三十九 手術

 二つの視線が肌に刺さる。小さな身体が震え、心臓が早鐘を打ち、顔が火照った。

 裸になった津村実花は、胸と股間を両手で隠して立っていた。

 男の前で裸体を晒す何て事は、家族以外ではもちろん初めてだ。その家族にしたって、もっと幼い頃の話である。

 救いなのは、ゴゾルの視線に性的な物が一切含まれていないことぐらいだろうか。それでも恥ずかしい事に変わりがない。

「美しいです」

 メメルカ・ノスト・アスセラスは、目を細めて讃辞した。

 それがまた恥ずかしくて、実花の赤い顔色がますます赤くなる。

「台の上で仰向けになって寝ろ」

 ゴゾルは命じた。女の裸などどうでもいいという態度だ。

 実花は言われた通り台の上に上り、仰向けになった。身体は手で隠したままである。

「手をどけろ。邪魔だ」

 ゴゾルは再び命じた。

 僅かな逡巡の後に、実花はきゅっと目を瞑って、手を身体の横に回した。

 目を閉じていても、じろじろと見られているのが分かる。

「……始めるぞ」

 と、ゴゾルの声が聞こえた。そうしてそのすぐ後で、実花の胸に何か鋭い刃物が突き刺さった。

「っああああああああああああああ!」

 堪え難いほどの激痛が走り、実花は悲鳴を上げた。反射的に手足を振り回そうと力を込めるが、その身体が動かなくなっている事にすぐに気が付く。まるで身体を何かで固められているみたいだった。

「いたいいたいいたいいいいいっ!」

 その後も恐ろしい痛みが続く。文字通り身体を切り裂かれて行く痛みは、実花の人生の中で感じた事がない。

 次にゴゾルは、体内をいじりはじめた。ぐちり、ぐちり、と粘っこい音が聞こえてくる。その身の毛もよだつ感覚は、あらゆる嫌悪感を煮詰めて生まれたような代物だ。

「あが……ああっ……んんっ」

 ぱくぱくと口を開閉させて、実花は悶えた。思考は兄の事を考える事すら拒否している。

 そうして気を失うまでの一瞬間、目を開けた実花が見たのは、恍惚とした顔をしたメメルカだった。


 

 実花は激しい呼吸と共に目が覚めた。

 気持ちの悪いべたついた汗が、全身にびっしょりと掻いている。涙が両目から流れていた。

 いつの間にか、メメルカの私邸にある自分の部屋に戻ってきている。

 何が起きてここにいるのか、すぐに思い出せなかった。

 上体を起こし、呼吸を整えながら、昨日の事を思い返す。

 記憶が鮮明になるにつれて、酷い吐き気が込み上げた。

「……うっ」

 口元を抑えて慌ててベッドから降りたが、そこで限界が来た。げえ、げえ、と吐く。吐瀉物が美しい床を汚した。

 手の甲で口元を拭い、荒く息をする。

 上着を捲り上げて、下着が着いていない胸元を確認すると、そこには傷跡が何もなかった。

 夢、だったのだろうか。

 しかし、メメルカの魔法で傷口を癒してもらう記憶が、幽かだが残っている。魔法は、傷跡を綺麗に消してしまったのだ。

 のそのそと歩いて扉に近づいた実花は、とん、とんとノックをした。

「はい」

 と言う返事とともに、扉が開いて、ネルカが顔を出す。

「み、ミカ様!?」

 彼女は驚いた顔をして、部屋の中に入って来た。それから床にぶちまけられた吐瀉物と、実花の顔を交互に見やる。

「……ごめんね。床を汚しちゃった」

 てへ、と実花は笑った。

「そんなことは、どうでも……! それよりもミカ様は大丈夫ですか!?」

「……うん。私は大丈夫」

 そうは言うが、全然大丈夫そうに見えない。

 青ざめた顔。目は充血し、涙の跡もある。

 ネルカは強引に実花の手を取って、ベッドの上に連れて行き、寝かしつけた。それから額に手を当てる。

「熱は……ないようですね」

「うん。だから、大丈夫だって……」

「いいえ。今日はゆっくりとお休みください」

 ネルカはぴしゃりと言って、床の上に広がっている汚物を掃除し始める。

 その様子を、実花は顔を横に向けて眺めていた。

 掃除を終えたネルカは、実花の元に近づいた。心配そうな顔をネルカはしている。仮面の表情をいつも貼付けているメメルカと違って、彼女の顔はいつだって本当の事を伝えてくれる。

「食欲はありますか?」

 と、ネルカは実花の顔を覗き込んで聞いた。

 気持ち悪さが未だ残っていて、正直食欲がない。実花は首を横に振った。

「お水はいりますか?」

 ネルカは続いて尋ねた。

 こくり、と実花は頷く。

「少し待っていて下さい」

 ネルカはぱたぱたと駆け出して、部屋から出て行った。

 良い人だなあ、と実花は思う。彼女は仕事でお世話をしてくれている。だけど実花の事を、仕事抜きで心配してくれていた。その事が良く伝わってくる。

 思い出すのは、母の事だ。高熱を出して寝込んだあの日、母はかいがいしく看病してくれた。

 今頃どうしているんだろう。そう考えると罪悪感で胸が痛む。心配しないで欲しいと思う。だけど心配しないわけがないことも分かっている。

 そうやって母の事を想っていると、涙が流れて来た。

「……お母さん……」

 と呟いた。

 すると、こん、こん、と扉を軽く叩く音が響く。

「……どうぞ」

「失礼します」

 ネルカが入って来た。彼女は、水が入ったコップと、水差しが乗った盆を持っている。

 実花に近づいたネルカは、目を剥いて驚いた。

「大丈夫ですか?」

 と、彼女は実花に尋ねた。

「……お母さんのこと、少し考えてた」

 実花の答えに、ネルカは唇を噛んだ。

「……申し訳ありません」と、彼女は謝る。「私たちの勝手な都合で、ミカ様を呼んでしまった事は、どう申し開きをしても決して許されることではないでしょう」

「……どうして、謝るの? ネルカさんも知っているんでしょう? 私がお兄ちゃんを探している事」

「……はい。ですが……」

「気にしないで。私は、お兄ちゃんに会いたい。だから、召喚魔法で連れ去られようとした時、私は抵抗しなかったの。逃げようともしなかったの。それに、ネルカさんが召喚魔法の使用を決めたわけじゃないじゃない」

