四十三 雷鳴の斬撃
自室にある使用人用の簡素なベッドの上に寝転んだネルカは、酷く心配していた。
昨日、帰って来た津村実花の顔色が酷く暗くて、何かが起きたのは明白だったからだ。
それに、実花が付けていたあの首輪だ。美しい模様が入っていたし、赤い色も実花に良く似合っている。ああいう装飾品もありだとネルカは思う。だけど、どうしようもなく不吉に感じていた。
なぜなら、首輪と言えば真っ先に奴隷を連想してしまうからである。町の中を歩いてみても、普通の人々が首輪をしている姿を見たことは、記憶の限りでは一度もない。それに、あの嗜虐趣味のメメルカ・ノスト・アスセラスが着けさせた代物なのだ。何かがあると考えた方が良い。
同僚と交代して休憩に入ったネルカではあったが、あのまま交代せずに実花と一緒にいた方が良かったように思う。彼女が心を許している相手は、一日の大半を共に過ごしているネルカ自身しかいないようだからだ。でも、最低でも就寝時間は、代わりの者と交代しなければならない規則がある。だから、後ろ髪を引かれながらも、交代したのだが。
ともかく明日、話を聞いてみようとネルカは考える。多分話してはくれないだろうけれど、少しでも実花が抱えている重荷を軽くしてあげたかった。
しかし。
翌日、またしても朝一番でメメルカが実花の部屋に入って来たのだ。
緊張で身を堅くするネルカの側で、実花は小さな身体を震わせている。
「おはようございます、ツムラミカ様」
と、メメルカは礼儀正しく挨拶をした。けれど実花は、暗い顔を地面に向けているだけで、何も返さない。
「今日は、魔人を倒すための訓練を行ってもらいます」
実花の態度を気にすることもなく、メメルカは言った。けれど実花の返事はない。
「よろしいですか?」
王女はにこやかに聞いた。その笑みに異様な圧力を感じて、ネルカは薄気味悪さを感じる。
「……はい」
実花は消え入るような声で承諾した。
「ネルカ」
メメルカは、次にネルカと向き合った。
「はい」
「あなたも来なさい」
当然ながら、選択肢はない。
「分かりました」
と、ネルカは頷いた。
三人は、二本の角が生えた四本足の獣が引く馬車に乗って移動している。もっとも引いているのは馬ではないため、馬車と言う名称は適していないだろう。しかし、今の実花に正式な名称を尋ねる気力はなかった。
がたがたと揺れる中、実花は、俯いたまましきりに首輪を触っている。対面に座っているメメルカは、そうした実花の事を興味深そうに眺めていた。
ネルカは実花の隣に腰掛けている。暗い雰囲気に圧し潰されそうだ。実花の事を励ましてやりたかったのに、メメルカの存在が怖くてそれができない。だからただ黙ってこの場を耐え続けるしかなかった。
やがて馬車は城門の前で停車した。
ネルカはすぐさま降りると、素早く動いてメメルカの横の扉を開く。それからようやくメメルカは馬車から降りた。
続いて、ネルカは実花側の扉を開ける。けれど、実花は動かない。
メメルカの刺すような視線に気が付いたネルカは、
「ツムラミカ様」
と、心配そうに声を掛けた。
実花は、何も言う事もなく、ゆっくりとした動作で降りる。
それから三人は、メメルカの先導で歩いていく。門兵に挨拶をして城門をくぐり、向かった先は城の外れにある広場であった。
そこはいわゆる練兵場だ。大勢の兵士たちが整然と並び、威勢の良いかけ声とともに剣の素振りをしている最中であった。
実花たちは暫くその光景を眺めていた。一つ一つの動作が、かけ声が揃っている。戦時中であるからだろう。誰も彼もが真剣な表情で、訓練に勤しんでいる。
「止め!」
集団の前で見本となるために剣を振るっていた男が号令を出した。男はメメルカへと顔を向けて、敬礼する。
「おはようございます! メメルカ王女殿下!」
