初夜

「ごめん遅くなって。髪長いと乾かすのに時間かかっちゃうからさ」

「それくらい、人の心が分からない僕だって流石に分かる」

 お風呂上がり、ナガヌマの部屋に入ってそんなやりとりをする。せっかく二人きりなのに、あたしが告白してからずっとあたしの顔を全く見てくれない。照れてるのかなとも思ったけど、ここまで徹底されると不安になるな……。

「おばさん、いい人じゃん?」

「ただの世間知らずの悲しい中年だよ」

 急なお願いにも関わらず快く認めてくれて、ご飯までご馳走してくれたんだから、多少感謝の気持ち持ってもいいと思うんだけどな? やっぱりナガヌマの人を見る基準って知識の多さなのかな。

「なあ」

「ん?」

 ナガヌマから話しかけてくるなんて、ここ数時間で初めて。あたしはずっと立ってたけど、ずっと突っ立ってるのもあれだし、話振られたついでに青一色のベッドのナガヌマの隣に座った。

「福原は、その、どうして俺を選んだんだ」

 ナガヌマは相変わらずこっち見ないけど、そんなこと聞いてくるなんて予想外だなー。ナガヌマのことだから事務的にあたしの願い叶えて終わりかと思ってたのに。もしかして目を合わせないのは顔を赤いの見せないようにしてるとか? ……ナガヌマに限ってそれはないか。

「んっとねー、意外かもしれないけどあたし頭いい人好きだよ。ちゃんと相手のこと考えてくれそうだし、ぶっきらぼうに見えても優しかったりするじゃん?」

「……なるほど」

「あとね、ナガヌマはちょっとかわいいかも」

「かわいい?」

 ナガヌマは不意を突かれたみたいで、目を真ん丸くして初めてあたしの方を見た。でも、かわいいってのは口から出まかせの嘘じゃないよ。

「ナガヌマってちょっと調子乗っちゃうとこあんじゃん? まるで全ての人類より自分の方が偉いーみたいなさ。それでいてなあんにも分かってないところがかわいい」

「……」

 ナガヌマは口を尖らせて——いや、もちろんナガヌマがそんなかわいい仕草するわけないから不服そうな顔って比喩だけど——こっちを見続ける。でも、しばらくして、溜息をついて舌を向いた。

「……確かに、僕はすべての知識を持ち合わせているわけではない。正直それはもう分かっているんだ。さっき言ったのもただの言い訳だ。確かにこの世はほとんどがバカばっかりだが、僕以上の知識を持っているヤツだって五万といる。そんなことは、本当の理由じゃないんだ」

 そう言いながらナガヌマは髪を掻きむしる。

「僕は、僕は新しい知識に対する興味を失ってしまったんだ。新しいことを追い求める気力がなくて、脳が世界を拒むんだ。それを世界の方に責任転嫁して自尊心を保っていただけ。ああそうさ、僕はただの卑怯者だよ。無知を無知と認めることができる福原には分からないだろうが……」

 ナガヌマの声はいつになく弱弱しい。こんなに頼りがいのないナガヌマ初めて見たかも。

「だから別に責めてるわけじゃないって。そこがかわいいって言ってんだから、いつも通り見栄張ってなよ。それより、さ」

 なんかちょっとナガヌマが落ち込みモードになっちゃったけど、あたしはあたしで別の件でちょっとそわそわしてる。さっき決断したはずなのに、いざ聞くとなると緊張すんなー……。

「なっ、ナガヌマ!」

「……?」

「その……さっきの答え、まだ聞かせてもらってない」

「さっきの?」

 ナガヌマは落ち込んでたところに質問されて眉毛をすげー形にして聞き返してくる。とぼけてんなよー……いや、鈍感なこいつのことだから本当に分かってないのかもしんない。……ったく、手のかかる坊ちゃんだぜ。

「あたし、一応好きって告白したんだけどさっき」

 はっきりゆったげたら、ナガヌマはまた下を向いた。やっぱり気恥しいから顔逸らしてんのかな。かなり間があってから、その大仏並みに重そうな口を開いた。

「……さっきの話にも繋がるんだが……僕はこの世界の全てに興味を無くしていた。だからこそこの世になんの未練もなかったし、自殺部にも当然の如く入った。いつ死のうとも悔いなんてなかった」

