四十二 初めての魔法

「おめでとうございます。これで全ての手術は終了しました」

 メメルカ・ノスト・アスセラスは、被り物を被っているみたいな微笑みを浮かべてそう言った。

 津村実花は、ベッドの上で、それをきょとんとした表情で聞いていた。無理もない。実花は起きたばかりだったから、まだ頭の理解が追いついていなかったのだ。

 ともかく視線を動かしてみる。ここはメメルカの私邸の中にある、実花にあてがわれた部屋だった。

 メメルカの一歩後ろにはネルカがいる。彼女は笑顔だ。

 そこでようやくメメルカの発言の意味を理解した実花は、しかし実感が湧かなかった。自分の身体に何か変化が起きているようには思えない。本当に、魔法が使えるようになったんだろうか。

「ツムラミカ様には三日間休んで頂いた後、魔法の実験を行って頂きます」

「……あの」と実花は言う。「本当に、魔法が使えるようになったんですか?」

「ゴゾル様の手術が無事に成功していれば、使えるようになっているはずです」

「それなら、今すぐにでも実験を行いたいです」

 少しでも早く兄である稔を探したい。その一心で実花は提案した。

 するとメメルカは、嬉しそうに破顔する。

「最低一日は、身体を馴染ませるために休まなければいけません。ですので、明日、早速行う事に致しましょうか?」

「はい!」と、実花は即答する。「お願いします!」

「分かりました。それではゴゾル様に伝えておきますね。ツムラミカ様は、ゆっくりと身体をお休めください」

「ありがとうござうます」

 と、実花は頭を下げた。

 満足そうに頷いたメメルカは、優雅な足取りで部屋から退出した。


 そうして翌日。

 実花とメメルカはいつものようにゴゾルの家にやって来た。

 長く暗い階段を下りた先にある扉を開く。

 二人の視界に広がったのは、白いドーム状の部屋である。ついこの前手術をした部屋とは明らかに違う部屋になっていて、驚いた実花はメメルカの顔を見た。メメルカは微笑みを浮かべて実花の視線に返す。説明もない、がメメルカにもよく分かっていないだけである。

 部屋の中央にはゴゾルがいた。

「あ、あの、この部屋って前と違うんですけど……」

 実花は当然の疑問を口に出した。

「今回はこの部屋に空間を繋げたのだ」

「く、空間を繋げる?」

 説明になっていない説明をされて戸惑う実花に対して、ゴゾルはそれ以上何も言わない。

「さて」と、切り出したのはメメルカだ。「今回は魔法の実験とのことですが、ツムラミカ様には一体なにをさせればいいのでしょうか」

「大した事ではない。まずは魔法が正常に使えるのかの確認をする。メメルカは俺の近くまで来い。ツムラミカはそのままだ」

「分かりました」

 とメメルカは頷いて、ゴゾルの横に並んだ。

「それではゴゾル様、例の物を」

 王女の言葉に首肯したゴゾルは、汚いローブの中から赤い輪っかを取り出した。

「これはツムラミカ専用の首輪だ。これがなければ、魔法を使う事は出来ない」

 受け取れ、とゴゾルは首輪を投げた。

 実花は慌てて受け取った。輪っかには、蔦と葉が巡り、小鳥が羽を休めている様子が繊細な描線で刻まれている。綺麗、と実花は思った。

「美しいでしょう」と、メメルカは言う。「その装飾は、帝都でも指折りの職人に彫らせました。ツムラミカ様は女の子ですから、野暮ったい物を付けさせるわけにはいきませんから。……さあ、ぜひともお付け下さい」

 実花は早速首輪を嵌めた。こういう装飾品を付けるのは初めてだ。稔に見せたらなんて言うだろう。

「綺麗です、ツムラミカ様。よくお似合いですよ」

 メメルカは笑んだ。

「ありがとうございます」

 お兄ちゃんも褒めてくれるかな。無理だろうな、と思いながら実花は礼をした。

「では、そろそろ始めましょう。ゴゾル様、よろしくお願いします」

「ああ。……ツムラミカ。魔法を発動させるためにはある言葉を言う必要がある」と、ゴゾルは言う。「ホルトだ。唱えてみろ」

 実花は緊張で唾を飲み込んだ。ファンタジーの世界でお馴染みの魔法。それを今、使おうとしている。だがネルカが言っていた方法とは違うようだ。果たして本当に使えるんだろうか。

