四十四 交信

 太陽がさんさんと輝く昼間である。

 とある町の町長の家。その中にある執務室で、岩の魔人であるズンガは、頬杖を突きながら山のように束になっている報告書に目を通していた。

 退屈すぎる、とズンガは思う。やはり武人は戦場にいるべきだ。机仕事などすべきではない。

 だがマ軍の先遣隊の大将を務めている以上、こうした面倒な書類仕事もこなさなければならないのだ。それが義務なのだとマ王は言っていた。

 しかしズンガは知っている。とうのマ王自身も時折さぼっていては側近に怒られているのを。それでもマ王はやるべきことをこなしているのは間違いない。ならばズンガもしなければならないのだ。

 しかしそれでも、戦場が恋しい。


 今現在、マ軍は停滞していた。

 戦争をし続けるためには当然ながら食糧が必要だ。満足な食事ができなければ士気の低下にも直結する。だから今はそうした物資を確保している最中なのだった。

 だがグラウノスト帝国の帝都に近づけば近づくだけ、どうしても調達するのが大変になってくる。そのため本国からの支援に加えて、占領してきた街や村から手に入れる必要があった。

 そこで思わぬ活躍を見せたのは、解放した元奴隷たちである。

 彼らは自分たちを解放してくれたマ軍に感謝し、積極的に協力してくれるようになった。中には、自ら戦いたいと申し出てくれる者さえいる。しかし、何の訓練も受けていない人間と、戦闘に特化した魔人たちでは大きく差が開きすぎているせいもあって、ズンガは丁重に断った。

 その代わりに彼らは、兵站を担う事となった。過酷な重労働をこなしてきた事もあり、体力がある。何よりも、兵站のために多くの魔人兵を割く必要がなくなり、せいぜい護衛のために数人の魔人を割り当てるぐらいで済むようになったのは、ズンガにとって非常に歓迎する事だった。

 そのおかげで進軍速度は僅かであるが向上した。そうしてこの僅かの差が、時に勝敗に直結する事をズンガは経験則から理解していた。

 それでも、さらなる進軍のために備蓄を増やさなければならないのは避けて通れない。その間にも、帝国は着実に準備を進めていることだろう。

 攻めるのは守るよりも難しいのである。相手の土俵で戦うのだから、当然だ。

 しかしズンガはほくそ笑んでいた。こちらが不利になればなるほど、戦闘が面白くなる。帝国にはどんどんと力を付けて欲しいと心底願っていた。圧倒的な勝利はつまらないのだ。


「ズンガ」

 ノックもせずに緑色の髪の少年が執務室に入室した。中性的な可愛らしい顔立ちに、筋肉があまり付いていない華奢な体格と低い身長。見る人が見れば女の子と勘違いされそうな容姿だ。

 呼ばれたズンガは、書類の山から顔を上げる。けれどノックをしなかったことを咎めるような視線はない。そもそも魔人たちに、そのようなマナーを持っている人はごく少数しかいないのだ。

「ペルか。どうしたんだ?」

「マ王様から連絡」

 ペルは淡々と言った。

「分かった。早速始めてくれ」

 ズンガがそう言うと、ペルの頭頂部から、にょきりと一本の触覚が立ち上がった。

「繋がった。言って」

 表情を少しも変える事もなくペルは言った。彼の笑った顔や、泣いた顔をズンガは見た事がない。

「マ王様。何か御用ですか?」

 ズンガはそう伝えた。もちろんマ王の姿はここにはない。しかし、数秒の後、

「ズンガか。元気か」

 と、ペルーの口から、ペルーの声で返事が来た。

「はっ。マ王様もご健勝のようで」

「ああ。そっちの様子はどうだ?」

 と、またも数秒の時間をおいて、ペルは言った。

「はっ。今は次の準備を行っている所です。特に問題は起きておりません」

「そうか。だが戦線を拡大していけば、それだけ守りが薄くなる。先程そちらに援軍を向かわせた。着くのはだいぶ先だろうが、活用しろ」

「ありがとうございます」

「構わない。奴隷たちの解放は順調か」

「はっ。仰せの通り、奴隷たちは全て解放させております。共に戦いたいと申し出てくれましたが、足手まといのため断り、兵站の方へまわってもらいました。許可も取らずに申し訳ありません」

