四十五 模擬戦
津村実花が戦闘の訓練を始めて、すでに七晩が経っている。
朝早く馬車に乗って城に向かい、着いたら準備運動をして、練兵場の周りを軽く走り込む。その次は素振りである。
「一! 二! 三!」
前に立っているグルンガル・ドルガの号令に合わせて、整然と並んだ兵士たちが上から下へ剣を振る。
そんな中に混じって、津村実花も木剣を振り下ろしていた。木剣は兵士が振るう剣に比べれば格段に軽いが、それでも結構な重みがある。
あまり運動をして来なかった中学生の女子にとって、大変な訓練であった。こんなことなら運動部に入っておけば良かった、と今更ながら後悔するものの、そもそも運動部に入っていたら、ここに来る事が出来なかったかもしれない。そうなれば、稔と再会できる可能性すら潰えてしまっただろう。だから、これで良かったんだと実花は言い聞かせた。
「百!」
これが最後だ。実花は思い切り振った。
それから練兵場の隅の方へ実花は移動した。そこにはネルカがいて、水が入った革袋とタオルを持って待っている。
「お疲れさまです」
「うん。ありがとう」
実花はタオルを受け取ると汗を拭い、続いて革袋に口を付けた。冷たい水が心地いい。
「ぷはぁ。んーおいしいー生き返るー」
実花はどてっと座りこんで、一息ついた。熱く火照った身体をそよ風が冷やす。
そうした様子を、ネルカは微笑みながら眺めていた。
「……休憩終わり! これより模擬戦を始める!」
グルンガルは、大声を張り上げた。
来た、と実花は腰を上げる。
「それじゃあ、行ってくるね」
「はい。頑張って下さい」
木剣を手にしてすぐさま向かう。
兵士たちはドーナツ状に集まっていた。実花もその中に加わる。
暫くは他の兵士たちが戦っているのを見物する。見るのも訓練だ。
そうして何組かが終われば、いよいよ実花の出番である。
注目を浴びながら中央に行く。相手も訓練用の木剣を持っていた。
模擬戦は一本を取れば勝ちである。基本的にはそれ以外にない。魔法も、相手を殺さない程度には使用しても良い。だが人によっては、独自のルールというか、課題が与えられていた。
例えば実花だ。実花には魔法の壁があり、これを使ってしまえば負ける事が無くなってしまう。だからと言って禁止にしてしまうと、長い間訓練をし続けて来た兵士たちに敵うはずがない。そこで決まったのは、防御のために魔法の壁を用いてこう着状態になった時、実花の敗北が決定するというルールだ。つまり実花に求められているのは、魔法の壁の攻撃的運用なのである。
「はじめ!」
グルンガルの合図。
対戦相手の兵士は、木剣を正眼で構える。
対して実花は、構えない。右手に持っている木剣をだらりと下げている。しかし、
「ホルト」
と、唱える声が聞こえた。
魔法の壁が発現、同時に実花は駆け出した。
「な!」
兵士は驚きの声を上げた。迫り来た魔法の壁が彼と衝突する。腕を前に出し、足に力を込めて踏ん張った。
だが彼は後ろへずるずると下がっていく。その速度は、驚くべき事に実花が走る速度と同じだ。
実花の魔法の奇怪な特性であった。実花自身の力などたかが知れている。だがその魔法の壁は、実花と一定の距離を必ず維持し続ける。故に、どのように押し止めようとも、実花が動き続ける限り止める事が出来ないのだ。
けれど、兵士の体勢は崩れない。彼にだって意地がある。こんなに小さな少女に負けては沽券にさわる。
このまま今の状況が続けば、こう着状態と判断されるだろう。そうすれば勝ちだ。兵士は耐える。耐え続ける。
グルンガルは、手を挙げて実花の敗北を告げようとしていた。だが、英雄である彼は、実花の顔を見た。彼女の表情に焦っている様子は見えない。このまま続けば彼女の敗北が決まるのが明白だと言うのに。歴戦の勘が告げる。まだ何かある。実花には次なる策がある。
「ゲスト」
走りながら実花は呟く。壁が消えた。
兵士はつんのめる。意地になって前へ体重を掛け続けたのが仇となったのだ。しかし彼は、咄嗟に足を前に出して転倒を防ぐ。天晴な判断力と反射神経と言える。
だがすかさず実花が走り込んで来た。彼女は渾身の力を込めて、右上から左下へと木剣を振り下ろす。
ガッ!
