二十七 魔法葬送

 植物の魔物。

 実の所、魔人が住まうドグラガ大陸においてはいないわけではない。だがそれでも珍しい部類に入るのは、植物が魔素に影響されにくいからだった。そのため魔素の濃いドグラガ大陸でのみ生息が確認されているのである。

 では、なぜ魔素の薄いヒカ大陸に出現したのかと言えば、地形やその他様々な影響によって、偶然にも魔素が溜まりやすい場が生まれ、その場所に生えた木が、少しづつ魔物化を進行させたのだと推察される。

 この魔物化された木は、花粉を発する特性がある。花粉は当然魔力によって特殊な変化を遂げていた。それは魔力器官内に侵入し、受粉するというものだ。その結果訪れたのは、肌が黒くなる現象であり、身体から木が生えてくるという恐るべき効果であった。

 津村稔と喜多村由梨江がその花粉を浴びながらも何も起きなかったのは、彼らが地球人であったからに他ならない。魔力器官がなければ病は発症しないのだ。

 とは言え、由梨江の場合は細胞が、稔の場合は角が魔力器官を担っているのだから、花粉に犯される恐れはあった。圧倒的な回復魔法を常時発動させている由梨江はともかく、稔が病にかからなかったのは、外部から強引に植え付けられた魔力器官が何処にも繋がっていない独立した装置であったためだ。そのため彼らでさえも病が発症しなかったのだ。

 そうとは知らない目の前の魔物は、再度花粉を放った。全身の骨を粉砕されてぐったりとしている由梨江は動く気配がない。三度目の正直だと言わんばかりに枝を解く。

 しかし通常なら死ぬほどの攻撃であっても、由梨江の回復魔法は生命活動を停止させる前に回復させる。砕かれた骨は瞬く間に回復して、由梨江はわざと音を立てながら立ち上がる。

 当たり前だが魔物は当惑しているようだった。いつもならとっくの昔に動かなくなるはずの個体は、しかし倒れても倒れても立ち上がってくる。

 魔物は鋭く尖った数本の枝を由梨江に向けて、猛烈な速度でまっすぐ伸ばす。華奢な由梨江の身体を呆気なく貫き、血が滴り落ちた。

「かふっ」

 口からも血液をこぼした由梨江は、気色の悪い魔物を睨め上げて、自らに刺さっている太い枝を叩いて音を鳴らす。私はここにいる。やれるならやってみろ。そう言う意味合いの挑発行為。

 未だ音を出す獲物に困惑しながらも、魔物は根で由梨江の頭部を殴る。重たく鈍い音が響いて、彼女の首の骨が折れた。

 だが由梨江はすぐに回復する。そして枝を叩いて音を鳴らす。

 植物の魔物はまるで感情があるかのように振る舞う。苛つく気配が伝わってきた。嵐の如く暴力が由梨江を襲う。

 根で殴打。枝で刺突。それらを幾度無く繰り返す。

 それから高く持ち上げ、地面に叩き付ける。

 全身が血で染まり、全身の骨が折れ、内蔵が潰れていた。

 だが自動的に瞬時に回復した由梨江は立ち上がる。すでに数十回は死んでいる程の攻撃。その全ての痛みを受け入れ、耐えて、さらなる痛みから逃げようとしない。そればかりかさらなる痛みを呼び込むべく、由梨江は吠えた。

「来い!」

 メルセルウストの言葉ではない。日本語だ。相手は魔物でしかも木である。本来なら理解できるわけがないが、なぜか由梨江には相手に意味が伝わっているように感じた。

 実際、魔物は先程よりも凶悪な量の攻撃を放つ。そこには怯えがあり恐怖があった。

 由梨江は避ける素振りを見せずに全ての暴力をその身で受け止める。

 彼女は笑っていた。

 稔の役に立っている。稔を守れている。稔の力になれている。

 それが実感できている今、例え内蔵が飛び出ようと頭が潰れようと身体がちぎれようと、由梨江は歓喜に包まれていたのである。


 気が気で無いのは稔だ。

 逃げようとせずに、ただひたすら蹂躙される由梨江を見続けるのは堪え難き事だった。どれほど酷い怪我を負おうとも即座に回復してしまう魔法が常時発動しているとはいえ、死ぬほどの痛みが消えるわけではないのだ。その証拠に、激痛で叫び、苦しみで顔を歪ませているではないか。

