3


 エルシェントの住居に招かれる。常に薄ぼんやりとした明かりの灯る部屋がそこにあった。簡易ベッドとこじんまりとした場所に机と上半身を写し出す鏡が置かれている。鏡の至る所には、古めかしいカメラで撮られたとみられる数々の色褪せたシャシンが埋め尽くすように貼られていた。簡易ベッドの側には、数冊の本が収められた本棚があり、最小限の生活必需品が見てとれた。

 部屋の中にある古いパイプ椅子に一時の寛ぎを求め座った。窓のない地下の居住空間は、空気が冷たかった。


「ハリー、遠征に先立つ上で聞いてくれ。私は当時、博士の価値観に反対していた立場だった。しかし、今は違う。君は実の父アンソニー博士の息子だ! 博士が気象タワーを目指して旅立ってからもうすぐ二十年になる。博士のことだ、それなりの成果をあげたに違いない」

「でも、いくらなんでも遅くありませんか?」

 傍らにいたキャサリンも同意するように、首肯をくりかえした。

「何か、トラブルがあったかもしれない。自然の危険性だけでなく、は計り知れない」

「それは、俺だって理解しています。でも……」

 問いに、エルシェントは黙ったまま答えようとはしなかった。

 隣にいたキャサリンは、エルシェントの台詞に付け加えるように、

「きっと、博士だってもう一度、ここに帰って来るつもりだったのかも?」

 と、言葉を言い放った。

 キャサリンの意見にハリーは深く考えた。もし、俺ならどういう立場をとっているだろうか、と自分自身に問いただした。

「ハリー、キャシーの言うとおりだ。博士は、もしかすると、帰郷を予定していたのかもしれない。だが、思わぬ事態が起こり、助けを求めている可能性も考えられる」

「だったら、救助に……!」

 いつにも増してハリーは興奮した。

「私とて、それはわかっている! つらいさ……だが、東の山脈まで行ったとしても過酷なのだ! 何が起こるかわからない。犠牲者だって出かねないんだ!」

 エルシェントも同様に、逢いたいという気持ちが強いようだった。

「だからこそ、きちんと計画を立てて順序だてて行動しなきゃいけない」

「……?」

「かならず、お前をタワーに連れて行くと。そして、親子の再会をさせてやりたいと」

「エルシェさん」

「それには、このシェルターのまとめ役、後継者が必要だったんだ!」

「それをウォルターに任せたいと考えたのですか?」

 強い頷きをエルシェントはみせた。

「でも、ウォルターは信頼できないところがあります。あいつに任せるのは危険すぎる」

 エルシェントは断固として憤りの顔で否定しはじめる。

「お義父さん、せめて、ダウヴィさんやもっと信頼のおける隊員に……あの人は何か危険なにおいがあるわ。考え直すことはできないの?」

「もう、決ったことだ! ここのシェルターのみんなにも了承を得ている。あいつはあいつなりに苦労しているんだ! 劣悪な環境で発狂した人間に殺されそうになったんだ! だが、勇敢に立ち向かい私や兄さんを救ってくれた」

 エルシェントには、二人の言い分がわからないような顔つきをみせている。

「とにかく、私は恩人でここまで生きてきた彼を信頼しているんだ!」

「わかったわ。義父さんの気持ち、変わらないこと。けど、油断はしないでよ」

 キャサリンは諦め顔でエルシェントをみつめる。

 彼女は改めて表情を緩め、エルシェントに心のうちを話した。

「改めて、なんだけど……。シェルターのこととは別に相談したいことがあるの。いい?」

 ハリーは気づいた。彼女が一瞬眼を合わせ、

「私も、もうすぐ十九だからハリーのいるシェルターに住みたいと思うのだけど……」

 エルシェントは俯き、黙って聞いた。タイミングの悪さが響いたためか、返答がないまま、ハリーが口を開く。

「キャシーは、エルシェさんが嫌いになったわけじゃないと思います。でも、彼女の意思を尊重してあげてもいいと思うのですが……」

 エルシェントは背をそむけ、キャサリンの顔をみようとはしない。だが、背中で語り始めた。重い口調で話しはじめた。

「キャサリン、君が理解できる頃に君の本当の親について語ったと思う」

「うん」

「今思えば、丁度よかった年頃に話したと感じた。君の義姉あねとしているフリージアはいち早く気づいた。自分で生きていかなければいけないことに。キャサリンもとうとう、フリージアと同じ気持ちになったんだな」

 エルシェントは、キャサリンとの回想に浸っているようだった。

「義姉さんが……?」

 キャサリンは、血の繋がらない義姉がハリーと過ごしていた幼少期に『東の山脈』のシェルターに向け出発したことを知っていた。だが、どんな理由で、どんな気持ちで出発したか、そのときの彼女にはわからなかったのだ。

「そうか、おまえも十九になるんだな。わかった! ベータシェルターここが寂しくなるのは仕方がないな」

 キャサリンはまだ、言い足りないのか付け加えるように、

「それと、アルファシェルターに行く目的は、ハリーと常に居たいからだけじゃないの」

 訝しくハリーがたずねる。てっきり自分と一緒に過ごしたいと、彼女は思っていたものと驚かされた。

 エルシェントも怪訝けげんな表情をみせた。

「それだけじゃないって? どういうことだ」

 少し、躊躇ためらいがちにエルシェントに顔を向ける。

「うん、義父さんは技術とか本当に尊敬するところがあるけど、ハリーと比べたら、動きとか体力もちがうし、新しい刺激を求めたいって言うか……私も強くなって、今度の遠征隊には参加したいって思ってるの。自分を変えたいと思っているの」

「キャシー……」

 ハリーには、キャサリンの気持ちが痛いほどわかっていた。幼少の頃、父のあとをすぐにでも追いかけていきたかったからだ。だが、エルシェントに説得させられ、雪原における遠征の心得を教え込まれ、今に至っている。

「キャシー、気持ちはわかるけど、遠征隊には……」

 彼女の強い意志の双眸そうぼうに「連れて行けないんだ!」という言葉が、彼には言えなかった。彼女には過酷を生きる経験がなかったからだった。

 彼女の決意は、変わることはなかったようだ。

 ハリーにはなぜ、それほどまで遠征したいと思うのか、理由が知りたかった。

「キャシー、なぜ、遠征にこだわるんだ!? 何か目的があるのか?」

 彼女は俯きながら不安の残る表情になる。

「フリージア義姉さんから、手紙を貰っていたの。でも、確認することができなくて……」

 三ヶ月に一度だが、『東の山脈』に位置するシェルターから手紙が、遠征隊によって届けられることがあった。

「なんて書いてあったんだ?」

「それが……。義姉ねえさんからだってことは筆跡からわかったんだけど、ところどころ滲んでいて判別できなかったの。文の中に『助けて』って取れるような文字があって。もしかしたら、危ない状況にあるのかもって感じて」

 ハリーもエルシェントも考え、唸っていた。

「それなら、俺が『東の山脈』のシェルターにいるフリージアに直接聞いてみるよ」

「でも、直接私が訊きたいの」

 エルシェントも渋々納得したようだった。

「それなら、私の補助をして学びながら行ってもらうことにしよう! ただ、それだけでは不十分だから、アルファシェルターで遠征日出発まではハリーにしごかれる事を覚悟するんだな!」

 彼女の双眸の眼が少しだけ和らぎをハリーは感じた。


4へつづく

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