 ともかく今は言う通りにする他にない。実花は口を開く。

「ホルト」

 途端、身体の中で何かが沸騰するような熱さを感じた。それは体内でぐるぐるとかけずり回り、膨らんでいく。

 爆発する、と思った瞬間、実花の身体を中心に半球体状の光り輝く何かが飛び出した。それは爆発的な勢いで膨らんで、半径およそ一メートル半の大きさの半球体の壁に変貌した。

 はっと目を見開かせた実花は、自分の身体から出現したそれに触ろうと思って一歩前に進んだ。しかし目の前の壁は、距離を保ったまま同じように移動する。

「成功だな」と、ゴゾルはほくそ笑んだ。「そいつは魔法の壁だ。お前がどう進もうとも、一定の距離を保ち続ける」

「魔法の……壁」

 呟いた実花は、試しにジャンプしてみる。すると同じように、壁も上に動いた。半球体状だと思っていたそれは、実際には球体状になっているようだ。ただ、地面や床においては何も影響が起きない仕組みになっているのである。

「この壁は、一体どのような効果があるのですか?」

 メメルカはゴゾルに尋ねた。壁を作るだけなら、メメルカにだって出来る。精製した魔力を薄く伸ばせばいいのだ。しかしその場合、大した効果は期待できそうにないが。

「では、次の実験に移ろう」

 ゴゾルはそう言って、右手を前に掲げ、指先を実花に向けた。魔力を集中させて、指先から弱々しい火を放出させる。

 放出された火はまっすぐ実花に向けて進み、壁と衝突した。だが火は、壁より向こうに進まない。薄く伸ばした魔力の壁なら、今程度の火でも喪失ししてしまっただろう。けれど壁は、未だ健在のようである。

 ゴゾルはさらなる追い打ちをかける。

「強くしていくぞ」

 ゴゾルの言う通り、火が徐々に大きくなっていく。それはごうごうと唸り、熱さがゴゾルやメメルカに届くほどだった。大きくなった炎に巻かれて、実花の姿が二人の目から見えなくなる。

