二十九 ガーガベルトの大冒険

「ここね」

 目標金額の五万ポルツがようやく貯まった。津村稔と喜多村由梨江は、奴隷の烙印を消去するための方法を知るために、トルガの家に訪れていた。

 由梨江は玄関の戸をノックする。

 トルガはすぐに出て来て、二人をじろりと見た。

「……ああ、君たちか。金は用意できたんだね」

「はい。ここに……」

 懐からお金が入った小袋を取り出そうとした由梨江を、トルガは手の動きで止めた。

「ここじゃああれだから、中に入ってくれ」

 二人は素直に応じて、トルガの案内に従って中に入る。

 客室らしい部屋に入る。中央にある四角い机を挟むように、黒革のソファーが置かれている。薦められるまま二人がソファーに座ると、トルガも対面の席に腰を下ろした。

「おい! お茶を持って来てくれ!」

 トルガは一度手を叩いてから、大声を出した。するとほんの少しの間があってから、客室に一人の女性が入って来た。

 彼女はシャツ一枚だけ着ていて、首輪をはめている。奴隷だった。

 由梨江は彼女の事をあまり見ないようにした。それは稔も同じだった。

 奴隷は何も言わずに三人の前に持って来たお茶を置いて、音も無く部屋から出て行く。

「さて、まずは確認だ。早速出してくれ」

 由梨江はさっき出しかけていた小袋を机上に出した。

 机の下から天秤と、複数の重りを取り出したトルガは、小袋を片側の皿に載せる。それから考える素振りを見せてから、適量の重りを空いている皿の上に置いた。誤差はあるものの、均等は取れている。

「ちょうどあるようだ。では、約束通り、奴隷の烙印を消す方法だが……」

 またもトルガは、机の下から何かを取り出した。それは蓋がされた丸い器だった。トルガは、きゅっと蓋を外して、目の前にいる二人に見せてやる。

「この軟膏を烙印に塗れば、宿っている魔力が分散されて、跡も残さず綺麗に消す事ができる。消すのはこの町を出たときの方がいいな。奴隷が普通の人に戻ったら、さすがに疑われる。ちなみにバレちまったら、即、牢獄行きだからな。くれぐれも慎重にやってくれ」

 

 稔と由梨江は、トルガの家を出て教会の部屋に戻った。

「もうしばらくは、この町で資金を溜めよう」

 と、稔は提案した。

「……本当は、今すぐこの町を出て印を消したいんだけど……さすがに、仕方ないのね」

「ああ。それとこの印は、町を出ても消さないでおこうと思うんだ」

 由梨江はぽかんと稔を見た。町を出たらすぐに印を消して、稔を奴隷から解放するのだと思っていたのに、彼は平然とそんな事を言う。由梨江は恐る恐る尋ねる。

「どうして……?」

「次の町でも、きっと同じような検問があると思う。トルガみたいな裏稼業は何処にでもあるだろうけど、その度にお金を稼ぐのは大変だ」

「私は別に……」

「長くいればいるほど、バレる確率も高くなる。帝都だと、余計に厳しくなるかもしれない」

 反論できる糸口は、きっとどこかに転がっているはずだった。けれど由梨江は、稔に見つめられると、言い出すべき言葉が見つからない。

「……分かった」

 結局稔の説得に、由梨江は渋々応じたのだった。

 翌日になると、由梨江は仕事を再開させた。彼女は、一刻も早くお金を稼いでこの町から出たかった。

 我武者らに働いて、休みの日には稔と一緒にお出かけをする。人前では喋るわけにはいかない稔だけど、それでも由梨江は楽しかった。

 相変わらず尼のムルレイは、奴隷の扱いについてしつこいぐらいに説いて来る。それが由梨江にはストレスだけれど、稔と一緒にいるだけで発散されて行くように感じていた。

 稼いだお金の大半は貯金したが、必要になりそうな物資を少しずつ購入していった。テントや寝袋に携帯できそうな調理器具だ。

 字の勉強も続けている。今では難しい単語でなければ由梨江は理解する事ができた。空いた時間を使って、教わった事を稔にも教える。彼は勉強が嫌いなだけで、理解力がないわけではない。必要な事だと理解しているから、彼もきちんと覚えようとしている。おかげで少しは読み書きができるようになってきている。

 とても順調だと言えた。不安材料がないわけではないが、一歩ずつ着実に進んでいる。この分なら、帝都に着いても上手くやっていけるんじゃないか、そう由梨江は思った。




 帝都グラウの中央に鎮座している白いグラウ城。その玉座の間にて、鎧姿の男と灰色のローブを着た男が頭を垂れ、膝を突いて畏まっている。相手は玉座に座るオルメル・ノスト・アスセラス三世である。

