入院

 津田さんが次に目覚めたのは、搬送されて手術をした次の日の昼だった。弱弱しい掠れたその声を、俺は聞き逃さなかった。

「津田さん!? 気が付いた!?」

 右腕はギプスで固定されているので、左手を手に取る。全身包帯だらけで、見れば見るほど可哀相だ。

「進く……っ」

「まだ喋っちゃ駄目だ。肋骨も折れてるし」

 津田さんはかなり痛かったと見えて、それ以上もがくことはなく、俺の言う通りに大人しくなった。

「全治九か月だって。最低でも一か月は入院していなくちゃならない」

 一か月と言えば、高校生にとってはかなりの長い期間だ。少なくとも体育祭には出られないし、それだけ出席日数が減ることになってしまい、留年の可能性だって出てきてしまう。最低でそれだから、それ以上期間が伸びる可能性だってある。津田さんはそういったことを考えたのか、悲しげな表情で俺の目を見つめた。

「大丈夫。心配しなくても俺は毎日来るよ。漫画とか本とか、欲しいのがあれば持ってくるし。夜だってスマホがあれば繋がれる。そうだろ?」

 手を強く握って、目をまっすぐに見てそう諭すと、津田さんはちょっとだけ目を大きくして、ここを少しだけ緩ませた。津田さんはやっぱり笑っている方がかわいい。

「それと、もう一つ話しておかなくちゃならないことがある」

 俺が真面目な顔をすると、津田さんも少し表情を硬くした。恐らく、何について話そうとしているか、検討はついているだろう。

「津田さんのお父さんはあのあとすぐ逮捕されたよ」

 担当してくれたお巡りさんの話では、家の至る所に血痕が残っていて、逮捕状発行を待たず緊急逮捕になったそうだ。津田さんにこれだけのことをしたのだから、逮捕されて当たり前だろう。

 でも、俺にとってはただの犯罪者でも、津田さんから見ればたった一人のお父さんであり、たった一人の家族だ。津田さんはお父さんと離れて喜ぶわけでもなく、逆に寂しがるわけでもなく、複雑な表情をして俺の話を聞いていた。

「とりあえず今は傷害罪で立件してて、近く殺人未遂でも捜査するらしい」

 今日の朝も津田さんの家を見に行ったけれども、相変わらず鑑識のでかいパトカーが停まっていて、家にはブルーシートがかけられていた。殺人事件ではないけど、それでもちらほら報道関係の人間が目につく。

「もちろん、今は早く治るように治療に専念してほしいけど、これからは保護者がいなくなってしまうわけだし、学校の授業料とか、家とか、色々考えなきゃいけなくなると思うんだ」

 今ここで言わなくてもいいことかもしれない。でも早めに言っておかないと準備ができないのも確か。悩んだけど、俺はやっぱり言っておいた方がいいと判断した。

「入院中にも、なんとなくでいいから考えておきな。俺も手伝える部分は手伝うから。ね?」

 津田さんは数秒俺の目をじっと見つめてから、目を瞑って小さく頷いた。

「じゃあ、また明日来るね」

 手を振って行こうとすると津田さんはまた寂しそうな顔をしたけれど、心配させまいと思ったのか無理に微笑んで見せてくれた。――ああ、この子は俺が支えなくちゃいけないんだ。いつの間にか俺の中にそんな感情が芽生え始めていた。


※ ※ ※


 進くんに出会ってから、私は進くんに頼りっぱなしだな……。いつも私の言葉を代弁してくれるし、一人ぼっちでいた私ともできるだけ喋ってくれるし、今回なんかこんな大事に巻きこんじゃって……。

 それでも進くんは私のために動こうとしてくれてる。見捨てても問題ないはずののに、力になろうとしてくれている。それが堪らなく嬉しい。

 お父さんがいなくなるのは、やっぱり複雑な気持ち。お父さんの暴力は嫌だけど、お父さんのことが嫌いなわけじゃないから……洗脳されてるんだって言われちゃうかもしれないけど、そうだと分かってても離れることを手放しに喜ぶことは、私にはできないみたい。

