綿貫と報道陣

 仕事も何もなくなり、私はベッドの上に寝転がっていた。おそらくまだ私のニュースをやっているだろうから、テレビはつけなかった。親は当たり前だけど仕事。外は報道関係者だらけで外出なんてとてもできるはずがなかった。

 ただただスマホをいじりながらゴロゴロしていた。うちにはゲームとかもあまりない。動画サイトも「おすすめの動画」を三本くらい見たところで飽きてしまった。

 SNSは私の公式のアカウントしかなくて、誰かと勝手にやりとりすることはできなかった。ほかにアカウントを作ろうにも、どうやって作ればいいのかすら分からなかった。

 外からはひっきりなしに報道関係者の声とか足音が聞こえ、一定時間ごとにインターホンが鳴った。もしこれを今後一週間続けられたら発狂できる自信がある。

 お昼時、誰もいないキッチンに降りてきた。冷蔵庫を開けると冷凍食品なんかは一つもなくて、いくつかの野菜と、肉と、卵と、調味料が置いてあった。正直、野菜の種類すらもろくに分からない。こんなんじゃ何も作れなそうだ。

 スマホでレシピをいろいろ調べたけど諦めて、唯一作り方の分かる目玉焼きを作ることにした。小学校だかの教育実習の時に作ったと思う。

 ベーコンをフライパンに敷いて、卵を割る。それだけ。そう思っていたけど、実際にはうまく卵が割れなくて白身がちょっとこぼれただけでなく、フライパンに入った分も君が割れてスクランブルエッグみたいになってしまった。

 しかも、卵は全然固まらない。このままじゃ下だけ焦げちゃうと思い、慌ててひっくり返す。そうしてできたものはもう目玉焼きとは呼ぶことのできない代物だった。

 私は痛いくらい思い知った。私はにぎやかし以外何も能がないことを。私からアイドルという肩書をとったら、もう普通の女子高生にもなれないことを。

 午後も、二階に上がってふて寝とスマホをいじるのを繰り返していた。あんまり寝すぎると頭が痛くなる。仕事三昧だった今までは寝すぎるどころか寝足りない日ばかりだったが、その時はあまり体に不調は現れなかったと思う。根っからの仕事人体質ということだろうか。忌々しい。

 三時を回ったあたりで、なんだか外の様子がおかしくなった。急に誰も喋らなくなったのだ。突然の変わりように若干の興味をそそられ、私は締め切ったカーテンの隙間から少しだけ玄関前を覗いた。その瞬間、体が凍り付く思いがした。

 報道陣に何やら大声で話しているのは、紛れもなく石井先生だった。遠めでもはっきりと分かる。再び倉庫での恐怖心が蘇ってくる。様子からして度を越している報道陣に注意をしているらしいのだが、正直今は報道陣より先生のほうが怖い。

 一瞬、先生がこちらを見た気がして布団の中に駆け込んだ。みっともなく肩が震えている。

 でも、流石の先生でもこの家に入ってくることは難しいんじゃなかろうか。外は表も裏も報道陣が詰めかけ、警官が常駐する始末。そんな中鍵をこじ開けたり壁をよじ登ったりしようものならすぐに誰かしらに見つかるだろう。

 仮に父親か母親を殺して鍵を奪ったとしても、週刊誌の記者などは親の顔をしっかりと覚えているはずだ。この状況はまさに鉄壁の守りと言っても過言ではない。

 しかし、ここでじっとしていたらその内誰もいなくなってしまう。それだけは避けたい。なんとしてでも安全の確認がとれるまで報道関係者に見張っていてもらわなければならない。

 そう思ったとき、私はある作戦を思いついた。そう。この世界には本当の意味で私を気にかけてくれるメンバーがいるんだ。


※ ※ ※


 家に着いてすぐ、一通のメッセージが届いた。部屋に帰ってから開き、その意外な相手に思わず携帯を取り落としそうになった。絶賛不登校中の綿貫さんだ。

 騒動の渦中にいるトップアイドルと繋がっていることを知られると何かと面倒なため、トイレに入って鍵をかけてから改めて開いた。

『私に力を貸してくれませんか』

 送信日時は今から三分前。やりとりはまとめてしたいが、綿貫さんはずっとスマホを開いているだろうか。

『できることならやるけど、具体的にどんなこと?』

 変に「できる」と言ってしまうと変なことを押し付けられかねない。ここで場合によって断ることは提示しておく。それで「冷たい」と言われるならそれでもいい。

『ありがとう。具体的に言うと、うちの前にいる報道陣をできるだけ長く引き留めておきたくて、その手伝いをお願いしたい』

 すぐに長文が返ってきた。どうやら綿貫さんもスマホをずっと見ているらしい。

『報道陣を?』

『そう。あの人たちがいる限り私は学校に行かなくていい口実ができるし、先生は私に近付けない』

 そう言えば福原さんの交際大作戦のせいで半ば頭からこぼれていたが、綿貫さんは一度先生から殺害予告を受けているのだ。今日のところはなんとか誤魔化したが、気付くのは時間の問題だ。もしかしたらそもそも誤魔化せてなどいないのかもしれない。

 仮に先生が綿貫さんを狙っている、もしくは疑っているのなら、確かに監視の目として報道陣がいた方が安全かもしれない。

『でもどうやって引き留めるつもり?』

 正直、報道陣なんてネタがなければあっさりと引き上げてしまう。余程のネタがない限り引き留めるのは難しいだろう。

『杉田くんと永沼くんにうちに来てもらって、どちらも「彼氏だ」と言い張ってくれれば、どこかしらの週刊誌とかテレビ局が反応すると思う永沼くんにも今協力要請してるとこ』

 なるほど。自分たちでスキャンダルをでっちあげるのか。現役JKアイドルの二股。メディアにとっては美味しいネタだろう。……でも待てよ、俺、今すごいことを頼まれてないか?それってつまり日本のトップアイドルの彼氏を演じなけりゃならないってことでしょ。

『それ、顔映るよね』

『週刊誌は基本的にモザイク入れると思うけど、テレビ局は分からない。生放送とかで流してたら映るかもしれない』

 ――そうなるとうちの茶の間にも綿貫さんの彼氏として俺の顔が映ってしまうんじゃないか?しかも二股かけられた可哀相な彼氏。それって結構ヤバくないか……。

 あと、それとは別に、お試しとはいえ今俺は津田さんと付き合ってることになってる。そんな中日本のトップアイドル綿貫アスカの彼氏になるだなんて、例え縁起でもなんだか罪悪感が半端ない。

『もし嫌ならやんなくてもいいよ』

 黙り込んだのを見かねてか、綿貫さんは続けてそう送ってきた。確かに本心としては全力で断りたい気分だが、しかし今は綿貫さんの命がかかっている。俺の羞恥心や自尊心や……と綿貫さんの命、どっちが大事なんだ!

『やるよ』

 葛藤に次ぐ葛藤の末、俺はその三文字を送信していた。この短い時間でとんでもなく精神をすり減らした気がする。

『ありがとう。本当にありがとう』

 部室で怒鳴り散らす綿貫さんを見ているから、この文面さえ本心かどうかは知らない。それでもこの「ありがとう」は綿貫さんの心の底からの感謝のように感じた。

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