 メメルカは冷静さを保ったままその光景を眺めていた。薄く伸ばした魔力の壁では、あの炎は防ぎ切ることができない。

 ツムラミカは無事なのか。

 そう考えた矢先、ゴゾルは炎を止めた。

 火が自然に消え、視界が明瞭となると、そこには実花の姿があった。無事みたいだ。

「俺の理論が正しければ、あの壁はあらゆる攻撃を防ぐ事が出来るはずだ。例えば、前の二人組の内の一人が放った魔法攻撃すらもな」

 もしもそれが本当ならば、それは驚嘆に値する。メメルカが知る限りでは、この世に存在する魔法攻撃において、前の二人組の内の一人が放ったもの以上はない。

「魔法だけですか? 物理攻撃ではどうでしょうか。例えば切断や、衝撃には?」

「試してみろ」

 ゴゾルは懐に手を突っ込んで汚れたナイフを取り出して、王女に手渡した。嫌な顔一つせずに受け取ったメメルカは、実花が作り出した壁に近寄った。

 ナイフを振り上げると、思い切り振り下ろした。キン、という金属音と共に、壁にぶつかったナイフはそれ以上動かない。

 メメルカは魔力を精製させて、腕に集める。集まった魔力は腕の筋肉を強化した。身体強化の魔法である。

 メメルカは魔法で強くした腕力を使い、さらなる力をナイフに込めた。だがびくとも動かない。もう一度斬りつけるも、結果は同じである。

「すごい……」

 と実花は驚いていた。本当に魔法だ。魔法を使えている。

 これ以上攻撃してみても壁を破れないと判断したメメルカは、後ろに下がった。

 どうやら本当に強力な壁らしい。

「確かに強力な壁だと思います。しかし、これで本当に魔人を殺せるのですか?」

 最もな疑問をメメルカは尋ねた。ゴゾルはにやりと笑う。

「分からん」

 メメルカは思わず面食らった。が、表情はすぐに元に戻る。

「私は確かにあなたに言ったはずです。魔人を殺す魔法を開発せよと。これならば、過去に我が軍が被害を被ったあの魔法の方がよかったのでは?」

「あの魔法を使用させるには体格が小さすぎる。それに、どのような魔法でも、使い方次第では強くもなるし弱くもなる。騎士がよく使う盾が良い例ではないか。盾は防御として優秀だが、攻撃にも応用できる」

「……もう一人を用意して、手術を行えばいいではありませんか?」

「それも無理だ。マグル石や、他の道具が品切れだ。集めるのに時間がかかりすぎる。その間に戦争が終わるだろうな」

 魔法学者、その中でもゴゾルは、自分の研究欲を優先させすぎる傾向がある。メメルカは手綱を上手く握っていたつもりであったが、天才の気まぐれほど厄介なものはない。何しろ次を用意している時間がないのも、ゴゾルの計算の内だろうからだ。メメルカは呆れたが、表情は少しも変わらない。

「……分かりました。良いでしょう。この魔法でどうにかさせましょう」

 ともかく理想とは違っていたが、この魔法の壁も使い道があるのは間違いない。いざとなれば魔法避けになってもらえば良いのだ。

「ではツムラミカ。次だ」

 そう言ってゴゾルは、実花に手を向けて魔力を集中し始めた。すると周囲に、十数個の石のつぶてが生み出された。

 驚いたのは実花だ。火に続いて何もない所から石も生まれた。ファンタジー世界の魔法が、本当に現実に存在していた事に驚きを禁じ得ない。

 石のつぶてが目にも留まらぬ速度で射出された。だが魔法の壁は難なく防ぐ。

 次にゴゾルは、人と同じぐらいの大きさの岩を魔力で作り出した。あれを防ぐ事が出来なければ、実花は確実に死ぬ。理論上は防げるとは言っても、所詮は理論。実践とは違う。メメルカのこめかみから冷や汗が一筋流れた。

 果たして巨大な岩は発射された。魔法の壁に衝突。雷鳴に似た巨大な音が響き、岩が砕け散った。

「くく、素晴らしいな」とゴゾルは満足げに笑う。「こいつはどうかな」

 ゴゾルの手の平から、今度は凄まじい勢いの水が細く放出された。岩を切断するほどの力を持つその水流は、実花の壁を貫く事は出来なかった。水滴が辺り一面に飛び散って、メメルカとゴゾルの衣服を濡らす。だが、実花には一滴もかかっていない。

 凄まじい、とメメルカは動じた顔を出さずにそれらの光景を眺めている。ゴゾルがあんなにも様々な魔法を扱えるとは思っても見なかった。しかも、そのどれもがすぐに実戦で使える程の威力があるのだ。普通なら、何か一つだけ、魔法の威力を高めるので精一杯だと言うのに。そうして、ツムラミカの魔法の壁はそれらをことごとく防いでみせている。これほどまで魔法を使いこなし、さらに新しい魔法を開発し、魔法が使えない人間を使えるように改造してしまうゴゾルは、紛れもなく天才だった。

 前にメメルカは、ゴゾルの事をメルセルウストで一番の天才だと言ったが、その時は、ただ褒めて、いい気分になって欲しくて言っただけだった。いうなればおべっかだ。しかし実際の所は、この世界で、いや、歴史上で最も優れた天才であるのかもしれない。

 危険だ、とメメルカは思った。今は味方に付いてくれているから、これほど頼もしい存在はいない。しかしもしも彼が敵に回ってしまったら? 想像するだけで背筋がぞっとした。

