第4話


『むかしむかし、あるところに。――魔王がおりました』


 それは、遥かなる伝承。

 今や、世界の常識として知れ渡る物語。

 勇者と魔王は、切っても切れぬつながりで結ばれている。

 本人達が望もうと、望まなかろうと。


 唯一にして、絶対の真実。






「どうぞ! いっぱい食べて下さいね!」


 どどーん、と大音量で効果音が鳴りそうなほどに、テーブルの上は料理の山、山、山だった。

 あまりの山盛り、というより既に料理のひとつひとつが山積みな状態に、席に案内されたアリスは激しい眩暈と頭痛と耳鳴りに襲われた。恐らく両脇に腰を下ろした双子騎士も同様だろう。戸惑った様な、混乱した様な、何とも言えぬ空気を漂わせている。


 この魔王城に到着してからというもの、不可解の連続だった。


 歴史を紐解いたとしても、勇者と魔王が仲良く談笑を、しかも食卓を共にするなど天地が引っくり返ったってありえなかった光景だ。

 両者の関係は、殺伐とした命の奪い合いが大前提であって、顔を突き合わせればすぐに手が出る。

 それが、当然の事象。自然の摂理。人が呼吸をするのと同じくらい、当たり前の慣習だった。

 しかし。


「はあ……っ! 私の料理、大丈夫でしょうか。ドキドキします……!」

「ご安心を、クレス様。毒見をしましたが、きちんと料理の体裁は保っておりました。味はともかく」

「毒!? 味はともかく!?」

「そ、そうですか? よ、良かった……」

「いや、良くねえよっ」

「あとは、皆さまの舌に合えば……っ! ああ、ドキドキです……!」


 こちらのツッコミなど完全に無視し、シエルと漫才しながらも笑顔を隠せない魔王。その姿は、まるでそこらの少女と変わらない。

 そう。

 この少女のせいで、当たり前の習慣で自然の摂理だった勇者と魔王の歴史は。今この時、この瞬間、全力で塗り替えられてしまった。


「……ん、なわけ、……っ!」


 頭を抱えながらアリスは唸る。その横で、呆気に取られながらも奇妙な視線を向けてくるという、実に器用な双子騎士の反応を呪いながら、精一杯アリスは現状に抵抗した。

 そうだ。


 ――むしろ、これこそが魔王の計略なのかもしれない。


 最初は友好的に接し、一息入れたところで食事に毒なり睡眠薬なりを盛り、卑劣な手段で殺害するのかもしれない。

 魔王は代々、人間を弄ぶ悪趣味な性癖が備わっていると伝え聞く。

 高笑いを上げながら見世物にする非道なやり口に、歴代の勇者はどれだけ胸を痛め、憤慨し、立ち上がってきたか。彼らの『記録』を直に目にしているアリスでも、計り知れないものがある。


 ――来るなら来い。受けて立ってやる。


 先代の魔王がそうした様に、めるなら嵌めてくるが良い。決して、策略になど屈しはしない。



〝楽しみだね〟



 どれだけ、あの笑顔がちらつこうとも。

 自分は、屈しない。


「……では、勇者様。我々から口にします。万が一毒が入っていたら大変ですから」

「は?」

「あ! 俺も俺も!」


 感傷に浸っていると、横では既に時間が進行していたらしい。双子の兄であるロッジが、言うが早いがスプーンを握り締め、アリスの前のスープを一匙掬ひとさじすくう。

 それに負けじと弟であるアデルも、ソースがたっぷりかけられたローストビーフをフォークで刺した。


「って、おい、待て!」

「どうぞ! 食べてみてください!」


 青ざめて制止しようとするアリスと、紅潮して深い紫紺の瞳をきらきらと輝かせるクレス。

 二人のサラウンドを背中に流し、ロッジとアデルは意を決し、同時にぱくりと口にした。分量的には非常に少ないが、もし毒が入っていたらと思うとアリスとしては気が気でない。