 その何万分の痛みでも、自分でも味合わなければ気が済まないのか、稔は血が出るほど強く唇を噛み締める。

 自分の角を見ると、魔力があと少しで溜まろうとしている。

 由梨江が太い根っこで滅多打ちにされて地面に伏せた。魔物は容赦なく枝で追撃。全身が文字通り穴だらけに貫通させられた。

 多量の血を吐き出した由梨江は、穴だらけになった自分の身体を回復させて起き上がる。

「由梨江!」稔は叫んだ。「伏せろ!」

 瞬時に伏せる由梨江。稔が出した音に魔物は反応して枝を伸ばす。

「ハーゲン!」

 稔の右手から眩い光の帯が解き放たれた。光は枝を飲み込みながら直進する。轟音と共に魔物に直撃して、幹に円形の大穴を空けた。光は背後の木々をも薙ぎ倒し、一直線の道を作る。

 焦げた臭いが辺りに充満していた。森は奇妙なほど静かだ。

 由梨江は顔を上げた。稔は目の前の木の魔物を見続けている。

 魔物は先程から動かない。死んでいるのだ。

 ほう、と稔は胸を撫で下ろす。魔力の量をどれだけ溜めれば倒せるのか分からないため、彼は勘に頼るしか無かった。

 由梨江は起き上がった。血で真っ赤に染まったローブがぼろぼろになっていて、素肌がが見えてしまっている。だが彼女にはまるで頓着する様子が無くて、目線の置き場所に困った稔があからさまに横を向いた。

「やったね、稔」

 と、由梨江は弾んだ声で言った。つい先程まで地獄のような苦痛を全身に浴び続けたとは思えない明るい声だった。

 稔の背筋に冷たいものが走る。だがすぐにかぶりを振って、周囲を探す事を提案した。当初の目的を思い出したのか、由梨江は悲しそうな目を辺りに巡らせながら承諾する。


 結論から言えば、常連たちはいた。予想通り、真っ黒な死体だった。気落ちした顔を由梨江は見せたが、覚悟はあったのだろう。涙を流さなかった。

 黙祷を捧げ、暫しの休憩を取る。疲れ果てた二人の間に会話は起きない。

 ずしり、と地響きが起きた。それは連続して響き、しかも段々大きくなっていく。

 何かが近づいて来ているのだ。

 稔と由梨江は立ち上がって警戒する。

 木々の隙間から出て来たのは、三体の木の魔物であった。稔の魔法の音に反応してここまでやってきたのである。

 まだいたのか、と愕然としながら魔物を見た二人は、さらなる驚愕に包まれた。

 幹の中心部分に、真っ黒な人の形をした物体があったからだ。

 この瞬間、ようやく二人は理解した。黒く染まっていく奇病の、真の最終段階。真の恐ろしき特性。それは、人を苗床にして木の魔物が生まれるという事実である。

 もしも、教会やグリ村にいた患者たちを由梨江が治療しなかったなら、多量の木の魔物が生まれたに違いない。そればかりか、そこからさらに増大し、大陸から人間が一掃されてしまう恐れすらあったのだ。

 いや、その恐れは未だある。目の前の魔物を倒さない限りその危険性は無くならない。

 だが、と稔は迷う。もう一度倒すにはやはり由梨江の協力は欠かせない。しかしその場合、由梨江がまた酷い痛みを受けることになる。

 稔の逡巡を見て取ったのか、由梨江は彼の顔を見て頷いた。それから五指を広げた手の平を見せてから、親指を折り畳んで、四、と声を出さずに口の動きだけで伝える。それはカウントダウン。零になった瞬間に、由梨江は声を出すとジェスチャーで言う。

