二十八 捜索
森の中にある広大な湖の中に、瓦礫が山のように積まれて沈んでいる。およそこの世の光景とは思えない。
グラウノスト帝国が派遣した調査団は、眼前の光景を前にただただ言葉を失っている。
調査団リーダーであるルセイ・ジャカブも、それは同様であった。
空から瓦礫が降って来た。そんな有り得ない証言が複数あって、統合してみればどうやらこの辺りらしいと見当を付けたのだ。初めこそ半信半疑であったが、この地にやって来た今、それは真実と証明されてしまった。
果たしてそれは超自然的な現象なのか。あるいは人智を超えた何かの仕業なのか。
グラウ山脈に穴を空けた正体を掴むのがルセイの主な任務である。そうしてこの地にやって来たのは、瓦礫が降って来たというものだけではなかった。それは中空から光線が飛び出たと言う証言があった事にも起因している。そして、グラウ山脈の穴を開けたのも光であったと言う噂が囁かれていた。
この光がもしも同じものであったなら、目の前の光景とグラウ山脈の穴に関係している誰かがいる可能性が高い。
やはり、魔人なのか。
ルセイは生唾を飲み込んだ。数年前にこの国に襲った恐怖を思い出して、ぶるりと身体が震える。
だがすぐに否定するように首を振った。そんな事があるわけがないのだ。
そしてここで引き下がるわけにもいかなかった。何しろ帝王直々の命令である。それに戦時下でない今、功名を得るための数少ない好機でもある。
「確かこの近くには村があったな」
ルセイは近くにいるサブリーダーのレガルス・ベーガに確認を取る。
「はい。確かにグリ村があります。もしも探している奴がこの付近にいたのなら、グリ村に寄っている可能性があります」
「なら俺を含めた五人はグリ村に行こう。残りはお前と残りでここの調査だ。メンバーは任せる」
「了解しました」
グリ村に着いたルセイたちは、まずは村長であるガルベルと面通しをした。
「ふむ、なるほど調査か。確かにあの大穴は村の者たちも恐れておる。また魔人の襲来ではないか、とな」
「はい。また近くの湖に瓦礫が沈んでいるのはご存知ですか?」
「無論だとも。あれも全く奇妙なものよ。ある日突然降って来て、湖の底に瓦礫が沈みおった。皆、不思議に思っている」
「大穴と瓦礫。その二つ共に、同じような光を見たという目撃者がいます。もしかしたら同じ何者かが関与している可能性があります。旅人などがこの村に立ち寄りませんでしたか?」
「……そうだな。確か、二人ほどこの村に立ち寄ったな。だが彼らはそんな大それた事をしでかすようには見えなかったな」
「その人物は、どのような人物でしたか?」
「まだ年の若い少年と少女だ。旅の途中だと言っていたな。優しい子たちだったよ。俺が知っているのはそれぐらいだ」
「……ありがとうございます。つきましては、この村で聞き取り調査を行いたいのですが、よろしいでしょうか」
「ああ、もちろん構わんよ」
ルセイたちは深々と頭を下げて、村長宅を出た。それから四人の部下に聞き取りを命じる。
散り散りになった部下たちを見送ったルセイは、村の入り口に向かった。早速門番をしている男に声をかけると、彼はカースと名乗った。
「あの日の後に来た旅人?」カースは考える素振りを見せて言う。「ああ、確かにいた。ちょうど俺が門番をしていたら……そう、グリアノスが連れて来たんだ」
「妖しい所はありませんでしたか? 例えば、そう、魔人とか」
「魔人? ……ははは、ないない。魔人ってのはあの凶悪な奴らの事だろ? あいつらはぜんぜんそんな悪い奴らじゃ無かったよ。むしろ良い奴らだったさ」
それから幾つか尋ねたルセイは、最後にグリアノスの居所を聞いた。礼をし、グリアノスの家へと向かう。
二人の話に出て来た旅人は、恐らく魔人ではないのだろう。だがどうにも引っ掛かりを感じて、ルセイはたまたま通りすがった村人に話しかけてみた。
旅人について質問をすると、その村人は途端に青ざめた顔になった。それから、ぽつりと言い切る。
「あいつらは、魔人だ」
先の二人の答えを覆すその発言に、ルセイは目を見開く。
まさか、本当に? ルセイは魔人がこの地にやってきたとは思っていない。穴は誰かが特殊な魔法、あるいは、魔法兵器の実験をしたせいなのだと考えている。
彼の考えには裏付けがあった。海岸線には見張りがおり、何者かが侵入してきたという報告がないためだ。もちろん目視によって監視しているのなら、彼もそこまで信頼を寄せるわけがない。見張りは特別な魔法による監視を行っているのである。その魔法は、魔力波と呼ばれる目に見えない薄い魔力の膜を円状、または半円状に放射する。放射された魔力波は、生物や物に当たると跳ね返って術者に返ってくる。すると放射された時間と返って来た時間の差異から距離を割り出せるのだ。これを複数箇所から行う事により、方向を把握し、ある程度の位置を知る事が可能となるのである。