「この馬鹿! てか、二人で一緒に食べたら毒見の意味無い……!」

「……………、……ぐっ!」



 スプーンを口にくわえたまま、ロッジがかっと目を見開いた。そのまま苦しげに唸り、手から抜け落ちたスプーンが落下する。

 からん、と乾いた音が床に弾ける。その音がまるで命が割れる様に響いて、アリスは咄嗟に手を伸ばした。


「おい、ロッジ!」

「……は……っ」


 更には横で、アデルも口を押えてフォークを取り落す。「おい!」と振り返り、アリスは彼らが椅子から落ちる様をスローモーションで見送った。


「ロッジ! アデル!」

「ぐ、うっ……」

「あ、りす、……」


 どっ、と床に重々しく二人が転げ落ちる。一様に胸や喉を掻きむしって喘ぐ二人に、アリスは蒼白だった顔から、更に血の気を引かせていった。

 もはや立つことも不可能なまでに陥ってしまった二人を、アリスは唇を噛みきって為す術もなく眺め――。


 目の前の元凶を射殺す様に睨み上げた。


「お前、何を盛った! やはり」

「だ、大丈夫ですか!? 私、何か粗相をやらかしてしまったのでしょうか!」

「お前は……、……って」


 胸倉をつかみ上げんとする勢いのアリスを遮り、クレスは一も二もなくテーブルを飛び越えた。漆黒の綺麗なドレスが汚れるのも顧みず、食べ物が散乱した床へとしゃがんで二人の容体を診察する。

 中途半端に怒鳴ったまま固まってしまったアリスを余所よそに、クレスはあわあわと右往左往しつつも、控えていたシエルに指示を飛ばした。


「あああ、ど、どうしましょう。……シエル、じいやを呼んで来て!」

「かしこまりました」


 丁寧に腰を折ってから、シエルが素早く退室する。

 それを見送ってしまってから、アリスはようやく立ち返り、尚も二人の様子を診るクレスを見やった。


「ちょ、おい、魔王」

「すみません、勇者様! でも、……じいやは腕の良い医者ですから、きっと大丈夫です」

「……はあ?」

「あと、すみません。このお二人が食べたのって、このスープとローストビーフですよね?」

「へ? ああ、……って」


 何する気だ、とアリスが続ける間もなく、クレスは躊躇いなくスープを啜った。次いで、ローストビーフを口に放り込み、よく噛んで咀嚼そしゃくする。



 毒が盛られたのでは、という懸念たっぷりの食事を、眼前で魔王が自ら食するこの図。



 アリスとしては、どう対処して良いのか本気で途方に暮れた。振り上げかけた右手が、行き場を失くして哀れに彷徨さまよう。

 もごもごと何度もスープとビーフを交互に食べてから、クレスは心底救いを求める様に見上げてきた。


「……美味しく出来たと思うのですけど。お、お口に合わなかったのでしょうか」

「……、えっ」


 眉をすっかり下げて、しゅんと肩を落とすクレス。心なしかその瞳は潤んでいて、アリスはぎくりと体を強張らせた。別に自分が泣かせたわけではないはずなのだが、過敏に反応してしまう。


