破綻

 お家に帰ると、意外にも玄関の錠は開いていた。ここまで来たとき、私はちょっと後悔していた。怒られるのが分かっているのに、ただで済まないことは分かっているのに、どうして約束を破っちゃったんだろうって。

 扉を開けると、リビングに明かりが点いてるのが分かった。まあ、あんまり遅い時間でもないし当たり前か……。靴を脱いで揃えていると、リビングのドアが開く音がした。ビクッとして目を向けると、想像通りお父さんが目の前に立っていた。

 でも、お父さんは何故か笑っていた。これまでにないくらい優しそうな笑顔を向けていた。――もしかして私のわがままを許してくれるのかな。もしかしたら今まで厳しくしていたのは、私に自分の意思を持ってほしかったからかもしれない。私はお父さんに釣られるようにして笑った。

「おいゴミ」

「……え?」

「え、じゃねえよゴミ」

 お父さんは笑ったまま顔をグッと近付けてくる。

「どのツラ下げて帰って来たんだお前。俺の夕食も作らずほっつきあるいて、よく帰って来れたじゃねえか。なあ? ゴミ」

 お父さんは右手を私の頭に乗せたかと思うと、髪の毛を鷲掴みにして、震えるほど力を込めて引っ張った。やっぱり、お父さんはお父さんだった。

「殺すぞ」

 お父さんは何も反抗しない私に容赦なく平手打ちを浴びせた。ごつごつとした手は例えパーであっても頬骨とぶつかって痛い。

 一通り顔を殴ると、私を突き飛ばして、転がった私の身体を強く踏みつけた。体重の全てをかけられて、声にならない叫びが出た。骨が軋む。それを何度も何度も繰り返された。咳き込んでも咳き込んでも息が楽にならない。苦しい。

 神経が千切れるんじゃないかというくらいの痛みに胸やおなかを襲われてのた打ち回る私を見て、近くにあったステンレスの傘立てを手に取った。まさかとは思ったけど、お父さんは本当にそれを振り下ろしてきた。

 ようやくここで、私は死ぬんだ、という実感が出てきた。傘立ての尖った部分で殴られ、右腕が折れる音が体中に響いた。もう涙も出なかった。逆に今までよくこうならなかったな、と過去を振り返る。どこで間違えたんだろう。生まれてくる家かな。今度はもっと、優しいお父さんとお母さんのいるお家に生まれたいな。そう、さっきの進くんちみたいな……。

 進くん。意識が飛びかけた私の頭に、急に鮮明な映像が戻ってきた。進くんにまだちゃんと想いを伝えられてない。このまま死んだら、進くんは多分、私の想いには気付いてくれないと思う。そんなの嫌だ。二度と進くんに生きて会えないなんて、そんなの……。

 私は、初めて死ぬのが怖いと思った。

 怖くて怖くて堪らずに、激痛で気が飛びそうになりながらもがいた。もがいてもがいて、自分の臓器を全部吐きそうになりながらやっとのことで玄関のドアを開けた。そこに人がいればラッキーだったのに、帰宅するような時間はとっくに過ぎているので、住宅街に人気はなかった。

 でも、私は諦めることができなかった。怖いから。どうせ死ぬなら精一杯あがいて死にたかった。折れてるであろう骨を押さえながら、動かない足を引きずりながら、ヨタヨタと道に向かって歩いた。

 後ろから腰を思いっきり蹴飛ばされて、頭から地面に落ちた。首が変な音を立てたけど、どうにかまだ死んでない。そのまま何回も蹴ってくるかと思ったけど、何を思ったのかお父さんはそのまま家の中に引っ込んでしまった。――チャンスだ!!