 三。稔は首を振った。でも彼女は首を傾げてとぼけた。

 二。

 一。稔はついに観念する。

 零。

「ああああああああ!」

 由梨江はあらん限りの声を出し、

「……メドル」

 稔は彼女の雄叫びの影に隠れるような小さな声で唱えた。

 三体の魔物から枝が伸びる。稔の前に飛び出した由梨江は、三体分の枝をまとめてその身で受け止めて、雑巾を絞るようにきつく拘束された。

 その後は先程より三倍分の暴虐の嵐。

 由梨江の口から発せられるその絶叫は、全てが断末魔の叫び声。

 唇を噛み締め、腕を構え、魔力が溜まるのをひたすらじっと待つ稔は、冷たい汗と涙を流す。酷く不快な気分が胸の奥底でどんよりと溜まっていく。

 頭がおかしくなっていくようだった。いや、もしかしたら、とっくの昔におかしくなっているのかもしれない。

 由梨江が苦しんでいるのに、手が出ない。助けてあげたいのに、身体を動かさない。

 ぷるぷると身体が震えていた。

 由梨江の壮絶な声が、まるで荘厳な交響曲に感じられる。

 身体が分断されようと、脳が飛び散ろうと、彼女が回復しつづける姿は、悪趣味な現代美術みたいだった。

 時間が経過していく。鳴り止まない悲鳴。涙は枯れ果てずに流れ続けている。

 魔力は溜まった。だが一撃で三体を倒さなければならない。由梨江の苦しみをできるだけ早く終わらせるためにも。だからできるだけ、直線上に奴らがいる瞬間を狙う。

 そして、その時が来た。

「由梨江!」

 回復を終えて立ち上がろうとした彼女は、そのまま地面に伏せた。

「ハーゲン!」

 稔が解き放った魔力の塊は、見事に三体の魔物を貫通した。魔物は半ばから折れて倒れる。苗床になっていた黒い死体が、ばらばらになって宙を舞い、周囲に降り掛った。

 稔は荒い呼吸を繰り返している。必死になっていたため気が付かなかったが、すでに死体になっていたとは言え、彼は人を撃ったのだ。

 その事に少なからず衝撃を受けた稔は、呆然と立ち尽くす。

 由梨江は心配そうに彼の近くに寄り添った。

「仕方……ないよ。そうしないと、倒せなかったよ」

「あ、ああ、分かってるよ」

 稔は自らの震える手の平を見て、それから由梨江と向き合った。

「……あのさ。あの黒い死体をそのままにしていたら……魔物ができてしまうんじゃないか?」

「……多分……そうだと思う……」

「だったらさ……このまま置いておくのは不味いんじゃないか?」

 治せないか? と稔は尋ねた。

「やってみる」

 由梨江は一番近い黒い死体の前にしゃがみこんで、手をかざす。魔力穴が開いて、ぼう、とほのかに光った。

 数秒待つ。いつもならすぐに回復し始まるのが分かるのに、何も変化が起きない。

「やっぱり、駄目みたい」

 稔の顔を覗き込んだ由梨江は、落ち込んだ様子で呟いた。由梨江の回復魔法は、死んだ人を生き返らす事ができないし、死体に潜む異常を取り除く事もできないのだ。

「そう……か」意を決した稔は、右手を死体に向けて言う。「メドル」

 角が赤く輝き始め、魔力が少しづつ溜まっていく。

 魔物と相対していた時は、早く溜まって欲しいと願ったが、今は少しでも遅く溜まって欲しいと稔は思った。

 由梨江は後ろに下がり、稔の背中を見つめる。

「ハーゲン」

 閃光と共に大きな音が響き、地面が揺れた。由梨江が見てみると、死体は跡形も無く消滅して、地面に穴が空いていた。

 それからも、稔は一体一体処理し続ける。由梨江は周囲を警戒した。木の魔物がまだ残っていれば、音を聞きつけてまた出てくるかもしれないからだ。だが結局の所、それは杞憂に終わった。

 捜索できる範囲で、全ての死体を処置し終える。もしかしたらまだ残っている可能性は否めない。しかし長く森の中に居続ければ、それだけ危険が増すだろう。

 ナイフで木に傷をつけて作った目印を頼りに、二人は帰路に着いた。

 だがこのままベネトの中に入るには問題がある。

 由梨江だ。ローブはすでに衣服の体裁を保っていない。おかげで彼女は裸に近い。そこで稔は自分のローブを由梨江に着せて、服を買って来てもらう事にした。おかげで稔はズボンを履いているだけの格好で森の中で隠れていなければならなくなったが致し方がない。

 稔のローブを羽織る。彼の臭いに包まれているみたい、と由梨江は嬉しく思った。

 由梨江はゆっくりじっくり堪能したかったけれど、そういうわけにはもちろんいかない。

 彼女は大人しくベネトへと急ぐのだった。


 翌日。

 由梨江はメーガスト食堂でいつものように働いて、昼のピークが過ぎた頃だった。

 シシリアに字を教えてもらう前、由梨江は昨日奴隷と森に入った事を告げた。

「どうしてそんな事を?」

 シシリアの質問に答えずに、由梨江は常連たちの死体を見た、と簡潔に言う。それから、その中の一人がいつも身に付けていた腕輪を取り出した。

「それは……」

 愕然としたシシリアの目から、涙が溢れ出した。そんな彼女を見て、由梨江もまた涙を流す。

 二人はお互いに抱き合って、号泣した。

 こっそりと二人のやり取りを見ていた店主のメーガストは、扉を閉めて店じまいにする。そして二人の為に何か特別な食事を出してやろうと思案するのだった。

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