四十 魔人の支配

 それは戦場の音であった。

 激しい剣戟の音。魔法による爆発音。己を鼓舞する雄叫び。激痛を耐えるための叫び声。

 生と死が入り乱れる音楽を丘の上で聞いているのは、全身が岩で出来た魔人である。身の丈二メートルを超える巨体は、しかし実につまらなそうだった。

 眼下で行われている戦闘は、彼が指揮する軍が圧倒的な勝利を収めそうだったからである。

 今まさに攻め入っている町は、かつてヒカ大陸で行われた戦争時に作られた堅牢な壁に守られていた。そうした町が篭城戦を選ぶのは当然のことであったし、攻略するのには骨が折れるだろうと戦の前にはとても期待を寄せていた。

 それが裏切られた気分である。

 もちろん相手にはその事に関して罪はない。過度な期待を寄せたのが悪いのだ。

「他愛ない」

 と、彼は呟いた。

 その時一人の兵士が近寄って来た。

「ズンガ将軍、報告です。敵は戦意を喪失。武装を放棄し、降伏しております」

 ズンガと呼ばれた魔人は振り返った。

「行こう」

 重い足取りで彼は歩いて行く。一歩進むたびに小さな地響きと揺れが起きる。彼が踏み締めた地面には、深い足跡が出来ていた。


 町の中は戦闘の爪痕があちこちに残っていた。石の道は所々砕け、木製の建物の一部は燃えている。

 岩の魔人ズンガは、歩きながら指示を出していた。

 生き残りであるグラウノスト帝国の兵は捕虜として丁重に扱う。拷問や強姦、虐殺は禁じているため起きないだろうが、それでももしも禁を犯した場合、犯人には厳しい処罰が待っている。

 ズンガは町の中心部にある広場に辿りついた。

 そこには大勢の町民が集まっている。彼らは怯えた表情で、これからの未来を憂いているようだ。かつて彼らがそうしてきたように、奴隷として魔人たちに使われる未来を想像しているのかもしれない。

「我はズンガ!」とズンガはしゃがれた声で叫んだ。「マ国の将軍である! 我らはこの町を占領したが、反抗しない限り今まで通りの生活を保障しよう!」

 町民は驚きを持ってズンガに注目した。その目は疑心に満ちている。

 それもそのはずだろう。昔の戦争ならば、家からは金品を巻き上げ、若い女は犯され、男は兵たちの鬱憤を晴らさせるために暴行を受けた。

 続けてズンガは驚くべき事を言う。

「ただし! 貴様らが使っている奴隷たちは解放させ、自由を与える。その際、奴隷が主人を殺しても、我は処罰せぬ。だが安心して欲しい! 奴隷を解放させても、殺しを許すのはその奴隷の主人のみである! 他に危害が広がらぬように、我らが細心の注意を払おう!」

 町民たちはざわついた。裕福な者なら、一人ぐらい奴隷を持っていてもおかしくないからだ。酷い扱いをしてきたと自覚ある者たちは、皆、顔を青ざめている。

 そもそも奴隷の解放など、彼らにとって信じられぬことだった。これではまるで、奴隷が人間のようではないか。

「本来ならば! 問答無用で皆殺しにしてもいいのだぞ。同じ人間を物扱いするなど虫唾が走る! だが我らの王は慈悲深く寛大だ。せいぜい感謝するが良い!」

 話を終えたズンガの元に、一人の兵士が駆け寄った。

 兵士はズンガに小声で話す。するとズンガは、

「わかった」

 と頷き、この場を副将軍に任せて、自分は兵士の案内に従ってずしんずしんと走り出した。


 貴族街を抜けて辿り着いた場所には、目を見張るような豪邸が建っていた。途中にあった貴族たちの家々よりも格段に豪華なこの建物は、町長の家なのだとすぐに分かった。

 案内した兵士は、

「町長が立てこもっており、少し問題が……」

 と、言う。

「問題?」

 ズンガはすかさず聞いた。

「それは、行けば分かるかと」

 それもそうだな、とズンガは気を取り直して邸内に入った。

 幾つもの足跡が奥に続いている。この先にいるのは間違いない。

 ズンガは迷わずに奥へ行く。

 誰かが喚く声が聞こえてきた。

 扉を開けると、すえた臭いが鼻を突く。

 よく見れば、醜く肥えた裸の男が、広いベッドの上で剣を持ち、数人の兵士たちを相手にみっともなく震えながら牽制している所であった。この男が町長であるのは疑う余地はない。だが、この様子なら弱い兵でも一人で殺せそうである。

