作戦決行

 朝。カーテンから漏れる日の光を手で遮りつつ上体を起こす。そして、のっそりという擬音語が似合う動きでゆっくりと窓際に近付き、外を覗き見る。自殺未遂のあと、この行動が毎朝の私の習慣になっていた。

 明らかに最初より人の数は減っていた。当たり前だけど、人は芸能ニュースなんて10日も経てば興味をなくしていく。ネタがなければ尚更だ。

 しかし、今はそれでは困るのだ。もっとこの家が注目されなくてはならない。もっとこの家に人が集まらねばならない。そうでなければ私は……殺される。

 人を集めるためには、私の顔が汚れようと構わない。命に比べれば名声なんて安いものだ。──いや、今の私には名声などそもそもないのだが。

 あまり好きではなかった、あの自殺部のヤツらが、今は私のために動いてくれている。自殺をするために集った集団が、私の命を救おうとしている。

 作戦は遂に今日決行される。女子は今日の作戦で顔を見ることはないが、永沼と杉田に関しては久々に会うことができる。こんなにまで人に会うことが待ち遠しいことなど、人生の中でも初めてだった。もちろん、二股した彼氏を演じて、という彼らにとってはかなり不名誉な形だが。

 いつものようにドアの前に置いてある朝ごはんを部屋の中に持ち込んで無言で食べる。それこそ自殺未遂の日以来、一度も言葉を発していないのだが。

 食べ終わってすぐに、カーテンの閉まった窓に張り付き外を注意深く覗く。母親が出掛けるのをしっかり見届けるためだ。万が一母親が出掛けなかったりすると、作戦は破綻してしまう。

 黒いワゴン車が出ていった。これでこのうちの中には私しかいないはずだ。もう一度作戦内容を頭の中で反芻した。最初に永沼が裏の勝手口からやってくるから、それを私が迎えに行かなくてはならない。その時だけはできるだけ報道陣の目に映るようにしなくてはならない。

 もし永沼がインタビューをされなかった場合はもう一度やってきて私の名前を外から呼ぶことになっている。その時は呼ばれてから少し時間が経ってから出た方がいい。そのあとの杉田とも勝手口で少し話せば、基本的には作戦は終わりだ。

 私のやるべきこととしては勝手口で二人を迎えることと、名前を呼ばれた時の間の開け方を気を付けることだ。当事者のくせにやることが簡単すぎて申し訳ないが、そこは仲間である彼らに頼るしかない。本当に頭が上がらない。

 作戦は学校が終わった後なのだから、まだまだ半日ほど早いが、それでもなんだかそわそわして、勝手口と自分の部屋を行ったり来たりした。お昼を食べる時も、勝手口の方が気になってちらちらと目を向けてしまった。

 そして、遂にその時がやってきた。手の中のケータイが震える。

『これから作戦を決行する。最後に裏にまだ報道陣が残っているかだけ教えてくれ』

 永沼だ。すぐさま会談に向かって、そうっと裏の方を覗いた。裏の門のところにまだ二人、カメラを持った人が立っている。

『大丈夫。まだ二人いる』

『分かった。それでは今から作戦を始める。幸運を祈ってくれ』

 作戦を始める。その言葉は私の緊張を一段と高めた。――勝負の時だ。

 私はスマホを強く握りしめ、勝手口に一番近いリビングへと向かった。


※ ※ ※


「……よし、準備はいいか」

 永沼が眼鏡の位置を直しつつ、横目でそう確認してくる。学校を出る時点で既にガチガチに緊張しているけれど、授業中にできるだけ覚悟は決めたつもりだ。

「じゃあ行くぞ」

 作戦のため、今日は津田さんと一緒に帰れない。最近ずっと一緒に帰っていたからか、若干心細く感じた。

 綿貫さんのうちの場所なんて全然知らないけど、ズンズン進んでいく永沼に黙ってついていく。すると、住宅街の一角、小さな交差点で永沼は足を止めた。

「見えるか?左の手前から三軒目、やたらと敷地が広い家が綿貫のうちだ」

 永沼が交差点の塀から顔だけ出して覗いているので、俺も真似をして隠れつつその家を探す。すると、確かにやたら塀が広く、その前に何人かが座り込んだり突っ立てたりする場所があった。

「俺が行ったときに記者が付いてくるかもしれない。もし危険を感じたら一旦見つからないようなところまで逃げてくれ。その時は後でまた連絡する」

「分かった」

 俺の答えを聞くと、永沼は小さく首を縦に振ると、目を閉じて深呼吸した。永沼はいつも真面目くさった顔をしているけど、今回はそれ以上に真剣な面持ちだ。そして、目を開けると大きく息を吐いて、綿貫さんの家の方に歩き始めた。僕はすぐさま塀から顔だけ出して、その様子を眺める。

 永沼は毅然とした足取りで門の前までまっすぐに向かっていく。記者たちは通行人だと思っているのか、何も反応しなかったが、永沼が門の取っ手に色めき立ち、カメラを家の方に向け始めた。カメラからして、テレビではなさそうだ。そして、恐らく勝手口が開いたであろう瞬間、ものすごい勢いでシャッターを切っている音が聞こえてくる。さながら、テレビで見る会見のようだ。

