二十 帝都視察、メメルカの笑顔の裏

 蒼穹の頂上にいる太陽が大地を暖かく照らし、微かな風が山吹色の草原をふんわりと撫で付ける。

 草原を二つに裂くように伸びる白い石畳の街道の上を、灰色のローブを纏った津村稔と喜多村由梨江がのんびりと歩いていた。

 二人が教会を出発してからすでに一時間は経っている。

「そろそろご飯にしないか?」

 空腹を覚えた稔は、由梨江に提案した。

「うん」

 と、由梨江は些かの迷いも見せずに承諾する。

 二人は縁石に腰掛けて、両足を草の海の中へと投げ出した。ローブの中に侵入した草の葉が、さわさわと素肌の足をくすぐってこそばゆい。

 由梨江は手に持っていた籠の中から二つの包みを取り出して、隣に座る稔に手渡した。

「ありがとう。さて、中身は何だろう」

 期待に胸をときめかせながら、稔は包みを解いた。中に入っていたのは、縦に割れ目が入ったパルツである。

 シニャの料理の腕前は、昨日すでに実証済みだ。まさかあのパルツが、シグーラムと言う料理に付けるだけで、ああも美味しく生まれ変わろうとは思いもよらなかった。

 だから今回も何らかの仕掛けがあるに違いない。そしてその秘密は、パルツにある割れ目を開けば目にする事が出来る。

 稔は今すぐにでもパルツに隠されている秘密を暴きたい誘惑に駆られたが、ここは我慢の一手しかない。見ればきっと味を想像してしまう。そして食べた時にもしも想像通りの味だったら、きっと幾らか味を損じてしまっている。なぜなら料理の調味料の一つには、驚きが数えられると稔は考えているからだ。

 かくして稔は、中身を調べずに一口目を頬張った。

 パルツ特有の、あの変に堅くてぱさぱさした食感が口の中に広がって行くのを、がっかりしながら味わっていると、いきなり、来た。

 淡い甘みと酸味が、粘着質の塊に乗って舌を襲ったのである。そればかりか、咀嚼すればするほど、パルツと混ざり合ってしっとりとした感触になっていく。

「おいしい」

 稔は感慨深そうに呟いて、パルツの中を覗いた。べっとりとした赤色の何かが、たっぷりと塗り付けられている。

 地球の食べ物の中で似た物と言えば、それはジャムだろう。しかしさすが異世界と言った所か。稔が今まで食べてきた安物のジャムとは似ても似つかぬ美味しさだ。素材の味が引き出されたそれは、今まで食べた事のない味である。

 あっという間に食べ切った稔は、一息ついて、傍らにいる由梨江に視線を送った。彼女は稔の視線に気が付くと、顔を向けて微笑む。

「おいしいね」

 由梨江はそう言って、最後に残っていた一欠片を口の中へ放り込んだ。

「それにしても、聖女かぁ」

 彼女はため息を吐き出すように呟いた。沈鬱な表情をした彼女の横顔を、稔はただ見つめている。

「こんなに汚れた私なのに、聖女って呼ばれるのって、何だか複雑」

「……でも、由梨江はそれだけの事をしたんだよ」

「うん。だけどね、この力は神様の聖なる力じゃないのよ。どちらかと言えばさ、邪悪な力じゃないのかな」

 ゴゾルの手術よって強制的に植え付けられた魔法の力。そのせいで、彼女は言語を絶する地獄を味わってきた。肉体の傷や病気は、この世界の常識から外れる程強力な回復魔法のおかげですぐさま治る事が出来る。しかし、鬼畜としか思えぬ所業を受け続けた彼女の心は、もはや傷だらけだ。そして魔法の力は、気が狂うのを防げても、心の傷を治すことはできない。