 問題は、他にあったのだ。

 町長の周囲には、少女の奴隷が五人ほどいた。彼女たちは生理が始まっていなさそうなほど幼く、しかも裸同然の格好だ。少女たちは怯えた表情を兵士に向けていた。

 町長を取り囲みながら手を出せないのも頷ける。下手に動いて、興奮した町長が周りの少女たちを傷つけないとは限らないからだった。

 ズンガは爆発しそうな怒りを無理矢理に押さえ込んだ。どうにかして少女たちを無傷で助けなければならない。それがこの場における絶対の条件である。

 魔法を使うべきだろうか。だが全身の岩こそが彼の魔法である。岩を飛ばす事も、ましてや他の魔法も使えない。兵士たちの顔を見るも、どれも細かい魔法を使えない魔人たちだ。

「き、き、貴様がリーダーかっ!」町長は剣の切っ先をズンガに向ける。「お、俺を殺すと、て、帝王が黙っていないぞっ! 何せ帝王はこの国の英雄っ! 魔人を殺した事もあるぞ! 貴様など一ひねりだっ!」

 ズンガは鼻で笑った。

「どの道今は戦争中だ。負ければ死ぬだろうな。それにそれほどの手練れなら、一度手合わせしたいものよ」

「く、くー」町長は悔しそうに唸ると、すぐに次の言葉を紡ぐ。「な、なら、金、金だ! す、好きなだけくれてやる! 女も付けてやる! 好きなだけだ! どうだ!」

「金が欲しければ貴様を殺した後でゆっくりと奪えば良い。女もいらん。貴様とは趣味が合いそうもないしな」

「こ、この野蛮な魔人めがっ! 人間の尊さも分からぬ愚図がっ! 貴様らのような下等で下賎な者に、高等な趣味が分からぬはずがなかろうてっ!」

 ズンガの怒りが煮えたぎる。兵の怒りも最高潮に達している。だが、まだだ。ズンガは自制した。兵たちに視線を送り、こらえさせる。

「分からぬな。あまりに高等すぎて吐き気を催すほどでな。だがその下等で下賎な者に、ここまで追いつめられるとは、尊き人間様とは思えぬ。その気になれば、我らなど赤子を捻るが如く簡単に葬ることができるのだろう? 何せ我らは愚図なのだからな」

「そ、そうだっ! その通りだ!」

 町長は乗った。左手を突き出し、手の平に魔力を集中させる。ピキピキと音を立てながら、氷の塊が精製されていく。

「お、俺のこの氷槍は、岩をも砕くっ! 岩の身体が自慢のようだが、こいつにかかれば、き、貴様などっ!」

「おもしろい」とズンガは不敵に笑う。「試してみろ」

「く、く、喰らえっ!」

 氷塊が飛ぶ。一直線にズンガの胸に直撃。けたたましい破砕音が響いた。

 だが、砕けたのは氷塊の方である。岩の身体には傷一つ付いていない。

 町長は、愕然とした顔をズンガに向けた。

「そ、そんな……馬鹿な」

「残念だったな」

 ズンガは、ずしん、と一歩を踏み出した。

「ま、魔人がぁっ!」

 町長は剣を振り上げる。しかしズンガがすかさず手を伸ばして、刃を掴んだ。

「なっ!?」

 驚愕の声を町長は上げた。剣はぴくりとも動かない。そして次の瞬間には、刃があっけなく砕けた。

「……ば……ばか、な」

 町長は両腕をだらりと下げた。もはや戦意は失せている。兵たちは少女たちに近寄って、白い布を身体にかけてやった。

「拘束して広場に連れて行け」

 と、ズンガは命じた。


 広場には再び町民が集められている。その中には奴隷から解放されたばかりの者たちも混じっていた。彼らの何人かは赤い血が付着しており、元奴隷以外に近寄ろうとする者はいない。

 ズンガは中心に向かって歩いていく。その後ろに続くのは、手枷を嵌められた町長である。

 変わり果てた町長の姿を見た群衆の反応は様々だ。ただ驚く者、落胆する者、納得する者、憎々しい声を上げる者。

 喧噪が沸き起こる中、中央に置かれた台の上に二人は上がった。

「税を肥やしにしてここまで醜く太ったこの男を見ろ!」と、ズンガは叫ぶ。「この男はいたいけな子供をおもちゃにした! まるで自分が神にでもなったかのようなおぞましき所業だ! 良いか! 奴隷は物ではない! 人間だ! 貴様らと何ら変わらぬ人間だ! それでも彼らは人間ではない、物なのだと言うのなら! 貴様らは物よりも劣悪で、邪悪な何かだ!」

 しん、と群衆は静まり返った。

「本来ならば! この男の処罰は奴隷がすべきである! だがまだ年端も行かぬ子供に、そのような非情な決断をさせるのは酷である! 故に! 私がこの男を断罪しよう!」

 ズンガは町長の左腕を取った。町長の顔は恐怖で歪み、明らかに怯えている。

「……や、やめろ、やめてくれ、お願いだ……」

 必死の懇願。しかしズンガに耳を貸す様子はない。その代わりに、ズンガは力を込めた。

 ばぎゃ。

 鈍い音と共に、贅肉で太くなった腕があっけなく潰れた。脂肪は千切れ、筋肉は断裂し、骨が粉砕している。ズンガの岩でできた指の間から、赤い血が滴り落ちた。町長にとって、人生初めての激痛である。