 上手く、本当に上手くゴゾルを扱わなければならない。ゴゾルは魔人よりもある意味で厄介な存在だ。下手すれば、ただゴゾル一人だけの力で国が滅んでしまいかねないのだから。


 それからもゴゾルは様々な魔法を撃ち放ち、そのことごとくを魔法の壁が防ぎ切った。

「奴の魔法を試せる事が出来れば良いのだが、仕方がない」と、ゴゾルは残念そうに言い、続ける。「それではゲストと唱えろ、ツムラミカ。それで魔法は解除される」

 これが最後の詰めだ。実花は真剣な面持ちで頷いた。

「ゲスト」

 唱えると、壁は、すぅ、と消失する。

「成功だ」

 そうゴゾルは言った。メメルカは彼の顔を見る。

「では、よろしいですね?」

「好きにしろ」

 それからメメルカは実花と向き合った。王女は口元に笑みをたたえている。

 実花は違和感を覚えた。今のメメルカの笑みは、これまで浮かべていた仮面を被っているみたいな嘘くさいものではなかった。では、実験の成果を喜んでいる笑みなのだろうか。

 違う、と実花は思った。だがそれ以上の吟味を遮断するかのように、メメルカは告げる。

「カトン」

 考える間はなかった。その言葉を聞いた瞬間、実花の首が強く締め付けられる。

「……う、ぐ……」

 実花は空気を求めるように大きく口を開けて喘いだ。だが、呼吸が出来ない。声が出ない。

 苦しい! 苦しい! 苦しい!

 反射的に両手で首輪を掴む。しかし苦しさは変わらない。

 涙が零れた。鼻水が出た。よだれが溢れた。

 頭がぼんやりしてくる。全身の力が抜けていく。

 実花の膝が折れて、そのまま前のめりに倒れた。

 全身を打つ。痛い。苦しい。

 意識が、遠のいていく。

 けれど失神する直前で、首の締め付けが緩んだ。

「はあっ! はあっ!」

 実花は全力で呼吸して、息を整える。死ぬかと思った。生きた心地がしなかった。

 しかし、本当の地獄はこれからだった。

「うぐ……」

 また、首が締め付けられる。酸素が欲しいのに手に入らない。

 再び意識が遠くなり、そしてまた首が緩む。呼吸をする。首が絞まる。繰り返し繰り返し行われる。

「うふ」

 笑い声が、聞こえた。

「うふふふ」

 不気味で、妖しい声だった。

「申し訳ありません、ツムラミカ様。私は嘘を吐きました」

 それはメメルカの声だった。

「先程ゴゾル様があなた様に与えた首輪は、本当は魔法を使えるようにするためのものではありません。奴隷の首輪を改造した物です」

 王女の美しい声は、未だに苦しみ続ける実花の耳朶を打つ。

「合い言葉を唱えれば、今体験している通り、首を絞めます。ですが安心して下さい。死にはしません。意識を失う前に、締め付けが緩むようにしてありますから。もっとも、その後でまた首を絞めますが」

 実花はメメルカに注意を向けられない。苦しみに耐え続けている。その間にも、メメルカは言葉を紡ぐ。

「これは、ツムラミカ様が愛して止まないお兄様を探しにいかれないようにするための保険です。どれほど距離が離れていようとも、合い言葉を唱えた瞬間に首を締め付けます。すでに動物で実験済みです。また、私が死んでも首輪は発動致します。十分なご注意をお願い致します。ああ、それから、首輪を発動させている間は、ツムラミカ様の魔法は使えぬよう設定されております。……まあ、その様子ですと、いらぬ設定だったかもしれませんが」

 締め付けが緩んだ。大きく喘ぎながら実花はメメルカを見た。

「うふ。いい、顔です、ツムラミカ様。ああ、その顔を私は見たかったのです。苦しみ、絶望したその顔を。とても美しいですわ、ツムラミカ様」

 恍惚とした表情の王女は、その身をくねらせながら笑っていた。

「うふ。うふふふふふ」

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