四十六 仲間
一台の馬車が城へ向かって走っている。乗車しているのは津村実花とネルカだ。
実花は木製の窓を少しだけ開けて上を見上げた。
白い雲の隙間から、青い空が見えている。悪くない天気だけれど、なんだかぱっとしない空模様だと実花は思った。
やがて馬車は城門に辿り着き、それからいつもの練兵場に徒歩で赴いた。
「おはようございます、ツムラミカ様」
そこにはどういうわけか、メメルカ・ノスト・アスセラスが待っていて、いつもの笑みを浮かべて挨拶をした。傍らには、二人の男と一人の女性がいる。いずれも実花は見た事がない人たちである。
実花とネルカが挨拶を返すと、メメルカは手で側にいる三人を指し示した。
「ご紹介させて頂きます。彼らは私の親衛隊の一員です。まずはゴーガ様。近接戦闘のエキスパートでございます」
ゴーガと呼ばれた男は、不敵な笑みを浮かべながら会釈した。彼の身長は百八十はある。全身が野太い筋肉で出来ていて、実花は思わずプロレスラーを連想した。
「俺はゴーガ。肉体の強さならば隊で一番を自負しています」
続いてメメルカは、もう一人の痩身な男に目配せをしてから紹介する。
「彼はキルベル様。主に斥候を担当しています。また戦いにおいては、そのスピードを生かして、敵を攪乱する事でしょう」
「キルベルです。隠密魔法に特化しております。以後、お見知り置きを」
キルベルは、まるで商売人のような笑顔を浮かべて一礼した。彼の顔は狐に似ている。細い目に、細い顎に、細い身体。ゴーガと比べてしまうとどうしても貧弱に見えてしまう。だが狡猾そうなその目つきは、絶えず隙をうかがっているようにも見えて油断がならない。
「そして最後に、レゾッテ様。魔法の達人です。主に後方支援、中長距離の魔法攻撃を得意としています」
レゾッテは優雅に礼をして、艶然と笑う。
「レゾッテでございます。よろしくお願いしますね」
彼女の胸は大きく、腰はくびれ、顔はメメルカにはさすがに劣るが、それでも美人の範疇である。その女らしい体型を見て、まだまだ子供の体型な実花は羨ましかった。
「私は、津村実花です。よろしくお願いします」
「彼らには、ツムラミカ様と共に魔人と戦ってもらいます」メメルカは実花にそう説明する。「明日、出発してください。場所はこの三人が知っています」
唐突な通告だった。実花は面食らう。
「明日……ですか?」
「そうです。明日です。なお、戦うのはあなた様を含めた四人だけです」
実花は戦争に参加するものだと思っていた。そうでなければ、どうやって軍勢を払いのけようか。
しかし目の前のメメルカは、そうした状況に追い込んだ実花の様子を、楽しんでいるようだった。
本気なんだ、と実花は思う。本気で、たったの四人で戦って来いと言っているんだ。
「あの……」と口を挟んだのはネルカだ。「私は、どうすればいいのですか?」
「あなたには彼らと一緒に行ってもらい、引き続きツムラミカ様のお世話をしてもらうことになります。もちろん、あなたは戦う必要はありません」
「……分かりました」
「質問があります」
ゴーガは挙手をして聞いた。
「なんでしょうか?」
「本当に、この弱そうな小さな子を魔人と戦わせるのですか?」
「納得いきませんか?」
「はい。メメルカ様には申し訳ありませんが、足手まといになるのは目に見えています」
「……なるほど、そうですね。確かに実力もよく分からない小娘を連れて行くのは、あなた方にとっても些か不安でしょう。分かりました。ゴーガ様、ツムラミカ様と一度戦ってみて下さい。その上で、判断をするといいでしょう」
「ありがとうございます」
実花の意志などこの場には必要ない、とばかりに、実花はいつの間にか木剣を持って、練兵場の真ん中で、巨漢のゴーガと相対していた。
二人が並んでいる姿は、完全に大人と子供だ。誰がどう見ても、巨漢の男が勝つと予想するだろう。しかしたまたま居合わせていた兵士たちは、面白そうに眺めている。
メメルカに連れられてやって来た三人は、兵士たちが実花にも勝利の可能性があると考えているのが奇妙に思えて仕方がなかった。
だがそれも、彼らが弱いからだと三人は考える。自分たちは王女殿下に認められた精鋭。普通の兵士たちとは一線を画している。だから、実花を紹介した王女殿下には悪いが、ゴーガが勝つ。それが三人にとって当然の見解だった。
「はじめ!」
兵士が始まりの号令をかけた。
ゴーガは木剣を右手だけで持っている。構えはない。両腕をだらりと下げている。しかし本当に彼が持っている木剣は、実花と同じものなのだろうか。実花が持てば少し大きすぎるぐらいのそれは、ゴーガが持てば子供のおもちゃにしか見えない。
実花は正眼に構えている。相手は隙だらけだ。まるでどこから攻撃されても簡単に対処できるとでも言うように。そうして、実花に先手を譲っているのである。
私の事を舐めている、と実花は感じた。ゴーガは油断している。それならそこに付け込むまで。
実花は一直線に肉薄した。
ゴーガが口角を上げる。緩慢な動作で、力任せに横に振るう。
その瞬間だった。
「ホルト」
と実花が唱えて、魔法の壁が発動した。
ゴーガが振るった木剣に衝突。木剣があっけなく弾き飛ばされる。
な、と目と口を開けたゴーガに、魔法の壁が激突した。後ろに飛ばされるも、体重が重いせいか、はたまたゴーガが優秀なのか、すぐさま踏ん張って体勢が崩れるのを防いだ。
そのまま頑強な右拳を突き出す。拳が壁に当たる。だが壁は壊れない。再び面食らうゴーガは、今度は両腕を前に出して壁を押した。
ぴくりとも動かない。全ての体重と力を乗せるも微動だにしない。
「ゲスト」
すかさず実花が唱えた。魔法の壁が一瞬にして消失した。
「ぬわっ」
ゴーガはその強すぎる力のせいで、簡単に体勢を崩した。そこにさらに実花が近づいて、
「ホルト」
魔法の壁を再度発生させる。今度こそゴーガは背後に吹き飛んだ。
「ぐっ」
重たい音を立てて背中を強かに打つ。頭が混乱している。なぜ? なぜ? なぜ?
