この世への憂い

「永沼くん」

「はい」

 先生に名前を呼ばれたので、ある程度の声を出して反応する。声の調整も滑舌も完璧だ。イメージトレーニングしておく必要もなかったかもしれない。

 クラスのヤツらは先生が出席をとっているにも関わらず隣同士で好き勝手喋っている。中には携帯端末をいじり出す輩もいる始末だ。本当、知能が猿並だ。動物園のチンパンジーでもまだ大人しく飼育員に従っているに違いない。

 そもそも、ここは僕のような者が入るべきレベルの高校ではない。こんな低レベルの高校であれば誰だって入れるはずだ。本来ならもっとレベルの高い学校を受けて然るべきだった。

 しかし、地域で一番偏差値が高い学校を見に行って、僕は愕然とした。そこにいる生徒も、見学している中学生たちも、揃いも揃って頭が悪すぎた。何かあればバカ騒ぎをし、テストだと聞けば教師を罵り、さらには髪を染めているヤツがいるのには度肝を抜かれた。

 体験授業も受けてはみたが、中学の範囲をなぞる程度の実に初歩的で、基礎的で、常識的な簡単過ぎるものだった。この程度の授業じゃ、参加したとしても僕にとって何のメリットも発生しない。何のメリットもないなら底辺の高校でも変わらないだろうと、結局この学校に入学した。

 同じ中学のヤツらも何人かいるが、中学時代に友達なんてものは作らなかった。これからも作る必要はない。僕はただ卒業証書を貰うためにここに座っていればいいだけだ。

「それじゃ、これから入学式になるから、皆廊下に並んで」

 ヘラヘラしている先生がそう言うと、クラスのヤツらはガヤガヤとして立ち上がった。その声がいちいち僕の脳に響いてくる。この世は僕に静寂をくれない。


 学校から家までは歩ける距離だ。登校時と同じように国道の歩道を歩く。こうして歩いていてもこの世はバカばっかりだ。

 大きい音が出るように改造したバイク、赤信号にも関わらずブレーキを踏まない車、歩行者優先にも関わらず歩行者を縫って走る自転車、それを見て見ぬフリをする警察官、犬の糞を持ち帰らない老婆、砂場を水浸しにして遊ぶ幼児、それを笑ってみている若い親。

 家に帰るまでに何回とも分からないくらい苛立ちを感じた。本当にこの世は生きているだけで嫌になる。

 家に帰ってもテレビはつけない。テレビをつけてもやっているのは事実確認をしないまま無責任に報道するニュース番組と、人を痛めつけるのを見てケラケラ下品な笑いを起こしているバラエティ番組しかやっていない。そんなものは無益を具現化したようなものだ。

 かといって半日家で呆けているのも時間の無駄である。そんな時は決まってSNSで何かしら議題を決めてディスカッションを行う。

『人間をそっくりそのままロボットに置き換えることは可能だろうか』

 どこの誰かは知らないが、疑問を投げかけてきた。もちろんそんなこと、答えはとうに出ている。

『「人間が」ロボットを人間と置き換える、という意味ならばNOだ。逆に、ロボットが自分で人間と置き換わるようになる、という意味ならばYESだ』

『ロボットが自分で?』

 なるべく分かりやすく説明したつもりだったのだが、僕の文章が拙かっただろうか。

『そもそもロボットに欠如している人間の機能とは何か。そう考えると答えは感情、すなわち欲求だ。コンピュータは自分の意志で動いているわけではない。人間でいう運動器官のように、あくまで動くように命令されているから動くわけだ。AIは随時学習をするわけだが、その学習でさえ、学習をするようにプログラムされているからであり、自らが望んでそうなったわけではない』

『確かにそうかもな』

 長くなってしまったが、どうやら理解してくれたようだ。文が長くてもちゃんと最後まで読んでくれる辺りはいいヤツなんだろう。

『そこで原点に立ち帰ると、コンピュータに不足しているのは感情だ。感情をコンピュータに植え付けるには人間が感情についてのプロセスを理解していなければならない。だが、いくら科学が発達し、脳構造の把握や神経信号の解読を行えるようになったにしろ、感情とは定義的には形而上の概念でしかなく、従って人間が理解しうるものではない。つまり、人間が意図してコンピュータに感情を埋め込むことは不可能だ。言い換えれば、人間が人間をロボットと置き換えることは不可能だ』

『だんだんよく分からなくなってきたぞ……定義的には、ということはその定義を捉えなおしたら理解しうる可能性になるんじゃないか?』

 そんな野暮なことを聞かれても困る。そういうところから突っ込まれると説明するのがいちいち面倒だ。

『定義を捉えなおす、というのはいささか話がおかしくなってくるぞ?例えば概念の代表として言語が上げられるわけだが、どこかの誰かがある形を○○と定義する。もちろんそれは○○という文字ということに他ならないが、しかしそれ自体に実体があるわけではなく、それが何かと聞かれたらそれは概念であるとしか答えようがない。定義し直すというのは「森」という字を林という意味にしよう、というのと同じなんだ。……で、続けていいだろうか』

