三十六 召喚魔法

 二人の護衛の兵が直立不動の姿勢で立っている。その背後にあるのは、とても大きな扉だ。

 グラウノスト帝国一の画家にデザインさせ、質の良い材料を惜しみも無く注ぎ込み、最も腕の良い職人に作らせたその扉は、この部屋の主が持つ権力の強大さを如実に表していた。

 メメルカ・ノスト・アスセラスは、見る者を圧倒する扉の前に立ち、呆気なくノックをする。

「誰だ?」

 低い声が扉の向こう側から聞こえて来た。

「私です、お父様」

「入れ」

 兵が重苦しい扉を開けると、メメルカは臆する事無く部屋の中に入った。

 メメルカの父、帝王オルメルは机の上に山と積まれた書類を広げ、読み込んでは判子を押している。

 ばたりと音を立てて扉が閉まり、ようやくオルメルは顔を上げて実の娘を見た。

「何の用だ?」

「魔人の力は、思ったよりも強力です。このままでは、帝国は負けてしまうでしょう」

「……そうかもしれんな」

「私に一案があります。上手く行けば、逆転できるかもしれません」

「……そうか。ならば好きにしろ」

「はい……」

 億劫そうに話す父の姿が、メメルカには悲しい。

「他には?」

「……ありません」

「そうか。では仕事の邪魔だ。早く出て行け」

 これが、父と娘の会話だろうか。

 王宮育ちのメメルカには分からない。普通の親子はどういうものなのかもよく知らない。

「……はい。失礼します」

 唇を一瞬だけ噛み締めたメメルカは、陰のある声で返事をして、部屋の外に出た。

 皆の前であれば、オルメルは親と子であることをことさら強調しながら話す。しかし二人きりになってしまえば、そこに親子の会話はなくなってしまう。

 父は愛してくれているのか、疑問に思う。だが、男性が言い寄ってくる事は数あれど、政略結婚の類いは今まで一度も聞いた事が無い。たまたま耳に入った噂によれば、どうやら婚姻話は、全てオルメルが突っぱねているらしい。

 確証はない。けれどもしもそれが事実なのだとしたら、メメルカの事を大事に思っているのかもしれなかった。

 全ては可能性の話に過ぎない。そもそも帝王の娘と言うだけで、その政治的価値は計り知れないのだ。だからこそ、慎重に相手を考えている最中なのだと考える方が自然なような気もする。

 確かな事と言えば、オルメルは魔人を憎んでいるということだけだった。

 実の父親の事なのに、メメルカにはそれ以外の事は何も分からなかったし、知らなかった。

 

 その日の夜は、二つの月が隠れているためにとても暗い。

 ゴゾルの家の前に来たメメルカは、ノックもせずに中に入る。

 照明魔法で指先を光らせて、部屋の奥にある扉を開けた。

 下へと続く階段を下りる。相変わらず先が見通せないほどの闇だ。

 階下にある扉をくぐれば、前に来た時と同様に、雑然とした部屋が広がっているのだとメメルカは思っていた。しかし扉を開けて、部屋を見た瞬間、彼女は面喰らった。

 そこに広がっていたのは、物が殆ど何もない、真っ白な部屋だったのだ。

 目の前には、白い部屋とはまるで不釣り合いなゴゾルがいる。そうしてその足下には、黒い塗料で円と直線を組み合わせた奇怪な模様が描かれていた。模様の線上には、一定の間隔で、凹凸と光沢のある青い石が置かれている。

 一体これはなんなのだろうか。この部屋は前に入った部屋とは明らかに違う。何しろ広さも高さも違っているのだ。けれどメメルカは、確かに同じ建物の中に入ったし、扉も同じ扉を開けた。そのはずだった。なのに、なぜ、違う部屋にいるのだろうか。

「こんばんわ、ゴゾル様」

 戸惑いながらも、メメルカは平静を装って笑顔を浮かべた。どのような状況下でも、心理状態でも、笑顔を浮かべる事が出来るのは、腹の探り合いが日常的に行われている王宮で生きて来たおかげだった。