 地獄から抜け出た今、由梨江の心はゆっくりとだが回復しつつあると稔は感じていた。だけどきっと、完全な治療は望めないのかもしれない、とも思う。

「力を使うのは、嫌?」

 と、稔は聞いた。

「……ううん」由梨江は少し考えた末、首を横に振る。「こんな力だけど、あって良かったと思う。色んな人を助ける事が出来るし、何より」

 一端言葉を切った彼女は、稔の目を真っ直ぐに見た。少しも照れもなく、少しの笑顔も浮かべていない。真面目な顔。

「稔の役に立てるから」



「お父様。お聞きしたい事があります」

 いかにも高価な深紅のドレスを見事に着こなすグラウノスト帝国第一王女であるメメルカ・ノスト・アスセラスは、玉座に座るオルメル・ノスト・アスセラス三世の前で片膝を突いて、威厳溢れる帝王の顔を怯む事なく直視していた。

 メメルカの彫り深い顔立ちは気品に溢れ、全身のプロポーションは天才的な芸術家が彫り上げた大理石の彫像みたいに美しい。帝国一、いやヒカ大陸一の美姫としてその名を轟かせているのは伊達ではない。

「申してみろ」

 オルメルは鋭い眼光を実の娘に浴びせた。

 だがメメルカは臆することなく発言する。

「恐れながら、ドグラガ大陸に住まう魔人たちを平定するつもりはあるのでしょうか?」

 居合わせた家臣たちが、一斉にどよめいた。ドグラガ大陸、ひいては魔人たちの話は、今まで忌避されてきたからだ。

「ほう?」しかし、子が子なら親も親である。オルメルは愉快そうに口の両端を上げる。「逆に聞こうではないか。なぜ、そうする必要がある?」

 帝王の反応に、家臣たちはごくりと生唾を飲み込んだ。ただならぬ緊張感が、この場を支配していた。

「真の恒久的平和を我らの手でもたらすには、あの悪しき者共を駆逐する事が必定であると愚考する故に」

「だが彼奴らを征服するのは一筋縄では行かぬ。奴らは数こそ少ないが、特殊な魔法を使う。中には並の兵が千いても敵わぬ者がいると聞く。それにドグラガ大陸にはヒカ大陸よりも強大な魔物が生息しておる。簡単ではないのだ、メメルカよ」

「しかし」と、メメルカは言った。「その目処が立ちつつある。そうではありませぬか?」

 愛娘の言葉を聞いたオルメルは目を見開くと、クハハハッと呵々大笑した。

 家臣たちはそうした王の姿を見てぎょっとする。何しろ王が声を出して笑う姿などこれまで見た事がない。

 冷や汗を浮かばせながら王の次の反応を待つ家臣たちに対して、汗一つかいていないメメルカは、表情すら動かさずに父親の動向を見守り続けている。

 やがてオルメルは笑い声を収め、口を開いた。

「さすが。さすがよ。我が娘。見抜いておったか」

「私は王の娘でありますから」

「ならば、我が今最も欲しているものも分かっているのであろう」

「もちろんであります。それは、グラウ山脈に穴を開けた力でしょう」

「そのとおりだ。良く分かっておる」

「しかしながら、それはお父様自身が先日この場でおっしゃったことではありませぬか。お父様は、その力をドグラガ大陸における切り札にしようとしているのでしょう?」

「無論。だが誰もその事に気付かぬ様子であった。まさか一番に気付く者が我が娘とも思わなんだが」

「このような事、少し考えればすぐに分かる事。皆、薄々は勘付いていた事でしょう。ですが帝王に直に尋ねるのもはばかれたのかと思います。何しろ本気でドグラガ大陸に進軍しようと考えている者は今までいなかったのですから。お父様以外には」

「然り。真に然りであろう。どいつもこいつも腰抜け共よ。己の領分のみで満足しておる。外に踏み出そうとは決してせぬ」

「それは恐らく身の程を弁えているからでしょう。この国に帝王はお父様一人のみ。二人としていないのです。ところで、もう一つ質問してもよいでしょうか」

「かまわぬ。言え」

「もしも力の持ち主が、例えば魔人であったり、決して手に入れられない類いであった場合、いかがするのでしょうか?」

「決まっておる」オルメルは凄惨な笑みを口元に刻んだ。「処分するのだ」


 父親との会見を終えたメメルカは、親衛隊を率いて城下に出た。帝都を視察するのである。

 正直に言えば面倒な仕事だ。しかし民に愛想を振りまくだけで帝国への忠誠心が高まるのだから、やらない手はないとメメルカは理解している。

 白亜の石で出来た美しい町並みの間を、第一王女はゆったりとした歩調で歩く。ただそれだけで、美姫と名高いメメルカを一目見ようと民衆が集まってくる。この上ない高嶺の花の美しさに、人々はその歩く姿を見るだけで酔いしれた。

