第8話
「……あー、ハラハラする」
広場より遥か離れた茂みから、こそっとアデルが顔を覗かせる。隣では優雅に静観するロッジも、アデルほどではなくとも表情に「心配」という文字を貼りつかせていた。
傍目からすれば、人目を忍んでこそこそもぞもぞ芋虫みたいに蠢いている二人の様子は怪しさ大爆発で、逮捕されても文句の言えない変態行動なのだが、当然二人が気付くことはない。
何故、こんな変態行動を起こしているのか。
事の発端はもちろん、魔王である。「城下を案内します!」と宣言し、クレスがアリスを連れ出したことから始まった。
クレスの神がかり的な素早さに、不覚にも追跡し損ねた二人は、万が一の事を想定して遠巻きにアリス達の動向を見守っていた。今のところは乱戦に発展することもなく、平和に時が流れているため、物陰からひっそりと――否、もっそりと垣間見るだけに留めていた。
同じ行動でも恋する乙女の方が万倍も絵になるのだが、そこはツッコミが不在なため永遠に二人が理解することは無い。
「アデル、あまり身を乗り出すな。アリスに気付かれたらどうする」
「あー、ロッジ、アリス呼び捨てにしたー。いーけないんだーいーけないんだ」
「お前もな。別に良いだろう。プライベートでは『様付け』していない。それに、ここには私たち以外には誰もいないしな」
「――実は、誰かいたりしまして」
「は? 何を冗談……って、っ!?」
背後からの唐突な挙手に、アデルは大袈裟に飛びのき、ロッジは咄嗟に剣を引き抜いて身構える。
挙手と共に佇んでいたのは、どこか感性がズレた、外見上は誠実几帳面を忠実に再現している執事、シエルだった。刃の様に鋭いながらも美しい銀髪の髪が特徴の彼は、律儀に右手を挙げて「はーい」というポーズを無感動に実践している。
笑えば良いのか、戦慄すれば良いのか。ロッジとアデルは、複雑に顔を歪めた。
「な、何だよ! いるなら、いるって言えよな」
「なるほど。では、います」
「遅いだろう」
「すみません。今度からは宣言することに致します。なにぶん、人間のマナーには未だ馴染みが薄く」
「いや、『います』って宣言して登場する奴って、この場合おかしいから。うん」
ぱたぱたと手を振って、提示した議題に自ら終止符を打つアデル。ロッジが呆れる横で、シエルは「わかりました」と生真面目に頷いた。
ここまで素直に了承されると、騙そうと思えばとことんまで騙せそうだ。シエルが詐欺師に騙されたりしないかと、変な懸念をアデルは抱いてしまう。
が。
「しかし、お二人は勇者様を愛称で呼び捨てにされているのですね」
「ははは、そうそ……、―――――」
一瞬の沈黙。
ロッジとアデルは、どちらからともなく視線だけを合わせ。
そして。
「何を言う。勇者様だ、勇者様。私は呼び捨てになどしてはいない。不敬罪だ、不敬罪」
「そうそ、ロッジの言う通り! アリス様アリス様ア・リ・ス・さ・ま!」
「何の念仏ですか」
ぱしん、と互いの手の平を合わせて誤魔化す二人に、シエルは無表情に問う。
しばらく、じーっと無言の重圧が火花を散らし、三人――正しくは二対一で、緊迫した気迫がぶつかり合った。
そのまま睨み合い、睨み合い、も一つ睨み合い。
「――内緒にしといてくれよ。頼む!」
早々に折れた。
両手を合わせて拝み倒すアデルの姿に、シエルは無感動に頷く。
「……分かりました。そこまで、どこかの島国の大仏に拝む様なポーズをされてしまっては、無下になど出来ません。お墓まで持って行く所存でございます。ご安心を」
「いや、お前は何故そこまで大げさにするんだ。たかが黙るだけなのに」
ロッジがすかさず突っ込むが、シエルはそれには無反応でスルーした。
そして、二人を見つめて
「お二人は、勇者様にとって特別な存在なのですか?」
「え? あー、いやあ。……そう、かな」
躊躇ったのは一寸。
アデルは頬を掻きながらも、嬉しそうに頷いた。ロッジも隣で無言だが、微かに同意する。
アリスと、友人で在れること。それは、どんな時でも誇りだ。
「我々は幼馴染なんだ。父親が先代勇者の護衛をしていてな。そのツテで知り合った」
「そうそ! 俺たちさ、メッチャ緊張してたよな! だって、やっぱ『勇者』って言ったら雲の上の人って感じだったし」
実際、勇者は自分達とは違う世界の人という認識が強い。