 うーん、告白の答えを聞いてるんだけどなあ。まあ、ナガヌマが話したそうだし聞いてやるけど。

「それを破壊したのは、他でもない。お前だ、福原」

 急に大真面目な顔で目を合わせてきやがった。な、なんだよそれ、心臓に悪いじゃん。

「最初見た時には正直周りの馬鹿共と同じだと考えていた。所詮何も考えていない馬鹿だろうと。だが偽カップルの提案をした頃を境に、僕はお前の考えてることが全く分からなくなった。執拗に後を付いてきては話しかけてきて、正気じゃないと思った。今まで、誰もが面倒がって僕を避けていたからな、余計に。迷惑なはずなのに、面倒なはずなのに、お前のことを考えると思考にノイズが乗るようになった。今日も、お前が死ぬって聞いた時、自分でも理解できない強い感情に襲われた。お前が風呂に入っている間、僕はそのことばかり考えていた……そして、気付いたんだ。僕は——」

「『お前のことを知りたくなったんだ』って?」

「なっ」

「へへっ、図星でしょ。あたし、こう見えても結構鋭いんだからね。まあ、今のは正直前置き長すぎて誰が聞いても予測できたけどねー」

「……そういうのは分かってても言わせるものだろ、普通」

「普通じゃないから気になったんでしょ? あたしのこと」

 ナガヌマはキザったらしく眼鏡の位置を直しながら負け惜しみみたいなこと言ってる。頭いいヤツに勝てるってなかなか快感じゃ。

「だから、福原。自殺は考え直してくれないか」

「……ごめん、無理」

 ナガヌマには悪いけど、それとこれとは別。いくらあたしらが相思相愛でも、所詮あたしはお父さんの娘だし、しばらくは家を出ることは許されない。何をどう頑張っても帰れば地獄なんだよね。

「そうか……」

 ナガヌマも多分そこまで強く引き留めようとはしないでしょ。たかだか二か月弱の付き合いよ、そこまで熱くはなれないよね。

「……なあ」

「ん? 何そんなかたっ苦しい顔して」

「福原は僕と性交したいんだったよな」

「え、あ、うん……そんな変に改まって言われると緊張するんですけど!?」

「キスからでいいか?」

「はあ!? いや、何からでも別にいいけどさ……」

 エッチする時にそんないちいち確認するアホがどこにいんの!! あたしも処女だから正直知らないけど!!

「じゃあ、い、いくぞ」

「……あ、ちょっとまって」

 お互いどぎまぎしている中まったをかけて、ナガヌマの眼鏡をゆっくり外した。へえ、こいつ案外いい顔してんじゃん。

「ん」

 いよいよ心の準備ができたから唇を突き出す。最初で最後の大事な日なんだし、優しくシてね、ナ・ガ・ヌ・マくんっ。


※ ※ ※


 一応盗聴器が仕掛けられているであろう書類にはある程度の目星を付けていた。年間予定表、合格通知、先生が教科担任を務める国語の課題、入学手続きの際の重要書類……その他、誰もが配られるもので長い期間保管される可能性の高いもの。机の引き出しに仕舞ってあった書類や封筒も含め、端から端まで目を通し尽くしたが、全てただの紙切れでしかなかった。

 書類でないとすれば、今度はさらに近いところに目を向けるしかない。灯台下暗しとはよく言う。原点回帰して盗聴器を一番仕掛けたくなるところを考えよう。

 普通に考えれば、生徒のプライベートを覗くなら携帯電話に細工をするのが手っ取り早いが、もちろんカバー含め盗聴器らしきものは確認できない。携帯以外で身近なもので、しかも先生が細工できるということは学校に一度でも持って行ったことがあるもしくは学校から貰ったもの。

 ふと思い立ってハンガーラックにかかった制服に手を掛ける。探偵小説でもあるまいし、投げればくっつく超小型盗聴器、などというものは存在しないだろうが、ポケットなどに入れ込んでしまうことは十分に考えられる。

 そう思い胸ポケットから内ポケット、布の継ぎ目などを細かく確認したが、それでも怪しい機械は見つけることができなかった。――が、次の瞬間、ポケットから取り出した小物たちを眺めている時に頭の中ですべてが繋がった。

 確認してみると、それはなんとも想像通りで、最近触れたこともない胸の高鳴りで、危うく声が出そうになった。いち早くその事実を皆にも共有するべく、震える手で携帯のロックを解除する。先生が何者だろうが、必ずその正体を暴いて、あなたの手から逃れて見せる……!

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