兵士は自らの木剣で受け止めた。所詮は少女の剣だ。軽い。兵士はそのまま力任せで難なく押し返す。
「きゃあ!」
少女らしい悲鳴を上げて、実花は後ろへ尻餅を着く。
その隙を兵士が見逃すはずがない。実花の脳天目がけて木剣を振った。
「ひっ!」
実花は思わず目を瞑った。だが来るべき衝撃は来なかった。恐る恐る目を開けてみると、相手の木剣は眼前で停止していた。
「そこまで!」
と、グルンガルは叫んだ。誰がどう見ても、実花の敗北だった。
兵士の手を借りて実花は起き上がる。勝てた事を嬉しがる男の顔を、彼女は悔しそうに見やった。
それから中央に行き、お互いに礼をする。
立ち去ろうと踵を返した実花を、グルンガルは呼び止めた。
「さっきのは惜しかったですね、ツムラミカ様」
振り返る実花。
「でも、負けてしまいました」
「確かにそうです。しかし、もしもあなたがもっと速く走ることができれば、魔法の壁で体勢を崩し切る事ができたかもしれません。あるいは壁を解除した後で、相手が体勢を整える間を与えることなく攻撃する事ができたかもしれません。さらに言えば、もっと力があり、剣を振る技術があれば、打ち負ける事もなかったでしょう。つまり非力なのが、あなたの最大の弱点なのですよ。しかし筋力は、一朝一夕で身に付けられるものではありません。ですがあなたには、そのような時間はない。ならば工夫するしかない、そうではありませんか?」
「はい」
と実花は頷いた。正にその通りだと思った。これまでの訓練や模擬戦を通して、実花は自分の力のなさを嫌という程実感していた。だが、実花の魔法だけが、唯一優れたものだった。
「ありがとうございました」
と実花は礼をした。
その後、グルンガルは相手の兵士にも声を掛けている。どのような兵士にも彼は同じように接していた。それが彼が慕われている理由だった。
その日の訓練は全て終了した。
実花はメメルカの私邸に帰っていた。
更衣室でネルカの手によって衣服を脱ぐ。あちこちに擦り傷や切り傷がある。ネルカは心配そうに彼女の細い背中を見つめていた。
「どうしたの?」
視線を感じた実花は、顔だけを後ろに向けて聞いた。
「いえ……なんでもありません」
ネルカは首を振った。
それから訓練でかいた汗を流すために浴場へ向かい、熱い湯にその身を浸す。
「つっ……」
傷がしみて、痛みが走った。実花は思わず眉根を寄せる。
「大丈夫ですか?」
相変わらず湯に浸からないネルカは、心配そうな声を出した。
「うん、大丈夫、平気だよ」
「ですが、あんなに綺麗だったお体が、こんなにぼろぼろになって……」
「なんてことないよ、これくらい。それにね、嬉しいんだ、私」
「嬉しい?」
「うん。もうすぐお兄ちゃんを本格的に探せると思うと、嬉しいの」
「そう……ですか」
ネルカは、実花には相変わらず自由が許されていないのを知っている。だから、実花の発言は痛々しく聞こえてならなかった。
「そんな顔しないでよ、ネルカさん」実花は振り返って言う。「私ね、考えたんだ。英雄として有名になって、津村実花って名前をあちこちに広めれば、お兄ちゃんが私に気付いてくれるんじゃないかって」
「……確かにそれなら、ミカ様の事に気付いて下さるかもしれませんね」
「それに……もしかしたらマ軍に占領されている町や村にいるかもしれないし……。だからそのためには、私は強くならなくちゃいけないの」
あるいは、お兄ちゃんはドグラガ大陸の方にいる可能性だってあるかもだけど、実花はその可能性を口にする事は止めた。
それにその場合でも、メメルカ・ノスト・アスセラスの事を抜きにしても、戦争に参加する事が必要になってくるだろう。
だからやることは変わらないのだ。
実花は湯面に映る自分の顔を見た。ゆらゆら揺れていて、歪んでいる。
この考えが本当に有効なのか分からない。もしかしたらという否定的な考えは、いつだってすぐ近くで睨んでいる。
実花は、湯面に映っている自身の顔を掻き消すみたいに、両手でお湯をすくって自分の顔にかけた。
とにもかくにも、目下の目標は模擬戦でまず一勝を挙げる事。それができなければ、戦争で活躍する事もできないだろう。
体力差をカバーできる有効な手。それは一体どうしたら良いんだろうか。
実花は考える。