 ゴゾルから挨拶の返事は来ない。王族に対する態度ではないが、メメルカは気にしていない。それよりも、むしろ、観察しているような目で見てくる方がメメルカは気になった。

「ゴゾル様? その、昨日の部屋とは違うのですが?」

 ともあれ、疑問に思った事は早めに解消しておく方が良いだろうと、メメルカは質問した。

「……ああ。昨日とは違う空間に繋げた。あの部屋では、召喚に向いていないからな」

 ゴゾルは答えてくれたが、メメルカには意味がよく分からない。ともかく、何らかの魔法を使用したから部屋が違うのだと、強引に納得して話を進める事にした。

「それで、召喚魔法と言うのは、どのように行うのですか?」

「これだ」

 と、ゴゾルが指差したのは、足下に描かれた幾何学模様である。ゴゾルは、自慢げに説明する。

「これは魔法陣と呼ぶ。詳しい理論はどうせ説明しても分からないだろうが、簡単に説明させてもらう。この魔法陣に魔力を注ぎ込むと、模様状に魔力が加速しながら循環する。そうすると、魔力のエネルギーがより強大になっていく。この強大になった魔力は空間に作用し、穴を開ける。どのようにして空間に作用させるのかと言うと、簡潔に言えば、この模様が魔力操作の役割を果たすのだ。模様の描き方によっては、複数の魔法を行使する事も可能だ。この魔法陣には、総じて二つの魔法を組み込ませてある。ここの空間と別世界の空間を繋げる魔法と、空間に開いた穴に近づいた人間に似た生命体を捕まえる魔法だ」

「……なるほど」半分以上聞き流していたメメルカは、仮面のような笑顔でもっともらしく頷く。「ところでそこに置かれた石は、マグル石ではありませんか? 性質は、確か、魔力を溜め込むことができる特殊な石なのだとか。しかし溜め込むだけで、他には何も用途が無いと、帝都の魔法学者が言っておりましたが」

「はっ」とゴゾルが嘲弄する。「相変わらず低脳の掃き溜めのようだな。そのマグル石は、確かに魔力を溜め込む性質がある。だがそこに一定以上の強さの魔力を流し込むだけで、溜め込んだ魔力が解放されるのだ。召喚魔法で必要な魔力量は莫大だ。俺が一度で扱える魔力量を超えている。そこでこのマグル石を使う事で、足りない分を補うわけだ」

 メメルカは内心でほくそ笑む。どうやらゴゾルの気分を向上させるのに成功したようだった。推察通り、彼は単純だ。魔法学に興味がある振りをするだけで、勝手に気分良く話してくれる。あとは適当に褒めてやれば完璧だ。

「さすがは魔法学の天才、ゴゾル様です。恐らくは帝都……いいえ、メルセルウスト最高の魔法学者です。あなた様に比べれば、帝都の魔法学者がしている研究など児戯に等しいのでしょう」

「くくく」ゴゾルは笑った。「はははははは! さすが帝国の王女殿下! 見る目があるな! だが少し大げさに言い過ぎじゃないか? さすがの俺も世界の全てを知っているわけではないからな。それは王女殿下も同じだろう?」

「確かに私も世界の全てを知っているわけではありません。ですが、ドグラガ大陸は魔人が住まう大陸。どうやら人間も少なからずいるようですが、かの野蛮な大陸で、あなたほどの頭脳がいるとは思えません。他の小さな島々についても、そもそも魔法の深淵について、これほどまで深く学ぶ習慣があるとは考えられないでしょう。ヒカ大陸も、ゴゾル様ほどの、あるいは超える天才ならば私の耳に自然と入ってくるはずですが、それもない。となれば、ゴゾル様こそメルセルウスト最高の魔法学者であると考えるのは、当然の帰結です」

「本当に口が良く回る。お世辞もここまでくれば大したものだ」と、ゴゾルはまんざらでもなさそうに言う。「だが気分は悪くない。一体そうやって何人もの男をたぶらかしたのだ?」

「さて、何の事でしょうか?」メメルカは微笑する。「……それよりも、そろそろ召喚魔法を見せて下さいませんか? 楽しみで仕方がありません」

「ふん。いいだろう。王女殿下の頼みとあらば、今すぐにでも」

 ゴゾルは後ろを振り返り、魔法陣の前でしゃがみ込んだ。両手の平を魔法陣の模様に当てる。

 ぼう、とゴゾルが手を当てた線が光り輝いた。魔力を込めているのである。

 光は線に沿って伸びて行くと、一つ目のマグル石と接触した。石は魔力とぶつかって、ばきりと砕け、その内に宿す魔力を解放させる。新しく加わった強い魔力を燃料に、光はさらに強く光り、速度を増した。そうやって魔力は、マグル石を壊しながら加速し、その強さを増加させて行く。