 しばらくシャッターを切る音は続き、やんだかと思うと、門を開けて永沼が出てきた。すぐさま、二人いたうちの片方が永沼に声をかける。遠くて内容は分からないが、永沼は依然として冷静にインタビューに答えていた。そのまま質問攻めを受けながらこっちにくるんじゃないか……という心配とは裏腹に、割とあっさりとインタビューは終わり、そのまま永沼は俺の元へ戻ってきた。鉄の男永沼とはいえ緊張したようで、戻ってきたこいつには安どの表情が見て取れた。

「まずは第一段階突破ってところだな……」

「どんなことを話した?」

「あまり突っ込んだ話は聞かれなかったからな。妊娠の話はしていない。彼氏だってことだけだ」

 永沼はカバンからスポーツドリンクを取り出し、一口含む。永沼が妊娠の話題に触れてないということは、俺も無理して触れる必要はないだろう。

「あとは怪しまれないように時間を開けてから、お前があそこに行くだけだ。僕はリスクが高いから先にこの場を離れるが、できるだけボロは出すなよ」

 さて、いよいよ次は俺の番だ。緊張が最高潮に達している。これから俺はあいつらに「浮気されています」とアピールしなければならないのだ。色んな意味で怖い。

 頭の中でいろいろ考えて、ふと気が付くと後ろに立っていた永沼はかなり後ろの方を歩いていた。帰るにしても一声かければいいのに……。いや、もし声をかけられても頭には届かなかったかもしれない。緊張で頭が真っ白になる。でも、ここで頑張らなきゃ綿貫さんの命が危険に晒されてしまう。やるしかない。

「…っし」

 軽く声で気合を入れてから、最初の重い重い一歩を踏み出した。同じ制服のヤツが二連続で来たからか、今度は二人とも最初から俺をガン見している。それをできるだけ見ないように見ないようにしながら、黒い小さい門を開き、広い庭に置かれた石の道を歩いて勝手口へと向かう。勝手口は思ったよりも一般家庭と同じで、拍子抜けしつつも、右手を拳にして、三回ドアをノックした。

 ドアが開くまでは異常に長く感じられた。微かに足音がして、わずかに戸が開いて、そこから綿貫さんが顔を出した。

 ――綿貫さんは非常に疲れているようだった。もちろん、これだけ付きまとわれ、閉じこもっているのだから当たり前ではあるんだけど……いつも化粧をバッチリ決めているのに、今日は髪はぼさぼさのまま後ろでまとめ、顔もすっぴんだから、尚のことだ。

「ありがとう」

 綿貫さんは学校で見せていた横柄な態度はどこへやら、弱弱しい掠れた声でそれだけ言って、そのままドアを閉めてしまった。――閉められたということはつまり、俺は今来た道を戻らなければならない。インタビューする気満々の二人の間を通っていかなければならない。

 いつまでも閉まったドアに向かってても不審なので、とりあえず何も考えずに振り返って歩き出す。門まで来ると案の定二人とも近寄ってきて、俺が道へ出てくるのを今か今かと待ち構えている。心底嫌だが行くほかない。

「すみません、週間東都なんですけども」

「は、はい」

 まごついて声が小さくなっているけど、この際仕方がない。どうにもならない。

「明日香さんのお友達……でしょうか」

 ――きた。頭が飛びそうになるのを必死に押さえながら、口から言葉をひねり出す。

「か、彼氏です」

「……はい?」

「彼氏です、彼氏」

 俺がそう答えると、記者は口元をニヤリと歪める。いいネタが見つかったとでも思ったんだろう。

 これ以上いてもボロを出してしまう可能性が高い。やることはやったしさっさと帰ろう……そう思ったのだが、案の定記者はしつこく付いてきて、俺に質問を投げかけてきた。もう片方はケータイで誰かと電話している。仲間を呼んでいるに違いない。

「そうですかあ。ご交際はいつからしてらっしゃるんですか?」

「なんであなたにそんなこと答えなきゃいけないんですか」

「今日は何のご用事で明日香さんを訪ねられたのでしょう」

「言いたくないです」

「ご交際はうまくいって……」

「いい加減にしてください!警察呼びますよ!」

 警察、と言えば少しは引くかと思ったのに、怯むどころかむしろよりがっついてきている気がする。さらに先ほどの仲間と思しきワゴン車が先回りして止まっていて、今度こそ正真正銘、ビデオカメラが登場した。

 ――このままでは家までついてきちまうじゃねえか。マスコミのモラルのなさを舐めていた。

 もう既に緊張よりも怒りの方が勝っている。家まであと半分、というところで俺の堪忍袋の緒は切れた。

「あーもういい加減にしろ!!何も答えねえっつってんだろ!?もしこの映像使ったら弁護士雇って訴えるからな!!ここから先付いてきてもストーカーとみなす!この先すぐのところに交番があるからな!!調子乗るのもたいがいにしろ!!!」

 今まで下を向いて気弱そうにしていたヤツが急に怒鳴りだして驚いたのか、あるいは言っている内容に押されたのか、ともあれ無事にマスコミは巻くことに成功した。

 ……あと俺にできることは、この作戦が功を奏するのを祈るだけだ。

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