「その通りです。ですが、この国に危険が迫っているのも事実なんです。そのために私は期待しているんです。ミカ様なら必ずや救ってくださると。ですので、私も同罪なんです。私たちの勝手な希望をミカ様に押し付けてしまっている事には代わりありませんから」

「ネルカさん……。ごめんね、ありがとう。私、がんばってみるよ」

「いいえ」と、ネルカはバツの悪そうな顔をして、続ける。「ご無理だけは、しないでしないでください。それから、私を使う事に遠慮をなさらないで下さい。私はあなた様専属のメイドなのですから」

「……うん。ありがとう。あと、その、お水を下さい」

 はい、とネルカは水が入っているコップを差し出した。

「ありがとう」

 もう一度礼を言った実花は、コップを受け取ると口を付けた。こくり、と喉を鳴らす。冷たい液体が食道を通って、胃の中に落ちていく感覚が心地いい。

「おいしい」

 実花は笑った。


 すやすやと寝息を立てて眠っているのを確認したネルカは、部屋の外に出て、扉の側で待機する。

 お母さん、か。ネルカは視線を下に向けた。

 ここで働き始めて一年が経っているが、あれから一度も母と会っていない。どうしているのか心配だった。もちろんたった一人の弟も、父親の事もだ。けれど会いに行ける自由はないし、そもそも顔を合わせても向こうが困るだけだろう。

「ネルカ」

 と、美しい声で呼ばれて、顔を上げた。メメルカがいる。ネルカは反射的に身を堅くした。

「ツムラミカ様の様子はどうですか?」

 メメルカは実花の事を今でも変わらずフルネームで呼ぶ。きっと知らないんだろうな、とネルカは思う。けれどそれを教える気は湧かなかった。

「今は眠っておられます。顔色は良くなりました」

「そうでしたか。伝えたいことがあったのですが、また後日にしましょう。よろしく伝えおいてください」

「かしこまりました」

 ネルカが頷くのを見たメメルカは、立ち去ろうと踵を返した。けれど半歩踏み出しただけで、何かを思い出したのか振り返る。

「……そういえば、あなたとはここ暫く相手をして貰っていませんわね。今夜、来なさい」

 メメルカが浮かべた笑みを見た瞬間、ネルカの背筋をぞっと怖気が走った。鳥肌が立ち、ぷるぷると震え出しそうになるのをどうにかこうにか抑え付ける。

「はい」

 と頷くだけで、精一杯だった。



 

 実花の部屋の前で待ち続けていたネルカは、窓の外を見た。夜空を一つの三日月が切り裂いている。

 静寂の中、こつ、こつ、と足音が響いた。それは一人のメイドだった。

「交代よ」

 と、彼女は言った。

「はい」

 返事をしたネルカの身体が、小さく震える。一歩が、なかなか踏み出せない。

 現れたメイドは、ネルカの耳元に顔を寄せて、そっと耳打ちをする。

「……お楽しみの時間ね」

 はっとしたネルカは、メイドの方へ顔を向けた。メイドは、好色な笑みを浮かべている。

 金縛りにあったかのようにネルカは動けない。

「早く行きなさい」

 ぴくり、とネルカの肩が震え、そうしてようやく歩き出した。

 一歩一歩進む足取りは、重りを付けられているみたいに酷く重たい。だが遅れれば遅れるほど、メメルカの機嫌を損ねてしまう。

 逃げ出したい気持ちを抱えながらも、ネルカはメメルカの寝室の前に辿り着いてしまった。

 ためらいながら、ノックをする。

「ネルカです」

「……待っていたわ。入りなさい」

 生唾を飲み込んで、扉を開ける。

 部屋の中では香が焚かれていた。独特な香りで、嗅いでいるとおかしな気分になってくる。

 白い肌が見えるほど薄いネグリジェを着たメメルカは、豪著な椅子に腰掛けて、肘掛けに肘を突き、右手の平を頬に当てていた。

「失礼します」

 中に入り、音もなく扉を閉めたネルカは、ゆっくりと歩いてメメルカの前に行った。

「分かっているわね?」

 口角を上げたメメルカは、そう聞いた。

「はい」

 ネルカは跪いた。そうして、メメルカの美しい右足を、貴重な宝石を取り扱うような慎重な手つきで持ち上げる。次に王女殿下が履いている赤いハイヒールを恭しく脱がすと、ネルカは可愛らしい唇を、メメルカのおみ足に近づけた。

 赤い舌をちろりと出す。恐る恐る舌先で足の甲に触れ、ぺろりと舐めた。

「……ん」

 と、メメルカは熱い吐息と共に声を吐き出して、うら若き少女が一心に足を舐める姿を見下ろした。

 その顔は、快楽に蕩けていた。


 夜は更けて行く。だが王女殿下の部屋の灯りは、深夜にかけて灯り続いていた。

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