 魔法陣全体が光り輝いた。模様の上を魔力がさらに加速させながら循環する。光はより強く輝いていく。

 綺麗だ、とメメルカは思った。

 強い光は、やがて中央に集まって行く。まるで小さな太陽だった。

 そうして次の瞬間、変化が訪れた。光は収束し、その代わりに真っ黒いもやのような何かが生まれたのである。

 メメルカは、直感的にそれが穴なのだと気が付いた。別世界に繋がる穴だ。

 ゴゾルの様子を見る。彼の姿勢は先程から変わっていない。集中しているのが分かった。

 しかし、ここからが長かった。五分、十分と待っても、変化は訪れない。

 ゴゾルの頬を汗が伝って行くのをメメルカは見つけた。

 この状態を維持し続けるのも、きっと並大抵のことではないのだろう。だが手を貸す気が毛頭ないメメルカは、ゴゾルと黒いもやを冷ややかに見つめている。

 やがて、三十分は経過しただろうか。

 黒いもやが段々と薄くなって行くのに、メメルカは気が付いた。

「……来た」

 と、ゴゾルが呟いた。

 やがて黒いもやが完全に晴れた。

 そこには、黒い髪の少女が横たわっている。

 ヒカ大陸において、地毛が黒い人はいない。服装も見た事が無い。別世界の住民なのだ。

「成功だ」

 立ち上がったゴゾルは、メメルカを見てそう言った。

 そうして、ぴくりと小さな身体を震えさせた少女は、ぱちりと目を覚ます。彼女は驚いたように顔を上げて、あちらこちらに首を振った。それから視線をメメルカとゴゾルの方へ向けた後に、身体を起こす。

 何やら喋っている様子だ。だが、何を言っているのかメメルカとゴゾルには分からない。

「これは、我々とは違う言葉だ」

 ゴゾルは怪訝そうな顔をしているメメルカに教えた。

 言葉とは、全て同じではないのだろうか。メメルカには分からなかった。なにしろ彼女にとって言葉とは、たった一つだけだからだ。他に違う言語が存在している何て、露にも思っていなかった。

 けれど別の世界と言うからには、やはり色々と違っているものなのかもしれない。その証拠に、髪の色も、服も、メルセルウストでは見た事の無いものだ。それなら言葉も聞いた事の無いものだったとしても、何もおかしいことはないのだ。と、メメルカは考え直した。

 では、どうやってコミニュケーションを取れば良いのだろうか。思案に暮れるメメルカを余所に、ゴゾルは楽しそうに口端を歪ませる。

「では、早速実験を開始する。成功すれば、我々と同じ言葉を喋らせられるはずだ」

 ゴゾルは、一歩、二歩と、慎重に足を進めて少女に近づいて行く。彼女は見るからに怯えて、じり、と身体を後退させて行く。しかし、すぐに壁に行き当たり、今にも泣き出しそうな顔をした。

 彼女は恐怖を感じているが、それも無理も無いだろうとメメルカは同情する。いかにも犯罪者風なゴゾルが近寄って来ては、普通の女性なら怖いのが当たり前だ。それも、まだ幼さを残す少女となればなおさらだろう。

 少女の目の前にまでやってきたゴゾルは、いやらしい笑みを浮かべながら両手を伸ばし、彼女の頭を挟んだ。するとゴゾルの手から魔力が生まれ、発光した。何らかの魔法を行使し始めたのである。

「ひ、ぎぃ、っ」

 小さな悲鳴を少女は上げた。苦しそうだ。小さな手でゴゾルの手首を掴んで、必死に引き離そうとしている。だが明らかに非力な腕では、幾らゴゾルのひ弱な腕でもはがす事ができない。

「こんなものか」

 と、ゴゾルは言って、少女から手を離して数歩後退する。

「あ、ぐ、う」

 少女は頭を抑えて明らかに痛がっている。

「おい」とゴゾルは言う。「俺の言う事が、分かるか?」

 少女は涙を流しながら、恐怖に引きつった顔を上げてゴゾルを見た。

「分かるか、と聞いている」

 こくこく、と少女は何度も首肯した。

「お前の名前は、何だ?」

「……私、は」驚くべき事に、彼女はメルセルウストの言葉で話す。「ツムラ、ミカ、です」

「成功だ」ゴゾルは嬉しそうに笑う。「言葉の知識を魔力に乗せて、こいつの頭の中に注入した。初めて使ったが、理論通り作用したようだ」

 などと言われても、メメルカにはやはり分からない。ツムラミカも、きょとんとした顔をしている。

「さあ、立て、ツムラミカ」

 ゴゾルは少女を強引に立たせた。彼女は未だに苦しそうだ。

「お待ちください、ゴゾル様」

 メメルカは思わずそう口走っていた。怪訝そうに、彼は振り向いた。

「ツムラミカ様は、この国の英雄にならなければなりません。ですから、私に預からせて下さい」

「……いいだろう」と、少し考えた末に、ゴゾルは言う。「だが、そいつはまだ魔法が使えない。俺が使えるようにしなければ、魔人を倒すことなどできないぞ」

「分かっています。落ち着いた後に、ここに連れてきます」

「……分かった。もっとも、王女殿下の言う事に逆らう事などできないからな」

 口角を上げたゴゾルを無視して、メメルカはツムラミカの手を取った。

「さ、こちらへ。悪いようにはしませんから」

 メメルカは優しく笑いかけて、ゆっくりと歩き始めた。

 少女は、メメルカの歩調に合わせて歩きだす。

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