼の移動は、誰にも気付かれる事なく町の壁まで進む事を可能にした。

 問題はここからだ。

 べったりと壁に張り付きながら、キルベルは周囲をうかがう。見るからに頑丈で巨大な門扉は、当然ながらがっちりと閉まっている。キルベル一人の力では、例え魔法で腕力を強化しても開けられそうにない。そもそもこじ開けられたとしても、真っ先に発覚するだろう。それでは意味がない。

 壁の上には灯りが灯っており、三人が一つの組を作っている。それが何組もいて、隈無く見張れるようにしているようだ。練度も高く、油断は少しも見当たらないのも厄介である。

 キルベル一人ならば見つからずに侵入できる自信はある。だが、ど素人のツムラミカと、図体と力だけが頼りの筋肉馬鹿と、魔法の才能は認めるが、身体能力は精々並の変態女を引き連れての侵入は不可能に違いない。

 となれば、やはり海側からだろうか。キルベルはさらに海の方へと壁伝いに進んだ。断崖絶壁という情報通り、ほぼ直角の崖だった。海は入り組んだ海岸線になっているせいか、渦潮が起きてしまっている。その上、しっかりと高い壁を築き上げるのも忘れていない。難攻不落の城塞とは良く言ったものである。

 ここから入る事に決めたキルベルは、身体強化の魔法をかけて、壁に手をかけた。あまりひっかかりのない壁で、よじ登るにはなかなか難しい。それでも杭か何かで足場を作っていけば随分と楽になるが、音を出さざる得なくなり、見つかりやすくなってしまう。己の力と技術のみで登らなければならないのだ。しかしこれでは、あの三人にはやはり荷が重すぎる。

 今回の任務は、岩の魔人をツムラミカに殺させる事。その手段は問わないと、メメルカ・ノスト・アスセラスは言っていた。目立っても良い、というお墨付きだ。王女殿下はツムラミカを英雄に仕立て上げたい考えのようだが、それは恐らく、兵士全体の士気の向上と、民衆に分かりやすいヒーローを提示する事によってより強い支持を取り付けるためだろう。

 だから、重要なのはツムラミカが殺したという事実を与える事だ。キルベル達の手で殺して、彼女が止めを刺した事にすれば十分事足りる。

 問題はその方法である。暗殺できればそれに越した事はないが、あの三人にそのような芸当が出来るとは思えない。岩の魔人をキルベルが瀕死にしたり、あるいは拘束し拉致できれば解決できるだろう。しかし、情報によれば相手は全身が岩で出来た非常に強力な相手のようだ。果たしてキルベル自身が対処出来るのかが分からない以上、思いつく限りのあらゆる策を考えなければならない。

 そのように登りながら思考していたキルベルは、壁の一番上まで間近に迫っていた。

 さて、と気を取り直して様子を見る。見張りはいる。だがさすがに表よりは幾分か緩んでいるようだ。

 一人の見張りが視線を逸らした刹那の間に、キルベルは上に上がり、それから町の内部側の壁を下る。速い動きだ。僅かに落下し、壁のほんの少しのでっぱりを指先だけで捕まえる。それを繰り返す事で、恐るべき速さでもって住宅の裏側へ降り立った。


 かがり火の灯りで町は所々照らされている。警護のためか、巡回している者もいるようだ。

 キルベルは岩の魔人を探すべく、貴族街へと向かった。事前に地図を勉強して来たので、地理はほぼ完璧だ。見つからないように暗がりの中を進んでいく。

 道中、町の観察も忘れない。歩いているのは魔人の兵士が多い。我らがグラウノスト帝国の人間らしき姿もちらほら見える。奇妙な事に、彼らには特におかしい点は見当たらない。至って普通だ。魔人への恐怖も、怯えもなさそうだった。

 協力者だろうか。侵略側が有利だと判断すれば、人は容易く裏切るものだ。だが多くの人は、魔人への恐怖や憎しみを募らせて来た。魔人はおぞましい存在なのだと、キルベルもそうした教育を受けて来た一人である。だからこそ、市井の人が普通に過ごしている事に違和感を覚える。

 さらに進んでいくと、貴族街に入った。その中でも一番大きな建物、町長の邸宅に向かう。

 そこは三階建てで、広い庭もある邸宅には、不思議な事に門兵が一人もいない。ここに岩の魔人はいないのだろうか。だが一番妖しい場所はここだ。キルベルは調査を続行する事にした。

 正面から入るのは避け、後ろの壁を乗り越えて侵入する。

 角の一室にある木窓が僅かに開いており、そこからほのかな光が漏れていた。そっと近づいて中を覗く。思わず笑みがこぼれた。

 当たりだ。岩の魔人が、その巨体に似合わない椅子に座って書き物をしている。しかしキルベルが想像していた姿と違っていた。まさか言葉通り全身が岩になっているとは思わなかった。それにとてつもなく大きい。二メートルを超えているのではないか。

 だがあまりに隙だらけだ。背中が無防備すぎる。

 このまま攻撃すれば倒せるんじゃないか、とキルベルは思わず考えた。けれど岩の身体が厄介だ。恐らくあの岩は魔力で出来ている。普通の岩なら手段がないわけではないが、魔力で出来た岩となると、その硬度は一見しただけでは分からない。それに今ここで倒すことが出来たとしても、メメルカ様の思惑から外れてしまう。それでは任務を達成したとは言えない。

 こいつは思ったよりも面倒だ、とキルベルは頭を悩ませた。

 ツムラミカの魔法は確かに強力である。この魔人の一撃すら難なく防ぐ事が出来るであろう。あるいはゴーガにやってみせたように、弾き飛ばす事も容易に違いない。しかし、出来るのはそこまでだ。事実彼女自身も分かっているようで、ゴーガとの模擬戦闘では体勢を崩すのにしか使っていない。そしてツムラミカの剣の腕では、岩を斬る、もしくは貫くのは不可能だ。