 ――いや、待て。


 いくら女性とはいえ、相手は魔王。この潤んだ瞳さえ演技かもしれないのに、何故自分が気を遣わなければならない。

 それに、今も自分の大切な仲間が生命の危機に晒されているかもしれないというのに。こんなに罪悪感を覚えるなど、おかしすぎる。

 色々言い訳を並べ立てて正当化してみるも。


「……、……本当に、ごめんなさい」


 ぽつりと、泣きそうに俯く彼女に、アリスはわなわなと身体を震わせた。一生懸命倒れた騎士を介護しようとする姿は、とてもではないが暗殺を仕掛けたとは思えない。

 どうして、そんな風に焦るのか。

 自分達は本来敵同士だ。こんな風に食卓を囲む機会なんて、あるはずもなかった。

 なのに、押しかけた自分達を歓迎し、豪勢な食事まで用意して、しかも倒れてしまったこちらの仲間を介抱するなどありえない。

 そう。ありえない。

 ――はずなのに。


「……、……………くそっ」


 がしがしと頭を乱暴に掻いて、アリスは乱暴にフォークでキッシュを突き刺す。

 そうだ。舌の上に転がすだけで良い。危険を察知したら、すぐに吐き出せば良いのだ。

 毒が含まれているかどうかなど、舌に触れただけで一発で見抜ける。無味でも無色でも、毒素というものは何かしらの違和感を与えてくるものなのだ。

 勇者はその血筋故か、一般人とは比類なき才能や身体能力が賦与ふよされた存在。故に、少々の毒では死なない様な体の造りをしている。

 それでも、部下達が用心に用心を重ねて毒見やら先導やらを担いたがるので、アリスとしてはいつもハラハラしっぱなしだ。実際、目の前で騎士二人が倒れてしまって、生きた心地がしなかった。


 ――果たして、真実は如何ほどか。


 仇を見る様な目つきで、突き刺したキッシュと睨めっこをする。

 そして。


「……、ええいっ! ままよ!」


 死地に赴く決意と共に、アリスは勢い良くキッシュに噛み付いた。

 そうして、もごっと、ひと噛みしようとして――。




「――ぶっはあっ!?」




 盛大に噴き出した。光よりも速く、キッシュの残骸がテーブルの向こう側へと吹っ飛んでいく。


「ま、ままままま、ま、ままっ、ま、ず、ま」

「ゆ、勇者様。ママを連呼して……そ、それほどお母様が恋しく?」

「ま、ち、ままま、ちが、……こ、ここここ」

「え? キッシュがどうかしましたか?」


 口元を押さえてテーブルの下から元凶を指差すアリスに、クレスは勘違い大爆発を披露してから、きょとんと目を瞬かせる。

 悪意が無いのは一目瞭然だが――魔王という肩書上、一目瞭然という表現も怪しいが――、とにかく今のアリスにその要素を加味する余裕は、無い。



「な、何なんだ、これは!」

「え、ええ? えっと、これは、ほうれん草とサーモンソテーをベースにしたもので」

「何でほうれん草とサーモンソテーのキッシュなのに、ミルクチョコや蜂蜜や砂糖をふんだんにぶち込んだみたいに甘ったるいんだ!? いや、甘ったるいなんてものじゃない。歯が溶ける! 舌も溶ける! 意識も溶けて遠のく! 食べ物かこれ!」

「え、ええ!? あ、でも、正解です! ミルクチョコも蜂蜜も砂糖も存分に使いました。凄いです、味覚もプロ級なのですね!」

「っ!?」



 両手を合わせて心から称賛を浴びせてくるクレスに、しかしアリスは目を回した。

 今、彼女は何と言ったのか。むしろ、何を肯定したのか。あまりの突拍子の無い事実が暴露されて、正常な思考が潰されていく。


「はあっ!? おまっ、何考えてんだ! 何をとち狂って、キッシュにチョコとか……」

「スープは、甘さと苦味たっぷりのマーマレード入りコーンクリームハニーレアチーズチョコプリン味ミネストローネです!」

「ま!? マーマ、ハニーレア、……あっ!? 何だって!?」

「ローストビーフの方は、ビター風味のチョコを肉に練り込んでいます! デミグラスソースはチョコをベースに、リンゴとピーチとオレンジとストロベリーとマンゴーをふんだんに使い、生クリームと蜂蜜と黒砂糖で一まとめにして仕上げました!」

「ッッッ!?」


 予想を遥かに――いや、遥かにどころではない。もう神の領域、などと称しては失礼かもしれないが、神の領域に到達した事実だった。驚愕以外に何が出来るというのか。第三者がいれば問い質したい。

 耳を疑いたくなる献立、もとい材料の使用法だが、今キッシュを食したばかりの舌が雄弁に物語ってくれている。

 説明してくれた内容に、嘘は無い。嘘であって欲しかったが、二人が目を回して気を失ったのも納得の出来栄えである。


「な、んでチョコばっかり……」

「はい! リュシファースでは、古くから祝儀や尊い記念日などには、チョコレートを使うのが慣わしなのです。特に賓客ひんきゃくをおもてなしする際には、チョコを下地として甘い食材を全ての料理に絡めるんです! 元々魔族は甘党な方が多いですし、何より美味しいですしね!」


 美味しい? あれが?


