魔の手
放課後。ここのところはずっと帰りは進くんと一緒に帰ってたけど、今日はあの作戦の日だから、一人ぼっちに逆戻り。分かってはいたことだけど、やっぱり少し寂しいな。
も、もちろんその、付き合ってるからっていうのもあるんだけど……進くんはこんな私と一緒に帰ってくれた、最初のお友達だから。なんというか……そんなことないって分かってても、このままどこかへ行って、私の前に二度と姿を現さないんじゃないか……なんて考えちゃうの。やっぱり変、かな。みんなに言ったらメンヘラって笑われちゃうかもしれない。
と、とにかく、今日は進くんたちに家でじっとしてるように言われてるし、グズグズせずに早く帰らなきゃ……。
「よう」
「ひっ……」
突然こ後ろから声をかけられて、私は肩をビクッと大きく震わせた。このドスの効いた声、聞いたことある。恐る恐る振り返ってみると、そこには進くんよりも一回りか二回り大きな体をした男の子が仁王立ちしていた。――そう、確かこの前、進くんに殴りかかっていた人。それに気付いて、私はさらに体を強張らせた。
「なあ、お前、杉田と付き合ってんだってな?」
彼はその大きな顔を近付けながらそう言ってくる。反応しようにも、声はおろか、首も指一本さえも、恐怖で動かせなかった。
「ならお前も知ってるかもしれねえが、あいつは俺の奴隷なんだよ」
進くんが奴隷……?違う、違うもん、進くんは奴隷なんかじゃないもん。いろんなものがグルグル回っている頭の中で、そうやって微かな怒りが湧いた。その怒りで、少しずつだけど、体の自由が利くようになってきた。
――このままなら反抗できる。一瞬そう思った。
「つまりな、言いたいこと分かるだろ?」
彼は何の躊躇いもなく私の肩に手を回して、顔を私の頬に付くスレスレまで近付けた。一瞬で凍るような恐怖心が全身の欠陥を駆け巡った。緩み始めていた私の体も秒で固くなって、もうどうにもならなくなっていた。
「悪いようにはしねえからよ」
ここまでくれば鈍感な私にも分かる。その鳥肌が立つような目線、手つき。どう考えても性的目的だ。女の子なら分かるかもしれないけど、男の人の性的な目線って感覚で分かることが多い。それにここまで接近されてはもう、疑いようがない。下腹部が締め付けられるような不快感を覚えた。
「ここじゃなんだし、場所を移動しようぜ」
彼はそのまま固まっている私を引きずるようにして連れて行こうとする。もう私には抵抗するだけの力も勇気もなかった。これから酷いことをされるんだと思うと今から涙が出そうだった。
――助けて、進くん。かなわぬお願いを心でしながら、私は完全に諦めていた。
「待ちな」
絶望していた私の耳に、聞き馴染みのある、それでいて心強い声が聞こえてきた。体を固くしていたのが嘘のように、私はすぐに振り向いた。――麻紀ちゃんだった。
「あん?」
「あんた、ツキコをどこ連れてくつもり?事と次第によっちゃあぶっ飛ばすよ?」
麻紀ちゃんはいつもの軽口の調子で彼に喧嘩を売っている。その堂々とした立ち居振る舞いは私には救世主にしか見えなかった。
「んだと?馬鹿な事言ってるとてめえをボコすぞ」
「やりたいならやればぁ?ここでやったら誰かしらに見られるし。あんただって暴力行為で退学とかイヤでしょ」
「……ちっ」
麻紀ちゃんの勢いに彼が負けてる。これで一件落着しそう――そうやって安堵していると、急に肩を抱く彼の腕の力が強くなった。掴まれた肩がものすごく痛い。
「いーや、よく考えたら暴力振るう必要もねーわ。俺この子とこれからデートなんだ。仲良し二人でどこかへ行くのがダメなのかぁ?俺たち仲良しだよなぁ?」
また顔を急接近させながら、肩を掴む力をどんどん強くしていく。痛みと恐怖で、涙がもう前が見えないくらい目に溜まっていた。いつ溢れ出てもおかしくない。
「どう考えてもツキコ嫌がってんじゃん」
「何勝手に決めつけてんだよ。証拠でもあんのか」
「そもそも、ツキコはススムと付き合ってんの。あんたなんかとつるむわけないでしょ」
「知ってらあ。だから杉田のいねえうちに遊ぼうってんだよ。文句ねえだろ?」
「ふーん?じゃあこれからどこ行くつもりだったの?」
麻紀ちゃんのこの一言で、やっと彼の勢いは削がれた。
「それはその……ほら、公園とか……」
「ふーん、公園の公衆トイレとか?いや、あんたなら学校の裏とかでも平気でシちゃいそー」
「な、なにを言ってんのか俺にはさっぱり――」
「うっせーよレイプ魔が。生徒会の先輩に手出したのみんな知ってんだからな。ツキコ離してさっさと帰れよクソ男」