 それに、進くんが言ってたように私はこれから一人で生きていかなくちゃいけない。お金がなきゃ生活できないから、少なくとも何かバイトをしなくちゃいけないと思う。私にできるバイトなんてあるのかな……。おうちだってあの一軒家に私一人で住み続けるなんてもったいない気がするし、だからって引っ越しにもお金かかりそう。お父さんが逮捕されちゃったら、お父さんの貯金を私が使っちゃってもいいの? うう、やっぱり難しいよ……。考えれば考えるほど分からないことが多すぎて考えられなくなっちゃう……。

 警察の人もあとで来るみたいだし、その時に詳しく聞きたいな……。

 ……それにしても、やっぱり少し動いただけで痛むのはつらいな……。昨日よりは少しマシになったけど、普通に動いちゃうとふとした瞬間に右胸が痛くなっちゃう。立ち歩くのもトイレ以外は駄目よって看護師さんにも言われてるし……。

 そうやってぼーっとしてた時、病室のドアが開く音がした。そういえばそろそろ学校が終わった頃かな。昨日話せなかった分、今日しっかりお礼言わなきゃ。

「あの、進く……」

 はやる気持ちが抑えられなくて自分から声を掛けようとしたけど、カーテンから覗いたその顔を見て私の身体は硬直した。

「よう、重症って聞いたけど案外元気そうじゃねえか」

 ――藤井さん。同じクラスで、進くんによくないことをしてる藤井さんだ。なんでここにいるの?

「杉田じゃなくて残念だったな。あいつはもうしばらく来ないと思うぜ」

 ってことは、進くんは藤井さんに何かされて……? 許せない! 進くんは何も悪いことしてないのに!

「なんだその目は。これ以上傷が増えるのは嫌だろ?」

 藤井さん――いや、藤井は脅すように手を鳴らして見せる。でも、そんなことされても進くんに何かしたならやっぱり許せない。痛いのは嫌だけど、それで怯んじゃったら進くんに申し訳ないもん。

「……はっ、上等だよ。お前、声小さいんだから何されても気付かれないだろうしな。まあ胸もねえしガキっぽいが、杉田に食わせるのは勿体ねえからな」

 ……? この人何言って……。

 ……! 顔を近付けてこないで! 嫌、やめて。やめて!! 助けて!!

「おい!! 津田さんに手を出すな!!」

「あ?」

 この声は進くん……!

「お前、よくあれだけ殴られてついてこれたな」

「津田さんには絶対に手出しさせない……絶対に!!」

 進くんはそう言ってカーテンの隅から飛び出してきて、藤井の胸倉を掴んで窓に押し付けた。進くんはぱっと見大きな傷はなさそうだけど、右足をかばって歩いてるし、唇が切れて血が滲んでる。

「お前、俺に敵うとでも思って——」

「何の騒ぎですか? 大丈夫ですか?」

 藤井はすすむくんをいつものようにボコボコにしようとしたみたいだけど、病室に看護師さんや職員さんたちが集まってきたのを見て動きを止めた。部屋に入ってくる前に進くんが呼んできたらしい。

「ちっ……すいません、なんでもないっすよなんでも。じゃあ俺は失礼しまっす」

 藤井は大人たちの間を適当なことを言ってすり抜け、そのまま病室を出ていった。残された進くんは、来てくれた人たちに「お騒がせしてすみませんでした。もう収まりました」と頭を何度も下げた。大人の人たちが不思議そうな顔しているのを見るとなんだかつらいな……進くん、何も悪くないのに。

「……いつも迷惑かけてごめん」

 ……? 他に誰もいないし、今のって私に言ったの、かな? 迷惑なんてかけられたこと一度もないのに……。

「――元気でね」

 顔も見ないでそれだけ言うと、進くんはよろよろと病室を出て行った。また明日、とかじゃなくて、元気でね……?

 ――なんだか分からないけど、胸騒ぎがする。

 看護師さんの言うことは破っちゃうけど、私は立ち上がって進くんの後を追いかけた。

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