#03 交わした約束


 あの後、すぐに他の〈魔導戦士〉に発見されて避難所に案内された。連れられる前に〈魔導戦士〉に対して、あの少女のことを話したが遺体を回収することは出来ないと言われた。そんな暇なんてないのだと、逆に激怒された。


 ――どうして、人の死をそんなに簡単に受け入られるの?


 そんなアリスの思いは勿論届くはずがなく、そうこうしている内にその〈魔導戦士〉はどこかに行ってしまった。

 歯を食いしばりながら、アリスは辺りを見回す。

 怪我を負った者、手当てをした者、ぐったりと倒れている者。そして、何かを探すかのように歩き回る者。

 どんっと、体に衝撃が走った。

「っ、ごめんなさい」

 咄嗟に口にするも、その当たった人物は走り去ってしまった。小さな子供だ。

 ふと、その子供が口にした言葉が耳に入った。

「お母さんっ、どこっ⁉」


 その言葉を聞いたアリスの脳裏に、先程自身の体に走った衝撃よりも強い衝撃が走る。


「お母さん、お父さん、お姉ちゃん……」

 大切な、家族。

「どこ……」

 小さな、まるで幼い子供が迷子になって親を探すときのような声が漏れた。無意識に胸元の首飾りを握った。あの少女に縋ったように。

「どこに、いるのっ……」

 広い施設内を歩き回るが、誰一人として見つからない。既にもう探した場所をむきになって探していく。

 しかし、やはり見つからない。

 不安になってその場にしゃがみ込もうとしたとき、不意に肩に手を置かれた。咄嗟に、暖かく優しい手だと思った。

 振り向くと、そこに立っていたのは傷だらけの黒髪の少年だった。髪は乱れ、服はぼろぼろで、自分と同じように敵の攻撃を受けたのだとアリスは思った。

 しかし、彼の背に吊られている大剣と、ぼろぼろだが凛々しい姿を見て、アリスは彼が何たるかを悟った。


 彼は、〈魔導戦士〉だ。

 先程の、自分を守って命を落とした少女と同じ、〈魔導戦士〉。

 アリスのような無力な民を守るために戦い続ける存在なのだと。


「……きみ、大丈夫?」

 肩に置かれた手と同じくらい優しい声音だった。

「え……」

 思わず聞き返すと、少年は安心させるかのようにふっと笑った。年上かと思ったが、笑うと同い年くらいに見えると、場違いながらに思った。

「いや、……凄く不安そうな顔をしてたから……」

「あ……」

「何か、あった……?」

 優しい声音のまま問われ、思わず胸の内を吐露していた。

「あ、の……」

「うん? なに?」

「……私の家族を、……知りませんか?」

「家族……?」

 少年は首を傾げ、しかしすぐにアリスに問いかけた。

「一応……、ここにいる人たちは名簿につけてあるんだ。きみ、名前は?」

「ルーティ、です」

「ルーティ?」

 少年は呟きながら腰のベルトに付いた小さなバッグから名簿を取り出し、それを開いて目でなぞっていく。

「……る、……」

 名簿に向けられた瞳が動いていく。

「……あ、あったよ」

「本当ですか⁉」

 ぱっと、まるで花が咲いたかのようにアリスの声はその場に響いた。

「あぁ、きみの家族のお母様とお姉様は病院にいるって報告がある」

「……病院?」

「大怪我をしたらしいけど、でも命に別状はないから安心して」

「よかった……」

 その安堵の言葉も、あることに気付いてすぐに飲み込んだ。

「あの、……お父さんは……?」

 恐る恐る聞いたその言葉は震えていて、それはまるで、アリスの今の心を表しているようだった。

 少年の瞳が揺らいでいた。声を低くして小さく呟いた。


「……きみのお父様は、お亡くなりになりました」


 頭を鈍器で殴られたような衝撃がして、意識が遠のいていくように感じた。

 ――死んだ? いつも豪快に笑っていた、あの父が?

「そ、んな……」

 視界が歪むが、それどころではなかった。

「嘘ですよね⁉ 父は! 父は生きてますよね⁉」

 少年の服をぎゅっと掴んで言い寄る。それを少年は振り解こうともせず、ただアリスを苦痛の表情で見つめていた。そして表情をそのままに、先程よりももっと低く声を発した。


「本当だ」


 抜け落ちた敬語が、真実を語った。

 ――本当だ。

 その言葉一つに、アリスは喉をからからにさせた。

「っ」

 頬に何かが流れたように感じたが、認めたくなくて、必死に少年に訴える。

「嘘だ! お父さんは死なない‼ 絶対に‼」

 14歳には見えないほどに泣きじゃくった。自分と変わらないであろう年頃の少年はアリスが泣き止むまで優しく抱きしめていてくれた。絶対に止まることを知らないだろうと思っていたその涙も、段々と少なく、徐々に乾いていった。

「ごめん……。俺が、もっと早く見つけていれば……」

「……い、え……」

 彼は悪くない。何も悪くない。それはアリスにも分かっている。


「……いや、きみたちを守ることが俺の使命だから」


 そう言った少年の表情に少しの陰りが浮かんだのをアリスは見逃さなかった。何かを、大切な何か失ったかのような、まるで今のアリスのような悲しい表情。まるで自分自身を斬り刻んでいるかのような、痛そうな表情だった。