高度な魔法を使用するため、見張りはごく限られた人でなければなることができない。その信頼性は、ルセイ自身も実験に参加していたからよく分かる。だからこそ、魔人がヒカ大陸に侵入したとは思えなかったのだ。
「……旅人が村に滞在していた時……村は魔物に襲われた」と、村人は言う。「その中にはズヌーがいた。こいつを、その旅人は、一撃で殺してしまったんだ」
ズヌーが村を襲った事も驚きだが、巨体を誇る魔物を一撃で殺す事も信じ難い。しかし村人の恐怖を帯びた顔付きは、嘘だと断定することもできない。
「その旅人に、何か変わった身体をしていませんでしたか?」
かつてヒカ大陸を襲った魔人は、肩に出っ張りがあり、黒い穴が空いていたと言う。魔人の身体には、通常の人間と違う特徴がある事が多い。
「そいつは、全身に角が生えていたんだ」
決定的、とも言える。だが、彼一人の言葉だけで判断しても良いのだろうかと、ルセイは迷う。少なくとも、情報を集め切るまでは保留にしておいたほうが良いと思われた。
「ありがとうございます。参考になりました」
軽く礼をしてその場を去ろうとしたルセイを、村人が引き止める。怪訝な顔して振り返ると、村人は必死な形相でルセイの片手を掴んでいた。
「お願いします! 魔人ども! 殺して下さい!」
明確な殺意。この小さな村にも、魔人の恐怖が植え付けられているのだ。
「我らが王は、魔人に対して何か考えがあるようです。今暫く、お待ちください」
「はい!」
腰を大きく曲げて礼をする村人の瞳は、希望で目を輝かせる。だかその眼球の裏側には、良い知れぬ怒りと恐怖が混ざっているのにルセイは気付いていた。恐らくこの者も、先の魔人襲来の折に、誰か大切な者を殺されているのだろう。
ルセイはグリアノスの家に辿り着いた。扉を軽く叩くと、女性が中から出て来た。
「失礼。ここはグリアノスさんのお宅でしょうか?」
「はい。主人なら今は狩りに出かけております」訝し気な表情で、彼女はルセイの頭からつま先までを見た。「あの……騎士様が、一体どういうご用件で……?」
「これは失礼しました。私はルセイ・ジャカブと言う者。今日は聞きたい事があり、村の方々にお時間を頂いております。もちろん、村長の許可は既に頂いております」
「……私は、ツーメルと申します。それで、聞きたい事と言うのは?」
「湖に瓦礫が降って来たのはご存知ですね?」
「話には聞いておりますが……私はその頃病に伏せていまして、実際に目の当たりにしたわけではないんです」
「そうでしたか。では、その頃に旅人が訪れた事は?」
「もちろん知っています。彼らは私の病を治して頂いた命の恩人です」
「恩人?」
「はい。私が患っていた病は、村で唯一の回復魔法の使い手や、手に入る薬ですら治療する事が叶いませんでした。命の危機にすら陥っていたそうです。ですがそんな時に彼らが訪れ、私を治療して下さったのです」
「……彼らが魔人だという話を聞いた事は?」
「……あります。ですが私には、彼らが邪悪な魔人だとはとても思えないのです。もしも本当にそうなら、私など放っておくでしょう?」
確かに、とルセイは思った。魔人がわざわざ彼女を治療するとは思えない。ならば先程の村人の話は嘘なのだろうか。
「だれ、だ?」
思案に暮れるルセイの背後から、唐突に声がかかった。振り返ると、全身が植物の葉で覆われた奇怪な人物がいる。彼からは糞尿のきつい臭いがして、ルセイは思わず顔をしかめた。
「あなた!」ツーメルの怒声が響いたのは、その時である。「き、騎士様の前で、な、なんて格好を! 早く洗ってらっしゃい!」
「わ、わかっ、た」
彼は家の裏側へ逃げるように駆けて行った。
恥ずかしそうに赤面したツーメルは、深く腰を折る。
「申し訳ありません……あれが主人のグリアノスです」
「は、はあ」
「主人は、その、狩りに必要だと言って、あの格好を止めようとしないのです……」
暫くしてからグリアノスが裏手から出て来た。全身を覆っていた葉は取り払われ、異臭も殆ど感じられない。ツーメルはグリアノスにそっと近寄って、身体の臭いをくんくんと嗅いだ。
「よし! 教えた脱臭魔法はもう殆ど完璧ね」
「あ、ああ」
二人のやり取りを何となしに眺めていたルセイは、こほんと、咳払いを一度した。
「あーそれで、あなたがグリアノスさんですね?」
「ああ」
それからルセイは、ツーメルにしたのと同じような説明を行ってから、