「それでいい。むしろ良くやった。彼らの自由意志をなるべく尊重しろ。彼らは自由だ。彼らのやりたいことをやらせるのが一番いいんだ」

「はっ」

「何度も言うが、無理な攻めはするなよ。相手が降伏したら、手厚く扱え。捕虜を拷問するな。強姦をさせるな。これを兵に徹底させろ」

「分かっております。今の所、そのような愚行を犯す者はおりません」

「ああ。それなら良いんだ。では、通信を終える。何かあればすぐに連絡しろ」

「はつ」

「……通信、終わり」

 と、ペルは言った。触覚が倒れる。

 ズンガはため息を吐いて、ペルを見た。

 彼には双子の妹であるメルがいる。二人の魔法は特殊だ。思念を魔力に乗せて、触覚で送受信することで意思の疎通が可能となる。地球の技術で言えば電話に該当するだろう。

 マ王は優しい、とズンガは思う。思えば、この非常に便利な魔法を使える二人の内一人を、最後まで戦場に送る事を迷っていたのはマ王だった。それでも戦場に送る事に決めたのは、他ならぬペルとメルが熱烈に志願したからであった。

 だがマ王の帝国に対する憎しみは本物だ。過去に何かが起きた。それは確かだ。けれどマ王は頑にそれを明かさない。

 ズンガは、それでいい、と考えている。マ王の過去を知ったからと言って、皆の信頼は変わらない。混沌としていたドグラガ大陸を一つにまとめ、魔人は人間なのだと主張してくれる彼の事を、皆が感謝しているからだ。そうして、そんなマ王だからこそ、皆はついていくのだ。他ならぬズンガ自身もそうだった。

「ペル」

 と、ズンガは目の前の少年に呼びかけた。

「なに?」

「マ王様は好きか?」

「うん」

 ズンガはその大きくて堅い岩の手で、ペルの頭を撫でた。




 ドグラガ大陸のマ国は、ヒカ大陸との時差の関係で今は夜だ。

 マ国の城の一室は、壁に掛けられたたいまつの灯りで照らされている。

 仮面をつけ、灰色のローブで全身をまとった若い男と、一本の触覚を立てた緑の髪の少女、それから白髪の老人に、まるで液体みたいな透明感のある淡い水色の髪を腰まで伸ばした少女がいる。

「通信終わり」

 ペルと瓜二つの魔人の少女、ネルは、立ち上げていた触覚を寝かした。

「ありがとう」

 と、仮面をつけた男は言い、ネルの頭を撫でる。

「ん」

 ネルは嬉しそうに呟くが、その表情は殆ど変わらない。近しい人でなければ、彼女の感情の変化に気付かないだろう。

「ペルの様子はどうだった?」

「元気。でも女の子の服を着せられそうになるのが困るって言ってた」

 仮面の男は思わず想像して、少し見てみたい、と思った。さぞかし似合うだろう。

「それで今日はネルと寝る?」

 抑揚もなくネルはとんでもない事を言った。

「何度も言うけど、寝ない」

 男は慣れた様子で言った。

「残念」

「なら、私と寝ますか?」

 今度は、長髪の少女が言った。

「寝ない」

「むー」

 長髪の少女はむくれた。

「かはははっ」白髪の老人が笑い、それから真剣な面持ちになって言う。「ツァルケェル様、子供を作るのも王の務め。でなければ誰がこのマ国を治めていきましょうか」

「今は戦争中だから、とりあえず俺がマ王をしているだけだよ、ガーガベルトさん。戦争が終われば、もっとふさわしい人になってもらうさ」

 仮面をつけた男、ツァルケェルは、そう言った。

「そんなことないです!」と、長髪の少女が否定する。「ツァルケェル様以上にふさわしい方なんていません! みんな、あなた様だから一つにまとまる事が出来たんです! あなた様あってのマ国なんです!」