 帝王の隣に立っているのは、第一王女のメメルカ・ノスト・アスセラス。それから幾人かの忠臣たちが集っていた。

「調査を途上で切り上げたのはその男が原因か……。面を上げよ」

 オルメルの命に従って、二人の男は顔を上げた。その内の一人、灰色のローブを着た男の顔を見た瞬間、どよめきが沸き起こる。

 滅多に表情を変える事のないオルメルでさえ、片方の眉を僅かに上げた。

「貴様は、ゴゾルか。今更一体何の用だ」

「恐れながら申し上げます」と、帝王の圧を真っ正面から受けながらも、平然とした様子でゴゾルは言う。「陛下が探しておられる山に大穴を空けた者の事を、私めはよく存じております」

「なに?」

 再度、どよめきが沸き起きた。臣下たちは、ゴゾルの発言を信じる者と、信じない者とで別れているようだ。

「真か」

「はっ。真実であります。穴を空けた者は、全身から角が生えた男。その者は、女を連れています」

「ふむ」

 思案するオルメルの脳裏には、鎧を着た男、ルセイ・ジャカブの調査報告書の事を思い返していた。そこにも同じような人物を示唆する目撃談が記されていたのだ。

「その者は、魔人か?」

「魔人です」

 ゴゾルが言い切ると、周囲は再び騒がしくなる。恐怖、畏怖、悲哀。そうした感情が渦巻いていた。

「なぜ、貴様はその事を知っている? 詳しく話せ」

「はっ。それは、私が奴らを実験のために呼び寄せたからでございます」

「呼び寄せた、だと?」

 怒りがオルメルから発せられた。だがゴゾルは、何も気にしていない。まるでそよ風にでも吹かれたような涼し気な顔をしている。

「はっ。ですが、恥ずかしい事に、実験は失敗し、あのような輩を世に解き放ってしまいました。今回、魔法研究所を追放された私が殿下にお目通しすることにしたのも、私が招いた尻拭いをするためでございます」

「貴様が、か? 事によれば大罪者として処刑する事もできるのだぞ。それを言うに事欠いて、尻拭いとは」

「私は奴らが使う魔法を知っています。もちろん弱点も。それから奴らを葬り去るための秘策もございます」

「……ふん。取引、というわけか。その代わり罪を軽くしろ、とでも言うのか?」

「その通りでございます」

 臆面も無くゴゾルが言うと、「はっ」とオルメルは笑った。

「だが、解せぬな。なぜ今更その事を言う? 放っておけばよいではないか。どうせ黙っていれば貴様が関わっている事など、誰にも分からぬ」

「奴らを殺す事、それが私の本当の目的であります。しかしながら、私自ら手を下すには、少々厄介な相手。そのために、私はここに来たのです」

 ゴゾルはオルメルとのやり取りに一歩も引いてはいなかった。そのような事ができるのは、オルメルの娘であるメメルカのみ。臣下たちは一様に黙り、事の終わりが何処に辿り着こうとしているのかを、固唾を飲んで見守っていた。

「その二人が魔人ならば、確かに抹殺する必要性があるな。貴様との利害にも一致する。だが貴様の言葉をはまだ信じるには足りぬ。二人の行方は掴んでおるか?」

「掴んでいます」答えたのはルセイ。「二人は現在、教会に泊まっているのが確認されています」

「ふん、教会か……」

 ニーゼ教は、例え王の権力であっても強く言えぬ程強い力を持っている。なぜなら全ての民はニーゼ教を信奉しているために、下手に教会へ手を出してしまうと、民衆の反発を招く恐れがあるからだ。ニーゼ教自体も、当然ながらそうした立ち位置に自覚的で、帝国に対して強気の姿勢を崩す事が無い。オルメルにとって厄介な存在なのである。

「女は食堂で働き、男の方は教会から滅多に出て来ません。しかも男の方は常にローブを着ており、グリ村での証言にあった角は未だ確認ができていないのが現状です」

「……仮に男の身体から本当に角が生えているとすると、ローブは角を隠すために着ていると考えるのが自然か」

「はっ。実際、男は奴隷の烙印を偽造してベネトに入った模様。見られたくない何かがあるのは確かのようでございます」

「ゴゾル」

 オルメルはゴゾルへ視線を向き直した。

「はっ」

「どうやらお前の罪を許さなければならないようだ。秘策とやらを話せ」

「それは……これでございます」

 ゴゾルは、懐から赤と黒のまだら模様の丸い実を取り出した。それは手の平の中にすっぽりと収まっている。

「なんだ、それは?」

「散魔の実でございます」

 ゴゾルは邪悪な笑みを浮かべた。




 木で作られた簡素な机に向かっている稔は、巻物に書かれた文字を熱心に読んでいる。

 巻物に使用している紙は、ヨグルスと呼ばれる巨大な植物の葉を材料に、魔法を使って作られた代物だ。質は悪く、手触りはごわごわして、日本で使われる紙と比べたら天と地ほど差がある。