ただの小娘のはずだった。片手で掴んで握りしめるだけで簡単に折れそうな小枝のような娘。
それが触れる事すらできないとは一体だれが想像できる?
さっと影が走る。実花だ。ゴーガは慌てる。早く立ち上がらなければ。
しかしゴーガは間に合わない。実花は木剣で突いた。喉元に触れるか触れないかの距離で停止した。
時間が止まったような感覚。しんと場内が静まり返っている。冷や汗がゴーガの頬を伝った。ややあってから彼は呟く。
「……俺の、負けだ」
兵士たちの歓声で場内がどっと湧いた。ネルカもわーわーと実花の勝利を喜んでいる。メメルカは真意の分からない笑みを浮かべていた。
愕然と結果を眺めているのはキルベルとレゾッテだ。もちろん二人はゴーガの実力をよく知っていた。こと接近戦であれば、彼は親衛隊の中でも指折りの実力者であった。もちろん油断があったのは間違いない。明らかに格下となると侮ってしまうのは彼の悪い癖だ。それでも二人は勝つと考えていた。なのに負けた。それもあんなに小さな子に。
メメルカが実花とゴーガの元へと歩いていく。ネルカがその後ろをちょこちょこと追う。
「認めますね?」
メメルカはゴーガを見下ろして尋ねた。
「はい」
と、ゴーガは呟いて、のっそりと立ち上がる。それから実花の方へと顔を向けた。
「強いですね。俺の完敗です」
「……いえ、あなたに油断があったからです。それに私の魔法の事をあなたは知りませんでした。次に戦えば、私は負けてしまうでしょう」
「そうかもしれない。だが戦場では、その次はない」
そうして二人は握手をした。拍手が沸き起こる。
上品に手を軽く叩くメメルカ。力一杯の拍手を送るネルカ。キルベルとレゾッテは、渋々ながら拍手を行うのだった。
「それでは明日の朝に出発をして頂きます。準備はネルカが行いますので、ツムラミカ様は、今日はゆっくりとお休みなられて、明日に備えて下さい」
練兵場の隅に再度集うと、メメルカは五人にそう説明した。
「はい」
と実花は頷く。他の四人も同様だった。
「それでは今日はこれでお邪魔致します」
優雅に礼をしたメメルカは、練兵場にいた兵士たちに軽い会釈と共に声を掛けながら、城内に向かった。
キルベルとゴーガもその場を離れ、実花とネルカもまた帰ろうとした。するとレゾッテが実花に声を掛ける。
「ツムラミカ様。少々大切なお話がございます。少しよろしいですか?」
なんだろう、と実花はネルカと顔を見合わせた。ネルカにも当然心当たりがないようだった。
「はい、いいですよ」
ネルカはその場に置いて、承諾した実花をレゾッテは連れ出した。
兵舎裏に回り込んだ。誰もいない事を確認したレゾッテは、にんまりと笑って実花の顔を見る。
「それで、どうされましたか?」
と、実花は聞いた。
しかしレゾッテはそれには答えずに、ただ一言口にする。
「カトン」
え、それは、と思った瞬間、実花の首輪が首をぎゅっと締め付けた。
「はぐっ……」
あまりの苦しさに、反射的に首を手で抑えた実花は、膝から崩れ落ちる。ひーひーと酸素を求めて喘ぎながら、その顔面を青白くさせた。
「ふふ」と、レゾッテはうっとりと微笑する。「メメルカ様に虐められるのは非常に甘美なものですが、虐めるのも別の趣きがありますねえ。それでどうですか、苦しいのは気持ちいいでしょう?」
ぷるぷる、と涙目になりながら実花は首を横に振った。こんなのは苦しいだけだ。気持ちいいわけがない。
「あら?」レゾッテは首をかしげた。「あなた様は目覚めてはいないのですね。それはもったいないことです。この快楽は何物にも代えられないと言うのに」
変態のたわ言など聞いてはいられない。それよりも、どうして彼女は首輪の合い言葉を知っているのだろうか。だが尋ねようとしても、声が出て来ない。
しかしレゾッテは、実花の考えた事を察したらしく、口を開ける。
「どうして、と聞きたそうですねえ。ですが聡明なツムラミカ様の事、少しは勘付いてはいるのではないでしょうか。つまりは、そう、旅の間は、私があなた様のお目付役になるのですよ。理解しまして?」