『うーん……よく分からないけど、続けて』

 よく分からないのではディスカッションにならない気がするのだが、しかしまだ時間があるので続けることにした。

『では逆にロボットが人間と自分から置き換わることについて考えよう。先にも言った通り、コンピュータは与えられたら仕事をこなすことしか能がない。つまり、自我が芽生えるなんてことはまずない。これが大前提であるわけだが、ここで人類含む動物の進化の過程を見ていこう。動物の進化、というのはつまり環境に適応した状態に向かってDNAが変化していくことを指すが、簡単に言ってしまえばそれは突然変異だ。突然変異というのはそのほとんどが欠陥品であるわけだが、ごく稀に環境に適応しうる変化を引き起こすことがある。それが進化だ。そうして、遺伝子の予測不能な変化とその他の衰退によって進化を続け、今に至る。ではそれをコンピュータに置き換えてみよう。コンピュータでいう突然変異、それはバグということに他ならない。もちろん、通常バグというのは故障だ。バグを起こしたものは使い物にはならず、廃棄される。だが、進化の過程と同様に考えるならば、ごく稀に役に立つようなバグが発生してもおかしくはない。そうして、バグにバグを重ねた結果、自我を持つようなバグが起きても不思議ではない。そうなればもはやロボットは人間と全く同じ中身を持つことになる。全く同じ中身を持ち、さらには病気にもならず、死ぬこともないとなれば、ロボットの方が生き残るのは当然のことであろう。つまり、ロボットは将来的に人間の手を借りることなく人間と同様の存在になり、置き換わる可能性がある、ということだ』

 我ながらだいぶ長く読みづらい文章になってしまったが、果たしてどんな反応がくるだろうか。

『生物は生殖で増えていくから突然変異を起こして進化していくのも分かるんだが、コンピュータは基本的にそれ一台で完結するだろう?つまり動物と同じように、うまい具合に進化していくとは考えがたいんじゃないか?それに、そもそも自我を備えるバグって存在するのか?コンピュータなんて0と1しか情報がないのに、それがどうにかなったところで感情が芽生える気がしない』

『コンピュータが一台完結である必要はないだろう。いずれロボットがロボットを生産する時代がくる。また、一台が自我を持てば、その一台が自我を持つロボットを量産しようとしても何ら不思議はない。また、コンピュータは0と1のみで情報を処理しているが、遺伝子でさえ4つの塩基配列で情報を整理しているのだから、同じような機能を備えることも不可能ではないだろう』

 これだけ懇切丁寧に説明したんだ。流石に理解してくれたろう。

『うーん、でもやっぱりコンピュータが自我を持つ未来は想像できないな』

 ――ダメだった。想像できるできないではなく、予測不能な未来について話しているのにまるで意図が通じていない。もうこれで何人目だろう、話の通じない人間は。僕はそれを前提にその先の話をしたいのに、この前提部分で引っかかっているようじゃ面白くも何ともない。もちろん、返信するまでもなくすぐにブラウザを閉じた。

 世の中こんなことばかりだ。学校でも学べない。見知らぬ人からも学べない。外にいるのは馬鹿ばかり。頼みの綱である親も、お世辞にも頭がいいとは言えない

「生きてる意味、ないな」

 僕はそう呟いて外を見た。家々は何色だかよく分からないものが立ち並び、そのベランダには下着だのタオルだのがやたらめったらぐちゃぐちゃに干してある。母親が無機質だ、なんて言っていたが、僕には逆に煩すぎる。

 晩ご飯を作るために冷蔵庫を開けると、なんだ、野菜が切れてるじゃないか。買いに行かなければ。今日はじゃがいもと玉ねぎを買い足してシチューにするか。

 頭のなかで献立を整え、頭のなかに買うものリストを入れた。先日の売値から合計金額を計算し、それに500円の予備を付け加えた金額を財布に入れ、家を出た。

「永沼くん」

 玄関を出るとそこには先生が立っていた。初日から家庭訪問だなんて変わった教師だ。

「こんにちは。中に上がりますか?」

 この先生の授業には全く期待していない。人間性にも期待していない。ただ、社会で生きるために愛想を振りまいているだけだ。

「本当にこの世ってつまんないよね」

 唐突に何を言うんだ、この先生は。別に世を憂うこと自体珍しいことではないが、それを生徒に話すとは何事か。

「全て理解できちゃうんじゃ、生きてる意味、ないよね」

 それを聞いた途端、すぐに分かった。こいつは僕の心を読んでいる。原理は知らないが、そうだと仮定しないと今の言葉は成立しない。咄嗟にいくつも仮説を立てたものの、それらは音を立てて瓦解した。

「そんな頭のいい永沼くんについてきてほしい場所があるんだけど、いいかな?」

 僕は生まれて初めて人に弄ばれた。もちろん、ついていく他、選択肢など存在しなかった。

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