 仮面みたいな笑顔を貼付けて手を振るメメルカは、その実、内心では全く別の事を考えている。

 メメルカがまだ小さな子供であった時、グラウノスト帝国をたった一人の魔人が襲った。

 魔人が扱う魔法は恐ろしく強大で、また酷く残忍であったと言う。

 伝え聞いた話によれば、出っ張った肩には黒い穴が開いており、そこから魔力で出来た泡が吐き出されたらしい。その泡は、奇怪な事に、衣服や武器、防具などに遮る事なく人の体内に入っていく。その後は体内の魔力を吸収し、肥大化させるのだ。膨れ上がった泡のせいで、人の身体はぼこぼこに膨らんで、最期には破裂してしまう。そのために、魔法を受けて死に至った人の身体は、原形を止める事なくぐちゃぐちゃになり、辺り一面に血や骨や内蔵を撒き散らすのだ。防御が不能の凶悪な魔法である。

 また避ければ良いと考える者もいるだろう。しかし排出される泡の数は百を超える。そのどれもが不規則に動くために、回避は非常に難しい。実際、避け切った者は一人としていなかった。

 唯一の欠点は有効範囲が狭い事である。そこで遠距離から攻撃をするという方策が採られた。最初は魔法を使用したが、魔力を吸収する特性を持つ泡の前には形無しだ。ただ空しく膨張させて破裂させるだけで、肝心の攻撃は魔人には届かなかった。続いて用いたのは弓矢による狙撃である。放った矢の前に泡が集まるのを見て、皆は難なく通過して魔人を射殺出来ると予想した事だろう。だが泡の特性はまだあったのだ。驚く事に、泡は次第に縮小していくかと思えば、小さな球体に変化した。魔力の球は寄り集まって手の平を四つ集めたような大きさの盾と化して、素通りしていくはずの矢を弾き飛ばしてしまったのだ。

 文字通り攻守を兼ね備えた魔法に隙は何処にもなかった。人々の抵抗はまるで意味をなさず、ただ魔人が通り過ぎていくだけで死体の山が築かれていく。

 そうした折に立ち上がったのが、帝王オルメル・ノスト・アスセラス三世と、二人の騎士であった。

 三対一の戦いは熾烈を極め、数日に及んだ。最終的に魔人を殺す事に成功したが、オルメルの妻アーリヤ・ノスト・アスセラスと、ただ一人の息子でありメメルカの兄でもあったアリアル・ノスト・アスセラスが魔人の手によって殺されてしまった。

 今思えば、この後オルメルがヒカ大陸を事実上支配することになったのはこれがきっかけであったようにメメルカは思う。けれど王の真の目的はその先にあった。

 そう。つまりはドグラガ大陸の平定であり、ひいては魔人に対する復讐だ。

 帝都の中を歩きながら、メメルカは黄色い声を上げる民衆の顔を眺め見る。彼らの帝国への忠誠心は高い。

 それは帝国を脅かした魔人をオルメルが倒したからに相違ない。彼らにとってオルメルは英雄なのである。だからなのか、真の平和を手に入れるために世界を統一するという理想を信じ切っている様子だ。実際、ヒカ大陸をこの手で治めた今、争い事は起きていない。

 しかしまだ彼らには不安が残っている。それはいつ魔人が襲ってくるか分からないという不安だ。先の泡の魔法を使う魔人の恐怖から帝国の民は未だ逃れていないのである。おかげで世論はドグラガ大陸の平定を望む方に傾いている。

 民に支持されているオルメルが、ドグラガ大陸に侵攻する上での最大の障害は貴族たちだ。今のままでも十二分に甘い汁を啜うことが出来る今、魔人たちの巣窟を攻めるのはリスクの方が大きすぎる。

