第15話


『魔王になってから、実に三十年が経過した。


 人間との和平。


 それに反対する父と決別して即位し、尊敬するおじいさまの考えを引き継いで統治してきた。

 だが、魔族の意識から人間への偏見がなかなか拭い去れない。

 友好関係を築こうと試みた相手方の勇者は、一向に心を開いてはくれなかった。


 先日崩御されたと聞いた。


 冥福を祈るも、葬儀に出席すら出来ない。

 ……新しい勇者も、同じく冷たい態度で接してくるだろうか。

 魔族は人間の三倍も生きられるが、現役で骨組みを立てられるだろうか。心配だ』



『今朝、即位した勇者から手紙が送られてきた。

 何だろうと思って開いてみると、「数日以内にそちらへ訪問します」という短い文章が顔を出した。


 ――いや、待ってくれ。


 喪が明けた早々にこちらに訪問? しかも、決定? 返事を待たず?

 今度の勇者は、かなりの変人と見た。

 まだ十五歳だと噂では聞く。成人したてだし、行動力に満ち溢れているのだろうか。

 いや、それにしてもせめて返事を待ってから動いて欲しい。

 まあ、断る理由など無い。

 どの様な用向きなのか。彼の人となりを知るいい機会だし、乗ることにしよう』



「――『変人』は余計だ!」

「えっ?」


 思わず声を荒げてしまったアリスに、静かに見守っていたクレスの体がびくりと跳ねる。後ろの棚に飾ってある壷も、ことりと数ミリたたらを踏んだ。

 とんでもない暴言に、アリスはぶつくさと文句を連ねながらも。


「……俺、やっぱ父さんの血、引いてんのな」


 今回唐突に訪問した自分といい、かつて突然訪れた父といい、既視感を覚えずにはいられない。

 いや、父親は相手にあらかじめ伝えていた分、自分の方が無礼度は高いが。

 色々とツッコミ所をぐっと堪え、アリスは再び視線を日記に落とした。



『今日、勇者殿がやって来た。名は、ディアルド・ミシェリア。


 十五歳というのは本当らしく、まだ幼さを残した、穏やかだけれど闊達な人物だった。


 ただ、深みのある紺瑠璃色の瞳は、何にも屈することなき芯の通った意志を宿し、大人よりも大人らしい博識な勇者だった。十五の歳で混乱なく国を治めている理由が、分かった気がした。

 余談だが、歓待のために特別なチョコレートを総出で料理として振る舞ったのだが、何故か勇者殿は倒れてしまった。

 気分が悪くなったと言っていたが、大丈夫だろうか』



『昨日は話し合いにならなかったので、今日こそはと思っていたら、「城下を見たい」と催促された。

 魔族のことを知ってもらういい機会なので案内したが、やはり民は警戒した様に勇者殿を遠巻きに見つめていた。

 これでは気分を害したのではとはらはらしたが、勇者殿はにっこり笑って。


「これからよろしくお願いします」


 頭を下げた。


 度肝を抜かれた。勇者が、魔族に頭を下げるなんて。

 民も呆気に取られていたが、何より自分が衝撃を受けていた。

 この勇者殿は、一体何を考えているのだろう』



『勇者殿は、魔族と人間が手を取り合っていける世界を創っていきたいと言った。

 それは願ってもいない申し出だったが、何故と理由を問うてみた。

 彼の父親である先代の勇者は、自分の父と同じく、とんでもない、という態度だったのに。

 答えを待っていたら、勇者殿は食べているものを指差した。


「チョコレート、美味しいよね」


 いきなり何だこの人。

 思いながらも「そうだな」と同意すると。


「ほら、変わらない」


 にっこり笑われた。

 何が、と追究する前に。


「美味しいと思う気持ちは変わらない。魔族も人間もないよ」


 それが、答え。

 簡単だろ、と言ってのけた勇者殿に、絶句した。

 胸が、熱くなった』



『理解してもらえないと、思っていたのに。

 こんなに身近に、自分の考えを共有してくれる人は、いた。

 これほどまでに嬉しいことは、無い』



 アリスの手が、震える。小刻みに唇も戦慄わなないて、懸命に制御しようと努力した。

 これは。



〝初めて対面した時は、やはり緊張してしまった。

 けれど、何度も逢瀬を繰り返し、言葉を交わしていく内に、それもいつしか吹っ飛んでいた。

 ああ。やはり変わらない。

 だから、きっと大丈夫。彼となら、築いていける〟



 この日記は。



〝私は願おう。

 いつか、きっと。人間と魔族が一緒に笑っている世界を、この目で見ると〟



 まるで。自分の父の日記を、読んでいるみたいだった。



『異端児と囁かれた自分に、初めての親友が出来た。


 しかも、それは人間の親友。勇者であるディアルドだ。


 きっと、歴代の勇者や魔王が知ったら仰天ものだ。

 いや、それだけでは済まない。何しろ、血塗られた関係である自分達が、仲良く手を取り合っているのだから。

 ディアルドの国でも風当たりが強いらしくて苦労している様だが、着実に人間達の意識を改革しているらしい。どうやら即位前から動いていたらしく、きちんと種まきをしていた様だ。