これは警告だった。メメルカがいないからと言っても、下手なマネをするな、という。
実花は何度も首肯した。この堪え難い苦しみから一刻も早く逃れたかった。
「あまり長い事楽しんでいても、メイドに怪しまれるだけですからねえ。名残惜しいですが、この辺りで終わりにしましょうか。……コトム」
ようやく解除の言葉を発して、実花は苦しみから解き放たれた。ぜーぜー、と空気を体内に取り込む。
「それでは、あなた様の尋ね人が見つかる事を祈っておりますよ。最も、旅の間に探す事は許しませんけどねえ」
結局、自由は何処にもないのだ。実花はそれを実感していた。
翌日。城門の前には、実花とネルカとメメルカがいる。
ネルカはいかにも重たそうな大きいリュックサックを背負っていた。荷物の半分を持つと実花は申し出たのだけれど、彼女は頑に拒否をしたのだ。
「いよいよ今日ですね、ツムラミカ様。体調の方は大丈夫ですか?」
と、メメルカは尋ねた。彼女は布に包まれた長い棒状の物を持っている。
「……大丈夫です」
実花は暗い響きの声で答えた。
「それは何よりでございます」と、メメルカは晴れやかな笑顔で言い、手に持っている長物を実花に手渡す。「それから、これを受け取って下さい」
躊躇しながらも、実花は受け取った。高そうな布に包まれたそれを、訝し気な目で見つめる。
「それは、ツムラミカ様の剣です。どうか布を取って、その目で確かめて下さい」
言われた通り、実花は恐る恐る布を剥ぎ取った。流麗な意匠の鞘が現れる。雪のように白い柄を握りしめると、実花の手にしっくりと納まった。それから、引き抜く。
ゆるやかな円弧を描く細身の刃が、繊細な白銀色に輝きながら、その身を空気に晒した。美しい刀身だった。
それにしても、軽い。訓練用の剣を手にした時は、実花には重たすぎてまともに振れなかった。しかしこの剣は、片手でも楽に振れる程の重さであった。
「如何でしょうか。帝国一の鍛冶師と、ゴゾル様に作らせた剣でございます。刀身にはわずかながら魔力が帯ており、絶大な切れ味と、その細い剣から想像できないほどの頑丈さを兼ね備えています。どうぞ振ってみて下さい」
実花は数歩離れて、上段に構える。集中する。
そうして、一気に振り下ろす。ひゅっ、と風を切る音がした。
凄い、と実花は感嘆した。剣については全く詳しくないド素人だと自覚しているけれど、この剣の凄さだけはよく分かる。あまりに凄すぎて、もっと違う人に持たせた方がいいじゃないかと思うほどに。
「この剣は、あなた様専用の剣」と、メメルカは説明をし始める。「そもそもメルセルウストの武器は、自らの魔力を流し込んで、切れ味を増したり、何らかの魔法を宿したりすることに適しています。ですがあなた様は魔力を流し込む事は出来ません。ですので、こちらの方で勝手ながら、切れ味と頑丈さを重視して作らせたのです。おかげで他の魔法を宿らせる事は出来ませんが、その代わりに、切れ味だけならば帝国一の剣に仕上がったと、鍛治師は胸を張っておられました」
「……分かりました。有り難く使わせて頂きます」
「ぜひ、そうして下さい」
それから少しの間待っていると、キルベルが操る一台の馬車と、メルセルウストにとって馬代わりの獣に乗ったゴーガが、足音を立てながらやって来た。
馬車からレゾッテが顔を出す。
「どうぞこちらに乗って下さいまし」
ネルカと実花は乗り込んだ。別れの挨拶をメメルカと交わし、馬車は出発した。
隣にはネルカが、正面にはレゾッテが座っている。
木窓を開けて、空を見た。馬車は暗雲に向けて走っている。
もしかしたら、雨が降るかもしれない。
でも、実花は木窓を閉めたりはしなかった。ずっと外を見つめたままだった。
もしかしたら、今そこにお兄ちゃん歩いているのかもしれない。
そう思えばこそ、実花の目は、自然と兄の姿を探し続けるのだった。
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