「セールナ、ありがとう。でも、やってみて分かったんだが、やっぱり俺は王様ってがらじゃないんだよ。それに俺はマ国を利用しているだけだ。そんな俺が、王であり続ける資格はないんだよ」

「ご謙遜をなさるな」と、ガーガベルトは言う。「セールナの言う通り。みんな、ツァルケェル様だからこそここまで着いて来たのです。メルもそうじゃろう?」

「ん。メル、マ王様好き。力になりたい」

 ツァルケェルは頬を掻いた。人々の好意は嬉しい。期待を寄せられるのも悪くはない。けれど常に付きまとっているのは、本当の自分に、王としての役割は決してこなせないという思いだった。

 今は、騙しているだけだった。自分を騙し、周囲を騙し、どうにかごまかして今までやってきた。けれどいつか限界が来るだろう。ツァルケェルは、そんな風に考えている。

「さあ、もう寝ろ。明日もやることは山積みなんだから」

 ツァルケェルは、虫を追い払うみたいに手を振った。

 部屋の中にいた三人は、それぞれが挨拶をして部屋から出て行く。

 全員がいなくなるのを見届けたツァルケェルは、ふう、とため息を吐き出して、ベッドの上に寝転んだのだった。


 自室に戻ったセールナは、木窓を開けて、夜の空を見上げた。

 今夜は二つの月が見事な満月になっていて、その周りを星が瞬いている。綺麗だなあ、とセールナは思った。

 あの二つの月には神様が住んでいる、とガーガベルトから聞いた事がある。二人だけの神様は恋人同士で、だけど月に住んでいるから会う事が出来ないのだと。悲しい宿命の二人。だから思わずセールナは、なんとか再会できる方法はないのかとガーガベルトに尋ねてみた。でも返って来た答えは、否定だった。

 あの大きな方の月をマ王ツァルケェルだとすれば、セールナは周囲で瞬く星の一つに過ぎないのだと思う。それでもう片方には誰かがいて、ツァルケェルはその誰かの事を想っているのだろう。乙女の勘で何となく分かる。

 だけどそれでも構わない。近くにいるだけで十分だ。

 そうしてセールナは彼と出会ってからの事を思い返す。

 それは数年前の事だった。セールナは暴漢に襲われそうになった。だけどその時突如として現れた彼が助けてくれたのだ。あのまま彼が現れなかったら、もしかしたら命もなかったかもしれななくて、思わず背筋がぞっとする。

 彼とはそれからの付き合いだ。当時、住む所がなかった彼を、恩返しのつもりで家に泊めてやった。男と二人で住む事に、不思議と抵抗感はなかった。

 それから本当に色々な事が起きた。ズンガとの決闘。ガーガベルトとの出会い。集団で暴行を働く者たちを蹴散らしたりもした。

 噂は広がり、いつの間にか彼の周りには沢山の人が集まるようになった。

 それは一つの村になって、町になって、ついには国になった。

 彼と出会った時には、こうなるとは想像することすらできなかった。

 そうして、いつの間にか、セールナはツァルケェルの事が好きになっていたのだ。

 だけど、ずっと一緒に暮らして来たけれど、一度も手を出してくれない。同性が好きなのかとも思ったけれど、どうやらそうではないらしい。

 思えば、セールナと出会った時以前の事は良く知らない。ヒカ大陸にある帝国に対して深い憎しみがあることぐらいだ。それ以外の事は、何もかも分からない。聞いても、頑に話そうとしてくれない。

 それがとても悲しかった。

 けれどセールナは決めていた。自分の一生をツァルケェル様に捧げる事を。なぜなら彼の周りで輝く星の一つなのだから。何処までだってついていく。例え一緒になる事ができなくても。

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