 これは、負けられない。

 自分も頑張ろうと思う。彼に胸を張れる親友であるために』



『娘が産まれた。可愛くてたまらない。

 自分の理解者となって結婚してくれた妻に似て、きっと将来は美人になる。

 散々に二年先に生まれていた息子を自慢されていたので、早速ディアルドに紹介した。

 可愛い可愛いと頭を撫でてきた後、「息子と結婚してくれないか」と言われたので突っぱねた。娘はやらない。

 ……でも、内心では「それも良いかもしれない」と思ってしまった自分がいた。ディアルドの息子なら、きっと幸せにしてくれるだろう。

 そうなったら、前代未聞どころか天変地異が起こるな。何しろ、勇者と魔王の結婚なのだから』



『人間と魔族が友好的になってきたとはいえ、両者には根深い因縁が横たわっている。


 だから、非公式にしか彼とは顔を合わせられない。


 自分達が顔を合わせている事を城下の者達は知っているが、箝口令かんこうれいを敷いてある。忠実に守ってくれる彼らには感謝だ。

 ミシェリアでは、未だ重役達を完全に束ねられていないらしい。非公式でも会っていることが知れると、余計にディアルドの負担を大きくしてしまう。

 歯がゆい。何も出来ない自分が、腹立たしい。

 もう少し体制を確立出来たなら、いつか日の当たる場所で堂々と肩を組めるだろうか』



『娘が、「勇者と魔王」の物語を気に入った上、勇者に憧れた。

 これは、ディアルドが言っていた結婚も現実になる日がくるかもしれない』



『貿易が盛んになってきた。

 国境付近では人間と魔族が顔を合わせ、少しずつ交流を深めているという情報も入ってきている。

 自分達がしてきたことは、無駄では無かった。

 夜にディアルドと祝杯を挙げた。

 妻と結婚した時、ディアルドの息子が産まれた時、娘が産まれた時と同じくらい美味かった』



『もうすぐ、またディアルドと会う。楽しみだ。


 互いに妻を早くに亡くしてしまったが、支えになる子供がいること、親友がいることは本当に幸せなことだと思う。


 今まで赤ん坊の頃を境に、互いの子供に会っては来なかったが、今回は会ってみようということになった。

 子供に顔を隠す必要は無くなったという判断からだった。もう子供達も分別があるし、口を滑らせることもない。

 自分の娘は、ディアルドがこちらに来た時に会わせる予定だ。だから、こちらが先に彼の息子を拝むことになる。


 確か、名はアリスティードといった。


 母親と父親の名前を合わせ、もじって名付けたと言っていた。愛されているのがよく分かる。

 どんな子なのだろう。ディアルド曰く「世界一の息子」だとか。そうだろうな。


 アリス君は、自分のことを父親の親友と認めてくれるだろうか。それだけが心配だ。


 だが、ディアルドの息子なら、魔族である自分も受け入れてくれるのだろう。

 何しろ彼が息子を褒めちぎりまくる上、紛れもなく彼の血を引いているのだから。



 歳をとるごとに、楽しみが増えていく。



 魔王になって。散々理解を得られずにいた、親にさえ見離されていた自分には、天にも昇る想いだ。

 生きていて良かったと、心から思える。

 明日、ミシェリアへ向けて出発するが、お土産は何にしようか。

 アリス君も好きだという、生チョコレートケーキにするべきか。

 娘に留守番をさせるのは忍びないが、シエルもいる。大丈夫だ。

 その分、帰って来たらたくさんお土産話をしよう。シエルとも、今度こそ養子の手続きをしよう。

 土産話は、きっと二人を笑顔にするだろう。

 特にクレスは、本当に勇者に惚れ込んでいるから――』



 ――ダンッ!



 室内を揺るがす音が、切れる様に鳴り響いた。クレスがびくっと肩を震わせる。

 アリスは拳を振るって、力任せにテーブルを殴り付けた。

 クレスがまたも肩を震わせるが、アリスは止められない。ダン、ダンッと続け様にテーブルを殴り付ける。

 日記は、そこで終わっていた。きっと、これはあの日の前。



 アリスの父が死んだ――殺された、前日のもの。



 何で。

 ぐるぐると、気持ちと一緒に思考が回る。過去の情景も、ぐにゃりと音を立てて曲がった。

 何なのだ、これは。意味が分からない。

 何故、魔王がこんなにも勇者と過ごす日々を、手がけた政策を、勇者の息子のことを、楽しそうに語る。

 父も、語っていた。それはもうしょっちゅう。

 親友である魔王のこと。たくさん、たくさん、耳にタコが出来るほど語っていた。

 息子の自分と違って、理解者が極端に少なかった父。

 それでも毅然と振る舞い、民の支持を獲得しながら、人間と魔族の宥和政策ゆうわせいさくの骨組みを成功させた偉大なる存在。

 父にとって、友人と呼べる人はその人だけだった。



 ――先代魔王、だけだった。



 知っている。

 いつだって嬉しそうに、無邪気に、父は笑っていた。自分は会ったことはなかったが、幼心に「いい人なんだろう」と思い描いていた。勝手に。

 だから。



〝――カー、ティウス?〟



 呆然とした父の声は、今でも耳にこびり付いて、離れない。



 ――なあ。教えてくれよ。



 アリスは、今はもういない魔王に呼びかける。

 これは、事実なのか。真実なのか。心からの言葉なのか。

 誠実に、真実を綴る。その誓約は、本物なのか。

 なあ。なら。どうして。



〝……無事、か、……な。アリ、ス……っ〟



「……私のお父様と、勇者様のお父様。親友だったんですね」

「――――――――」



 どうして――。



「その日記を読む前から知ってはいたんですけど。魔王になってから読んでみて……ああ、本当に……本当に嬉しそうだなって。……ディアルド様に会ってから、お父様は救われたんだなって。そう思ったら、胸がいっぱいになって」



 是非、勇者様にも読んで欲しかったんです。



 神妙に呟くクレスに、アリスは何も返せず。

 ただ堰を切って氾濫する感情の大波に呑まれていった。


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