 可能性があるとすれば、魔法で強化したゴーガの一撃か、もしくはレゾッテの魔法に他ならない。

 キルベルの中で方向性が見えて来た。あとの問題は、ゴーガとキルベル達だけが相対するという状況を作る事である。最も、それが一番骨が折れそうなのだが。

 作戦を作るためにも、キルベルは町を一通り調査する事にしたのだった。


 太陽が海の向こう側から登った。

 朝の光に目を細めながら、木陰に隠れて町の様子を見ていたのは、津村実花とネルカである。

 もうキルベルが帰ってくるはずなのになかなか来ないのは、やはり何か起きたからなのだろうか。そう心配しながら待っていた二人の背後から、

「ただいま」

 と、声がかかった。二人は慌てるように後ろを振り返ると、全身を黒尽くめにした男、キルベルが何のてらいもなくそこに立っていた。

「キルベルさん」

 実花とネルカは、同時に声を上げた。

「二人を起こして下さい」

 疲れた顔をした彼は、真剣な眼差しで頼んだ。

 言われた通り、ゴーガとレゾッテを起こして、一同は一カ所に集った。キルベルはそれぞれの顔を順繰りに見て、最後に実花へと焦点を合わせて口を開く。

「ツムラミカ様」

 実花は、「はい」と返事をした。

「まずはあなた様の標的を教えなければなりません。あなた様が今回討ち取られなければならないのは、岩の魔人です。私はこの目で見てきましたが、奴は全身が岩で出来ていました」

「岩で……」

 実花はそう呟いた。思い浮かんだ姿は、ゲームに出て来た岩のモンスター、ぶっちゃけて言えばストーンゴーレムである。

「なんとまあ面妖な。魔人と言うのは、噂通りおぞましいな」

 ゴーガはそう感想を言うが、その割には不敵な笑みを浮かべている。まるでこれから起きる戦いが、楽しみで仕方がないかのようだった。

「ふーん」と、魔人の姿など興味がないとばかりに、レゾッテが尋ねる。「それでどうするの?」

「問題の岩ですが、恐らく魔力で作られていると思われます。ですので、普通の岩よりも硬度は高いでしょう」

「それは楽しみだな」

 ゴーガは嬉しそうに言った。

「奴を殺すには、当然ながらその岩を壊す事が条件になってきます。ですが今回の任務は、ツムラミカ様が岩の魔人を殺すことです。ツムラミカ様、あなた様に岩を壊す事は出来ますか?」

「……ううん、出来ないです」

「やはり、そうでしたか」

 と言いながらも、キルベルは少しも落胆の色が見えない。

「だけどそれじゃあどうするのよ」と、レゾッテは眉をひそめて指摘する。「メメルカ様のご命令を遂行できないじゃない。それは困るわ」

「何と言う事はありません」しかしキルベルは、呆気なく否定して続ける。「レゾッテかゴーガ、二人のどちらかが奴を殺し、それからツムラミカ様が最後に剣を振るう。それだけで十分です。どうせ誰が殺したか何て事は、本当の事を言わなければ分かりませんよ」

「お前じゃ駄目なのか?」

 ゴーガが聞いた。

「壊す事は出来るかもしれません。ですが、戦いの中では非常に難しい。それよりもレゾッテの魔法か、身体強化したゴーガの渾身の一撃の方が可能性があると考えています」

 キルベルの言葉に、ゴーガとレゾッテは笑みを浮かべた。強い者と戦える事がゴーガは嬉しいのだ。またレゾッテは、メメルカの役に立てる事が嬉しいのである。

「それでどうするのだ?」と、ゴーガは尋ねる。「こっそりと侵入して、奴を暗殺するのか?」

「まさか。私一人ならともかく、あなた方が見つからずに侵入するなんて真似が出来るわけがないでしょう」

「それならどうするのよ?」

 レゾッテが問うた。

 キルベルはにやりと笑い、全員の顔を見る。みんなが彼に注目していた。やがて彼は言う。

「決まってるじゃないですか。正面突破ですよ」

 みんなの顔が、驚きで一変した。

 この少ない人数で、これまで連戦連勝して来た魔人どもの兵が守る砦を正面突破。

 正気の沙汰とは思えない。

 しかしキルベルは、愉快そうに笑っていた。




「昨夜、ねずみが入った」

 と、ズンガは言った。

「ねずみ?」

 聞いていたペルは聞き返す。

 ここはペルが今住んでいる貴族の家の居間だ。派手な装飾で飾ることで、己の見栄を張るのが貴族の慣習なのだが、ここはどういうわけか地味な内装だった。恐らく貴族の中でも貧乏だったのだろう。最も奴隷に対する扱いは酷かったらしく、解放された途端、主であった貴族を殺してしまったが。

「ああ。それで近日中に悪さをするだろうから、お前はどこかに隠れていろ」

「あのねずみが悪さをするの?」

 ペルは可愛らしく小首を傾げた。相変わらず男のくせに女の子のような可愛らしさだ。

「……ああ、そうだ」

「分かった」

 素直に頷くペルを見て、小動物の方を思い浮かべているのだろうな、とズンガは思った。とは言え、ペルを巻き添えにして万が一があってはいけない。

 ズンガはペルの家を後にして、楽しそうに頬を緩ませる。果たしてどのように攻めてくるのだろうか。ちょうど書類仕事ばかりで鬱憤が貯まっていた所だ。みんなには黙っていよう。そうして、久しぶりに存分に暴れてやる。

 ズンガはずしりずしりと、文字通り重い足取りで帰路に着いた。

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