「あなたが、村に旅人を連れて来た方で間違いありませんね」
「ああ、そう、だ」
「なぜ、あなたは彼らを村に連れて来たのですか?」
「森で、困って、いたから、だ。困っている、者を、助ける、のは、当然、だろう」グリアノスは独特な喋り方で話す。「それ、に、女の方、は、凄まじい回復、魔法を、使う。ツーメルの、病に、もしかしたら、効くかもしれない、という、打算も、あった」
「なるほど」ルセイは大仰に頷いて言う。「男の方に何か身体的な特徴はありませんでしたか?」
「……い、や……いつ、も、灰色の、ローブを、着て、いたから、分から、ない」
グリアノスの表情は、まるで仮面を被っているみたいで変化が無い。おかげで嘘を言っているのか、真実を言っているのか判断がつかない。
「最後に、彼らは魔人だと思いますか?」
「思わ、ない。彼ら、は、村や、妻を、助けて、くれた、恩人、だ。魔人、な、わけが、ない」
聞き取り調査は終了した。
証言の多くは二人組を魔人だと指摘するものだった。魔人ではないと否定するのも、無視できないほどには多い。
ルセイはどうするべきか悩みながら湖に戻り、レガルスの報告を聞いた。
「多くは岩石です。ですが、一部にミスティルが確認され、それも加工された状態で見つかっています」
それにどういう意味があるのか、ルセイには分からない。だが一つだけ分かるのは、彼は判断する立場にいないという点だけだ。
ルセイは手紙をしたためる。私見は入れず、客観的になるように努めた。
書き終えると、手紙に蝋で封をした。この蝋は魔法的な処理がされた特殊な代物で、ある特定の人物が魔力を流さない限り、手紙を開く事ができない仕組みになっている。その特定の人物とは、もちろん帝王その人である。
ルセイは手紙を側に控えていた配達専門の兵士に預けた。彼は最寄りの街まで全速力で移動すると、その街にいる同じ役割の兵士に渡すのだ。リレーのように街から街へと手紙を受け渡しながら運搬させるから、兵士は次の街までの体力だけを気にするだけで済む。つまりその分早く手紙を届ける事ができるというわけである。
ルセイたち調査団は、何人かを湖での調査を引き続き実行させて、残りで帝都方面へと向かう事に決めた。それは証言の一つに、彼らが帝都に向かっている途中なのだというものがあったからだ。
とは言えもうそろそろ日が暮れる頃合いである。今晩はここで野営を設営し、明日に出発する事にしたのだった。
太陽が山間に沈み、辺りは暗くなっている。
日記を書き終えたルセイは、夜風に当たりたくなってテントから外に出た。ひんやりした空気が肌に心地がいい。
野営地の所々に設置されたかがり火を頼りに、ルセイは星空を写す湖の側にまで歩いた。
ここに来て魔人の線が強くなって来ている。だがもしもそれが本当であれば、帝国を揺るがす大問題だ。なぜなら海岸線の厳重な監視をくぐり抜けて、魔人が侵入したことになってしまう。どこかに監視の目をくぐり抜けられるルートがあるのか、あるいは内通者がいるのか、他の問題なのか。それは分からないが、帝国の監視網を一度見直す必要が出てくるだろう。
ともかく、今は自分の仕事を全うするのが最優先にするべきことである。ジャカブ家の三男として生まれたルセイは、上二人の兄がいる限り家を継ぐ事ができない。上に行くには、自分一人の力で成り上がって行くしかない。今回の仕事を完遂し、帝王に名を売る事ができれば、これからも好機が出てくるだろう。逆に言えば、ここで失敗してしまえば、もう一生芽が出ない可能性だってあるのだ。
だからこそ、万事に抜かり無くこなさなければならない。
ルセイは脳裏に地図を思い浮かべた。ここから帝都方面にある最寄りの街はベネトだ。しかし道中には小さな教会がある。まずはそこで話を聞いてみよう。
そう思案に暮れていると、突然、背後に人の気配が生まれた。
ルセイは慌てて振り返り、身構える。
そこにいるのは灰色のローブを着た不気味な男であった。
兵士のような屈強な体型ではない。ローブで全身が隠れているが、それでも彼の身体は酷く痩せているのが分かる。何しろ無精髭まみれのその顔は、痩せこけていて、まるでドクロのような様相だったのだ。その癖目がぎらぎらと鈍く輝き、一種異様な雰囲気を彼は纏っていた。
「だれだ?」
ルセイはすぐにでも魔法を放てるように魔力を練る。目の前の相手を睨みつけて、動きを観察した。
だが目の前の男は、丁寧に頭を下げ、妙にかしこまった様子で応える。
「私は、ゴゾルと申します」
その動作は、恐ろしくなるほど似合っていなかった。
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