物語にある通り、自分達を圧政する魔を振り払い、平穏を取り戻してくれた救世主。代々の勇者も、隣国の恐怖から身を護ってくれた尊き存在だ。
最近の勇者は城下に降り立ち、民との交流も積極的になってきてはいた。おかげで少しずつ民衆との距離が縮まってきてはいたが、それでもやはり上の者。おいそれと親しげに話しかけるのは分不相応な気がした。
それは、先代勇者のディアルドが、息子であるアリスを紹介してくれた時も同じ。アデルもロッジもどんな顔で会えば良いのか、どんな振る舞いをすれば無礼に当たらないか。そればかりを考えていた。
けれど。
「そんな私たちに向かって、あいつは大真面目に疑問を投げかけてきたのだ」
〝二人って、いくつなんだ?〟
それが、始まり。
先代勇者である父親の隣に並んでいたアリスが、淡々と首を傾げていた。
〝えーっと、ご、5さい、ですけ、ど〟
〝なんだ。おれは4つだ。としもおれのほうが下だし、よびすてにしてくれ〟
事もなげに言い切ったアリスに、自分達はもちろん、二人の父親も仰天していた。勇者がいなければ飛び上がっていたかもしれない。
〝あ、アリスティード様! それはいくらなんでも〟
〝あ、あの。え? いや、い、え、でも〟
〝『さま』なんて、いらない。だって、変だろ? 同じくらいのとしなのに〟
それからは、どれだけこちらが辞退しようとしても、アリスは頑なに押し通した。
当時は子供過ぎて気付かなかったが、今思えば対等でいたいと、いて欲しいとアリスが願ってくれたからこそ、二人も好意を、興味を抱いたのかもしれない。
その日から、自分達にとってアリスは『勇者』ではなく、『アリス』に変わった。
「思えば、あれってアリスの俺たちに対する最初のわがままだったよな。ディアルド様も後になって、『アリスが自分以外にわがまま言うのは初めて聞いた』って嬉しそうにしてたし」
「そうだな。変だって主張して、うまく伝えられずにもどかしそうにしていた。……まあ、わがままだというのも、今だから分かるのだが。アリスはなかなか素が分かりにくいからな」
一見すると砕けた言動を取っていても、その実一線を引いている。懐いてくれている城下の子供達に対してさえ、同じだ。
アリスが素の表情を見せてくれるのは、自分達双子と、重鎮である一人の宰相くらいかもしれない。
それだけ、上に立つ勇者は孤独だ。先代の勇者もそうだった様に。
だからこそ、自分達だけでもアリスの安らぎの場所でいよう。そう決めて、今、ここに在る。
「って言っても、まあ、普段は気を付けてるってわけ。いくら専属護衛とはいえ、俺たち騎士みたいなのがアリスを呼び捨てにしてるってバレたら、諸国に勇者が舐められてるーって思われるからなあ」
「……シエル」
「わかっております。墓だけではなく、地獄の沙汰まで持っていき、例え
「いや、だから何でそこまで大げさにするんだよ。助かるけどさ」
だんだんとシエルによって事態が大きく膨らんでいく状況に、アデルも反射的に片手をビシッと振ってしまうが、シエルはやはり風に流してしまう。
そうして、生真面目に右手を胸に当てて一礼していたシエルは、ふっと目元を和らげてクレスの方角を見やった。アデル達も誘われる様に視線を追いかける。
そこでは、アリスが閉口しながらも群がる子供達の相手をしていた。ベンチに二人並んで腰を掛け、クレスは何やら大きな本を開いて語っている。もしかしたら、読み聞かせでもしているのかもしれない。
――魔王クレスは、不思議な存在だ。
アデルやロッジには、とても不可思議に映る。
お転婆で、落ち着きがない少女の様でいるが、今見せている彼女の雰囲気は少し違う。
アリスに対して見せてきた顔とは違い、子供達に語り聞かせる横顔はまるで慈母の様だ。普段の子供の様な態度とは裏腹に、大人びて見える。
「私にとっても、クレス様はとても大切な存在です」
遠くに語る様に、シエルが零す。
その響きだけではなく、アデルとロッジも初めて聞く彼本人の語りに興味を引かれた。
「誰よりも心優しく、自分よりも他者を思いやれる綺麗なお方。魔王としては若干頼りなくはありますが」
「おい。それ、俺たちに言っちゃ駄目だろ」