男に続いて、集団も一斉に敬礼した。一糸乱れぬその挙動は、長い訓練をまじめにこなしてきた裏付けだ。
メメルカは一歩前に出て、気味が悪いほど美しい微笑みを浮かべる。
「おはようございます。皆様、今日も頑張っておられますね。本当に頼もしいです。これなら、かの邪悪な魔人どもが帝都に押し寄せても、たやすく一掃してしまう事でしょう」
涼やかな声は、兵たちを魅了しているようだった。ぼーと顔を赤らめて、メメルカの声を聞き入っている。
メメルカは男の元へと歩んだ。
「団長様」と、他には聞こえないように声を出す。「あの子が、そうでございます」
男は、目線をメメルカの後ろにやった。一人はメイドである。ならばもう一人がそうなのであろう。小さな子だ、と男は思った。あれが王女殿下の秘策なのか? 細い身体で、どう見ても戦うには向いていなさそうに見える。
「団長様。あなた様の懸念は分かります」まるで男の思考を読んでいたかのように、メメルカは言う。「ですが、彼女は素晴らしい力を持っています。今から、それをお見せしましょう」
練兵場の中央で、実花は視線を地面に向けて立っている。大勢の兵たちは、実花から離れた所で彼女の事をざわめきとともに眺めていた。
メメルカとネルカの二人と、メメルカが団長と呼んだ男は、そうした集団の一番前にいる。
「それでは始めて下さい、ツムラミカ様」
王女は、自らの首を触りながら言った。
実花の身体がぴくりと震えたように、ネルカには見えた。
「……ホルト」
と、実花が呟いたその瞬間、うっすらと輝く壁が実花の中から生まれ、広がった。
兵士たちが「おおっ」と驚きの声を上げる中、メメルカは一歩前に出て手を突き出した。
突き出した手の平の中で炎の玉を作り出し、それを躊躇なく実花に向けて飛ばす。だが実花は動かない。
当たる! そう思ったネルカは咄嗟に目を瞑った。脳裏に浮かぶのは火だるまになって苦しむ実花の姿。だが暗闇の視界の中で聞いたのは、悲鳴ではなかった。兵士たちの驚愕の声である。
恐る恐るネルカは目を開けると、実花の無事な姿がそこにあった。
ほっと安堵するネルカ。
「これがツムラミカ様の魔法です」とメメルカは言う。「どのような攻撃であっても防ぐ事が出来る魔法の壁。彼女ならば、魔人の魔法ですら防ぐ事でしょう。……では、そこのあなた」
「私、ですか?」
メメルカが指名された兵士は、見るからに屈強そうな男である。
「試しに、剣で壁を切ってみて下さい」
「……分かりました」
王女殿下にそう頼まれては断れるはずがない。指名された男は、魔法の壁に近寄って、緩く剣を振るった。
壁に当たると、堅い手応えが確かにある。
「遠慮はいりません。本気でお願いします。例えば、憎き魔人を斬り殺すような力で」
背後からのその言葉に、兵はごくりと唾を飲み込んで、大上段に構えた。そうして、言葉通りに思い切り振るう。風を切る音と共に、剣は壁に衝突した。
「うわっ!」
あまりの衝撃に剣が弾かれて、すぐ後ろの地面に飛ばされた。兵の手の平がじんじんと痛んでいる。
兵は壁を観察するも、傷一つついていない。
馬鹿な、と兵は半信半疑だった。確かに本気の一撃だったのだ。なのにこの壁は平然としている。魔法の壁を作る事は、自分にもできる。だが、ここまで強力な壁は作れない。そうしてそれは、他の人にだって無理だろう。あの英雄の一人である騎士団長であっても、一撃を防ぐたびに壁を作り直さなければならないはずだ。なのに、この小さな少女が作った壁は、堅牢なまま存在している。作り直したような痕跡も見当たらない。
兵は剣を拾った。すかさず一合、二合、三合と、怒濤の連撃を放つ。しかし壁はびくともしない。
「総員でかかれ!」
団長は大声で命じた。
途端、兵士たちは雄叫びを上げながら一斉に走り込んで、半球体状の壁を取り囲み、闇雲に斬りつける。けれども、三百六十度のどこであろうとも、小指の先程の傷さえつかない。