 しかし稔たちから見たら劣悪な代物でも、この世界の紙は高級品で、巻物となれば一般的な家庭ではおいそれと手が出せない。そのためこの巻物は、由梨江が嫌いな教会から我慢して借りてきたものだった。

 稔に読ませる前に、由梨江自身も読んでみた。何しろ字を読む練習のために借りて来た巻物なのだから、指南役の由梨江が読めなければ話にならない。

 内容はいわゆる冒険物で、題名は『ガーガベルトの大冒険』である。ドグラガ大陸に漂着したガーガベルトという男が、恐るべき魔人たちに捕まるものの、知恵と勇気を振り絞って脱出を成功させ、その後も様々な困難に会いながらも無事にヒカ大陸へ帰還を果たす物語だ。

 手に汗握る展開の連続で、とても面白い読み物だった。それに簡単な語句が使われており、字を読む練習にもちょうど良い。

 事実、先程から稔は読みふけっている。由梨江は彼の真剣な顔を集中して見続けていたかったが、もしもムルレイに見つかってしまうと、また気分が悪くなるような事を言われるに違いない。だから由梨江は外の様子にも気を配らなければならなかった。

「ふうー」

 と、息を吐き出した稔は、読み疲れたのか、巻物を机の上に置いて軽いストレッチを行った。

「どうだった?」

 由梨江は稔の顔を覗き込んで尋ねてみた。

「すげー面白い」

 感嘆とした様子で、稔は言った。

「本当? 良かった」

「ああ。ガーガベルトが魔人を出し抜くシーンは、ハラハラした」

「私も。あそこ、良いよね」

 由梨江と稔は雑談を交わす。こういう娯楽に接するのは思えば随分と久しぶりで、面白い物語だからなおさらに話が弾んだ。

 それから稔はふと思い立って、

「そういえばさ」と、聞く。「由梨江は、どうやって言葉を覚えたんだ?」

 由梨江は考える素振りを見せた。

「ゴゾルの実験で、私が外の村に行かされていたのは覚えてる?」

「……ああ」

 気まずそうに稔は頷いた。由梨江は、メルセルウストの人間との間で子供が生まれるのかどうかを検証するために実験をさせられていたのだ。

「……村の一人に、今思えば気に入られたんだと思う。他の人からは道具としか思われていなかったんだけど、その人からは良くしてもらっていたの。それで、その人に、言葉を教えてもらえたのよ」

「……そう、だったのか」

 当時の稔は、時折由梨江がゴゾルに連れて行かれるのを知っていたが、そこで何が行われていたのかを良く知らなかった。今でも、性交をさせられていた事以上は分からない。だが、相当酷いことをさせられていたのだろう。由梨江の声はとても暗くて堅かった。

「ねえ、稔」

「……何?」

「私を、抱いてよ」

 ずい、と由梨江は前屈みになって、稔に迫った。このポーズになれば、胸の谷間が彼から見えるようになる。その事を彼女自身は分かっていた。分かっていた上で、あえて行っていた。そして、稔の目線が胸の谷間へ注がれる事も。

「……駄目だよ」

 顔を紅潮させた稔は、いつも通り拒否をした。

「私、魅力ない?」

「そんなこと、ないよ」

「だったらさ、雫さんのことなんて、忘れてよ。楽しい事をしようよ」

「そういうわけには……いかないよ」

「村の男たちはみんな、私の身体で楽しんでいたよ。だから稔も楽しんでいいんだよ。苦しいことなんか、忘れてしまえばいいんだよ」

「……由梨江は? ……由梨江は楽しんでいたのか?」

「………………苦しかった」

 そっと、稔の腕が伸びて来た。

 ついに来た、と由梨江は思った。だけど稔の腕は由梨江の後頭部に回されて、そのままついと彼の胸に抱き寄せられる。それ以上は何も無く、代わりに彼は口を開く。

「ごめん。これで、我慢してくれ」

 男の子の堅い身体から体温が伝わってくる。彼の心臓は力強く脈打っていた。少し汗臭い臭いも、稔の何もかもが愛おしかった。

「私こそ……ごめんなさい。わがままだよね……」

「いいよ、気にしないでくれ」

 由梨江の目から、涙が流れた。

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