でもなかなか思い浮かばない。考えれば考えるほど泥沼にはまっていくようだった。それでついつい兄の稔との思い出を考えてしまう。
例えばその時浮かんだのは、ゲームセンターで遊んだ時の事。あの時は西尾雫の母、良枝の誕生日プレゼントを駅ビルで買った帰りだった。UFOキャッチャーで猫のぬいぐるみを取るために、稔が悪戦苦闘していた事を思い出す。あの時取ってくれたぬいぐるみは、今でも部屋の中にいるはずだった。
そういえば、あのぬいぐるみはどうやって取ったんだったっけ。
その瞬間、実花ははっとした。
魔法の壁の攻撃的運用、その案の一つを今、思いついたのだ。
翌日、いつも通りのメニューを終えて、いよいよ模擬戦が開始される。
実花は頭の中でシュミレーションを繰り返していた。今度こそ、という思いが強かった。
そうしていよいよ実花の番である。
実花は昨日と違って、木剣を正眼に構えた。対する相手の兵士も同じ構え。
「はじめ!」
合図と同時に実花は駆けた。兵士は昨日と違う実花の動きに驚きながら、冷静に待ち構える。技術も力も自分の方が上だという自負があった。
実花は走り込みながら、勢いに任せて木剣を横薙ぎに放つ。相手は眉一つ動かさずに実花の攻撃を受けた。
同時に実花は叫んだ。
「ホスト!」
魔法の壁が発動した。壁は実花から半径一メートル半まで瞬間的に大きくなる。それは絶対で、誰にも防ぐ事はできない。
「うわっ!」
兵士は魔法の壁に弾かれた。それはまるで、UHOキャッチャーの腕が開いて、景品を押し出すみたいに。
兵士は耐える事ができず、尻餅を着く。まさかこのような使い方があるなどとは、想像すらしてこなかった。
「ゲスト!」
実花はすかさず魔法を解除して兵士に詰め寄る。焦った兵士は慌てて起き上がろうとしていた。
だが実花の方が速い。木剣を振るい、兵士の首筋で寸止めする。
「そこまで!」
停止の合図。実花の初勝利が決まった瞬間だった。
「いやったあっ!」
思わず手を挙げて喜びの声を上げた。これでお兄ちゃんへ一歩近づく事が出来た。そう感じた。
礼をし終えた実花に、グルンガルは言う。
「今のは良かったです。ですが、そう何度も通用する方法ではありませんから、他の手段も考え続ける事が必要です」
確かにそうだろう。実花は自分でも分かっていた。今のは相手の不意を突いたのも同然で、次に同じ手が通用するとは思えない。
だけど今はこの喜びを噛み締めていたい。
「はい。ありがとうございます!」
と再び礼をした実花に、グルンガルは笑みを浮かべた。
それからネルカの元へと向かった。彼女は満面の笑顔で迎えてくれた。
「おめでとうございます!」
「ありがとう、ネルカさん」
実花は顔を綻ばせた。
グルンガルは、城にあるメメルカの部屋を訪れていた。
「今日、ツムラミカ様が模擬戦で勝利致しました」
と、グルンガルは報告する。
「そう」とメメルカは口角を上げた。「それで、どうなのですか? あの子は魔人を倒せそうでしょうか?」
「それは、実際に戦ってみなければ分かりません。知っての通り、魔人は一体一体が特異な魔法を一つだけ操ります。その辺りはツムラミカ様も同じですが……そうなってきますと、相性と言うものが出てくるでしょう」
「なるほど。つまり、相性さえ良ければ、あの子は勝てると」
「はい」
「ふむ」
メメルカは顎に手を当てて思案している。
グルンガルは、そうした王女殿下の横顔を観察していた。彼女の美貌はまるで鋭利な刃物である。油断をしていると、こちらが危うくなるほどの。
やがて考えがまとまったのか、メメルカは口を開く。
「そういえばちょうど彼女専用の剣も出来上がる頃合いですね。ちょうどいいでしょう。何よりも帝国には時間がない」
「……本当にさせるのですか? 彼女はまだ小さい」
「当然でしょう。そのためにあなたに預けたのだから」
グルンガルは、恐ろしいと思った。今は亡き第一王子は母親に似ていたが、彼女は間違いなく父親似だ。あの恐ろしい帝王の血を、色濃く受け継いでいる。
そうしてメメルカは、冷然と笑って告げる。
「ツムラミカ様に、あの岩で出来たおぞましき魔人を殺してもらいましょう」
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