壁を斬り続ける部下たちを暫く見続けた団長は、メメルカへ顔を向けた。
「あの技を、使用してもよろしいでしょうか?」
そう尋ねる団長の顔は、心なしか愉快そうである。メメルカは微笑みながら、
「もちろん、構いません」
と答えた。
「総員、下がれ!」
その号令を聞いた兵士たちは、素早く壁から離れた。全員が、団長に注目している。
団長は、ゆっくりと歩きながら、鞘に納まっている剣を抜き払った。それから、剣を高く上げると、青白い光が刃を覆った。
「おお」
と、兵士の誰かが感極まる声を発した。
「あの技を見られるぞ」
「素晴らしい」
兵士たちのざわめきに耳を傾けながら、ネルカは思い出していた。かつてこの国を襲った一人の魔人を倒した三人の英雄。その中の一人は確か、今は騎士団長の役職についていると。
団長が振り上げた剣から、紫電が迸り始めた。
雷の魔法は非常に高度な魔法である。雷を発生させるだけでも、才能がいる。さらにその制御は困難を極まり、発生をさせることができても、思い通りに操作できることには至らない。しかし、英雄の一人は、雷を剣にまとわせる事で解決したのだ。
団長は、壁の前に辿り着いた。両手で柄を握りしめると、さらなる紫電の光が周囲を照す。
あんな、あんな技を、実花の壁にぶつけるのか。
ネルカは、心臓が止まりそうなほど怖かった。聞いた話によれば、雷が宿ったあの剣を一振りしただけで、周囲一面が吹き飛んだのだと言う。もしも実花の壁があの攻撃に耐えることができなければ、彼女は死んでしまうんじゃないか。ネルカは知らず知らずのうちに、自分の腕で、自分の身体を搔き抱いていた。だけど、止めて、の一言をネルカは言う事が出来なかった。
少女の死を気にしていないのか。団長は、非情にも剣を振り下ろした。
激突した瞬間、眩い光が視界を支配し、落雷に似た轟音が轟く。
耳鳴りが頭の中で響く。真っ白な世界だけが見えている。
そうして数秒の後、視界が徐々に明瞭になっていく。耳鳴りもいつの間にか納まっていた。
果たして実花は無事なのだろうか。静寂の中、ネルカは祈るような気持ちで注目した。
驚くべき事に、実花の魔法の壁は、団長の渾身の一撃に耐え切っていた。中にいる実花も、特に何の異常もないようだった。
ネルカは、再び安堵した。本当に生きた心地がしなかった。
兵士たちは、誰もが目を剥いて驚き、言葉を失っている。まさかあの一撃を防ぎ切るとは。恐るべき魔法である。
団長は剣を地面に突き立てた。恐ろしい形相をしている。けれど次の瞬間には、ふ、と笑みをこぼして、拍手を送った。
ぱちぱちぱち。遠巻きに眺めていた兵士たちも、団長に倣って拍手をし始めた。
賞賛を受けている実花は、顔を赤くさせて、戸惑っていた。
魔法を解除した実花の元に、団長と、メメルカと、ネルカが歩いて来た。
「紹介を致します」と、メメルカは言う。「彼女の名前は、ツムラミカ様。今回の戦争にて是非とも力を貸したいと、志願していただけました」
ぺこり、と実花は頭を下げる。
「それでこちらが、グルンガル・ドルガ様でございます」
「騎士団長をやらせて頂いております。話は既に聞いておりましたが、なるほど、確かに素晴らしい魔法でした。私の一撃を防がれたのは、魔人以外では今回が初めてです。失礼ながら、どのようにしてあのような魔法を構築しておられますか?」
何と答えれば良いのか、実花は迷う。ゴゾルに改造された身体が行う魔法なのだ。魔法理論なんて分かるはずがない。
「申し訳ありません、団長様」代わりにメメルカが口を出す。「彼女は意識してこの魔法を使っているわけではないのです。幼き頃より、特に考える事もなくこの魔法を操って参りました。そのせいなのか、ご自身の魔力にも酷く鈍感で、魔力をどのように操っているのかも無自覚なのです。おかげで魔法の壁を作れることしかできません。ですので、他の方に説明する事ができないのです。私の顔に免じて、どうか許してやってはもらえないでしょうか?」