 そう、自分を戒めているかのような。罰しているかのような。


 思わずアリスは手を伸ばして、少年の頬に触れた。びくりと少年が体を揺らすものの、すぐに微笑んで、それが目の前で死んだ少女の微笑みに重なった。

「どうしたの?」

「あ……えっと、すみま、せん……」

 すぐに手を引っ込めて、何かいたたまれなくなった。

「……本当にごめん、守れなくて」

「いえ……」

 少年が長い間抱きしめてくれていたことによって、アリスは随分と落ち着きを取り戻していた。


 ――もう、お父さんには会えない。何をしても、会うことは出来ないんだ。なら、私は……。

 ――私を守って死んだあの少女ひとのためにも。


 自分の胸元に煌めく首飾りをぎゅっと握った。

 不安を隠すような、先程の意味ではなく。勇気を受け取ろうと。

 首飾りから手を離して、アリスは少年の顔をじっと見つめた。意志の強い、その表情を。


「……強く、なれますか?」


 アリスはぽつりと呟いた。その言葉はとても小さく、しかし今までのどんな言葉よりも力強かった。

「え……」

 唐突なアリスの質問に少年は答えることが出来ない。

「〈魔導戦士〉になれば、あなたみたいに強くなれますか? お母さんのような民を守り、お父さんのような人たちを少しでも助けることは出来ますか?」

 少年は驚いたような顔をしたが、それも一瞬のことだった。凛々しい表情でアリスを見つめ返す。

「あぁ、なれるよ。民を守り、助けることが出来る」

 少年は続ける。


「だから、俺は〈魔導戦士〉になったんだ」


 少年の言葉にアリスは惹かれた。いや、恐らくは彼自身に。

「きみは強くなりたいの?」

 強くなりたいか。

 そんなこと、今まで考えたこともなかった。自分の身は〈魔導戦士〉が守ってくれて、自分はただそれに頼ることしか出来ないのだと。そう思っていた。

 でも、違っていた。

 血まみれになって、それでも剣を振るってアリスを守ってくれた金髪の〈魔導戦士〉の少女。自分と年も変わらない、でも自分とは全然違う少女。

 あんな風になりたいと、目の前の少年のようになりたいと。

「はい」

 ゆっくりと頷く。


「私は強くなりたい。守られるだけじゃなくて、誰かを守れるような、そんな強さが」


 それを聞くと少年は優しく微笑んだ。そして、アリスの頭を同じくらい優しい手でそっと撫でた。

「そっか……」

「…………」

「じゃあ、約束しよう」

「?」


「いつか必ず、俺と一緒に戦おう」


 そう言って撫でるのを止め、小指を差し出す。

「はい‼」

 その小指に自らのそれを絡めて大きく頷く。

「約束な」

「はい!」

 それを見てふっと笑った少年。

「……じゃあ、俺は持ち場に戻るから。ここにいるんだよ」

 彼の言葉に頷くと、それを見た少年は背を向けた。それは優しくも力強い背中だった。

 それを見てアリスはぎゅっと手を握りしめた。精一杯の勇気で、震え上がった声を出す。

「あ、あの!」

 こちらに背を向けて歩き出していた少年は足を止め振り返った。驚いた表情を浮かべながらも、アリスの次の言葉を促すように微笑んでいる。

「な、まえ……」

「え?」

「名前、……教えて下さいませんかっ?」

 緊張しすぎて声が裏返る。そんなアリスを見て少年はくすりと笑った。今までの落ち着き払った大人のような微笑ではない、年相応の、笑顔。


「ライト」


「え?」

 唐突に出された言葉に今度はアリスが聞き返した。


「ライト。……俺の名前は、ライト・ペンナユータ」


「……ライト。……光。希望」

 初めて聞いた名前だが、何故か言いやすく、何度も何度もその名を紡いだ。

「きみは?」

 一瞬、何を聞かれたのか分からなかった。


「私の名前は、アリスです。……アリス・ルーティ」


「アリス……」

 アリスの名を呟いた少年は不意に悲しげな瞳になった。しかしすぐに元に戻り、微笑を浮かべる。

「いい名前だね」

「あ、ありがとうございます……」

 名前を褒められたことがあっただろうか。それにあったとしても、こんなうれしい気持ちにはならなかったはずだ。

「じゃあ、また会おうね。アリス」

「……はい」

 今度こそ彼は背を向け歩いていく。その姿が小さくなっていく。


   ・・・・・


 今思えば、あのときからだ。

 何も目指すものがなかったアリスが、〈魔導戦士〉を目指すようになったのは。

 あれから3年が経ち、アリスは17歳となった。必死に努力して、〈ルーティアナ魔導戦士育成学園〉に入学し、鍛錬も続けた。今は予科3年生。

 ここまでの道のりは、アリスにとっては長くも短くも感じられた。しかし黒髪の少年と金髪の少女を思い出せば、無尽蔵に力が湧いてくるような気がした。

 3年という歳月が過ぎても、それでもアリスは覚えていた。

 少女と少年の優しさ。

 抱きしめてくれたときの安心感。

 少女の剣の輝き。

 少年が朗らかに笑った表情。

 今でも鮮明に思い出せるほどに。

 そして、名前も。

 ずっとずっと、覚えてる――。

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