 胸の内だけでの大々的なアリスのツッコミは、もちろん届くわけもない。クレスの解説は、中断されることなく続いていった。


「今回は、昔から憧れていました勇者様へのおもてなしですし、シェフの方々も張り切ってくれまして! 普段からチョコを食べないわけではないですけど、やっぱり縁起物ですし、ここは値切りもケチりもなしでと、皆さんで相談し……」

「……………、る、か」

「て……って、何ですか?」


 聞き取れませんでした、と無邪気にクレスが顔を上げてくる。きらきらと綺麗な紫紺色の双眸が真っ直ぐにアリスを捉えて、次の言葉を心待ちにしていた。

 純粋に。綺麗に。曇りなどまるで見当たらない。宝石よりも澄んだ煌めき。

 まるで、あらゆる手を尽くして好意を詰め込んだことを、信じて疑っていない類の献身だ。盲目的で、視野が極端に狭い。

 それが、何故だかアリスには非常に苦々しかった。苛立たしくて。

 そして、何より。



〝次に来るのは、いつかな〟



「―――――――ッ!」



〝楽しみだね。ねえ、アリス?〟



 脳裏に蘇る幸せそうな笑顔が、彼女に重なった。

 それが、これ以上ないくらいに腹立たしくて。



「――こんなもてなし方があるか、馬鹿野郎!」



 ガッ! と、テーブルを叩きつけて、アリスは怒号を噴き荒らした。合わせて食器が乱雑に跳ね、思いのほか大きく上がった物音に、クレスが一瞬だけ硬直する。

 だが、その程度でアリスの怒りが止まるはずもない。諸々の鬱憤とやり切れなさが良心を凌駕し、怒涛の如く畳み掛ける。


「俺の国だって、賓客もてなす時はこっちの名物や文化を提供する! だがな! それだって、限度ってもんがあるんだよ!」


 がん、ともう一度テーブルを叩き付けてアリスは怒鳴る。

 それでも止まらない。かせが外れた様に、次から次へと感情が溢れて止まらなかった。


〝気に入ってくれると良いな〟


 一生懸命本を読んで、来る日も来る日も計画を練っていた父の背中。

 自分のところにきて、どうかな、どうかな、と心配そうに確認し、「はいはい」と流しながらも付き合っていた自分。

 もう八年も前のことだ。遠い日にかなぐり捨てて、根っこから全て消してしまいたかった。

 なのに。



〝だから。きっと、アリスも好きになるよ〟



 頭の中に響く声が、止まらない。

 重なって、苦しくて、息が出来なくなりそうだ。


「こっちにだって趣味嗜好や文化が存在する様に、相手にだって趣味嗜好も文化も存在する! だったら、その客の国土や文化を軽くでも勉強して、こちらの風味をアレンジしつつもてなすのが普通だろうが! 特に、食文化に関してはな!」

「……勇者さ……」

「魔族と人間の味覚には壊滅的な隔たりがあるなんて、子供用の文化本見ても書いてあるぞ! お前、それさえも知らなかったのか!」

「え、……」

「そんなんで、『憧れ』だの『会えて嬉しい』だの軽々しく口にするな! 本気でもてなす気あるんなら、一から勉強して出直して来い!!」

「――――――――」


 アリスの飾らない真っ直ぐ過ぎる糾弾に、クレスは表情という表情を削ぎ落とした。それまで面白いほどにくるくる変わっていた百面相が、一瞬で塵になって霧散する。

 無表情なのに、痛々しい。目を真ん丸にしているだけなのに、今にも泣きそうな気配だ。

 アリスは瞬時に後悔したが、意見を翻すことも出来ず。

 じいやと呼ばれるおきなが来るまで、ひたすら気を失った仲間を見つめ続けるしかなかった。


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