「それは……」と、グルンガルは驚く。「こちらこそ、謝罪させてもらえませんか。そのような境遇では、とても大変であったことでしょう。しかし、私はあなたを評価しています。その魔法は素晴らしい。是非とも、我々とともに戦って頂きたい」
メメルカが実花を見た。鋭い視線だった。
「もちろんです……。私でよければ、手伝わせてください」
実花は暗い声で言った。それをグルンガルは、本人の自信のなさの表れだと解釈する。
「本当に、あなたの魔法は素晴らしいと思っていますよ。その魔法は、紛れもなくあなたの才能です。他の魔法が使えないからと言って、自らを卑下する必要はありません。あなたの魔法は、他の誰にもマネできないのですから」
「……はい、ありがとうございます」
「それでは団長様。前に言った通り、彼女に戦い方を教えて頂きませんか?」
メメルカは、これ以上ぼろが出ないうちに、話を進める事にした。今の所、実花がゴゾルの改造によって魔法が使えるようになった異世界人であることは秘密だった。
「そうでしたね。少々、お待ちを……。シーカ!」
グルンガルの呼ぶ声に、「はっ!」と元気な声が返って来た。それとともに、一人の女性が兵の中から出て来た。
短い銀の髪。整った顔立ち。一見して男性的な彼女は、メメルカとは違う美しさがあった。
「シーカ・エトレセです。副団長を務めております」
「こちらはツムラミカ様だ。お前が教えろ」
「はっ」
と、団長の指示に返事を返したシーカは、実花の事をじろりと見た。
「こっちよ。来なさい」
実花はメメルカを一瞥した。メメルカは顎をしゃくらせて、早く行けと言葉なく命じる。
実花はシーカの後ろをついていく。
目的地はすぐ近くにあった。そこは兵舎である。
入り口近くの部屋の中にシーカは入った。続いて実花も入ると、そこには沢山の武器が置かれている。剣に斧に槍に弓矢。種類も様々だ。
シーカは剣を一本手に取ると、実花に渡した。
「訓練用の剣だ。振ってみろ」
実花は恐る恐る柄を握った。想像以上のずっしりとした重みが手にかかる。持ち上げて振ろうとするも、よろけて振る事が出来ない。
「お、重いです」
ふん、とシーカは鼻で笑う。
「やはりな。お前程度の体格で、まともに振れるわけがない。だがここに子供用の剣などない。……とはいえ、これは王女殿下の命令だ。やらぬわけにはいかない。気は進まないがな」
シーカは奥に進み、部屋の隅にある大きな木箱を開けた。彼女はそこから木剣を取り出す。
「代わりにこいつを使え」
と言って、木剣を投げた。実花は慌てて木剣を受け取る。元々運動神経は良い方だ。ただ、稔がいなくなってから、あまり活動的ではなくなっただけで。
手にした木剣をまじまじと見つめた。焦げ茶色をしたそれは、木を削り出して作られている。しかしそれは軽いわけではない。それなりに重さがある。けれど金属の塊である剣よりは軽い。これなら何とか振れそうだ。実花は軽く剣を振った。
それをシーカは冷めた目で見つめている。実花の事を疎ましく思っているのは明白だ。けれど実花には拒否権がない。
「ありがとうございます」
と、実花は笑顔を作って礼を言った。友達と過ごす時、嘘の笑顔を浮かべて楽しそうな振りをしていた実花にとって、こんなことは何でもないことだ。
……メメルカと一緒ね、と実花は内心で呟いた。演技で浮かべる笑顔が得意という、嫌な共通点。それでも実花は演技をする。
「私、がんばります」
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