「グギッ……てめえ……」
耳元でギリギリと歯ぎしりの音が聞こえたかと思うと、急に私の肩は解放され、お尻を蹴られて前のめりに転がった。
「てめえ、覚えとけよ。ぶっ殺してやるからな」
そう吐き捨てて、彼はズカズカと下駄箱を後にした。倒れこんだ私に麻紀ちゃんがすぐに駆け寄ってきてくれる。
「大丈夫?痛いところない?」
本当は右肩が泣いちゃうくらい痛いけど、私は首を横に振った。そして、口をできるだけ麻紀ちゃんの耳に近付けてこう言った。
「麻紀ちゃんこそ、大丈夫なの?」
「あー、ぶっ殺すとかなんとか?そんなん気にしなくていいよ。あーいうヤツは基本メンタル弱ぇから口だけだって」
麻紀ちゃんはそう答えると、手を差し伸べてくれた。麻紀ちゃんの手を借りつつ、私はまだがくがく震えている足でなんとか立ち上がった。
「今日は一緒に帰ろ」
麻紀ちゃんはにっこり笑ってそう提案してくれた。てっきり、私と一緒に帰ってくれるのは進くんだけだと思いこんでたけど、私にはこんな優しいお友達がいたんだ……。もちろん、私はすぐに、満面の笑みで大きく頷いた。
帰ってくると、玄関の鍵は開いていた。お父さんは時々こうして早めに帰ってくることがある。大抵、そういう時は少し機嫌が悪い。
今日も、私の姿を見つけるや否や、私の服に手を掛けてきた。容赦なく飛んでくるお父さんの固い手。こうやって暴力を受けながら、ああ、今日は早めに終わりそうだな、なんて考えてしまう自分が嫌になる。
いつもは何も考えずに殴られるだけだった。でも、今日はなんだか違った。
──助けて……!!心の中で、必死に助けを求めた。今はもう昔とは違う。私のことを考えてくれる友達がいる。助けを求められる友達がいる。
──助けて、進くん……。
※ ※ ※
僕の役目は終わった。あとは杉田が適当にあしらってくれれば、自然な流れでメディアが取り上げてくれるに違いない。口を滑らせなければいいだけの簡単な仕事だ。あいつを認めているわけでは絶対にないが、少なくともやるべきことはやるだけの真面目さは持っていると僕は分析している。
このまま家へ帰って、ネットニュースからテレビからラジオから、このスキャンダルのニュースが流れないか確認をしなければ……そんなことを考えて歩いているときだった。
「やあ」
目の前から聞き覚えのありすぎる声が聞こえた。今一番会いたくない人物だ。流石の僕も、背中に電流のように寒気が走った。
何か返そうと思うが、なんと返したらよいのか判断に迷う。挨拶をしようにも、今日初めて会ったわけでもない。
「こんなところで会うなんて、奇遇だね」
「……そうですね」
相手の愛想笑いに合わせて苦笑いをするだけで精いっぱいだ。相変わらずの笑顔と猫なで声だが、探りを入れているのか、確信した上で揺さぶっているのか、真意が読めないところが難しい。
「僕はこれから綿貫さんの家へお見舞いに行くところなんだ。もしかして永沼くんも綿貫さんに用事があったのかい?」
――完全に分かってて言ってきているな。しかしだからと言って、はいそうですと認めるわけにはいかない。
「先生は学校を抜け出してしまっていいんですか?」
質問に質問を被せる。古典的かつ強引な方法ではあるが、可能性がある限り試すしかない。
「外出届をきちんと出してあるからね。それで永沼くんはどうして――」
「外出届を出してても業務は色々あるじゃないですか。採点とかプリントのチェックとか」
「そのくらい家でやれば問題ないさ。で、永沼くんは――」
「早く帰ったほうがいいと思いますよ。部活とか、他の先生に任せたままにできないでしょう」
一瞬、石井が無表情になった気がした。瞬きすると既にまた不気味な笑顔に戻ってはいたが。動揺か、あるいは苛立ちか。
「僕は部活の顧問はしていないよ。多分みんな知っていると思ってたんだけど」
自殺部のことは他言無用、口外は絶対に禁止だ。それをあえて連想させるような話し方をすることにより、少しでも困惑させられればそれでいい。
「ああ、そうでしたね。勘違いだったようです」
そのまま軽く会釈して、まだ何か言いたそうにしている石井の横を半ば強引に突破していく。なんとかその場をやり過ごすことができた形だ。
――後日問い詰められるかもしれないが、その時はまた欺く策を考えておけばいいだけのことだ。何はともあれ、これで本当に僕の今日の仕事は終わりだ。やっと落ち着いて帰路につけることに、安堵の念を抱いた。
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