「料理もとてもプロ級とは言えず、手先も超がつくほどの不器用、魔力のみは宝の持ち腐れなほどありはしますが、おおよそ戦いには向かず、幼少期は正直いつか城門あたりで野垂れ死んでいるのではないかと気が気ではありませんでした」
「……おい」
「しかし、今では魔王として本当にご立派に成長されました。僭越ながら兄の様に付き従い、誰よりもお傍で拝見してきたのです。感無量で私、涙で目の前が
「霞まないのか」
自分の主を貶しているのか褒め称えているのか。いまいち判別しにくいシエルの語りに、アデル達はツッコミながらも何となく口元が緩んだ。
彼の語り方は出会った時から変わらず淡々としてはいるが、きっと魔王に対して深い愛情を
アリスにとって自分達がいた様に、魔王にもまた、彼がいた。その事実が今、素直にアデル達には嬉しかった。
が。
「……正直、羨ましいです」
ぽつりと、シエルがクレスから視線を外さないまま囁きを落とす。
「私には、様付けでしか呼ぶことを許されませんでしたから」
「―――――……」
平坦な声音。しかし、そこには万感の想いが封じ込められている。
今までの優しい語りに影が落ち、二人は顔を見合わせた。どう返して良いか分からず、手持無沙汰にアリス達を観賞する以外にない。
しかし、影が差したのも一瞬。シエルは生真面目な顔に戻り、一礼した。
「そんなに心配しなくとも、貴方達の大切な勇者様は、魔族に危害を加えません。当然、魔族である我々も、貴方達をどうにかしようという気はございませんのでご安心を」
「ああ、そうか……、って、……っ!?」
死角から飛来した爆弾発言に、アデルは目を零れんばかりに見開いた。一方、ロッジは予期していたのか、苦虫を潰したかの様に口をへの字に曲げる。
シエルは何故か一瞬間を置いてから、瞬きをしつつ抑揚なく続けてきた。
「みんな、薄々感付いてはいます。貴方達がどの様な理由でここに訪れたのか」
「……アリスが、魔王を討ちにやってきたと?」
「ええ」
ぴくりとも顔の筋肉を動かすことなく受け止めるシエル。ロッジの声なき挑発にも、動じることはない。
「それに事前に、ミシェリアの宰相レティアス殿から『そっちに魔王討伐で勇者行くからよろしく』という手紙も頂いておりましたし」
「は……」
「……あ、あの宰相……」
堂々と『魔王討伐』という物騒な単語を文面に載せ、あまつさえ「よろしく」とかぬけぬけと言ってのけるその根性。そんな無礼千万な人物、世界広しと言えどあの宰相しかいないだろう。
レティアス・カヴィアデール。
男性陣の活躍が目立つ自国の中でも紅一点であり、更に二十二歳という若さでアリスの右腕として宰相に抜擢された英明さは、二人も認めるところである。何を隠そう、信頼できる重鎮の宰相とは彼女のことだ。
だが、秀才というのは、どこか常識を大地ごとひっくり返すような感性の持ち主であることが多い。ご多分に漏れず彼女もそうだった。
彼女は、今回の件でアリスが「魔王討伐に赴く」と悲愴な面持ちで相談した時、「のたれ死にする前に凱旋するなら良いですよ。お土産はチョコマフィンで」とあっさり承諾して送り出したのだ。あれにはアデル達だけではなく、アリスも面食らっていた。
遠い目をして次元の違う会話を思い起こす騎士二人の心中には構わず、シエルはやはりいまいち感情の読みにくい顔で広場を見やる。
「『勇者』と『魔王』は天敵です。先代のおかげでだいぶ両者の関係が良好になったとはいえ、完全に気を許すことはできない間柄。それは事実です。……それでもクレス様をはじめ、彼らは本心から勇者様に懐いているのです」
「……どうしてか、聞いても?」
空気が徐々に張り詰め、何故か澱んでいった。
そのことに警戒心を抱きながら尋ねるロッジに、シエルは告げる。――先代魔王にとって、最強にして最大の盟友の名を。
「ディアルド様――アリスティード様のお父上を、我々はよく存じ上げているからです」
「――――――――」
痛い所を突かれた様に、アデル達の顔が曇る。シエルの表情もどことなく哀愁の色を乗せていたのは、気のせいではないだろう。
恐らく。自分達にとってその名前は聖域であり、同時に禁忌であるのだから。
「彼は、我々魔族の意識に一石を投じました。未だ疑心暗鬼であった魔族を相手に、和睦の路線を取った。猜疑の目を向けられようと笑って手を取り、積極的に関わってきた」
「……………」