 貴族たちは帝国の軍事力を過大評価し、魔人たちの力を侮っている節があるため負ける事は考えていない。だが平定し、開拓するとなると多大な金銭が必要になってくる。そしてあの大陸を開拓したとしても、それに見合う利益が出てくるとは限らないのだ。むしろ大赤字になる予測の方が強い。それを恐れた貴族たちが、ドグラガ大陸侵攻に反対するのは目に見えていた。

 もちろん賛成派もいる。純粋に平和になる事を信じている者は少数で、むしろオルメルと同じように、恋人や家族を殺された恨みを晴らさんとする者たちで構成されている。

 今の所は反対派が優勢だ。それが今最も帝王の頭を悩ましている問題だろうとメメルカは予想している。反対派を押し切って挙兵する事は可能だが、その場合資金面など様々な問題で不利益を被るのは明白だ。

 何か決定的な一押しが必要なのである。

 そこで振って湧いたのがグラウ山脈の大穴なのだった。あの力が手に入れば戦争はより楽になり、進撃する時のコストを大幅に下げられるに違いない。また力の持ち主が魔人であった場合、魔人たちの危険性をより強く訴える事が出来る。魔人が帝国に敵対する気がなくとも、こちらで話を作ってしまえば良いのだ。そうすれば、反対派も賛成派へ鞍替えするだろう。つまりどちらに転んでもこちらの利となるのである。

 メメルカは何も知らぬ民を見る。彼らは所詮利用されるだけだ。そう、お父様の復讐のために必要なちっぽけな駒。あるいは彼らこそ、それを望んでいるのかも知れないわね。メメルカは笑顔の裏でそんな事を考えていたのだった。





 稔と由梨江の背後から、がらがらと音を立てて何かが走ってくる。

 後ろを振り返ると、四つ足で二つの目を持ち、二本の角を生やした馬に似た二頭の獣が、馬車らしき物を引っ張って疾走していた。手綱を握っているのは大柄の男で人相が悪い。日本ならばヤクザに間違えられてもおかしくないだろう。それから馬車だ。いや、先頭を走る獣はどう見ても馬ではないから、馬車と言っていいのかはよく分からないのだが。ともかくその車は、木製の檻にタイヤを付けたという構造で、中には人がすし詰め状態で詰まっている。破れ、ほつれ、汚れた大きめのシャツを一枚と、黒光りする首輪と手錠と重しがある足枷を付けられている。年は中年から児童まで様々で、男も女もいる。

 その馬車はあっという間に二人の横を通り過ぎていった。

「今のって、もしかして奴隷なのか」

 走り去ってゆく姿を眺めながら、稔は呟いた。

「……多分」

 由梨江はぼそりと答えた。

 グリ村の村長であるガルベルが言っていた事だが、どうやら本当に奴隷制度があるらしい。目の当たりにしてしまった二人は、当然のことながら衝撃を受けた。何しろ奴隷と呼ばれる存在は、歴史の教科書か創作物でしか知らないのだ。

「助ける事って、できないのかな」

 と、稔は言った。

「……どうやって?」

 由梨江の質問に、稔は答える事が出来ない。

 どうする事も出来ない問題に頭を悩ませながらも、二人は、足だけは前に進めた。

 そうして太陽が山間の中に沈み込んでいき、空を赤く染め上げた頃、稔と由梨江は、巨大な壁で取り囲まれた町に辿り着いた。

 門の前には十人ほどが並んでいる。どうやら後ろに並ばなければ中に入れないらしい。

「ここが、シニャさんが言っていたベネトか」

 稔は感慨深く言った。

「うん。でも検問を受けないと駄目みたい」

 見れば、門兵が列の先頭にいる人と問答を行っている様子だ。

 由梨江の方は大丈夫だろうが、問題は稔である。今はフードで隠しているが、もしも顔を見せなければいけないのだとしたら、頭から生えた角も一緒に見せてしまう事になる。そうなると、またも稔が魔人だと勘違いさせてしまうだろう。そして、下手をすれば迫害を受けてしまうのだ。

「どうしよう……」

 由梨江は途方に暮れた顔をして言った。

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