恋人ごっこ
――憂鬱な朝。
窓の外からはいつもの都会の喧騒とは違う騒がしい音、声。多分、警官だろうか、笛の音もする。
時刻は朝5時。いつもならスタジオに行くために準備を始める時間だ。
でも今日はもう、多分行かなくていい。というか、多分二度とテレビ局には入れない。佐藤も起こしに来ない。
昨日、父親に殴られた左頬が痛む。昨日、学校から帰ってくるなり玄関で張り倒された。「馬鹿野郎」って言われながら。
母親は部屋に籠りっきりで顔すら見てない。
佐藤は泣くでもなく悲しむでもなく、終始無言で真顔だった。でも夕飯だけはいつも通りきちっと作って帰った。
もちろん、というか、当たり前だけど、自殺未遂の後は何の演技もしていない。きゃぴきゃぴしていた私は本当の私ではないってことを知ったら、もっと周りも驚くだろうと思ってたけど、みんな想像以上にドライだった。
何より、昨日は先生にあんなことをされたのが一番身に応えた。起きたら先生が部屋に侵入していてその場で殺されるかもしれない。そう思うと怖くて仕方がなかった。
でも、いつまでも布団にくるまっているわけにもいかず、私は掛布団を剥いだ。私しかいないメルヘンな部屋がいつも以上に虚しく感じた。
部屋の入口にはいつものように着替えが用意されていた。なんだかんだ佐藤はいつも通りの仕事はしてくれているようだ。
用意されていた服に着替え、ダイニングに下りると、佐藤がソファに座ってスマホを見つめていた。父親は既に仕事へ行ったようだ。
「明日香」
佐藤は私に気が付くと声を掛けてきた。やっぱり無言でいるのはきまずかったのだろう。
「言わなきゃいけないことがあるの」
……いや、佐藤の様子からしてそんな柔らかい話じゃないらしい。むしろ、かなり深刻そうな……。
「あなたには事務所から抜けてもらうことになったわ。ご両親とも相談の上だから」
――頭が真っ白になった。いや、事務所から抜けること自体はどうでもいい。元から分かってたことだ。問題は、それを佐藤が事務的に告げたことだ。
「ま、まって、じゃあ佐藤はもううちに来ないってこと?」
「当たり前じゃない」
「今までずっと一緒にいたのに?」
「そういう契約だったからね」
「佐藤は私のこと、仕事の関係だとしか思ってなかったの?」
「あなたのこと?そうね、強いて言うなら……」
私が矢継ぎ早に質問を投げかけても、佐藤の真顔はゆがむことすらなかった。
「金の卵を産むガチョウ、かしらね」
それを聞いた途端、私は全身の力が抜けて膝から崩れ落ちた。泣く心の余裕すらなかった。耳鳴りで何も聞こえなくなった。
私が唯一信頼していた佐藤が、あんなに優しかった佐藤が、ずっと一緒にやってきた佐藤が、私のことをそんな風に思っているだなんて思いもしなかった。心の中で、少しは私のことが本当に好きなんだろうと思っていた。その想いがこんな形で裏切られるなんて、露ほども思っていなかった。
佐藤はそんな途方に暮れる私を見て、何も反応を示さず、むしろ嘲笑すら浮かべながら、何も言わずに部屋を出て行った。
私は自分がいかに愚かだったか気付いた。演技をしているのは私だけじゃなかったんだ。自分の苦労にしか目を向けずに、他の人の本心なんか全く理解しようとしていなかった。
私が演技をしてストレスを溜めていたのと同じように、佐藤も私の前で常に演技をすることがストレスだったのかもしれない。私には笑顔を見せながら「この馬鹿女が思い上がりやがって」と毒づいていたのかもしれない。
それなのに、それなのに私は、私は――。
さっき、佐藤に裏切られたと言ったけど、私も佐藤を裏切ったんだ。佐藤は私を金製造機としてしか見てなかった。だから私が金を稼げなくなったら佐藤はもう私を必要としないのだ。
ああ、今更気付いた。自殺未遂する前の状態が、一番よかったんだ。
私は佐藤に愛されてると感じ、佐藤は私から金を貰い、その副産物としてファンが喜ぶ。