「ぎゃあああああああっ!」

 叫び声が上がった。目からは涙、鼻からは鼻水、口から涎が零れている。

 対して群衆は声を出さない。唐突に始まった凄惨極まりない光景に、みな言葉を失っている。

「……ひ、ひい、ひいいい」

 いやいやをするように、町長は逃げ出そうとするも、ズンガの手からは逃げられない。

「この程度の苦痛!」と、ズンガは怒りのまま怒鳴る。「あの少女たちの苦痛に比べれば、一匙にも満たぬ!」

 続けて足を踏んだ。再び粉砕。指が、血が、骨が飛び散る。

「ふんぎゃあああああああああああああっ!」

 町長は転げた。残っている右腕で足を抑えて悶える。だが止めどなく流れる血は止められない。

 ズンガは町長のこめかみを掴んで軽々と持ち上げる。

「ひいいい」

 更なる苦痛を想像し、小便と、便が垂れ流れる。人体が流れうる液体が、彼の身体から外へと排出されているようだった。

「終わりだ」

 と、ズンガは宣言して、町長の頭をそのまま握り潰す。それはまるで豆腐を握るみたいに、簡単に潰れた。眼球が飛び出し、脳みそが辺りに散らばる。

 民衆の何人かが嘔吐した。失禁した者もいるようだった。

 町の中は、魔人の恐怖によって支配された。


 


「手術は、三日に一度行います」

 入室したメメルカ・ノスト・アスセラスは、津村実花にそう言った。

 あの時の恐怖と痛みを思い出した実花は、小さな頭部から血の気が失せていくのを感じ取った。

「あ、あと何回手術すれば……いいんでしょう、か?」

 質問をしてみるも、どうしても声が震えてしまう。

「申し訳ありません。私にも分かりません」

 と、メメルカはすまなさそうな表情を浮かべて言った。だけどそれは、演技にしか見えない。

「どうなさいますか?」と、メメルカは続ける。「延長、なさいますか?」

 中止と言う言葉は、やはり出て来なかった。これもまた、試しなのだ。

「やります」

 実花は決然と言った。

 怖くて仕方がなかった。痛みを思い出すだけで身震いが止まらない。だけど、それでも、今兄に繋がる道がこれしかないのなら、実花はその道をまっすぐに進むだけだ。それがどれだけイバラで出来ていようとも、あるいは溶岩で出来ていようとも関係ない。どんな目に会ってでも、兄に会う。絶対に。

「さすがです」

 と、メメルカは妖艶に笑った。それは、手術の時に見たメメルカの笑みと同じだった。

 それから王女は部屋から出て行った。

 実花はため息を吐く。自分の決断に迷いはないが、それでも恐ろしいものは恐ろしい。かたかたと震える身体を、実花は自分の腕で抱きしめた。

「ミカ様」と背後からネルカが声をかける。「本当に、よろしかったのですか?」

 ゆっくりと振り返る。寝不足なのか、ネルカの目に隈が出来ていた。彼女は本当に心配そうな顔をしている。それこそ、メメルカみたいな演技ではなく、心の底からそう思ってくれているようだ。

「うん」と実花は頷く。「私は手術を受けるよ」

「大丈夫なのですか?」

「大丈夫だよ」

 実花は身体を震わせながらそう言った。

「とても、そうは見えません。無理をしているのではないですか?」

「……うん。正直、少ししてる。手術、凄く怖かった。死んじゃうんじゃないかって思うぐらい、痛かった。思い出すだけで、こんなに身体が震えてる……」

 青ざめた顔。震える身体。

「それなら、止めても……」

「……ネルカさんは、私にこの国を救って欲しいんじゃなかったっけ……?」

「……はい……。ですけれど、今のミカ様を見ているのは……心苦しいです……」

「……ありがとう。でも、私、それでも手術を受けるよ。ここにいても外に出られない。外に出ないとお兄ちゃんは探せない。でも手術を受けて、マ国と戦うようになれば、外に出られる」

「……ミカ様……」

「手術は痛くて苦しくて、本当に嫌。戦うことを考えるだけで逃げ出したくなるほど怖い。お兄ちゃんを無事に見つけられるのかどうかも分からない。……不安に圧し潰されそうだよ。だけど、私はやる。僅かな可能性でも賭けるって決めたの。お兄ちゃんに会うためなら、私はなんだってしてみせる。どんなことだって耐えられる」

「死んでしまうのかもしれないんですよ? それでもやるのですか?」

「死ぬのはもちろん嫌だよ。お兄ちゃんに会えなくなる。だけど……生きていてもお兄ちゃんに会えないのなら、死んだ方がマシ」

「……分かりました」とネルカは言う。「私はメメルカ様からミカ様専属を仰せつかった身。私に出来る事なら、何でも協力いたします」

「……ありがとう、ネルカさん」

 実花は小さく笑った。

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