「最初は小さな波紋だったのに、それはやがて先代魔王のカーティウス様と共に、大きな波となって大変革を起こしました。……勇敢です。勇魔不戦条約があるとはいえ、風当たりは強かったでしょうに」
「……ああ」
「それでも最後まで、ディアルド様は魔族に手を差し延べ続けて下さいました」
それは、魔族にとっても大きな革命だった。
今まで貿易を通じた交流しかなかったのに、分厚く、向こう岸さえ見せはしまいと遮っていた壁が、何枚も取り払われていった。
そして今、現魔王のクレスもその意志を引き継ぎ、国民達から人間への偏見を無くそうと奔走している。その甲斐あって、魔都ではほとんどが勇者に憧れ、敵意を持つ者は少ない。
また、現勇者であるアリスも。
「先代の様に直接の交流はなされておりませんが、勇者様もミシェリアで懸命に働きかけていると窺っております。おかげで、少なくとも勇都では魔族との和平に表立って異を唱える者はいないとか」
「……そ、れは」
確かにその通りだ。アデル達も認めざるを得ない。
アリスは政策としては、魔族と手を結ぶ方針を打ち出している。敵対行為を見せてもいない。心の内はどうあれ、結果だけ見れば友好路線まっしぐらだ。
けれど。
〝俺は、魔王を討ちに行く〟
旅立つ数日前。アデルとロッジに、悲痛な面持ちで告げたアリスは。
「あいつは、……」
「最初から彼が本気でクレス様を殺しにかかってきたのならば、私はとっくに動いていますよ」
「―――――――」
どきりと、核心を突かれた様に心臓が凍った。アデルが半笑いで心持ち身を引く。
「……何、を」
「勇者様を見ていれば分かります。彼は、確かにあのディアルド様のご子息なのだと」
淡々と、シエルは静かに語っていく。
初めて彼の存在を、国境を越えたところで感知した時のこと。魔族は人に比べて感覚が鋭く、シエル自身も魔王に次ぐ魔力の持ち主である。故に、隠そうともしない勇者の覇気は、遥か遠方であっても、まるで近くで触れたかの様に肌を震わせた。
何者にも屈しない気高さを香らせ、鮮烈なまでに眩く噴き上がる気炎。崇高でありながらも懐かしい感覚にさせ、清冽なまでの存在感に、対面もしていないのに心が震えた。
「初対面を含め、クレス様を葬る機会なんていくらでもあったのに、彼はそうしなかった。私から見ても隙だらけですからね、彼女は。勇者様とは大違いです」
淡泊ではあるが、少しだけ柔らかい。
語る彼を眺めながら、アデルはアリスの方を見やる。
魔族にもみくちゃにされている辺り、アリスも一見隙だらけにしか映らないが、それは周囲から殺気が拾えないからだろう。
彼は、無意識であろうともそれを敏感に察知する。そして、素早く対処する。文字通り、人並み外れた運動神経を発揮して。
それを、アデルもロッジもよく知っている。だからこそ、シエルの言には迷いなく頷けた。
「あー、まあな。彼女、よく魔王続いてるなあ、とは思ったりする時もある、かな」
「一応は魔王ですから。……私が何も言わずに成り行きを見守っているのは、勇者様がクレス様に危害を加えるとは思えないからです。彼は、あの方のご子息ですから」
それがいつまで続くかは分からないが、とシエルは前置きしてから。
「けれど、これだけは言えます。彼は、私怨でもって誰かを手にかけるなどという愚行は犯さないと」
シエルの断言に、二人も神妙に聞き入った。
「きっと勇者様なら、必ず理由を明確にしてから行動に移すでしょう。それが、魔王討伐という世界の命運を左右する決断であるならば、尚更」
何故なら、個人的な感情で国の政治路線を変更する、という選択をしなかった。充分な証明になる。
そんな風に理路整然と語られ、アデルは苦笑し、ロッジは生真面目に嘆息した。
「……甘いんじゃないか。子は、必ずしも親には似ない」
「そうです。貴方の言う通り、私は甘いです。ですが」
人を見る目は、あるつもりです。
淡泊でありながらも自信たっぷりに断言するシエルに、アデルとロッジは初めて、彼に対して苦いながらも微笑ましい笑みを零した。
それは、二人が少しだけ彼に気を許した証拠でもある。
そんな風に気付くのは、もう少し経ってからのことだった。
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