何もかもうまくいっていたのに私はそれを自分で壊したんだ。
※ ※ ※
福原さんの突然の提案により、俺は津田さんと付き合うことになってしまった。いや、なってしまったと言っても不本意というわけではなくて、単純にいきなり過ぎて動揺してるだけなんだけど……。だって普通、彼女って誰かに「今日から彼女ね」って渡されるもんじゃないじゃん。誰だって焦るでしょ。
ということで、「付き合ってるらしいこと」を考えた結果、「一緒に帰ればいいんじゃね?」という、これまた福原さんの提案があり、今現在、一緒に帰るべく下駄箱で一緒に靴を履き替えているところだ。……これだけ「一緒」を連呼しているとなんか恥ずかしいものがあるな……。
「津田さんは家どこらへんなの?」
津田さんは滅多に自分から喋らないので、俺から話しかけるほかない。
――もし家の方向が全然違ったら、一緒には帰れないんだよなあ。
津田さんは手に両手を当てて、背伸びして口を俺の耳に近付けてくる。津田さん、結構背が低いからな。俺も少し背を低くして津田さんの声が聞き取れるようにする。
……さっきまでは普通に行っていた動作だけど、付き合ってると考えると途端にこっ恥ずかしくなってくるな。だって一応、顔と顔を近付けるわけだから……さ。津田さんの声で鼓膜が震えるのすら、なんだかいけないことをしている気分になってくる。
「私のおうちは、大通りを右に行って、歩いて15分くらいのところだよ」
「右ってことは、一応方向は一緒だな。途中までは一緒に行ける」
俺が言うと、心なしか津田さんは嬉しそうな顔を――いやいや、流石に気のせいだろ。思い上がるな俺。
学ランの上着に手を突っ込んで歩く俺と、その横を小さい歩幅でついてくる津田さん。あんまり早く歩くと津田さんが大変だろうから、いつもよりも少しスピードを緩めて歩いている。
「津田さんはもうクラスには慣れた?」
黙ってるのもそれはそれでムズムズするので、とりあえず適当な話題を振ってみた。津田さんはちらっと俺を見たかと思うと、恥ずかしいのかすぐに前を向きなおして、首を横に小さく振った。
「俺もまだみんなの名前とか覚えてないしさ。あ、もちろん部活のみんなは覚えてるよ」
そこで会話は途切れてしまった。まあ、津田さんが喋る時は文字通り俺が耳を貸す必要があって、歩きながらそれを行うのはかなり厳しい。だから、津田さんがYESかNOで答えられる会話じゃないと続かないのだ。
……とにかく、俺も俺でこういうことに慣れてないので、どういう話題を振ったらいいのかもよく分からない。しかも、たまに津田さんがちらちらとこっちの顔を伺ってくるので、それはそれで恥ずかしい。
意識し始めると止まらなくなってしまう。うちの高校の女子なら当たり前に着ている制服も、そこから覗く太ももも、ローファーからニーソに至るまで、それが津田さんのものだと認識するだけで直視できないし、そのちょっと長めの前髪の間から心配そうな目線を送ってきた暁には俺の心臓は口から飛び出んばかりに暴れ狂う。
なんて考えていると、突然津田さんが俺の学ランの裾を引っ張った。思わず声が出そうになる。
「ど、どうしたの?」
俺が振り返ると、津田さんは路地を指さす。聞こえないけど口の形的に「い、え」と言っているようだ。
「あ、ここなのか。おっけ。……えーっと、じゃあ、また明日」
俺がしどろもどろになりながら挨拶をして軽く手を挙げると、津田さんははにかんで手を振り返してくれた。今の笑顔はやっぱり恥ずかしさからかな。それとも俺の挙動が可笑しかったのかな?
途中で振り返ると、見えなくなるまで俺のことを見送ってくれた。別にそこまでしてくれなくてもいいのに。
これほど異性を意識したのは、今日が産まれて初めてだ。
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