 私はもう一度痛みを堪えて立ち上がり、血を垂らしながら、街灯ともる住宅街を、なめくじのように這いずった。私はもう自殺なんてできないや。死ぬことが怖い、弱虫だから。


※ ※ ※


「二人揃って欠席か……」

 放課後、自殺部の部室には僕と福原の二人だけだった。なんでも、杉田と須田は一身上の都合により学校を欠席しているそうだが、十中八九二人とも同じ理由だろう。

「なーんか、自殺部も寂しくなってきたよねー」

 福原は折りたたみの鏡で自分の顔を確認しながら、そう呟く。寂しいと言う割には興味なさそうだ。

「まあ、元々自殺するための集まりなんだ。少なくなっていくのは当たり前だろう」

「ま、それもそうだねー」

 福原はまたも棒読みでそう言うと、鏡をパタンと閉じて立ち上がった。

「ちなみに今日はお二人に大事なお話があります」

 僕と先生に向かってニヤニヤしながらそう切り出す。どうせまた意味のわからないことを提案してくるんだろう、目に見えている。

「あたし、明日自殺しまーす」

 ……一瞬頭が真っ白になった。……が、そりゃあ冷静に考えればそうか。そもそもここは自殺のための集まり、さっき自分で言ったじゃないか……今更何を動揺している。

「人に迷惑を掛けて死にたい、というのが福原さんの希望じゃなかったかな?」

 先生が相変わらず笑みを浮かべながら福原にそう尋ねる。そう言えば、確かにそれぞれの希望の死に方を模索するためにみんなで案を出し合っている最中だったはずだ。それならば今すぐ勝手に死ぬことなんて……いや、何故ぼくはさっきから福原を生かす方法を考えているんだ……福原のことなんか僕には関係ないのに。

「いやー、もうなんでもいいかなって。とにかく早く逃げたくなったんだよね。どんな死に方でも多かれ少なかれ迷惑は掛けられるし。目的云々よりもやっぱ自殺はスピードが大事よね」

 福原は笑ってそんな事を言う。そういう選択を取るのは福原の勝手だ。それは分かっている。それにも関わらず、なんで納得がいかないんだ。なんで脳が拒否反応を示すんだ。自分で自分が理解できない。今この瞬間も、いかに福原を死なせないかばかり考えている。どうしてなんだ。誰か教えてくれ。

「あ……そういえばお前、やりたいことは全て済ませてから死にたいとも言ってなかったか?」

 立つ鳥跡を濁さずと言い出したのは他でもない福原だ。こればかりは自分が言い出した手前、勝手にやめるとは言いづらいだろう。

「うん、ゆった。だから今日じゃなくて明日なんだよ。明日までにやりたいこと全部終わらす。だからナガヌマ、手伝ってね」


 今日の帰りも、福原は僕についてきた。いつもは話しかけられるのが面倒で仕方がないのだが、今日ばかりは無言の方が堪えがたかった。未だに僕の感情が理解できずに、引っかかっているのだ。

「それでさ、ナガヌマ」

「……なんだ」

「今日泊まっていい?」

「……は?」

 自分の感情だけで脳がエラーを起こしかけているのにそれ以上の情報を入力されれば情報過多でフリーズするのは当たり前だ。いきなり何を言ってるんだこいつは。

「言ったでしょ? 明日までに未練全部なくすって。男子とお泊りって一回してみたかったからさ」

 急に泊まると言い出すからつい呆けてしまったが、それも死ぬ準備だと考えると、また変な感情に襲われる。

「それから、明日は学校休んで一緒に遊園地行って。最初で最後のお願いだから」

 福原は急に真剣な顔になって、しかも頭を下げてきた。いつものように軽くあしらうことは、今日だけは叶わないらしい。

「……どうしてもというなら動かんでもない」

「ほんと!?」

「だが、本当にそれで未練はなくなるのか? 死ぬ前にやりたいこと、他にはないのか?」

「それは……」

 なんだ、あるんじゃないか。顔を赤くしているが、死ぬというのにやりたいことをやり残して死ぬのはこいつの性格上無理だろうに。酷く長い時間もったいぶった後、耳まで真っ赤にしながら口を開いた。

「そ、その、なんていうか……せ……」

「せ?」

「……~~~!!!! もう! 全部言わなくても分かれよ馬鹿!!!」

「……?」

「流石に処女のまんま死ぬなんてそんなのやなの! ……これで流石に分かったでしょ!」

 なるほど、福原の言わんとしていることに気付いて、何故言うのを戸惑っていたのか分かった。しかし、それが分かったところで、更に分からないことがある。

「そういうことは自分の好きな相手とするものではないのか。何故僕である必要がある?」

 そもそも僕らは福原の提案で勝手にカップルにされてしまっただけであり、しかも僕は始終そのことを否定している。もはや僕と福原の間にそういった関係を結ぶ意味が分からない。福原はそれを聞いてさっきと同じかそれ以上に赤くなった。

「それは……それは……」


「お前が!! 好きだからだよ!! バーカ!!!!」

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